粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

謝る国、謝らない国

2012-11-13 09:28:34 | 厄介な隣国

昨日、橋下徹大阪市長のもとへ、朝日新聞出版の磯崎社長代行が先の週刊誌記事の件で謝罪に訪れた。責任をとって現社長は辞任し、磯崎氏が社長に就任する人事まで報告する始末だ。謝罪に上半身45度深々と下げる社長代行と直立してそれを見下ろす市長。そのコントラストは象徴的だ。

また、大学新設問題では田中眞紀子文部科学大臣、これも最初の勇ましさはどこへやら、結局不認可を取り消してあっという間の逆転認定。プライドの高い彼女だが、一応対象の大学に謝罪をしたようだ。写真を見ると上半身はともかく頭は明らかに下げている。彼女にとって屈辱的かもしれないが。

一方、中国では北京国際マラソンで日本人選手を閉め出す問題がおこった。参加を申し込む主催者側のサイトには、国名を選ぶ欄に「日本」の選択肢がない。尖閣諸島問題で対立する日本を拒否する中国当局の露骨な意図が働いていることは確かだ。

しかし日本人選手排除の手のこんたやり方に、中国国内のネットでは非難囂々だ。「国際社会で大恥をかいた」「対日外交をさらに混乱させることをするな」など、中国国民の方が冷静で良識的だ。こうした非難に慌てた当局が直ぐさま、問題のネットで国名欄に「日本」を追加する始末。

主催者側は最初ネットでの「日本欠如」を「安全上の理由」としていたが、最後は単なる「誤解」と弁明した。これを姑息といわずして何というのか。もちろん主催者側の「謝罪」はない。どうもこの国は謝罪という言葉を知らないようだ。昨年の新幹線事故でも謝罪もなく事故を糾弾するメディアに対し、逆にあからさまな報道規制をする強権ぶりだ。

日本と中国で起きたこうした騒動への対応ぶりは、対照的だ。謝罪が日常的に見られる国と謝罪もなくネットでこっそり繕う国。しかし後者の国は、折に触れては前者の国に対し70年前の行為で謝罪を求め続ける。