心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

対話~程よい距離感

2007-11-20 | 前衛・抽象
                    (「対話」 M様所蔵)




‘94、二人展の時の作品。

この頃は文字よりもこんな作品ばかり書いていた。
筆は使わずダンボールの切れ端のみを使って、墨とネオカラーと顔彩で。

抽象表現は、潜在的なその時の自分が現れる。
なんだか懐かしいなぁ。

今の自分だったら、「対話」というタイトルで作品を書こうとした時、
左右のつながりの部分の線は、書かないような気がする。
書いたとしても、こんながっちりと結ばないかな。。
そして、もっと左右の空間(距離)をあけようとするかも。

それは今が、相手との距離が遠いところにいるのではなく、
程よい距離感を探しているから・・かな。

この頃はまだ、今よりもいろんな物や人に依存していた。
自分が依存すると、相手も不思議とあれこれ世話を焼いてくれる人が集まってくる。

「依存」って結局、お互いを「束縛する」ような・・・。
親子や夫婦にあっては、お互いがその呪縛から抜けられなくなることもある。

以前Pさんから頂いたコメントを、ふっと思い出した。
「ほんとに人間関係は難しい?簡単?私は易しいと思います。愛すれば良いのです。」  

愛する=束縛じゃないんですよね・・きっと。
愛する=相手を尊重する、解放する・・ってことかな。。
むずかしいけどね。

よく愛の反対は憎しみって言うけど、私は愛の反対は~無関心だって思う。
憎しみの中にはどこか相手への思い(興味)があるけど、無関心にはそれがないから。

相手に興味があるうちは、「愛する」こともできるってこと・・かな?


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知らぬが仏

2007-11-19 | つれづれ


知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。
転じて、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。
(大辞泉より)

後半の意味は考えずにいると、なんていいことば!って思う。

人はどうしても他人のことが気になるし、比べたがる。
だからテレビのワイドショーは、人の弱い面、失敗した場面、不幸な出来事、
あるいは幸せそうな人も羨む表情を連日放送する。

比べて損をするのは自分なのに・・・。

知らぬが仏。
誰かの中傷や噂話も知らなければ、自分の目や心で相手と向き合えるのに。

知らぬが仏。
時はゆっくり流れ出し、心穏やかで豊かでいられるのに。

知らぬが仏。
もっと自立した自分に出会えるのに。

知らぬが仏。
自分に必要なものが見えてきて、自分を大事にしようと思えてくるのに。

知らぬが仏。
内なる自分に気づいたら、まわりの人に失望しなくなるのに。

知らぬが仏。
知らぬが仏。

雑音はなるべく聞かないようにしよっと。
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もう一人の編集長

2007-11-18 | 


何度か登場しているけれど、家には2匹の猫がいる。
8歳のみーにゃは、私の書のもう一人の師匠*(10/30のブログ参照)。
そしてこの写真の6歳のぷくぷく(♀)は、ブログのもう一人の編集長。

夜更かしの私に付き合っていると、夜行性とはいえ時々正座の姿勢で
小さなイビキをかきながら舟を漕いでいたりする。

「寝ればいいのに~」と声をかけると、おもむろにパソコン机の上に
乗ってきて「どれどれ?」と原稿チェックを始める。

あのちょっとジャマなんだけど。。。

こうなると、場所をとりっこしても絶対にどいてくれない。
ねえねえって話しかけると、「ニャッ」と怒ったように呟くばかり。

猫だってプライドもあれば、意地や嫉妬心もあれば、愛情もある。
みーにゃはとっくに寝ていても、ぷくぷくはずっと一緒に起きていてくれる。

ありがたや~。

ことばを発しない分、伝わる思いはまっすぐに。
私なんかつい余計なことを言ってしまうけれど、多くを語らずごく自然に
当たり前のように愛情を分けてくれる猫たちに、感謝感謝の日々です。


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情熱は人を動かす~父の能舞台

2007-11-17 | つれづれ
      写真上:静御前 中:舞台に上がる前 三面鏡の前で精神統一の図
      下右:後ジテ 平知盛


今も心のどこかにある父のことば~
「やってできないことはないんだ、やろうとしないだけだ。」

父は幼少の頃はおばあちゃんっ子で、お稽古事好きのおばあちゃんのお蔭で、
お謡いや仕舞を習っていて、友達が山や川を走り回っている頃、男の子のくせにと
いじめられながらも、本人も案外楽しんでいたらしい。

そんな父は、結婚後その世界から離れていたけれど、子供の頃学んだことは
体のどこかに染み付いているものらしい。
六十歳を前に仕事がひと段落し、またお謡いへの思いがムクムクと。。
いい師匠にも巡り会い、長年の夢だった能舞台への気持ちも高まっていくばかり。

けれど普通常識で考えたら、素人が能舞台なんてなかなかできるものじゃない。
なんてったって、お金がかかる!
(父はいつか~を夢見て30代から密かに貯金をしていたらしい
それより何よりも、能舞台はどうするの?

師匠も考えもしないことを、父はあっけらかんとしてのけた。
あの国立能楽堂を借りたのだ。 

もちろん素人は、当時は(今はどうなんだろう?)能楽堂始まって以来のこと。
始めはやはり、あっけなく断られたそう。
どうやって説得したの?と聞いたら、
「国立と名がついているのに、なぜ一般に開放しないんだ。 だから能の世界は
どんどん庶民の心から離れ、廃れてしまうんだ!」と、熱く語ったらしい。

そしてめでたく父の還暦祝いに「華甲記念」として、師匠がお祝いに能「鶴亀」を、
狂言は山本東次郎氏の「箕被」、そして父が能「船弁慶」を披露。

入場料は無料ということ、素人が舞台を踏むと言う物珍しさもあって、
家族全員の友人知人の輪だけで600名近くの方々がご高覧下さり、
晴れ晴れとした良い一日となった。
能楽堂の方にも、プロの能楽師でも満席にはならないことが多いのにと驚かれた。

能が好き!という熱い思いは、人を動かすんだということを、父は見せてくれた。

「やってできないことはないんだ、やろうとしないだけだ。」

子供の頃は、いつも一番上を目指す父に褒めてもらえなくて苦しい時もあったけれど、
情熱が人を動かすんだという思いは、今の私の原動力なのかもしれない。

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表現するということ

2007-11-16 | つれづれ


昨日ご紹介させて頂いたまつこさんから、こんな問いを頂いた。
「文字の意味自体を自分の心で自分の形で捉えて、それを紙の面積の中に
線として映し出すという感じなのでしょうか?」

どうも感覚で生きている私には・・問われてみて改めて考えてみた。
たぶんだいたいそんな感じ・・かな・・と。

たとえばことば(文字)の意味を伝えたいときは、文字の意味を考える。
感じて(=時間)、それを筆や紙や墨の力を借りて、紙=空間の中に「生かす」
といった作業でせうか。

でも意味とは全く関係のないところで、あくまでも文字はヒントやきっかけで、
線と空間との響き合いを探す作業になることもある。

同じことば(文字)でも感じ方はひとそれぞれ。
同じ空をみていても、感じ方はそれぞれ違う。
ある人は「乾いた空」、別な人は「雲一つない空」「笑っているような空」と
感じ方~「感じる」に答えは一つじゃない。

だから同じ文字を書いても、その文字の持つ意味プラス、十人いれば十通りの
表現があって、どれが正しくてどれが正しくないなんてものはない。

大事なことは、それぞれの日常の経験や感受性が必要とされるということ。

技術や表現方法(テクニック)はもちろん不可欠なもの。
けれどそれは書で言うところの、きれいな字は勉強すれば必ずいつかは
書けるようになるけれど、その人らしさは技術だけでは表現できないということ。

写真は、先日教室でふと「楽天」ということばからくるイメージを書いたもの。
私が思った楽天と、見る人が感じる楽天はまた違うもの。
それでいいんだと思う。

誰もが'だいたい同じようなところで感じる'「楽天」を書こうとしてはだめ。
自分が感じたものをそのまま表現できるように、もちろん技術も鍛えながら、
「感じる引き出し」を日々のあたりまえの生活の中で、育てること、
そして躊躇せず裸のまんまを見せられる勇気を持つこと・・・
それが本来、孤独な表現者の姿なのかな。。 

なんて偉そうに~
まつこさ~ん。こんなんでお答えになってますでせうか

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うれしいうれしい出会い

2007-11-15 | つれづれ



昨日、とてもニマニマする出来事がありました。

gooのブログトップ画面からは、日々新着ブログが画像とともに
更新されていて、いつも「むむ?」と気になってつい訪れていた
ブログがあります。

まつこさんのブログ。↓クリック
「とりあえず取り敢えず、そこはかとなく。」
どの絵を見ても、いいなあいいなあ~とため息ばかり。
私の琴線のどどどどど真ん中。

ぴちぴち、あちゃちょ、ぶんぶん、きゃりゅ~、ほにゃにゃ~、ぱぽ~って、
ことばにならない感激が、ドキドキしながら全身を走り回り、
滞っていた流れを、さわやかにサラサラにしてくれたんです。

それで、嬉しくてまつこさんのブログに「好きっ!」って書き込みをしました。
その1週間後の昨日、偶然まつこさんが私のブログを見つけて下さり、再会。

こんな偶然、このご縁に感謝です。

まつこさんの使う色、タッチ、世界は、生き生きとした「今」のありのままを
素直に表現されているように感じます。
だから見る人をリラックスさせ、肩の力を抜いてそのまんまでいいのよって
微笑んでいるようなやさしさを感じるのかな・・。

私も、もっともっと自由な心で、ありのままを表現できる勇気を持ちたいです。
ブログをやっていると、こんな素敵な出会いもあるんですね。
ほんとにうれしい。

まつこさんのブログ、左のブックマークに加えさせて頂いたので、
ぜひご覧下さいね。 
ほのぼのとやさしい気持ちになります。

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一日年賀状教室

2007-11-14 | 季節もの



昨日は、某カルチャー教室での一日教室を開催。
第2回目の昨日は「子歳の年賀状」。

地元のタウン誌で紹介して下さったお蔭で、
思いがけずたくさんの方が参加して下さった。感謝感謝です

筆を持つのは学生時代以来と話される方や、新しい発想でどんどん
書かれる方がいらしたり、、皆さん子供に戻ったように賑やかで、
一緒に夢中になる時間を過ごせた。

初めに私が、はがきに簡単なねずみやエビさんの描き方を披露。
描いているうちに自分がどんどん楽しくなっちゃって、1枚2枚・・と
止まらなくなってる私に、母がひと言。 

「そろそろ皆さんにも実際に描いてもらわないと・・」
「あっ。そうでしたね」



というわけで、みなさんも夢中になって描いている間に、私は消しゴムで
参加者全員の方の雅印を彫る彫る彫る。。。

最後にそれぞれのお名前一字を彫った印を押して、完成。
あっという間の2時間でした~。

「年賀状を書く」という出来事を通して、その場その時に初めましての
人たちが、机を共にして一緒に楽しめるなんてしあわせっ
書をやってきて良かったなって思う瞬間でもある。

次回は12月。 
「お正月に飾る書」と題して、テレビの上や玄関にちょこっと飾れる
作品を創る予定




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「想う」

2007-11-13 | 前衛・抽象



ふと、人の一生って何なんだろうと想う時がある。

生れ育った環境、生きた時代、出会う人々や遭遇するさまざまな出来事、
そしてそのタイミング、そのひとつひとつの偶然の中で、私たちは
たゆたっているのだろうか。

誰かと同じように幸せに生きたくても、自分ではどうにもならない中でしか
生きられない人生を強いられることもある。
その絶望の中でも、人も、生あるものは全てが生きて行かなきゃならない。
と言うより、生かされている。

もっとほかの人生があるはずなのにとか思っていたら、前には進めないし
目の前の幸せさえ見つけられないまま生きるしかなくなってしまう。

けれど。 なぜ、誰が、何のために私を生かそうとしているのか・・。
それは本当は探すべき問いでもなければ、答えもない問題なのに、
苦しい時はそんなことばかり考えていた。

写真は‘95年頃の作品~「想う」
この頃は、版画用のローラーや、これは紙切れを用いてネオカラーと墨を混ぜた
ものを使って書いていた。
今見ると神経質でどこか病的。けれどそのモヤモヤした気持ちが出ているのかな。
普通に考えたら十分幸せのはずなのに「生きる」を迷ってばかりだった・・あの頃。

きっと今も、この作品のどこかは私の中にあるんだと思うけど、
だからこそ、自分にないものを求めて、太くおおらかで屈託のない世界を
追い続けているんだと思う。

よく「人は変わらないものだよ」ということばを聞く。
でも私はそうは思わない。

諦めて、こんなもんさって思ったら変わらないけど、なりたい自分を信じて、
想って、探し続けたらきっと変われる。

今久々にこの作品を見ると、痛い気持ちが懐かしく、いとおしい気がする。
生きるって、今を生きるしかないんですね、きっと。

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幸わせさんいらっしゃ~い

2007-11-12 | つれづれ

知ってます?
たとえば楽しくない時にも、鏡の中の自分に笑顔を見せると、脳内に
アドレナリンが出て、ちょっとだけ楽しいって気分になるらしいです。

口角を上げることによって、脳に「楽しい」って信号が伝わるんですって。
だから一日に何度か口角を上げる運動をするだけでも、違うらしいですよん。

確かに元気がない時、鏡に向かってやってみると、だんだん楽しい気分に
なってくるから不思議。
ほんとですよ~。 ちょっとやってみてください。

折しも先日、日本歯科医師会主催の「ベスト・スマイル・オブ・ザ・イヤー2007」
なるものが催され、俳優の女性・男性がスマイル賞を受賞されたとか。
その笑顔はとても印象的で、見る人を和ませてくれる。

笑顔は人の心をあっためるんだなぁ。

誰かが言ってました。
「ゆとりがあるから笑うんじゃない。笑うからゆとりができるんだ。」
なるほどぉ。。。

しかめっ面や暗い顔をしていたら、誰も寄って来ないし、幸わせも逃げちゃう。
笑顔は、きっといろんなものを運んできてくれる。

しあわせは待っていてもやって来てはくれない。
いつでも「しあわせさんいらっしゃ~い」って笑顔で呼び込みしてないとね!
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人生は響きあい

2007-11-11 | つれづれ


ある番組で紹介されていた、日本中の食通が集まると言われるレストラン~
山形県庄内にあるイタリア料理店「アル・ケッチァーノ」。

シェフの奥田政行さんは、その土地で収穫されるあらゆる新鮮な食材を使って、
あふれる好奇心と探究心で、世界でたったひとつのイタリアンを創り出す天才。
その料理の魅力もさることながら、感動したのが地元の農家の人々との関わり方。

手間がかかるわりに調理法も余りなく、今や作る人が激減した作物を、ひとつづつ
味見をして新しい料理を創り、地元の農家の元気回復に一役かっている。

彼の安全で美味しい食材を多くの人に楽しんでもらいたいという思いと、
故郷を夢のある大地にしたいという情熱は、活気を失っていた地元農家の人達にも
伝わり、よしもう一度!と自信を与え誇りを取り戻すことにつながった。

地元だけで流通していた与冶兵衛きゅうりを、母の代でやめていたという方が、
奥田さんの料理に対する熱心な姿に、作ってみようという気持ちになる。
そして実ったきゅうりとそのお宅で養殖をしている虹鱒とを持ち帰った奥田さんは、
新しい料理を創って、その方をご招待して試食してもらう。

料理を創った奥田さんの「どうですか?」という表情と、野菜を作った方の
「おいしい」のひと言が響きあった瞬間の、なんとも言えない間は感動的だった。
しみじみとした思いが伝わり、なんだか羨ましいなぁって思った。

奥田さん曰く、料理は足りないものを補い合って創っていくものと。
そして料理人として一番うれしいことは、みんなの=生産者・料理人・食べる人の
気持ちがひとつになること、と。

人生は、響きあいなんだなぁ。そしてどこでどんな出会いがあるかわからない。
どんなことであっても、情熱と目的があれば、道は必ず見つかると信じて、
お互い探し続けませう


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