気仙沼湾に浮かぶ大島と本土気仙沼が橋で結ばれ、
その橋(愛称「鶴亀大橋」)が4月7日に開通となった!
1967年の県勢発展計画の架橋構想策定から半世紀以上
大震災からは8年を経て、ついに悲願は叶ったのである。
大島には知人も仲間も住んでいる…
先日夕方、その仲間と久々に再会し会話する機会があった。
船に訪ねてきてくれたのである…
募る話で会話も弾んだ!
三陸沿線も復興道の整備がだいぶ進んだが、
生活道の方はなかなか進んではいない…
大震災後に使われた迂回路の整備はなく、
生活道から復興道への緊急時のアクセスポイントも少ない…。
海岸線に建設中の防潮堤であるが、我が集落の浜も
工事着工となり、工事車両の往来が増えてきている。
我々が子供の頃にはきれいな砂浜だった渚は、
養殖船の荷役兼加工処理場に変わったが、
大津波により破壊された。
修復されたばかりの場所に、今度は防潮堤が造られる…。
もう砂浜には絶対に戻らない集落の浜ではあるが
我が家の庭からは「防波堤」の様子が、今は見える…!
『防潮堤』が出来上がると、さすがに庭からは見えなくなる。
南三陸沿岸の集落の多くは、入り組んだリアス式海岸…!
地理的に海岸線があり小高い丘もある…
その地理を避難道として利用する事は可能だと思う…
未来に残していかなければならないのは本当は何なのか…?
伝えたい事はたくさんあるが、伝えられない事も多いのが現実だ。
その橋(愛称「鶴亀大橋」)が4月7日に開通となった!
1967年の県勢発展計画の架橋構想策定から半世紀以上
大震災からは8年を経て、ついに悲願は叶ったのである。
大島には知人も仲間も住んでいる…
先日夕方、その仲間と久々に再会し会話する機会があった。
船に訪ねてきてくれたのである…
募る話で会話も弾んだ!
三陸沿線も復興道の整備がだいぶ進んだが、
生活道の方はなかなか進んではいない…
大震災後に使われた迂回路の整備はなく、
生活道から復興道への緊急時のアクセスポイントも少ない…。
海岸線に建設中の防潮堤であるが、我が集落の浜も
工事着工となり、工事車両の往来が増えてきている。
我々が子供の頃にはきれいな砂浜だった渚は、
養殖船の荷役兼加工処理場に変わったが、
大津波により破壊された。
修復されたばかりの場所に、今度は防潮堤が造られる…。
もう砂浜には絶対に戻らない集落の浜ではあるが
我が家の庭からは「防波堤」の様子が、今は見える…!
『防潮堤』が出来上がると、さすがに庭からは見えなくなる。
南三陸沿岸の集落の多くは、入り組んだリアス式海岸…!
地理的に海岸線があり小高い丘もある…
その地理を避難道として利用する事は可能だと思う…
未来に残していかなければならないのは本当は何なのか…?
伝えたい事はたくさんあるが、伝えられない事も多いのが現実だ。