カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1702 『出来れば、湾処(ワンド)のようなブログがいい』

2016年10月07日 | 日記





 2016年10月7日






なんか、オレのブログ大変なことになってるね。過去にもあったから、ああ、まただねって思ってるけど、もう、砦は打ち砕かれて

敵は雪崩れ込んできて、とてもくい止めなんて出来ない状況だね。別にくい止める気などないけど、其の勢いに呆気にとられてる。

呆気にとられつつ笑ってんだけどね。それと、読まれるページが映画や事件だけじゃないんだね。片っ端から的になってるんだよ。





過去の攻撃は夏休みだったから、なるほど、暇な時間があるからかなって頷けたけど、今回は、仕事や用事で追われてる平日なんだね。

どうなってんのかねえ? この際、欲を云えばだね、今、押し寄せてる皆さんが 「もう、ええか」って背中を向ける前に、新たな加勢がだね、

ど~んと押し寄せてくれたらだね、祭りのあとの寂しさを味合わなくて済むんだけどね。 「そんな都合よくいくか」





津波の押し寄せと一緒なんだよ。押し来る波はいずれは引くからね。オレはね、正直云えば、大きな湾処(ワンド)になって欲しいんだよ。

河川の所々に形成された池のような溜まり場だね、湾処は、本流と繋がって行き来オーライなんだよ。此れがミソだね。

其処は水流が穏やかなので淡水魚の生息に適してる、水生植物が繁茂するところは、魚の産卵や稚魚が暮らす絶好の場所となってるの。





できるものなら、そんな場所を創り上げたいね。ホッとするところだよ。癒されて、知らぬ間に子供の頃の自分に安心して戻れるところだよ。

まあ、慌てず急かず自然体で歩み往けば成らぬものも成るやも知れん。自然の力ほど強力なものはないからね。

実際のとこ、水嵩上がろうが下がろうが、皆さんのおかげで大きな水溜りは乾かずに形成されて来てる。





いつか、時たま、本流が溢れて流れ込むところが水道となって、オレが望む湾処(ワンド)に発展するやも知れん。













『大阪淀川の城北湾処(ワンド)』







台風18号が九州長崎沖合から日本海を東に進んで近畿に接近なんて云われてたけど、また、立てかけた自転車の列も倒すことなく

通り過ぎちゃった。一応、ビュウ~ビュウ~なんて風の音はしてたけど、それも束の間だね。

昼過ぎ、高3の男子が 「★★ちゃん、受かったでぇ」 おう、そうかあ、おめでとう。「ありがとう」 志望大学に道をつけたね。





「★★ちゃんっ、云うてたやろ? 教えてっ」 なんや? 「オレが志望校通ったらブログ教えたるって」 そうかあ~?

それは、おまえが勝手に云うてただけやろ? 「なんでもええから教えてっ」 あのな、出し惜しみするほどのもんではないねん。

ただな、ちょっとマズイことも書いたりしてる手前、非常に難しいんだよ。オレが、此の暮れ辺りに姿消すと同時に教えてあげるわ。





「意味ないで、オレ、★★ちゃんとこ遊びに行くで」 追いかけるな、アホ。 「釣りも一緒に遣ろうって云うてるやろお~」 

あのな、面白いか面白くないかはね、感度の問題やで。 漫画でも、引かれるものもあれば見たくないのもあるやろ? 「まあなあ~」

オレのは、おまえにとって見たくないブログや。 「そんなもん、俺が決めんねんやん、頼むわあ、★★ちゃん」 まあ、そうだけどね。





クソッ、よし、消え去る時には、必ず、メモして郵便受けに入れて行く。 「2~3か月違うだけやろ? 意味ないやん、今でもええやん」 

アホ、オレが姿を消すことに意味がある。 「しゃあないなあ、ホンマやでっ」 「オレ、凄く興味あんねん」 おかしいんとちゃうんか?

帰りよったあと、ピッコ~ンって、スマホが鳴った。 開くと、あいつ、メルアド送ってきてるよ。 




















今日(5日)は残業で帰って来るのが遅かった。有ったことでお茶を濁しておこう。

































カメレオンの独り言-1701 『短編 待ってろよ』 

2016年10月06日 | 日記






 2016年10月6日






待ってろよってオレはよく云うんだよ。 「何を待つの?」って聞かれたら、兎に角、待ってろよって云うんだね。

待たせたままになるかも知れない。でも、云った言葉は、しっかり心にのっかって忘れない。

のっかる想いを形に出来ないままに、口だけの男ってレッテル貼られることを、オレは、云ってしまうんだよ。





心がねじ切られるような苦痛を味わうのは、想いを口にして、それを果たせぬことだね。残念ながら、生きること、全てがお金だね。

心がへしゃがるんだね、自分で自分の心を踏みにじる馬鹿を繰り返すんだよ。

それでもオレは云うんだね、希望を持てと云えばいいのに、待ってろよなんて言葉を本気で口にする。 「当てがあんのか?」 





へしゃがった心が懲りずに云わすんだよ。 「へしゃがり慣れてんじゃないか?」 かもね。 何度も打たれてたら慣れるのかね?

「しかし、おまえの心は腐らない強さを持ってるのかも知れんぞ」 おまえ、初めて人間らしい評価を口にしたね。

「待て待て、ひょっとしたら、おまえには似合わない純粋な心を持っているのかも知れんぞ」 ありがとう、おまえも、待ってろよ。

















日にちが先行してるので穴を埋めねばならん。
































カメレオンの独り言-1700 『ザルん中の喜びごとに酔う人々』

2016年10月05日 | 日記





 2016年10月5日






音楽や動画の取り込みは「リアルプレーヤー」でも出来るんだったね。欠片を思い出したよ。このリアルプレーヤー、全然、使わないので

アンインストールしようと思ってたけど使い道がありそうだね、削除は、試してからだね。 「ホッ」

スマートフォン(iPhone / Android)などのデバイスでの再生が可能なフォーマットに変換できるのかね? 出来なければ削除だね。





「映画も動画も写真も観れる、なんでも観れるぞ」 そんなのは用が足りてる。諸々のフォーマットに変換は出来るのか? 「知らん」

あかんなあ、削除して万能なフリーソフトをインストールしようか。「待てっ、早まるな」 おまえ誰やねん? 「リアルプレーヤー君です」

おまえな、役立たずなわりに容量がデカいんだよ。 「おまえと一緒」 云うやないのお~。





おまえみたいな不要なソフトはパソコンの起動を遅くする要因なんだよ。この前は、サイレンサーでデジタル写真管理ソフトのピカサを消しちまったよ。

「サイレンサー?」 断りなしの無言の削除だよ。ハードの中の写真っていう写真、何でもかんでも取り込みよってからに、

忘れてたエッチなものまで映し出しよって、あらぁ~まだ、残ってたのねえ~なんて赤ッパジよ。「己の愚かをピカサに被せるな」



















手鍋に3分目ほどの水を入れて沸かす。茶瓶にも火をかけて同時進行、冷蔵庫の中のパックにタクアン切って入ってる。

茶碗や箸、お皿に盛りつけたタクアン御膳に並べて、沸いた手鍋の湯に味噌を溶く。

冷蔵庫の中に絹こし豆腐半分ほどがパックに浮いてるのがある。スコスコとサイコロ風に切って手鍋に放り込む。




出しの素を手のひらにサラサラ、手鍋にポイ、グダグダボコボコ沸いてるよ。「味噌の味悪くなるぞ」 豆腐は浮かさねばあぶない。

灰汁を掬ってポイ、ポイ。土瓶に煎茶を入れて沸いた湯を注ぐ。浮いたね、弱火に落として刻み葱入れたお椀に注ぐ。

土瓶と一緒に味噌汁のお椀をお膳に並べ、昨日の残りの冷や飯を揃える。キッチンには何も残さない、手際よく洗い片付けてスッキリ。





朝日を透かして湯気が舞い煎茶と味噌汁のほのかな香りに包まれて独り静かに頂く日本の朝、これが何とも云えん美味さやねんねえ~。

「質素やねんねえ」 質素の中に贅沢が在る、厳かな純和風の原点だよ。カリコリカリコリタクアンウマイ。 「中国人か?」 馬鹿か、

なんで、中国人が日本の味を解るのだ。 「なんでカタカナなんだよ?」 カリコリカリコリタクアンまでカタカナだからついでだよ。





沢庵(たくあん)漬けって書くんだね。安土桃山時代から江戸時代前期にかけての僧、沢庵宗彭(たくあんそうほう)が考案したとされる。

くちなしの実が大根を黄色く染めるんだね? 干した大根を、塩や砂糖や柿、りんご、みかんの干し皮を混ぜたヌカで漬けて作るんだって。

オレは、しなびれた沢庵は、あまり好きじゃない。歯応えある張りのある沢庵がいい。カリコリカリコリタクアンウマイ。 「カタカナじゃないだろ」



















台風が近づいてるのに天気がいいね。スカッと青空ってまではいかないけど晴れてるよ。よし、激写に行こうか。Coolpix P600 出番だぜ。 

いつもの処、変わり映えしないねえ、時間がズレたね、カワセミが現れる時間帯ってのがあってハズレたね。

通りすがりの近所のおじさんが話しかけてきて時間を潰したけど現れない。暑いんだねえ、直射日光がテリテリだよ。













ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 720』 20m程向こうの被写体









ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 720』 20m程向こうの被写体






気慰めかササゴイが飛んできて、ウロウロ歩き回って魚を捕食して、また、飛んで行っちゃた。今日はアカン。



















毎度、歌のように云ってた暮れから正月にかけて温泉に浸かってのんびりしたら、どれほどホッとできるだろうか?っていう夢ね、

今年は、ひょっとすると、其の夢がかなうかも知れない。日はズレるだろうけど行けないことはないかも知れん。

温泉で茹ダコなって、北陸のカニでも喰って、呑めない酒の燗など頂いてフラフラなって分厚い布団の上で爆睡して知らない処で朝を迎える。





うんざりするほど知ってる人々の中の知らない人になってんだね。 「シラケたこと云うな」 アホらしい仕組みだね。

其の地の人は、都会に出てホテルに泊まってコンクリートの建物見て感動したいんだね。 「人は新鮮なものに酔うんだよ」

ザルの中の喜びごとに過ぎないね。まあ、それはそうと、のんびりを第一で行けるものなら行って長年の我慢の垢を落としたいね。





出来るなら、遠足の予定表に倣うような喜びごとより、既成概念突き破るような喜びごとに酔いしれたいもんだよ。

「そんなこと云っててほんの些細なことで喜ぶおまえが居るじゃないか?」 居るよ、どぶ川で鯉が跳ね飛んでも感動するよ。

ザルん中の喜び事を馬鹿にしてんじゃないよ。 其の真似事すら出来ないからって嘆き悲しむほどのもんでもないってことを云ってんの。





行かねばならんと被せよったら怠いししんどいし疲れる、でも、行きたいと勇んで行ってもやっぱり人は疲れるんだね、おんなじやんけ。

















まだまだ早いけど、今年は冬服で迷わなくても済むね。アマゾンをウロウロしてたら モンベル(mont-bell) の服が並んでる。 

去年の暮れに買ったね。「アスペンパーカ インディゴ」 もう少し年数経ったらハゲ隠しにニット帽を被って誤魔化そうか。

被るのはいいんだけど脱いだらズル剥けでは脱げないね。この前、中3の三人娘に、そんな話をしたらキャッキャッ大笑いしてやんの。





「★★ちゃん、ハゲ似合うかなあ?」 これは的を射ててるよ。ハゲ、ハゲっていうけどね、ハゲに合う顔ってのがあるんだよ。

ハゲのおかげで貫禄押し出して魅力ある人ってのはざらに居るからねえ。 「おまえは?」 う~ん、ボク、頭どうしたのって感じかね。

「子供っぽいのか?」  不似合いなんだよ。 そうなったらサングラスを常にかけて強面(こわもて)でいくしかないね。





幸い仕事から解放されて自由の身だから 「君ぃ~サングラスはないだろお~」なんて云われなくて済むよ。こんなのは、オレの人生から削除だよ。
































カメレオンの独り言-1699 『我が身は此の地で枯れようとも、想いは自由に世界を羽ばたく』

2016年10月04日 | 日記





 2015年10月4日






そろそろ半袖から長袖に衣替えの頃だね。ワイシャツの半袖、ボタンダウンの安いのないかなとアマゾン探してて

スティングロード 形態安定加工レギュラーフィット白半袖ボタンダウンドレス3枚組み 2.983円ってのが目について

物は試しとクリックしたのが1か月前だったかね? 送られて来たものを広げると、一着3~4千円で買ってる「東京シャツ」とあまり変わらない。





こんなのは、着て洗濯を何度か繰り返して答えが出るもんだけど、もう何度もクリーニング出してるのに着心地や繊維のヘタレが無いみたい。

生地も薄過ぎることもなく、腰があってシャキッとして格好もいい。モデルがいいのかな? 「おまえのことか?」 

これは、買いものだったんじゃないのかね? 「東京シャツ」と変わらんじゃないか。「何処かが違うんだろ?」 何処だよ?





「よく云うだろ、いいものは何処かが違うって」 何処も違わないよ。まあ、強いて言うなら、当たり外れの製品のムラじゃないかなあ?

数買ってる間にとんでもないのが混じってるというのはあるかも知れないね。そんなのは返品すりゃいいんだよ。

「何処の製品や?」 原産国はミャンマーだよ。ナンチャイナ製じゃないんだよ、少し安心だろ? 仕事に着るんだから、此れなら充分だよ。












『スティングロード(STINGROAD) 形態安定加工レギュラーフィット白半袖ボタンダウンドレス3枚組み 2.983円』







素材構成が綿55%ポリエステル45%、まあ、頃合いだよ。昔ながらの白のワイシャツだよ。一着千円、貧乏人の味方、ミャンマー万歳。

このスティングロードの長袖のワイシャツが欲しいんだけど、長袖にはボタンダウンが無い、なんでかねえ?

モノが良いから気に入った、ミャンマーさん、長袖のボタンダウン、ワイシャツ白をすぐに作ってアマゾンで売りなさい。





最近、ボタンの色付きのシャツが出てるね、オレは、こういうのは大嫌いっ。水もんみたいな雰囲気やね? 柄付きのシャツもスカン。

奥さんが、「これはメーカーもので安く買ったんやけど色付きボタンやねん、たまにはこんなん着いいなあ」 おまえが着とけ。 

ああ、そうだ、暇なときにボタンを半透明のやつに付け替えればいいんだね。タンスに寝かせておいて。











『スティングロード(STINGROAD} 形態安定加工ノーアイロン綿高率白長袖レギュラーカラードレスシャツ3枚セット ¥2.983』







高いものを身に着けても安もんにしか見えない人と、安もん身に着けても安もんに見えない人、断然、後者のほうが経済的やね。

だから、半永久的に使い切る気で何か一点ものに金を張り込んで身に着ける。オレの場合は腕時計だね。

其れと靴だね。靴は、踵の擦れてないものに限る。後はなんでもいいんだよ。ワイシャツなんか千円で充分だよ。5百円でもいいよ。





服が歩くんじゃないよ、それでも 「格好いい」って云って貰えれば、これ幸いなことだよ。 

今ね、吉田拓郎の歌をスマホに取り込もうかと考えておるんだよ。それがだね、オレって呆れるよ、5~6年前に音楽を嫌と云うほど

取り込んでいたのに、もう、さっぱりやり方忘れちゃって思い出せないんだよ。これって、アルツハイマーか? 「もう、あかんわ、終わりや」





ハードにわんさか取り込んであるんだけど、どうやって取り込んだんだろうか? 「過去の奴だろ?」 そうだよ、過去の奴だよ。

「おまえの場合は、思い出すより一から調べて覚える方が早いんではないか?」 なるほど、云われてみれば、そうだなあ。

もう、3台パソコンお釈迦にしてるから専用ソフトも巻き添え喰らって消えちゃったんだね。





オレは、夢中になったら、そればっかしなんだけど、なにか他に移行して、そっちの方に夢中になったら、前のを忘れちゃうんだね。




















「女性が「二度と会いたくない!」と思う男性の特徴15」なんて記事を何気に読んでたけど、オレ、大方当て嵌まるよ。

1.日々の生活にドラマがない 2.「最近どう?」とメッセージを送ってくる 3.会話がとまる 4.たくさん飲ませて酔わせようとしてくる

5.パーティで輪の中に入ろうとしない 6.話の内容が支離滅裂 7.外の世界を知らず視野が狭すぎる 8.機械オンチで不器用 





9.SNSに動きがなさすぎる 10.店員さんに対して上から目線 11.「どうせ、結局、だって」すべて否定から入る 

12.これっぽっちも野心がない 13.自分の弱さを理解していない 14.「なに食べたい?」と聞くと「なんでもいい」と返す

15.付き合ったらそれで満足? 当て嵌まらないのは、2と4と10ぐらいだね。 「合格だね」 ありがと。





問うものは問われる、お互いさまさ。さて、ちょっと、出かけてくるか。「何処へ行く?」 野暮用だよ、電車乗って行ってくるよ。

外へ出ずにおれん人々ってのは気の毒だね。何の用があるんだろ? あっちへ行ったりこっちへ行ったりゾロゾロウロウロしてるよ。

外の世界を知らず視野が狭すぎるか、此れは、もろにオレのことを云ってるね。でも、知り過ぎて我を見失うってこともあるからね。





見ざる聞かざる言わざるが身を救うこともあるわいな。他の奴などどうでもええわ。「なんちゅう奴や」 生き方がだよ、我、関知せず。




















編集欄の解析にリアルタイム解析なんて当てにもスッポンにもならんデーターがあるんだけど、「なんでや?」 報告と結果が合った例がない。

まあ、そんなことはどうでもいい、その中に現在のアクセス数なんてのを、此れも無理して報告してる。それもどうでもいい。

その中に、「あしあと」って欄があって、今、訪問頂いてる方のニックネームが、枠の中をあっちへ飛んだりこっちへ滑ったりしてるわけ。





話のネタに困ったりしてるときに、時折、見るんだけど、ああ、この方、また、見て頂いてるねって覚えてるんだね。

で、その方のニックネームをクリックすると、その方の書かれているブログが広がるんだよ、あれまあ、なんてね。

今日は、「hanamamagon] さんで、優雅な奥様なんだろうねえ? イギリス在住の方なんだよ。 「へええ~国際的だね」 日本の方だよ。





綺麗なブログでね、外国の景色と花とあちらのいろんな食材なんかに囲まれてんだよ。こんなのと比べたらオレのブログはどぶ板の裏だよ。

「素晴らしい表現だね、対比が鮮明だよ」 此方へ帰って来た際に覗かれるのかなあ? 「おまえ、ネットは、すぐ隣だぞ」

何度か目にしてるの、時たまのタイミングがいいのかね? どんな想いで読まれてんかねえ? ひょっとしたら大阪に縁の在る方かねえ?





こういうのを知るとだね、オレの駄文は、恥ばら撒いて世界へ飛んで行ってんだねえ~と実感するよ。「えらいこっちゃぞお~」 


















この奥様もだね、自分で自分を 「ナマケモノ」って云ってんだよ。 オレと似てんかね? 「似てるか、アホ」





お昼から深夜の11時半まで見て頂いたよ。ありがとうございました。
































カメレオンの独り言-1698 『映画 ゴジラの逆襲』 ゴジラも吼えりゃ親父も吠える

2016年10月02日 | 日記





 『ゴジラ』 2016年10月2日






また台風18号が上がってきてる。16号と似たようなコースを辿るらしい。此の台風の加減か、秋雨前線の加減か知らないけど

今年は、まだ、スカッと晴れ渡った秋空見てないね? 此のままだと秋らしい期間が短いんじゃないのかね、夏から飛んで冬か?

煙草をベランダで吹かしてるときは、夜空を見上げるんだけど、最近、ずっと雲が覆ってる。





未確認飛行物体も発見しにくいじゃないか。「そうそう飛ぶか」 イギリスじゃ、最近、頻繁に現れてるらしい。此処へも来い。

Nikon Coolpix P600でデカく撮ってやる。 「実際は難しいだろ?」 難しいと云うより不可能に近いね。

しかし、じっとしていれば可能かも知れん。まあ、無理して撮れなくてもいい、もう一度、この目で見たいもんだよ。





下の動画は、イギリス、ロンドンで、白昼、街の上に現れたUFOだよ。小さな発光体が飛び行くね、

オレが50年ほど前に夜空を 「何度も直角に曲がって」飛びゆく星を日本橋筋一丁目から道頓堀筋まで追いかけたのと似てるよ。

オレが追いかけたのは、航空機が飛び行くスピードぐらいだったね。一緒に追いかけたオジサンは、もう亡くなったろうね。









UFO in London ?










昔、難波の南街劇場(南街会館)の地下になるのかね? ニュース館ってのが在って、ニュースと映画の抱き合わせで

安いんだね。家族全員でよく観に行ったよ。其処で「ゴジラ」の第一作を観たよ。

「ゴジラ」は、1954年(昭和29年)作品で封切りから1~2年後の頃だったかねえ? 恐かったよ、なんと恐ろしい怪獣かと思った。





1955年(昭和30年)に「ゴジラの逆襲」ってのが公開された。オレの記憶が怪しいんだけど、千日前の東宝敷島劇場で、

何年後かに、再度、封切りしたように思うんだけどね? 映画館の前の写真を見ながら、幼い弟が「どうやって動くの?」って聞くから、

ゴジラの中に人間が50人ぐらい入って動かしてるんとちゃうかあ?って、真剣に答えたのを覚えてる。 「おまえのほうがコワイわ」












『ウギャアアア~ン、ギャア~ガガ~ン』 唸り声が凄まじい。此の音響効果がゴジラを支えてるね。











『れっきとした縫い包みなのに、何故か怪獣として観てしまうから不思議』 もうちょっと、何とかならんかって文句の出る動きもあるけどね。








この時、不思議と、二人して悪い方の怪獣アンギラスが凄いって印象に残ったんだね。此のゴジラは大阪を滅茶苦茶にするんだよ。

のち、特殊撮影なる技法が在ることを知って、なんじゃいなって思ったね。

では、あの大阪城も、中ノ島もほんもんじゃなかったのかってカルチャーショックで寝込んでしまったよ。 「作り話やろ?」





いや、ちょうど眠くなったからだよ。 「紛らわしいガキやで、ずっと寝とけ」 昔からオレはよく寝るんだよ。













『映画館で観ると存在感ってのかね? 重量と巨大さを感じさせられるんだね?』  コチョコチョしてんか? 「や、やめろお~クッハッハハハ」











『模型が模型らしく壊れても、何故か自分の目を誤魔化してでも本当らしく観てしまう』  しつこく話しかけてんか? 「もお~解ったよおお~」








ニュース館でね、「このぉ~映画のぉ~しゅうぅりょ~う時間はぁ~9時ぃ~20分ぅんでぇ~ござぁ~まぁ~すぅぅ」

上映が始まる前の眠たい声のお姉ちゃんのアナウンスなんだよ。「最後ぉ~までぇぇごゆっくりぃ~ご鑑賞を~」 場内が薄暗くなる手前で、

「起きとんかっ? はっきりとアナウンスせんかいっ」って、親父がドスの利いたデカい声で怒鳴ってね、観客が大笑いだったよ、拍手もあったよ。





親父も、もうちょっと、オレたち家族の者へ配慮した行動をとって欲しいよ。みっともない、子が恥かくよ。親父は我が家のゴジラだよ。

















































オレは、以上の4作を観たね。『モスラ対ゴジラ』は、馬鹿らしい、「モスラ~ヤッ、モスラ~」なんてザ・ピーナツが出てきて

歌って馬鹿らしい、まるで、お子様映画じゃないかっ。 「ゴジラは、お子様映画じゃないのか?」 大人の映画だろ?











『ゴジラの逆襲』 心斎橋の大丸とそごうの向こうにゴジラとアンギラスが対峙して、御堂筋を北へ必死に逃げる人々。なんてことだよっ。








1955年(昭和30年)って云ったら大阪港には、舞洲や南港のポートランドなんて埋め立て地は無かったからゴジラは天保山辺りに、

直接、上陸したんだろうね? 海遊館も大観覧車も無い真っ暗けの大阪港、朝潮橋、弁天町を「何処のど田舎や?」なんて

思いつつボロ民家を踏み潰して大正、汐見橋、桜川、湊町、「寂しいとこだねえ~」なんて勢い失せそう。





青い灯赤い灯道頓堀まで来ると壊さずにおれない建物が見えて来て、俄然、やる気が起きてくる。まだ、其の頃は綺麗な水の道頓堀川に、

片足浸けて渡ると心斎橋筋、ゴジラに橋を渡るなんて意識はない。お陰で戎橋は助かった。

川を渡って北側に向かったので、大阪空襲の大爆撃にも生き残った松竹座は、この時も難を逃れてる。「ホンマかいな?」 





びっしり並ぶ老舗の商店街を踏み潰しながら北上、買い物客が泡吹いて逃げ惑う。この時、何処から現れたか? アンギラス。

背中を向けるゴジラに、グワッギヤアアア~って吼えて向かって来る。丁度、周防町筋を渡った辺りかね?

そして、大丸とそごうを脇にして上の写真の如く睨み合うんだね。 「なるほど」 













『戦後の大阪旧南区から北を望む』 








オレの思うに、当時は、まだまだ、戦後間も無いことだし、大した建物も無く被害は至って軽微だね。「嘘つけっ」 

じゃあ、下の写真を見てごらん。此れは上の写真を逆から南方面を写してる。

此の写真は、1955年(昭和30年)の空からの撮影だよ。小っちゃいのばかりだろ? ゴジラの尻尾で掃かれて飛ぶ塵(ちり)だよ。





「おまえ、怒られるぞ」 映画でゴジラに踏み潰されても怒らないのに、言葉で軽く云われると怒る? おかしいんじゃ~ないの?














『1、そごう、2、大丸、3、新橋ビル、4、電気科学館、5、文楽座、6、御堂筋、7、四ツ橋』 1955年(昭和30年)空から撮影








1955年(昭和30年)作品 『ゴジラの逆襲』には、この大丸、そごうは登場しなかったらしい。だから、オレが代わりに付け足したの。

































カメレオンの独り言-1697 『映画 刑事物語』 唇を噛みしめて(吉田拓郎)

2016年09月30日 | 日記






  『刑事物語』 2016年9月30日






やっぱり、駄文でも題材に気が乘らないとサッサッとは進まん。しかし、乗らなくても、其れなりに仕上げねばならんから疲れるね。

アマゾンのプライム会員無料映画に、昔、観た邦画の 『刑事物語』があったので流すように観てたんだけど

此の映画は、最後に泣かすねえ、もう、ボロボロだったよ。昔、観た時も泣いたね。武田鉄矢も田中邦衛もいいねえ。






武田鉄矢の演じる片山刑事が主人公で長髪・胴長短足にくたびれたジャケットと膝の抜けたズボンで、一見刑事には見えない。

普段は冴えないんだけど正義感に溢れた純情男、拳法の達人で、一旦、暴れ出すとやり過ぎてしまい、それが原因で左遷を繰り返して

日本各地を異動することになる設定なんだね。オレの知ってる範囲では、シリーズは4作続いたかね? 






毎回、赴任先で美しいマドンナに恋をし助けるんだけど、最後には失恋して一人淋しく其の土地を去って往くってパターンみたい。

オレが観たのは、此の 「刑事物語」と 「刑事物語2」だったように思う。

吉田拓郎の 『唇を噛みしめて』がバックに流れてラストを盛り上げるんだね。オレは、こういうのに凄く弱いの。









刑事物語 (1982) - 劇場予告編










風俗営業の一斉手入れでトルコの中に突入する刑事たち、経営者や常習の女たちを逮捕していくんだけど武田鉄矢の飛び込んだ部屋には、

女性が背を向けて裸で湯船を洗ってる。「警察ですっ、一緒に来なさいっ」 大きな声で怒鳴るんだけど反応がないんだね。

聾唖(ろうあ)の女性なんだね。差し出す警察手帳に事態に気づいた女性は言葉にならぬ声を発して許しを請う。






「怖くはありませんからね、一緒に来てください」と、ゆっくりと優しく伝えるんだね。武田鉄矢なりゃこその持ち味だね。




















取り締まり後、武田鉄矢に静岡沼津への異動辞令がくだり九州博多から寝台特急で向かうんだけど、身元引受人になって聾唖の女性を伴ってる。

弱い人を見過ごしできない男なんだね。この聾唖の女性を新人の有賀久代っていう女優さんが演じてる。

この有賀久代っていう女優さんは、この映画のみの出演で 「自分には役者の才能がない」って芸能界を去ったらしい。






「おまえ、芸能界は嫌いって云ってんのに詳しいね」 知恵袋で 「どうしてるか?」聞いてる人が居て、親切な人がそう答えていた。

こういう映画は、警察の同僚も上司も出てくる人たちが、皆、人間臭く描かれてるんだね。

アパート2室を頼んでいたけど1室しかなく同居して暮らす二人。事件を追うのが刑事だから武田鉄矢も忙しい。






隣に住む男が、なんか気味悪い現れかたしたりして二人の仲に絡んでくる。田中邦衛が、この手の映画で変態するはずないんだけどあやしい。

そんな中、二人は、密かに恋心を抱きあってるんだね。そういう淡い思いを抱き合う二人の仲に田中邦衛が出張って来る。

聾唖の有賀久代があられもない姿で居るところへ黙って田中邦衛が部屋へはいって来る。こいつ、ホンマに変態だったのかと思わせる雰囲気。




















其処へ「ただいまあ~」って武田鉄矢が帰ってくる。其の場の状況が、すぐには呑み込めないんだけど、怒りの形相になって「出て行きなさいっ」

田中邦衛は黙って部屋から出ていく。裸にネグリジェ羽織って小さくなってる有賀久代に 「もう、昔の衣装は着てはいけません」

「何をしとったんじゃいっ?」 なんて云わないんだね。「あいつは、おまえのなんなんじゃい?」 なんてことも云わない。






包容力のある男なんだね。 「おまえだったら?」 あぶない恰好の時でなくてもっ鍵をキッチリ掛けんかいっとは云うだろうね。

それから、あいつは、何しに来たのっ?  ちょっとどころか、だいぶんおかしいでえっとも云うだろうね。

で、おまえは、なんで、そんな艶めかしい恰好をしてるの? とも聞くだろうね。 「一般人やね」 主役にはほど遠いね。






此の沼津でも聾唖の有賀久代が事件に巻き込まれて、再び、武田鉄矢に救って貰うんだけど、ほんのりしたシーンを織り交ぜて

人の心の温もり感じさせながら、ラスト、海に突き出た防波堤の先端で聾唖の有賀久代が 「好きな、人が、います」って云うんだね。


















呆然とする武田鉄矢に有賀久代と同じく聾唖の村上(田中邦衛)が、前に出て必死の思いで手話をまじえて訴えるんだね。

















村上(田中邦衛)は、街の工場で油に塗(まみ)れて働いている。此の人は、絶品の演技をするね。本当以上だよ。 

「ひさこしゃんとっわすとぉ~ふたりでぇ、いつえにんまえっでしゅ」

「ふたぁりで、しゃさいあってゆきたいでしゅ」 「どうかぁっかたやむあさん、ゆるすいて、くだしゃい」 




















武田鉄矢も上手い。有賀久代が 「許ひてくあさい」って詫びて、武田鉄矢に口づけするんだね。

涙で頬を濡らして純情男の精一杯の男気絞って 「俺も男だから村上(田中邦衛)さんの思いは、よおく解りますっ、どうかっ、ひさ子さんを

大事に幸せにしてあげてくださいっ」 「ひさ子さんにはっ」 手話を交えて 「あなたっ一人しか居ないんですからっ」 






頷く田中邦衛の目から涙が迸(ほとばし)るように零(こぼ)れ落ちるんだね。夕陽を背景に三人の姿が防波堤の上、「じゃあ、さようなら」

こういう心のシーンを観てるとね、姿形などどうでもいいんだねえ。オレの涙腺もブレーキ利かずに溢れて出るよ。

夕陽に浮いて防波堤の上を武田鉄矢が歩み去る姿に被せて、吉田拓郎の 『唇を噛みしめて』が流れるんだね。









唇をかみしめて/吉田拓郎









吉田拓郎の歌は、心に響くね。 





「唇噛みしめて」とばかり、ずっと思ってたよ。「を」が入ってんだね、訂正しておこう。

































カメレオンの独り言-1696 『悪魔の所業3 凄惨 津山三十人殺し』 

2016年09月28日 | 日記






  『丑三つの村』  2016年9月28日







大きなカーブを切って列島縦断かと思わせた台風16号が日増しに太平洋側にこけて列島を舐めて上がって来てたね。

この前の20日の午後から強風が吹き始め、雨もそこそこ降り出して1時半頃から暴風らしき風が吹いて3時半に静かになった。

「それだけかよ?」 それだけだったよ。せいのないことだよ。だから、大阪は、怖さ知らずの口だけ達者な奴ばかりなんじゃないの?





オレだけだよ、うわあ~凄いねえ、凄いわあ~って騒いでたのは。傘さして「行ってきます」って近所の奥さん、綺麗ななりしてすまし顔。

「なんかアンバランスな具合だね」 なんか調子狂うんだね。「おまえは、ただ、喜んどるんだろ?」 恐喜びだよ。でも、自転車もこけてなかったよ。

「そんなのは台風とは云わないんだよっ、単なる強風に過ぎん」 期待して裏切られる鳴り物入りの大スペクタクル映画と一緒だね。






この前の外国ゴジラの映画がそうだよ。オレの駄文と肩並べる駄作だよ、なんなんだよ、「では、シン・ゴジラはどうだ?」 

その「シン」ってのは「新」のことか? もしかして中国籍のゴジラか? 「俺も解らん」

なんか面相が変わったんじゃないの? イボイボだらけの顔になってるよ。外国ゴジラに感化されたのかね?





外国ゴジラはジェラシック・パークだからゴジラ自体はリアルなんだね。で、日本で、また縫い包みに戻るのか? 余計な対比が出来たね。

見ないでおこう。フイリッピンの方に行く超大型台風と一緒だよ。北上せずに他所向いて、こっちへ来なけりゃ忘れてしまう。

毎度のように避けられない地方の方には申し訳ないけど、今回も何もなく済んで結構なことだと感謝だね。








  『都井睦雄』








大日本帝国は、1937年(昭和12年)から1945年まで中華民国との間で行われた戦争を日中戦争といい、

勃発当時は支那事変としたが1941年12月の対米英蘭の太平洋戦争開戦に伴い、それらを総じて大東亜戦争と称した。

日本は、敗戦を見る1945年(昭和20年)までの8年間、戦争にまみれて彷徨ったんだね。





1937年(昭和12年)、時代は盧溝橋(ろこうきょう)事件により日中戦争が勃発、国家総動員法が政府によって制定された。

世の中は急速に戦時体制へと移行していたんだね。それを今で云えば暗黒時代と悔やむけれど、当時は、中国、満州、朝鮮等で日本優位の座に

在って、国民は少なからず神国の民、大国の民としての立場に酔い当時の日本政府を支持しておったんだと思うよ。






















「天皇陛下」と口にすれば身を正し、軍に身を置く者であれば直立不動の姿勢で拝み至る時代だった。その時を生きて解る背景がある。

男子たる者はお国のために銃をとり奨んで奉公すべきが国民の義務であり、此れ男子の誇りと本懐なり。

そんな時代の1938年(昭和13年)5月21日未明、日本犯罪史上最大の悲惨な事件(実際の事件)が起こったんだね。














『此の1938年、大阪では難波高島屋が全館完成してオープンした』









隣接する鳥取県との県境に近い岡山県苫田郡(とまたぐん)西加茂村大字行重(現、津山市加茂町行重)の山間部、

今も現存する、貝尾、坂元両集落が、其の舞台となった。裏山に上り村が一望できる場所に27の墓石が並べられているらしい。

墓に掘られた没年は、全て、昭和13年5月21日となっている。世にいう 「津山30人殺し」の犠牲者の墓なんだね。














『津山30人殺しの犠牲者の墓』








「津山30人殺し」は、犯行が行われた二時間足らずの間に28名が即死し、5名が重軽傷を負った。そのうち2名が続いて死亡。

日本刀、鎌、銃などで武装して寝静まる村の家々に押し入り、次から次へと村人を惨殺したんだね。

大量殺人を扱った横溝正史の 『八つ墓村』のモデルとなった事件で、1977年に松竹映画『八つ墓村』が公開され、





1983年には、富士映画(あまり聞かないね?)『丑三つの村』も映画化された。『八つ墓村』の山崎努の形相が凄かった。














『八つ墓村』 1977年に松竹映画  山崎努








其の恐ろしい事件の舞台になった西加茂村大字行重は地図で云えば中国縦貫道津山、鳥取に繋がる因美線、姫新線、津山線が重なる辺りに

在る東津山駅から真上(北)に約10キロ鳥取県側に向かった処に位置してるね。其の因美線を鳥取方面へ四つ目、

美作加茂(みまさかかも)駅が在る。其の駅から西へ約2キロだね。現在は、道路も整備されて街に出るのも容易(たやす)くなってるけれど、





当時は、山に取り囲まれて、僻地、辺境の地と云っても過言じゃなかったろうね。中国縦貫自動車道が開通し交通の利便性を高めて

日夜、東西に車両が往来し山陽道や国道2号線との連絡も容易になった今でも、やはり山間部に入れば辺鄙な寂しい処に変わりはないけどね。

昔、弟と付き合って毎夜の如く車を走らせていた頃、中国縦貫道は庭のような趣(おもむき)で津山なんて見飽きた景色でしかなかった。





其の頃は、此の津山の山の向こうで、遥か昔、こんな事件があったってことは知らなかった。

知らなかったけれど歴史は道路のように今に繋がって、其れに伴う諸々の出来事も何かの拍子に突き当たって知る処となるんだね。

で、また、駄文の餌食にして明日に繋ぐ奴も出る。「おまえやな」 そう。














『岡山県苫田郡(とまたぐん)西加茂村大字行重(現、津山市加茂町行重)の山間部、貝尾、坂元両集落』








社会から隔絶されたような山間の辺境で農作物育てて生計立てて働く以外にこれと云って何するでもない時代だったんだろうね?

貧しい家の子沢山なんて云うけど愉しみごとは男と女の営みに尽きるんだろうかね?

ゲーム機やステレオやテレビが有る訳じゃないしね、映画館も無ければ娯楽の店も無い、日が暮れたら家ん中以外は漆黒の世界。





この貝尾、坂元両集落では、夜這いの風習があったらしいんだね。べつに貝尾、坂元両集落だけに限ったことではなく田舎のどこそこでも

似たような遊びで、ともに慰めあって生きてる実感を共有していたとあるね。AV映画なんか、今でもお盛んなのかして

夜な夜な他人の家に忍び込んで寝てる女性をその気にさせて布団の中で組んず解れつ汗かく男女に興奮してるっ「それはおまえやろ?」














『丑三つの村』 1983年 富士映画  松竹映画配給なんだね。








そうだったね、つい興奮して表現を間違ったよ。そんなのが許される環境ならば溺れて飽きぬ遊びなのかも知れんね。

都井睦雄(とい むつお)も若さの勢いで、そんな真似事して何人かの女性と関係をもっていたらしい。「今晩は、〇〇子をイカシちゃるっ」

頭の中は其ればっかし。そんなAV的破廉恥が続いていれば大きな惨たらしい事件には発展していなかったかも知れない。













『丑三つの村』 1983年 富士映画 ちょっと、この映画はエロに力を入れ過ぎだったようで嬉しいね。「なんや、嬉しいんかい」








都井睦雄の家は、育ての親いね婆さんと姉みな子の三人暮らしで、資産もそこそこ有って生活に脅かされるよなこともない境遇ではあった。

両親は、睦雄が2~3歳の幼い頃に、ともに肺結核で早死にし、子供二人は、いね婆さんに育てられて成人した。

睦雄は、学業優秀で、この能力だったらと先生が進学を強く薦めたんだけど、世話になってるいね婆さんが反対したんだね。





年老いた自分を置き去りにはさせないってね。ちょっと、お婆さん間違ってるね。睦雄は、尋常高等小学校を卒業直後に肋膜炎を患って

医師から農作業を禁止され無為な生活を送っていたとあるね。肋膜炎(ろくまくえん)は肺の外部に炎症を起こす疾患で

ほとんどは癌、結核、肺炎など、後に発症することが多いんだね。親御さんからのDNAかねえ? 





現在なら、然程、恐れる病ではないんだけど、当時は、まだ、恐ろしい病で忌み嫌われてたらしい。

1937年(昭和12年)、睦雄は徴兵検査を受け、結核を理由に丙種合格(入営不適、民兵のみ徴用可能、実質上の不合格)と

されたことから、病持ちであることが村中に知れ渡り、結核持ちの兵隊にもなれない男と蔑(さげす)みの目で見られるんだね。





その頃から、これまで関係を持った女性たちにも拒絶されるようになったばかりか、心無い風評が村々に広がった。

常識、価値観なんてのは、時代、時代でコロコロ変わる。まして、山間に閉ざされた辺境地では、一旦、染まると抜けきらない。














『丑三つの村』 1983年 富士映画  古尾谷雅人は、自殺したんじゃなかったかね? 「生きてたらどないすんねん?」 








睦雄は、この村人たちの豹変に相当のショックを受けたとある。所謂、村八分の目にあったんだね。

被害妄想は、自身の中で増幅して何気に目が合ってもよろしくは取れなくなる。村の子供たちも親の話に影響されて態度がぞんざいになる。

道端で立ち話の姿を見ても陰口に聞こえて不快は募る。兵隊にも行けない中途半端な男、病に侵されても女を求める変態好色漢と尾びれがつく。





睦雄が、育ての親のいね婆さんに至って弱いことを知る女たちは、むけむけに「いね婆さんに云うよっ」って拒む台詞に活用する。

睦雄の育ての親のいね婆さんは、由緒ある厳格な旧家に嫁いだ人で厳しい躾(しつけ)や習慣が身に着いてんだね。

睦雄も姉のみな子も、其の婆さんのもとでかなり厳しく育てられて、其れが人格形成に大きな影響をもたらしたみたいなんだね。





姉のみな子が嫁に出た頃から睦雄の生活態度に変化が生じ、自分の前途を悲観する傾向が強くなったらしい。

いね婆は、厳しくあっても睦雄を甘やかせる傾向も持ち合わせ、飴と鞭を使い分けて睦雄を牛耳るような趣があったようだね。

生活の糧も困らず面倒かけて育った恩と鉄拳制裁の厳しい躾の中で、睦雄は、いね婆に頭が上がらぬ男になっていた。





幼い頃からの我が身の有り様が遠慮となって従順に在るべき自分という思いと、

己の人生を操作されるような意図を感じる鬱憤を溜めこむ自分とが、睦雄の中で交錯して遣る方ない思いを抱えていたんだろうかね? 

姉のみな子は、嫁ぎ先で環境も変わり明るく人に好かれていい奥さんだと評判に包まれつつ幸せに暮らして1991年平成の3年まで生きた。





しかし、いね婆の躾は身に染み切ったのか家内(いえうち)のみな子は別人の如く厳格で気性激しく鉄拳制裁の母親であったらしい。













『都井睦雄の実姉は、嫁ぎ先の津山でうどん屋さんを経営していた』 現在は、亡くなって閉店している。







人は、幼い頃の環境、境遇が其の人格形成に大きく影響を及ぼすようだね。 「おまえは?」 オレもちょっとおかしいよ。「ちょっとか?」

だいぶんおかしいよ。 「自覚があるだけ救いだよ、自覚があれば矯正の道は正常な方向に繋がってる」 オレも狂人かよ?

「人が人であるには、感情を制御する理性が勝らねばならん」 感情を殺し切れば冷血動物とかわらん人間になるしね。





「其れを、なお、コントロールするのはなんだ?」 素直な優しい心かな? 「そうだよ、純粋な心が制御の潤滑油だよ」

心を汚してはいけないんだよ。睦雄は、身体を病んだ上、心までが拗(ねじ)けて病んで、

右に倣えで流れてはいけないことを知らずに、なお、心を汚したんだよ。 姉のみな子は、人への愛情で救われたんじゃないかね? 





人は、皆多かれ少なかれ愚かをする生きものだから仕方のない処もあるけれど病みつきになって溺れてはいけない線がある。

睦雄は、五十路になるつきよ(実名)にお金を押し付け情交をさせてくれと迫るんだね。

つきよは、睦雄の家の事情に明るいから「この金をいね婆さんとこ持って行ってみんな云うぞ」って脅すんだね。





睦雄は睦雄で、このセリフには弱くすごすごと引き下がる。それを皆して嘲笑うんだね。他人であればこそ互いに礼儀の線が在るけれど、

夜な夜な身体を合わせる仲ともなれば身内意識が湧いて出て、歯に衣(きぬ)着せることなく露骨なものいいが乱れ飛ぶ。

互いの思いが食い違い罵りごともえげつない。ひとつ曲がれば骨肉の争いのような展開になるんだろうかね?





骨肉の怨恨ほど凄まじいものはないという。都井睦雄は、そういう世界に在って孤立した。この時、都井睦雄は21歳だった。













『丑三つの村』 1983年 富士映画







この岸田つきよには、息子が3人居て同い年の長男の勝之とは睦雄は仲が良かった。しかし、勝之は徴兵検査で甲種合格し、

晴れて、横須賀のエリート海兵団へ入隊した。病もちでうだつの上らぬ睦雄は、この勝之に嫉妬していたんだね。

五十路になる友人の母と情交を重ねることで他人とは思えぬ近しさなんてのを感じるのかね? まるで犬猫の世界だね。





次男の吉男は14歳、三男の守は11歳、この二人は子供たちの先頭に立って睦雄に罵詈雑言を浴びせて、日々、馬鹿にしたんだね。

母親のつきよ、吉男、守るに対する睦雄の恨み骨髄の思いは襲撃の夜の惨劇に露わに残った。

吉男や守の傷のつきようは尋常なものではなかったとある。吉男は頭部を日本刀で突き抜かれ、守は8か所も刺されていた。





岸田つきよに至っては、恨み深し刃が喉を切り裂いただけでは飽き足らず、左胸の乳房の辺りを切り裂き、右肩付け根を割り、

口の中まで突き抜いて滅多刺し、顎への殴打による損壊は顔面を潰すほどで顎の形状不明の状態だった。

つきよは上半身半裸の状態で口と左胸を無残に抉(えぐ)られ、寒さに凍えるように両肩に手をやり首を捩じって眼を見開いたまま絶命した。





岸田勝之は、この時、兵役で不在だった。














『丑三つの村』 1983年 富士映画









都井睦雄は、同年、狩猟免許を取得して津山で2連発散弾銃を購入、翌1938年(昭和13年)には、それを神戸で下取りに出し、

猛獣用の12番口径5連発ブローニング猟銃を購入し、毎日、山に籠って射撃練習に励むようになった。

睦雄は、自宅や土地を担保に借金をし武器の調達を始めるんだね。 「どいつもこいつも、今に見てけっかれ」 





しかし、睦雄がいね婆の病気治療を目的で味噌汁に薬を入れているところをいね本人に目撃され、「孫に毒殺される」と大騒ぎして

警察に訴えられたために家宅捜索を受け、猟銃一式の他、日本刀・短刀・匕首などを押収され猟銃免許も取り消された。

このいね婆さんも、ちょっと、おかしいね? 睦雄は、味噌汁に入れたのは胃薬のワカモトだと潔白を主張した。





結局、真相は不明で終わった。 「ワカモト」って昔の胃もたれ、便秘、疲れた体の栄養補給のワカモト製薬の薬だね。昔、うちにも有ったよ。













『封切られた映画、相撲の双葉山優勝、発行の芸能誌 いずれも1938年』







睦雄は、この一件で凶器類を全て失ったが、知人を通じて弾薬を購入したり、遠出して購入したりと、再び、凶器類を揃えだす。

この時期の4月24日に睦雄は、大阪にまで出て来ているんだね。西区の京町通(掘?)5丁目の栗谷火薬店で猛獣用実弾アイデアル100個を購入、

翌、4月25日には、大坂市東区内本町3丁目の鷲見(津)火薬店でポンプ式詰替え機(実包製造機)一台を購入してる。





以前に購入のため出入りしていた神戸の銃砲店には警察から「都井睦雄について通告書」が配布されていたんだね。

睦雄は、其れを何らかで知り、手配の行き届いてない大阪まで足を延ばしたらしい。

同年5月1日、再び、大阪の東区内本町3丁目の鷲見(津)火薬店に往き、偽名を使って「12番口径ブローニング5連発銃」を購入している。












『12番口径ブローニング5連発銃』










『1938年(昭和13年)大阪梅田阪急百貨店前』 








此の「12番口径ブローニング5連発銃」は猛獣用実弾及び散弾も装填発射できるもので、睦雄は此れを9連発式に改造したんだね。

都井睦雄は、警察を欺くことに手抜かりなく着々と武器の収集を進め、5月7日には、刀剣愛好家の加茂町の歯科医を訪れ、

「従兄の軍曹昇進祝いに送りたい」と日本刀を購入した。其の日本刀の柄は異常に長いもので実に2尺1寸5分(約65センチ)もあった。





もう、この時の都井睦雄は、床下でスイッチの入った時限爆弾の如く止めようない狂気に染まっていたんだね。

此の12番口径ブローニング5連発銃も歯科医から購入した日本刀も都井睦雄が狂った如く大量殺戮に使用したんだね。

事件後、此の歯科医は、日本刀を不用意に売り渡したことを悔いて被害者の孤児がいれば引き取りたいと警察に申し出たという。













『岡山県苫田郡(とまたぐん)西加茂村大字行重(現、津山市加茂町行重)の山間部、貝尾』 実写







「俺の前途を閉ざした糞婆、手のひら返したように嘲笑(あざわら)って男子の誇りに泥塗り被せた女ども、陰で悪口叩く卑怯卑劣な奴等めっ」

「うぬらを叩っき殺さずにおれようかっ」 烈火として湧き上がる怨念の虜(とりこ)となった都井睦雄は、

研ぎ終えた鎌の刃に指を当て 「どうしてくれようかっ」 遣るからには徹底的に殺す、其のためには邪魔は排除せねばならん。





都井睦雄は、電柱に登り村に繋がる送電線を切った。そうして村の気配を伺ったが、何の動きも騒ぎも無く貝尾、坂元両集落は静まりかえっている。

「これなら停電にしても誰一人騒いで町に連絡する奴は居ない」 「くっふふふふ、豚どもめ、次来る闇に震えてくたばれっ」

蛮行の計画は用意周到のうちに進められた。睦雄は、平屋の家の屋根裏に部屋を造り凶器を蓄えその日を待った。














『岡山県苫田郡(とまたぐん)西加茂村大字行重(現、津山市加茂町行重)の山間部、貝尾の都井宅』 実写








5月18日に二人の女性が嫁ぎ先から村に帰って来た。西川良子と寺井ゆり子、ゆり子の弟の貞一と三木節子の結婚式が15日に執り行われ

其の祝いに帰って来たらしい。村を起こしての祝い事だった。其の頃、睦雄は、屋根裏の部屋で独り遺書を書きしたためていたらしい。

寺井ゆり子は、睦雄と幼馴染で村でも評判の美人であったため睦雄が一方的に熱を上げていたとも、恋仲であったともいわれているんだね。





しかし、睦雄が結核だったため、彼女の親族が無理やり引き離し、ゆり子を隣村の男性の元に嫁がせたという説もある。

睦雄が犯行に及んだ日は、ゆり子が嫁ぎ先からちょうど村に里帰りしていた時だったことから、

睦雄は、ゆり子が帰って来るタイミングを見計らっていたとも云われている。














『丑三つの村』 1983年 富士映画








睦雄は、ゆり子の家にも押し入り、ゆり子以外の家族を全員殺害している。ただ、ゆり子は素早く隣家に逃げ込み命拾い

することができたが、ゆり子を匿った隣家は巻き添えをくらい、一人が射殺されている。

いずれにせよ、睦雄が、ゆり子に対して異様な執着を持っていたことには間違いがないようなんだね。





二人の間に何があったのか? 睦雄のゆり子に対する一方的な恋慕だったのかも知れないけれど、

事件から70年以上も経過した今となっては知るよしもない。

都井睦雄が想いを寄せた女性、寺井ゆり子は、2010年の時点で90歳を超えて存命しており今も健在かも知れないらしいね。















『岡山県苫田郡(とまたぐん)西加茂村大字行重(現、津山市加茂町行重)の山間部、貝尾』 実写











睦雄は、決行の前日の夕方、貝尾に通じる電線を切断した。「あら、また、停電だわな」 

「かなわんのお~しゃあないわ、明日には復旧しよるやろ」 村人たちの夜は早い。蝋燭や灯篭に火を灯して明かりをとる。

暮れ往く夜にぼんやりとした明かりが、此処かしこの家々に浮いて、やがて、貝尾の村は漆黒の闇の中に溶け入る。





「皆様方よ、今日が名残の此の世ぜよ。わしが彼の世とやらへ送り届けてやりもそお」












『八つ墓村』 1977年に松竹映画  山崎努








『八つ墓村』 1977年に松竹映画  山崎努








『八つ墓村』 1977年に松竹映画  山崎努







1938年(昭和13年)5月21日の未明、都井睦雄は、用意した衣装に身を包み屋根裏から階下に降り、いね婆に気づかれぬように

表に出ると用意して置いた大きな斧(おの)を手にして家内(いえうち)に戻る。断たねばならん、婆の蹂躙を断たねばならんのだ。

「睦雄っ何しとるっ?」 いね婆の一喝で全てが萎える自分が居る。婆を断たねば何も出来ぬっ。





斧を握る手が戦慄いている。睦雄の家には6間がある。ふすまを静かに開け座敷を進む。いねは、縁側に面する6畳間の炬燵に

身を入れて熟睡している。睦雄は、そんないね婆の寝姿をゆっくりと上から見下ろした。

睦雄は、学生服のような黒の詰襟服、膝から下には兵隊が使用するゲートルを巻き地下足袋を履いている。





二つの懐中電灯を角のように頭に鉢巻きで固定してナショナルの自転車用パンドライトを紐に首からぶら下げている。

弾薬の入った雑嚢(ざつのう)を左の肩からの右脇に掛け、日本刀一振りと短刀2本を腰にしっかりと括りとめている。

そして12番口径ブローニング9連発銃を左手に持ち、今は何も知らず熟睡するいね婆を見下ろしている。













『丑三つの村』 1983年 富士映画 







深くドス黒い葛藤を胸に睦雄は、いね婆の首を目がけて思い切り斧を振り下した。鈍い衝撃が手に伝わる。

いね婆の身体がブルルンッと痙攣して悶絶した。うめき声を発したかどうか、まだ、首は胴体と身と皮で繋がってるのかっ?

睦雄は必死の形相、渾身の力で何度も何度も斧を振り下した。そしていね婆の首は胴体からちぎれて飛んだ。












『都井いねの死体』 実写   枕に巻いていた布に噛みついてる。







どす黒い血が心臓の鼓動に合わせるかのようにドクドクと溢れだしてる。いねの首は、枕に巻き付けた布に必死で噛みついて、

然程は飛ばなかった。睦雄は、心に絡み着くツタの根をついに切り落とした。呪縛から解かれたかのように

「わしを萎えさせる婆は、もう、居ない」 睦雄は、裏口から外に出て井戸水で斧にこびりつく血油をきれいに洗い落とした。






その後、隣家から侵入し村人を次々と襲った。日本刀で滅多斬りにしながら一人ひとり、血祭りにあげていった。

岸田つきよをはじめ恨みが深かった女性に対しては、乳房をえぐったり、口の中に刀を突き立てたり、股間を撃ち抜いたりと

怨恨非情の嬲り殺しだった。破壊力が強い猛獣用の弾丸は、人体に大穴を開け内臓が飛び散ちり腸がぶよぶよと飛び出し畳の上を這った。













『丑三つの村』 1983年 富士映画







被害者のなかには妊婦もいたが、構わず胎児もろとも容赦なく殺害している。睦雄が標的にしたのは、

既に肉体関係を持ちながらにして、手のひら返すように拒絶した女性とその家族が中心だった。

返り血に染まり銃を乱射し刀を振り回す睦雄は、ただただ逃げるしかない人たちに向かって容赦なく銃弾を浴びせた。





犯行からわずか2時間足らずで28人の村人を殺害。5人に重傷を負わせ、そのうち二人は暫くして息絶えた。

彼は猟銃や日本刀などを携えた重装備でありながら山間部の急斜面を駆け上り駆け下り犯行に及んでいる。肺に持病がある人間とは思えない。

沸々(ふつふつ)たる怨みのエネルギーなのかねえ? 凄まじい集中力を以て殺害に没頭したんだろうね。

 










『都井睦雄の自殺体』 実写  手前に長ものが転がってるが12番口径ブローニング9連発銃か? それとも日本刀か?






凶行を終えた後、都井睦雄は村を一望できる山の頂にて遺書を残し猟銃で自決した。













『都井睦雄の凶行で犠牲になった遺体を納めた棺桶に手を合わせる親族たち』 実写







人は人らしく生きねばならんねえ。むやみに縁を繋いで自分を曝すことは慎まなくてはいかんと思うよ。

点と点を繋いだ線は片方だけでは消えない。忘れた頃に其の線が浮かび上がって現れる。運命なんだろうかね?

















『1938年(昭和13年)の当時の大阪阿倍野天王寺駅』 































カメレオンの独り言-1695 『時間がないから中身も無い』 「そんな時は書くな」

2016年09月26日 | 日記






 2016年9月26日







一昨日に長物の駄文を書きだしたんだけど題材があまり気乗りしないので、僅かな時間では、なかなか進まないんだね。

時折、我がごとから離れて映画とか事件とか題材にして書いてんだけど、起きてしまった事件をなぞって書いても後の祭りでしかない。

実際の事件には、実際の悲しみがある。言葉にならぬ声がある。俄か集めの材料で、其の場凌ぎに軽々しくは話すもんじゃないかいなって思ったりする。





と、云って、我がごとばかりでは、開いてくださる皆さんには おっさんの念仏もたまにはいいけど、度重なると 「またかよ」ってなる。

書き続けることの難しさは取り上げる題材が浮かばなくて行き詰まることだね。

お買い物も話にはなるけれど、哀しいかな、そうそう買うお金が無いから話のネタも尽きるのが早い。ホンマに貧乏は嫌だねえ。





新たに始めた 『激写シリーズ』もおんなじ写真ばかりで馬鹿臭い。「あれはシリーズなのか?」 そうとも云うもどきだね。

「それならクソ写真シリーズのほうが受けるぞ」 馬鹿だね、クソ写真をクソ写真って称して何がおもろいねん?」

「激写」と称してクソ写真を貼る、怒りだよ、怒りが最後まで読者を引きずるんだよ。 「それは裏切りだろ?」 怒りだよ。





「裏切られた怒りだな」 そういうことだね。「そんなのシリーズにしても裏切りのクソを二度とは見んぞ」 そう云われれば、そうだね。

実際のところ、オレが良い写真ってのは、ブレてなく鮮明に写ってるのが良い写真であって、あとの屁理屈は全く解らんのだよ。

「芸術を思わせる写真か?」 構図が良くて訴える力があってなんてのが解らん。人、それぞれの取りようの話しだろ? 





「感性に訴える要素があれば写真が活きてるんじゃないか?」 その感性も、人それぞれじゃないか? 

「そんなの云ったら切りがないんじゃないか?」 自分では訴えてると思えるんじゃないか? 「伝わらないんじゃないか?」

そんなのが面倒臭いから自分の世界に籠(こも)るんじゃないか? 「だから腕が上がらんのじゃないか?」 ああ~そじゃないか。「民謡かよ」






















大変なことをしてしまったよ、長ものの駄文が終わらないじゃないか。「コピペで誤魔化せ」 それではあまりに芸がない。

一旦、読み通して自分なりに文を構築するんだよ。 「おまえは大層なんだよ」 解り易い文が解りにくくなってしまたよ。

「事実は事実、誰が書いても変わらないからコピペで済むところはコピペで構わない」なんて云ってたじゃないか。





過去の奴だな? 「おまえだよ」 文は弄り回して上手くなる。「解ったようなことを云うとるわ」 昨日の奴だな? 「おまえだよ」

今日は残業だよ、仕事疲れて帰ってきて、風呂、夕飯頂いて時計を見たら10時回ってるよ。

取敢えず、今日の文を書かねばならん。背伸びするのをやめときゃよかったよ。「分相応に納めとけ」 それでは伸びがない。





失敗は大きな薬だよ。失敗なんか恐れてなるかっ。「じゃ、黙って仕上げろ」 くっくっそお~、其れでは字数が稼げない。














『昨日、撮った写真の片割れを貼って誤魔化す』 







其れはそうとね、昨日貼ったスマホとイヤホーンの写真、いいんじゃない? 「コロっと変わるね」 

あれも 『Coolpix P600』の広角側で撮ったんだよ。いい雰囲気出てるだろ? 「おまえにしては垢抜けしてるかもね?」

パソコンのモニターの青い色合いの反射を利用して高級感を出してる積りなんだよ。オレは、こういう写真が好きだよ。





「おまえ、頭の中、空っぽだろ?」 解るかあ~? ホンマに空っぽだよ。何も浮かんでこないから口から出任せでキーを打ってる。

「それでは失礼だろ?」 次の長もので詫び入れる。 「やくざかよ?」 もう、11時に近い、時間がない。

なんで、土曜日に残業なんだよ、馬鹿じゃないのか。珍しいよ、足が貧乏揺すりしてるよ。





「臍下丹田(せいかたんでん)に力を入れぃっ」って親父がよく云ってたなあ。気が落ち着かない時は、臍下丹田に気合を入れる。

臍下丹田とは臍の下辺りを云って、此処に力を入れれば落ち着くんだよ。意識は下方に持っていくと気は落ち着く。

オレは、これで貧乏揺すりをしなくなった。忘れてた、クソッ、飯食った後だからウンコしたくなるよ。 「肛門に力入れてんだろ?」





落ち着いた処で、お後(あと)がよろしいようで。 「なんや、もう終わりかえ?」 もう限界だよ。次のも仕上げねばならん。































カメレオンの独り言-1964 『スマホ(AQUOS SH-RM02)が活き返って満足』

2016年09月24日 | 日記






 2016年9月24日







長くブログを続けてると開いてくださる皆さんの動向が或る程度読めてくるところがあるんだね。周期かね? 

固まったような位置から少し上がる前提があるように感じるんだね。いつも云うように、ただ、一生懸命に書き続けるだけで他は一切

知らん顔してる。解らぬのも手伝ってジャンルを分けて見易くするとかの配慮もしないから皆さんをイラつかせてんだろうね?





これは、単にパソコンがコワイという処が大きい。下手に弄って消えたりしたらパニックもんだから試すのが怖いんだね。

どこそこと繋がったら訪問者が増えるとか、仲間が増えるとか、断りなしに誘いのボタンは次々増えるけど、そんなの興味がない。

ただ、書き続けるだけで精一杯。最近、また、怒涛の如く 「大層やろ?」 いや、オレからしたら怒涛の如くだよ。





最近、また、このブログに行き当たった人が多かったんだろうね? 昔から目標にしてる300の大台を突破して開いてくださってるよ。

そして、「なんじゃい、しょうもない」ってUターンする人が少ないんじゃないかと思える雰囲気なんだね。

其れは何故かと云うと、最近、また、閲覧数がとんでもないんだね。昨日なんか3000突破してんだよ。これは由々しき一大事だよ。





この勢いが、今まで通りの現象ならば、また、少し上がるよ。ジワジワ上がる喜びが堪らんねえ。 「下がったら?」 今、上がる話をしてるのっ。












アオサギ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1600 iso 800』 トリミングなし 16~7m先の被写体








知らぬ間に季節の変わり目が来てんだね。台風や雨が重なるごとに気温が下がって過ごしやすくなってるみたい。

昨日(20日)なんか、日中、寒かったよ。22度ぐらいだったかな? 「★★ちゃん、さっむいなあ~」って若者が背中丸めてたよ。

ちょっと湿気が多いみたいだけど 「確かに寒いねえ」 此の湿気が乾いたら天高く馬肥ゆる秋の空になるんだろうね。






本当は、暑い太陽光線を受けて空気が膨張する夏が最も高く見える。逆に冬は低く見えるので、秋は中ぐらいの高さとなる。

それなのに、秋の空が高いと言われるのは、夏の間の湿気の多い空気に変わって、

大陸育ちの乾燥した空気が日本を覆い視界を良くするために空がより高く見えるらしいんだね。湿気の影響だけが当たってたね。












シラサギ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/500 iso 280』 トリミングなし 10m程先の被写体







今日(21日)は、台風一過の晴天は拝めなかったね。一日曇って雨もパラパラ降ったりやんだりで冴えない空模様だった。

おませな中3の女の子ら三人娘が 「★★ちゃ~ん、帰ってきたでえ」はいいんだけど、「イエエ~イ」なんてダンスの所作して喧しい。

なんか愉しいことでもあったんかい? 笑って聞いてないよ。ちょっと、考えごとがあるから相手にならずに居ると、





「あんなん絶対に嫌っ」 「どっかへ行って欲しいっ」 「わたしは、断然、お母さんっ」 事務所の奥でなにやら熱が入ってるよ。

ア〇〇、昨日、お父さん、いつものように遠出か? 「うん、三重」 ええ? 台風追っかけて行ったんか? 「追われてんのとちゃうか?」

みんな、笑ってるよ。そうか、大変だね、お父さんは、まだ、若いから勢いがあるなあ。 「うるさいねん」 また、文句云ってるよ。





「そうや、ホンマッにうっさいねん」 お父さん、可哀想だろうが。「×▽◇×△ッ」 キャッハッハハハア~、ボロクソに云っとんな? 

ピロ~ン、みんなが一瞬、静まるね? ポケットの携帯が鳴った。「★★ちゃん、鳴ってるで」 うん、なんか勝手に送られてくるんだよ。

「★★ちゃん、見~ひんのか?」 くっだらないものばかりだよ。「★★ちゃん、スマホ使ってるか?」 うん、それなりに。













『スマホ(AQUOS SH-RM02)と右上のインチキイヤホーン(HA-FX3X-R XX) 引き出しから出てきた白いイヤホン』 







ああ、そうだ、此のスマホと一緒に買ったイヤホーン(JVCケンウッド製 HA-FX3X-R XXカナル型)全然駄目だね、大失敗だよ。

偽物が出回ってるって書いてあったけど、其れを掴んだのかも知れんわ。 「音が悪いんか?」 ボリューム上げても小っちゃいの。

でね、他のものを探してたら引き出しの奥から白いイヤホーンが出てきたの。覚えが全くないんだよ、「良かったやん」





此れがだね、いい音で聴こえるんだよ。知らないからスマホ(AQUOS SH-RM02)で音楽は聴けたもんじゃないって思ってたので二重の喜びだよ。

ソニーかなあ? パナソニックかなあ? 昔、iPod touchを使ってた頃に買ったんだね、ラインに音量の強弱スイッチが付いてんの。

「其の方が高いねんでえ」 あ、ホンマ? いい音で大満足だよ。罪のないスマホ(AQUOS SH-RM02)が活き返ったよ。





ネットショッピングはクリック一つで購入出来て便利だけど買ったものを忘れるってのは、便利過ぎて思い入れが何処か希薄なんだろうね。

「衝動買いを誘発させ易いのか?」 オレの場合は、いつも小遣いピーピーだから弾がなければ撃ちようもないけどね。

持ってる人は制御の心得が必須だよ。ガラスケースの中、店員さんの目、そんなのが無いからね、実にのめり込み易くできてるよ。













カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/400 iso 1250』 トリミングなし 18~9m先の被写体







今日(22日)も天気がハッキリせんねえ。空も冴えなきゃオレの頭もさえないねえ。「話のネタが浮かばんか?」 

映画は好きだけど芸能界全般興味ないし嫌い、「いっやあ~、ブラピーが離婚やてえっ」 これが解らんねん、其れがどないしたんや?

初めから見えたあるやないか。アンジョナジョナジョリーなんか映画だから観れるんだよ、「アンジェリーナ・ジョリーや」 ああそう。





「オシドリ夫婦やったのに~」 おまえ、一緒に暮らしたんかえ? カメラの前だけ奥ゆかしく笑ってんの、家へ入ったら罵り合いだよ。

「あんたとわたしやな」 おまえの場合は、人前でも周り見えんと罵っておるではないか。 「そんなん、せえへんわっ」

オレは、昔から、其れが堪らん嫌なの。其れを云ったら 「外面ええのお~」女の台詞か? ぞっとするよ、自覚がないから、尚、怖い。





嫌になったら別れりゃいいんだよ。おまえじゃないけど外面(そとづら)、内面(うちづら)切り替えてまで一緒に居る意味ないだろ?

互いが人生を無駄にしてまで繕うほうがおかしいよ。単に変化に億劫なだけだよ。

別れて落ち着いたら、ああ~よかったあ~って自由の価値を知るよ。おまえは嘘をつかない人間なのに、なんで、これだけ嘘にしがみつくの?





それに、オレは、自分から訳の解らんことは云いださないよ。油撒いて火をつけてボヤにして騒ぐのは、みんなおまえだよ。

云い返して来ないから衝立から覗くとテレビ観て笑ってるよ。ホンマに嫌だね。

ブラッド・ピッドもなんで結婚するんかねえ? 女にゃ困らんだろうに独りで人生謳歌して生きてりゃいいのに。





世に男も女も腐るほどに居るけれども、こころの色変わらぬ人ってのは、そうそう居ないんだろうね。「おまえは?」 黒いまま。


































カメレオンの独り言-1693 『激写4』 と 『アマゾン、ウィンドウ・ショッピング』

2016年09月22日 | 日記






 『Nikon Coolpix P900』 2016年9月22日






東京の親戚が度々送ってきてくれる最中(もなか)なんだけど、此れの粒あんが絶品だね。東京の最中は餅が入ってんだね。

紀伊国屋だったかな? 「本屋か?」 違うかったかな? 「よく見て覚えろよ」 屋号を喰う訳じゃないからね。

写真撮った時には、覚えてたような、そうでないような、「アルツハイマーか?」 もし、そうならオレの痴呆は年季が入ってるよ。





オレはね、気が入らないと何でも流してしまうんだよ。頭ん中、ソーメン流しだよ。「だから、笑ってられるんだなあ?」 かもね。

節の辺りで引っ掛かってるやつで思い出しては、何だったかなあって思い出そうとするんだけど、其れもしつこくないの。

またの機会もあるだろうってね。この最中だって、また、送って来てくれるだろ、そん時だね。 「なんかズボラを感じるね」













ああ、写真見て解ったよ、紀の国屋だよ。『東京名物 紀の国屋の最中』 熱い煎茶と一緒に頂くとホンマに美味い。







今日(18日)は曇って鬱陶しいんだけど降らないね。台風16号がジワジワ上がって来ておるけど、まだ遠い。

秋雨前線を刺激して、あちらこちらでは降ってるみたいで、どこぞのおじさんが川に流されて行方が解らんらしい、気の毒に。

ちょっと散歩がてら「Coolpix P600」を持ってウロウロ出ていつもの処、今日は現れそうにないね。





それでも粘ったけど大粒の雨がバッバッバと降り出したので、こらあアカンと帰り支度、オレは用意がいいから尻のポケットに

コンビニの袋を忍ばせてる。カメラを入れて雨から守らねばならん。バッバッバッと大きな斑点道路にバラ撒いて足を急かしよる。

帰ってきたらやんでるがな、クソッ。まあ、いいか、明日もお休みだからゆとりが笑いに変わる、こういうのは堪らんね。





のんびりできるよ。夜、パソコンの前で一端(いっぱし)の物書き風の顔して遠いところを見るふうに思考の波に揺られてんだね。





















眼が覚めたら朝の10時だよ、よ~く寝たねえ。なんにも解らない空白の時間だね。死んだら、こんなのかねえ?

降ってるかと思ったけど、カーテン滑らせて外を見たら曇ってはいるけど外は濡れてない。

来月の休みは、家探しでちょっと忙しくなるだろうね。考えないでおこう、その時に考えて判断すれば次が始まるのが現実だよ。













『アマゾンでは、オレの好みの靴型はスポーツのスケートボードタイプに区分けされてるんだね』 







遅まきながら、オレの好みの靴の種類が解ったよ、「スケートボードタイプ」なんだね。爪先辺り、アキレス腱辺りのスッキリしたのがいいんだよ。

「それがどないしてん?」 解ったという報告だよ。「こんな派手なのが好みか?」 色合いを考えて貼ってるんだよ、オレは白無地が好き。

「デッキシューズタイプじゃないのか?」 オレもそう思ってた。此れで探し易くなったよ。





スニーカーのように踵を高めにして被せるようなのは大嫌い、ズボンの裾がかかって不細工。「普段用に履くからだろ?」 そうだよ。

此の写真の靴でも引っ掛かるかもしれんけど、他のは、もっとあっさりして浅いよ。そいでいいんだよ。

『なんでも履いてりゃいいんだよ」 好みって微妙なもんなんだよ、オレみたいに無けりゃ無いで仕方ないわと諦められない人も居る。





此れを読んで、「ああ、そうか、そうだったのか」って、同じ好みの人がいるかも知れない。「おまえみたいに皆さん遅れてない」 ああ、そう。



















アマゾンへ入って、スニーカーとトレッキング・シューズを見てたんだけど30足ほど紹介したページを100近くクリックして

見てると目がおかしくなる。どれもこれもデザインが奇抜でキチガイみたいな配色だね。オーソドックスな靴らしいのが少ないね。

「こっちも見てみぃ~」って、時折、雨靴やらサンダルなんかを散りばめてる。趣味の悪い長靴、こんなの好む奴居るのかねえ?





買った尻からゴミだよ。「それはおまえの好みから外れてるだけだろ?」 まあ、そうだけどね。気をつけねばいかんのがチョン製だよ。

4万程が4千円なんて出鱈目な値を貼りやがって、もともとが4百円程度だろ? 「解ってんなら買わなきゃいいんだろ」

それがね、うんって目を引くデザインのがあるんだよ。で、クリックしてページを開くと、レビューで「中国製です」って怒ってる。





「強烈なゴムの匂いが取れない」とか、なんとか怒りの文句が並んでる。なんで買うんだろ? 

雑なオレでもチョン製は滅多なことじゃ買わんよ。此の国の人は学習能力がないんだね。クレームや返品の山からして普通だったら考えるで。

何処がいかんのだろ? なんてね。全部いかんのだよ。日本のまともな靴バラバラにして考えなさい。「バラバラにしにくいっアルヨ」 





そこだよっ。おまえんとこのは新品からボロボロなんだよ。「中国人は文句云わないアルヨッ」 其れは程度が低いんだよ。「クソッアルヨ」












『Globe Yes Apres レザー ハイキングブーツ ラウンドトゥ 並行輸入品』 米国製 参考価格¥15,556 価格¥ 3,187






オレは、こういう何でもないようなデザインがいいよ。ちょっと歩くにはいいんじゃないの? 踵が気にいらんけど、安いし舶来だし。

あとで、もう一度見たら米国って書いてんのに中国製って、どういうことやっ? 黴菌みたいな奴やで。参考価格ってのが臭かったなあ。

買う気はないけど、オーソドックス好みのおっさんを騙すなっ。アマゾンも目印に 「赤い旗」貼っとけよ。












『Nikon Coolpix P600』






さて、冷やかしはこのぐらいにしてカワセミでも撮りに行くか。空は、まだ、泣きそうで泣かずに堪えて頑張ってるね。

「Coolpix P600」持って出かける。使えば手に馴染んで、それなりに活かしようもあることが解って来るね。

いつもの処で柵にもたれて、きゃつが現れるまで景色でも眺めていようか、なんて思いつつ何気に向こう岸に目をやると、おおっ居てるっ。













カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/800 iso 1600』 トリミングなし 「P900」で撮ったみたいに大きいね」 







慌てるなっ、落ち着けっ、はあ~ふうう~と深呼吸。広角で捉えてズーム、入った、カシャ、カシャ、カシャ。目の前、約10m。

光学ズーム一杯。カシャ、カシャ、カシャと、決まったポーズだけど撮りまくる。撮れる時に撮るのに遠慮は要らん。

おおっ、サービスか? 首だけでも横に向けたりしてくれてる。もう、少しゆっくり頼むわ。なにせ、此のカメラはトロいんだよ。













カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1000』 トリミングなし 柵一杯に迫って撮ったんだよ。 









カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1000』 トリミングなし 「P900は要らんね」 アホか。








おおっ、こちら側に飛んで来たっ、あ、あ、足元、約7mの至近距離、「カメラがブレてるぞ」 はああ~ふう~深呼吸。 

背後から、カシャ、カシャ、横手から、カシャ、カシャ、カシャ忙しい。今日は、一番、沢山撮ったよ。

あっ、「今日のサービス終わり」って飛んでっちゃったよ。なんか水嵩が増えてきてるね? 上流の方で雨が降っとおるなあ?













カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 720』 トリミングなし 背景が変わっていいね。









カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 800』 トリミングなし よう、こっちへ飛んで来てくれた。









カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 720』 トリミングなし 「もう、此処まで撮れたら良しとしよ」 







うん? 川の中央辺り約17~8mほどかいな? なんか動いてるね。草の陰で動いたね。体長25センチ程かな? なんや?

望遠一杯で見てみる、うん? ゴイサギだね。其れもゴイサギの仲間のササゴイだよ。

斑点だらけのゴイサギは過去に撮ったことがある。ササゴイは初めてだよ。肉眼では解らん、草の陰で脚だけ見えてる。












ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1000 iso 1600』 トリミングなし 








肉眼で見たら足しか見えないから草の陰に隠れてると思ったけどね 丸見えだったんだね。恐るべし超望遠。

ササゴイ(笹五位)は、翼の白い羽ふちがササのように見えることから由来した和名だって。ゴイサギより綺麗だね。












ササゴイ 『Coolpix P600  1100mm f5.6  1/640 iso 720』 トリミングなし 








ササゴイ 『Coolpix P600  1250mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 






此れは綺麗に撮らねばなるまいねえ。カシャ、カシャ、カシャ、と撮りまくる。動きがぬるいのでシャッター・スピード落として撮る。

シャッタースピード上げるとISOも光量足らずで上がりよるからノイズが出て写真が荒くなる。

「こんなん、どうでしょうか?」 小魚咥えてさまを作ってくれてるよ。












ササゴイ 『Coolpix P600  1100mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1600』 トリミングなし 






ああ、呑み込みよった。そこまでせんでもええで。「喰うとんやないかえ」 ボラの子のイナやね、其の魚は臭いんだよ。

水嵩がどんどん増えてきたよ。足場が没してササゴイが飛んだよ。わりと大きいんだね。

同じように飛び立ったシラサギのあとを追うようにして飛んで行ったよ。水嵩が増えると小魚を獲り難くなるだろうね。





やっぱり、写真は背景だね、緑があるだけで写りが、全然、違う。此の川は、緑よりゴミのほうが多いよ。

レンズに入れないよう撮るのは難しい。ここで腕を上げておいて引っ越したら、もっとええとこ探そ。「腕が上がってんじゃないか?」

ありがと。初っ端よりはマシにはなってるかね? 此のカメラは手振れ補正が半端じゃないわ、凄すぎるよ。





これでもね、ネットで鳥の写真出してる人のを見たらガックリするよ。兎に角、他所の奴は綺麗過ぎるんだよ。見ない方がいいね。











ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1250』 トリミングなし








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1250』 トリミングなし








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1250』 トリミングなし








ササゴイ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1250』 トリミングなし  「じゃっ、今日はこれで、サイナラ」




























カメレオンの独り言-1692 『激写3』 と 『TVスチャラカ社員の頃の藤純子』

2016年09月20日 | 日記






 『TVスチャラカ社員、デビューの頃の藤純子』 2016年9月20日







今日(17日)は土曜休み、3連休とは有り難い。昼まで、ゆっくり寝る積りだったのに、ピンポ~ン、誰やいな? 8時過ぎやないの。

は~いって出たら 「近所の〇〇〇さんの荷物預かって貰えますか?」 あのねえ~、そんなので早くから起こすなよお~。

スッと消えちゃった。なんとか云って去れよ。ドア開けて寝とぼけで残ったオレはなんなんだよ~。腹たちつてと。






目が覚めちゃったよ。顔を洗って水をたらふく呑んでパソコンを起動する。寝しなにリアルタイム解析見たら順位が1万5千~6千位

だったから今日は落ち込みが酷いんだろうねって思ってたんだけど編集欄開いたら何がリアルタイム解析や? 3012位になってるよ。

最近、また、多くの一見さんが覗かれたのかして2千~3千辺りを行ったり来たりだね。それより閲覧数が2千を突破してるよ。凄いねえ。






投げるような駄文は書けないね。下手でも一生懸命で仕上げねばならん。昨晩もアマゾンの無料映画 『唐獅子牡丹』を観てたよ。

此のシリーズで観てないのを此の機会に全部観たことになるね。藤純子の 『緋牡丹博徒』シリーズは全部観てる。

みんな似たような内容だからミキサーにかけたような按配で、ごちゃ混ぜになって記憶に残ってる。












『スチャラカ社員 1961年(昭和36年)~1967年(昭和42年)の前半頃の藤純子(中央)』








藤純子は、TVの『スチャラカ社員』の事務員役で芸能界にデビューしたんだね。オレは毎週観てたよ。当時の藤純子もよく覚えてる。

1961年から1967年までTBS系列局で放送された朝日放送製作のコメディ番組で毎週日曜 12時15分からの30分ものだった。

ミヤコ蝶々、横山エンタツ、中田ダイマル・ラケット、長門勇、人見きよし、藤田まこと、白木みのる、川上のぼる、南都雄二、












『スチャラカ社員 1961年(昭和36年)~1967年(昭和42年)の前半頃の藤純子(右)』








そして 藤純子だったね。最初、長谷百合が初代事務員だったんだけど、のち、2代目事務員として藤純子に交代したんだね。

まだ、初心(うぶ)な雰囲気で可愛い娘さんだった。其の頃から落ち着きと品があったね。

スチャラカ社員自体は、滅茶苦茶おもろいんじゃなしにホンワカ面白いって感じだった。もう、出演の大方の人が亡くなったんじゃないかね。





西川きよしの奥さんになったヘレン杉本も、まだ独身の頃、此ののち何代目かの事務員役を努めてたよ。口は悪いんだけど綺麗かったねえ。

スチャラカ社員の放映が終了した翌年1968年(昭和43年)に『緋牡丹博徒』で事務員だった藤純子がコロッと垢抜けして

緋牡丹お竜になって帰って来た。正確ではないけど2代目事務員を演じてたのは1963年前後だったから4年ぶりだね。













『緋牡丹博徒一宿一飯』2作目 1968年(昭和43年)公開  藤純子 (シリーズは1968年~1972年 全8本)







変われば変わるもんだね、不思議と素人臭さが消えてた、そして、尚、落ち着きと品が高まって色気漂わし貫禄があるんだね。

後にも先にも、この藤純子を超える緋牡丹お竜は出ないだろうね。

そんな1960年代当時の大阪を思い出そうにも、何かとっかかりがないと思い出せない。





だから当時の写真を眺めてると連なるように浮かび出るものがある。こういう写真は貴重だね。












『1960年代の道頓堀川に架かる戎橋』








『1960年代の大阪梅田』








『1960年代の大阪梅田会館前』 「戦場」ソ連映画、「恋人よ帰れ」米映画、ともに1962年公開だね。 此の写真は1962年だね。









スカラ座? 『戦場』 ソ連映画 1962年公開  北野劇場 『恋人よ帰れ』 1962年公開 ロック・ハドソン ドリス・デイ






『戦場』 ソ連映画 1962年公開  『恋人よ帰れ』 1962年公開









『1960年代の御堂筋大阪市庁前』








『1960年(昭和35年)の西淀川区歌島橋交差点』 右手の角の建物は、当時も外車販売のヤナセかなあ? 左向こうに酉島のガスタンク。







オレが、この地に移り住んだのが1980年代前半だったね。この写真当時から20数年後だね。この写真だと工場が多いね。

其の頃も町工場が残ってはいたけど、この写真と比べると極端に減ってた。準工場地帯ってやつかね? 

国道43号線公害問題とか、西淀公害なんて騒がれて、其れが沈静した後に移り住んだんだね。当時は、そんなの知らなんだ。





「世間に疎いんだね」 馬鹿め、世間は、其の頃のオレんちの内情なんか知ったことじゃない。お互いさまさ。「そう云えばそうだね」

何事も対で考えろよ。それぞれに闘って生きているんだよ。オレにとって西淀時代は底辺舐めるような厳しい境遇だったよ。

しかし、オレは負けないから、何故か、愉しい10数年でもあったね。苦しみにどっぷり浸かっても、其れを乾かしては喜べる心が活きてたよ。





いつもニコニコ爽やかに切り替え上手なオレだった。考えたらオレって馬鹿だね。 「自覚があるだけ救われる」

右から左へ車が流れるてるのが2号線、写真向こうへ大和田線、右端煙突の向こう辺りを此方の2号線に沿って阪神高速道路が後にできるんだね。

オレが息子を自転車の前椅子に乗せて深夜散歩に出た折り、ドデカイ隕石が右(北)から左(南)へバチッバチッて火花飛ばして猛煙噴いて





真っ紺の空を切り裂いて飛び去ったのが、其の阪神高速道路沿いだよ。信じられないデカさだったね。

息子とオレとタクシーの運転手さんが眼の先で目撃した。見たものだけが陥(おちい)る伝わらぬジレンマだね。

解らそうと躍起に云わぬほうがいい、身体に悪い。世間ってのは、意外と常識に固まった馬鹿で成り立ってるからね、受け入れ難いんだよ。












『現在の歌島交差点』 上の写真と似たような位置取りで撮ってるね オレが此の地を去った頃と然程の違いはないみたい。








台風16号が力を蓄えつつ北上して東にカーブを切って列島直撃のコースを狙ってるね。中国へ行け。「ナニイウアルカッ」

先の猛烈台風14号でどえらい目に遭った台湾を掠(かす)めながらに避けたのは情のある奴だよ。

今日は、降るかなって思ってたけどやんわりと晴れてたね。昨晩は、休みの前だからゆっくりしすぎて午前3時過ぎまで起きてた。






だから、昼頃まで馬鹿寝を決め込んでいたのに宅配さんに起こされてしまった。お陰で昼過ぎなったら眠くて仕方ない。

パソコンの前で船漕いで居眠ってたよ。よし、Coolpix P600持ってカワセミを撮りに行くか。

町ん中まで飛んできて居着いてしまってお馴染みさんになってるよ。昔は番(つがい)で暮らしてたんだけど大雨のあとかな?






一羽になって独り者で頑張ってた。でも、最近、彼女が出来たらしくて、また、二羽で飛んでるって聞いたよ。 「彼氏かも知れんぞ」

そうかも知れんね。いずれにしても結構なことだよ。カワセミは落ち着きのない鳥って決め込んでたけど餌場では意外とじっとしてるね。

毎度、止まる処が決まってて姿を捉えるのも、そう難しくはない。ぼ~と待つこと30分ほどかね? 影が走って気づくんだね。













『Coolpix P600』







前と同じ処に現れた。川面をじっと凝視してる。深呼吸とともにスイッチを入れ広角で位置決めしてズームする。入った、カシャ、カシャ。

動かないと絵が決まってしまうから動け動けって勝手なことを念じるね。オレの位置取りが前より少し遠目だね。

カシャ、カシャと枚数稼いでおかんとブレたのばかりじゃ意味がない。飛んだっ、と云うより走ったって感じだね。






追いかけて撮るなんてのは、此のカメラでは不可能。何処へ行ったと走ったほうに目を凝らす、おお、低い位置でホバリングしてる。

シャッタースピード上げてファインダーに入れば撮れる可能性がある、慌ててる、慌てると遅くなるね?

水中へ飛び込んだかと思えば飛び出した。元の位置にとまってる。小魚咥えてないね、失敗しよったな。












カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1400』 トリミングなし










カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1400』 トリミングなし










カワセミ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 1400』 トリミングあり P900だったら、このぐらいだろうね?










シラサギ 『Coolpix P600  800mm f5.6  1/640 iso 640』 トリミングなし










シラサギ 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/640 iso 320』 トリミングなし







カワセミのスタイルに変化がないのが残念だね。でも、鮮明度は前より上だね。14枚ほど撮ったけどボツは5枚だった。

10mほど離れた処から肉眼で見たら胸の黄色が目印になって発見し易いんだけど、ホンマに小っちゃい姿なんだね。

背中の青と胸の黄色で鳥の輪郭は浮かぶ姿なんだけど流して見やれば気づかないほどだよ。其れが此処まで撮れるんだから素晴らしい。





どうでもいいシラサギやアオサギは、なんでこんなにきれいに撮れるのかね?

































カメレオンの独り言-1691 『時、来たりなば、乾坤一擲(けんこんいってき)己れを試す』

2016年09月18日 | 日記





 『トグル入力方式』 2016年9月18日






価格コムの 『Nikon COOLPIX P900』が、どんどん値が上がっていくね。もう、手が届かないよ、さようなら。「諦めたのか?」

今はね。また、新型出て下がり出したら、こんにちはって挨拶するよ。

最高にお気に入りだった 『I-ODATA LCD-MF272CGBR]』の27型のグレアモニターも在庫が切れたのかして消えちゃった。 哀しいね。





時代は変わるからね、生れ出るものもどんどん進化する、これからは、パソコンのキーボードが追いやられて

日本語を入力してメールするガラケーのトグル入力方式ってのがメインになっていくようだよ。机の上を大方占領してなるディスクトップ型が

ノートパソコンにとって代わり、アイパッドのようなスタイルに代わり、嵩の高いキーボードなんかは古めかしくなるんだろうね。





タイプライターが、やがてワープロに代わった。キーを打てない中高年は、原稿を手書きして達者な若者に活字に仕上げて貰う時代があった。

今、キーボードを打てない若者が増えているんだってね? 携帯でトグル入力方式に慣れ親しんで親指は機械のように動く。

メーカーは、このトグル入力方式をメインにした時代を睨んでいるらしい。嵩が低いもんね。手の平の中で操作が出来て場所をとらない。





進化は留まることを知らない。デジタル望遠も光学で4000mmなんてのが出てきてもおかしくない。

付随する諸々の機能もそれに倣って進化する。2000mmより4000mmの方がいい、もうちょっと、ゆっくり待つことにしょうか。

「気が長いねえ、おまえ、生きてるかあ?」 ニコンもキャノンも気合入れて早よ造れっ。其の頃には、チマチマ貯めて小遣いも増えてる予定。





















「おまえ、軒並みトグル入力方式にとって代わったら駄文を打てなくなるぞ」 馬鹿め、我流でワープロのかな入力から入って、

素早く打ててたものを、パソコンでローマ字入力に切り変えて汗かいて、なんとか打てるようになった。

トグル入力方式が何ほどのものか、人差し指と小指二本駆使して打ちまくったる。「人差し指と小指? 親指だろ?」 オレの指は大きいの。












『ズール戦争』 1964年イギリス映画 







オレは、好きなものだったら、爺になっても、努力の糞ツボ入ってでも、マスターしたる、絶対に諦めない。最後の砦だよ。

「最後の砦?」 此れしかない、此処しかない、守り通すための全力だよ、其れでも駄目なら底力を絞り出す。

此の砦を死守せねば我々に明日はない。者どもっ、乾坤一擲(けんこんいってき)武士の意地を見せましょうぞっ。「おおうっ」





乾坤一擲とは、「乾坤」は天と地、「一擲」はサイコロを投げて丁半いずれに出るか、自分の運命を懸けてのるかそるかの大勝負をいう。












『ズール戦争』 1964年イギリス映画  スタンリー・ベイカー  マイケル・ケイン主演









『ズール戦争』 1964年イギリス映画 






地が動くような敵の数、白を黒に取り込むように黒い絨毯うねるようにして向かって来る。「狙ええっ」 ズラッと銃が横並び、「撃てええ~っ」

バッバッバッバと湧きたつ硝煙の向こう先で面白いように転がりよるわっ。「狙ええ~」 バタバタ転がる者を乗り越えて其の勢い失せず。

「撃てええ~っ」 バッバッバッバリバリバリ、硝煙と砂埃と血煙り、倒しても倒しても切りなく迫って来る。




































白兵戦の時が来た。者どもっ、勝負は気迫っ、敵は幾万ありとても意地の力で蹴落とすのみっ。諸君の武運を祈るっ。「おおうっ」

「アッホエッホヤッホ」 バリケードを越えて津波のように押し寄せる。己を持たぬ烏合の輩めっ、オレの前にボタ山築いてくれるわっ。

攻め来る土人どもを次から次へと銃剣で刺し貫いては蹴り落とす。土人の盾が邪魔して銃床の蹴りが逸れる。鋭い槍先が頬を斬る。












『ズール戦争』 1964年イギリス映画 






「ウオッホッ、アッホウッ」蹴り落としたら次が襲い掛かって来る。こんのおお~黒ゴリラっ喰らえっ。ズブリと手応え押し倒す。

抜く間もなく次が来る、銃が手から離れて、必死のぱっち、突き来る槍先躱(かわ)して頭突きをかます。「ハッヘ~」と脳震盪起こした奴を

放り投げ、死体に突き立つ銃を取ろうとしたところへ槍をかざして来やがったら、すかさず転んで掴んだ乾いた砂を顔にぶっつけて





「ワッチャッ、イタイッズ~ルッ」 喚いて眼潰し痛がるアホを蹴り飛ばす。そいつの落とした槍を手にして振り回し絶叫挙げて突撃よ。

土人どもに舐められて堪るかっ、もう、緊張と怒りと熱で喉はカラカラ、絶叫挙げたらヒリヒリ、其処へ二人の土人が襲い来る。

一人は、槍をお見舞いして串刺しよ、もう一人と転んで格闘勇ましくゼエゼエ、ハアハアもう堪らん、力が萎えて踏ん張り利かん。





最後の手段っ、はっはあああ~とおもくそ息吹きかける、「クッチャイ、キッチョイ」慌てる土人の隙を見逃さない、掴んだ石で、ゴンッ。

昇天しよった。 「息を吹きかける?」 口臭だよ、煙草吸ってて口が乾いたらくっさいのなんの迷惑もいいとこ。「それが底力か?」 そうだね。

何が我が身を救うか解らんもんさ、日常は、汚い臭いと嫌がられる口臭が最後の武器になって生き長らえさせるんだね。ありがと。












『ズール戦争』 1964年イギリス映画 






こんなとき、無臭だったり、いい香りだったら、相手が興奮してどさくさにオカマ掘られるぞ。「殺し合いの真っ最中やねんやろ?」

本能剥き出しの時だからコワイんだよ。制御が利かん時間だよ。だから、女子は戦場(いくさば)に出してはいかんのだよ。 「一理あるね」

「しかし、これはいったいなんなんだよ?」 戦いだよ。「侍のようで侍でない兵士だね?」 「押し寄せる敵は、黒人の土人だな?」 





「なんか、戦国時代とズール戦争を想わすね」 今度は偏見を薄めてるだろ? 「確かに露骨さは見当たらないね」

いろんなのが錯綜して混ざってんの、混乱を表してるんだよ。 オレが内包する終わりなき戦いを情景描写しておるんだよ。

まあ、長く沈んだ時代の肉体労働で培った根性だよ。粘りは誰にも負けんっ。












『ズール戦争』 1964年イギリス映画 






今ね、悲壮な決意を前にして、果たして出来るだろうかと不安なんだけども遣らねばならん。「なにをすんねん?」 禁煙だよ。

背に腹は代えられん。「健康のためか?」 健康のためならば吸い続ける。心身ともに癒されて創造の肥やしにもなる。

しかし、仕事を辞めたらパカスカ吸って金を燃やす馬鹿はできない。小遣いをつくらねばならん。もう、あとがないからね。





「なるほど、煙草代は馬鹿にならんからね、しかし、最後の底力を失うんではないか?」 口臭の代わりに屁をかます。

まあ、ほかに宝くじという手もあるけどね。「あのな、もう、目覚めねばいかんよ」 

其処らの常識人と一緒にすんな。オレの人生は非常識で始まって非常識で終わる。品と心と情熱を持ち続けて灰になる。





其れがオレだと言い切れる人生でありたい。









































































『ズール戦争』 1964年イギリス映画は、過去に書いてるので此処では省きます。目新しい写真や絵を貼っておきます。

「今日のは、もう、滅茶苦茶って感じがするね」 滅茶苦茶だよ。なんにも浮かばない時がある、しかし、書かないわけにはいかない。

「なにが、そうさせるのかねえ?」 遣ると云ったら遣らいでか、男の意地だよ。


































カメレオンの独り言-1690 『泣いてくれなきゃ死にには行けねえよ』 「何処からそんな題が出るねん?」

2016年09月16日 | 日記





  『唐獅子牡丹一匹狼』 2016年9月16日






時折、編集欄の解析の閲覧ページに目を通すんだけど、其処には皆さんが読んでくださった題名の50位分が並ぶんだね。

書いた本人も忘れてしまったような過去の題名を見ると、なんて云うかねえ、居たたまれないというか、背中に汗を書く思いになるんだね。

過去の奴が書いたもんだからオレの知ったことではないけどね、「また、云うとるわ、過去も今もこの先も、書いたのはおまえだよ」





違うね、身内のもんだけど身内なりゃこそ、ともに恥を被ってやろうという思い遣りかねえ、「なに云うとんねん?」 理解できないか?

「身内も糞も、書いた張本人はおまえだ」 狭いねえ~。「なにが狭いねん? 狭かろうが広かろうが書いたのはおまえなんだよっ」

当時の奴を此処へ呼べるか? 「目の前に居るではないか?」 オレは今のオレだよ。 過去の奴のことを云ってるんだよ。 





「あのな、過去の奴も今の奴もおまえやねんでっ」 違うねえ。 「何がっどう違うんじゃっ」 

まあ、そんなことはどうでもいいんだけどねえ。 「どうでもいいなら訳解らん事云いだすなっ」 

話は戻るけどね、そんな古い題名を見ると急いでオレも過去に戻ってるんだよ。あのバカ、何を書きよったかなって慌てるんだね。





「其の表現はおかしいだろ?」 細かいことを拾うな。其の題名のページを開いて意外とまともな内容だったらホッとするんだよ。

ああ、これはオレが書いたのを覚えてるってね。 「おまえ、ホンマに都合がええねえ、背中の汗が的中してたらどないすんねん?」

今は亡き過去の奴さ。 「殺すな」 そのぐらいに過去辿った道ってのは、今の自分の背中に背負わねばならん責任なんだねえ。





「そんなに引きずってしんどいなら昔のを消しちゃえよ」 駄目だよ、初心忘れずが大事、事実の上に今が在るんだよ。




















昨日、今日(13日)と残業で帰るのが遅くなった。疲れたよ、其のわりには睡魔に誘われて船を漕がないね。パッチリしてるね。

その代わり頭が全然働かない、もう、働いたあとじゃなんて云ってるよ。たしかに疲れたね。

もう、晩秋かねえ、それとも初冬の頃に差し掛かってるのかね? 「まだ夏が去りかけってとこだろう?」 違うがな、オレがだよ。





昨日、久しぶりに彼女が来たよ。これから枝葉に芽吹く初春の頃の娘が、枯れ木のオレに何を思って会いに来るのかねえ? 

季節の周期で云えば、オレはおまえの裏側のほうに居る男だよ。同じ季節を歩める人間じゃない。こちとら、はらはらと枯葉が散り始めてるよ。

オレが追いかけてるカワセミみたいな娘(こ)だね。気まぐれに姿を垣間見せては飛び去って消える。カワセミの心までは解らない。





一時、カワセミを追いかけて振り回されて疲れ果てた頃がある。未熟さを悟(し)って其れからカワセミを追うのをやめた。

十年、ひと括りだね、今度は、オレがアホのアオサギになって飛び去るときが来たよ。

いつか、何処かで会ったら老いさらばえたハゲ鷹になってたりして笑わせてあげよう。「カッパの頭みたいに禿げてんか?」 他に云いようがないか?





オレも、年相応に老けたら大人の男になれるのかも知れないねえ? 「おまえは子供のまま死ぬんじゃないの?」 クソッ。













『唐獅子牡丹 池部良』







「行かないでっ」 「死なないでっ」 神田祭に賑わう町の路地裏で白地に大きく柄どりした浴衣姿の高倉健に松原千恵子が縋(すが)りつく。

黙って振りほどいて高倉健がドスを片手に立ち去る。時が過ぎ去り、偶然に再会したときには鶴田浩二の奥さんになってる。

男も女も、ホントの処、誰でもいいんだねって思ってしまう。「行かないでっ」 「死なないでっ」のおまえは何処へ行った?





男も女も誠のない奴は有象無象だね。アマゾンのプライム会員特典無料映画で 『唐獅子牡丹 吼えろ唐獅子』を観てたの。

こんなのも、やっぱり、其れは過去の人よって、他人事のように云ってんじゃないの? 「そう云えばそうだね」 実に便利な表現だよ。 

池部良の風間重吉なんか、死んでも、また同じシリーズで同姓同名で復活するからね、本格的に「あれは過去の奴さ」なんて平気で云うと思うよ。













『唐獅子牡丹 高倉健 藤純子』







重吉の妹役してるのが藤純子なんだけど、かいがいしく高倉健に尽くして此の人は裏切らないね。こんな人は少ないね。

「創ったんねんやろがあ~」 それを納得させる人柄だよ、緋牡丹お竜でも正義一筋、裏切らない、なのに柔らかい。

柔よく剛を制す、正しくても正しいだけのカチンコチンの人間にはならない。角ばかりが立って当たれば痛いでは、はた迷惑だよ。 





「なんか今日は、思いつきで喋ってるみたいだね?」 解るか? 『唐獅子牡丹 一匹狼』観ながらビール2缶空けちゃった。

「心此処に在らずだね?」 両方に振り分けつつ駄文も書く。

まだ、任侠ものの出だし辺りだね。やくざの男に惚れて不幸せになって女郎に堕ちて病に侵され明日をも知れぬ女(扇千景)。





其のやくざの兄貴分が秀次郎(高倉健)、博打で稼いで身受けして郷(くに)へ連れ帰る。「そんな娘は、うちには居ねえ」と親分が云う。

新国劇の島田正吾、久しぶりだねえ。義理ある船元の息子がいいなづけ(御木本伸介)久しぶりだねえ、「なんやねん? そんなんあとで云えよ」

オレが、粗筋書いたらこうなるんだよ。 「何処からか粗筋パクって来い」 筋を通して仁義を切って 「そうですかい、あっしが間違ったようです」













『唐獅子牡丹 高倉健』







「親分、娘さんが帰って来てんですぜっ」 経緯(いきさつ)知ってる子分が戒めてる。「うるせいっ」 親分はかまちの上ののれんに 

顔を隠すように下がる。秀次郎が暇(いとま)して軒を出ようとすると 「おとっつあん」 外で聞いていた女が堪らず叫ぶ。

親分は、のれんの向こうで涙を隠してる。 途方に暮れて旅芸人の芝居小屋に世話になるが病が重くなった女は悲しみの中で死ぬ。





ことを聞きつけた子分と船元の息子が駆けつける。 「親分は来なさらねえんで?」 「親分さんは、わたしに義理立てして馬鹿なことをっ」

船元の息子は事の経緯述べて秀次郎に詫びを入れ 「どうか線香を」 「解りやした、どうぞ」 

港が見下せる丘の上、親分独り、娘の仮の墓の前で 「おめえの顔を見たときゃ嬉しかったっ」 「許してくれっ」って泣いてんだね。





なんでもない在り来たりのお話なのに親分よりオレの方が大泣きだよ。なんでかねえ? 「酔うとんねやろ?」 今も眼がしら涙が溜るよ。
































カメレオンの独り言-1689 『激写2』 「何処が激写やねん?」 オレにとっては激写なんだよ。

2016年09月14日 | 日記





 『恰好いいね、此のスニーカー』 マカロニアン  2016年9月14日







暗くなりだした午後6時半過ぎ、空を見上げると半月が浮いてる。することないので防湿庫からニコンのCOOLPIX P600を

持ち出して、ダイヤルをお任せ機能に合わせ望遠一杯でカシャって撮ってみた。あれまあ、簡単におっ月さんが撮れてるよ。

手はフラフラとブレてるのにおっ月さんは、然程ブレてない。このカメラの手振れ補正はオッソロシイね。最強だよ。












『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/15 iso 1600』  ふつう手持ちでおっ月さんを、こんなには撮れんだろ?









2000mmのCOOLPIX P900なら、もっと大きく撮れるんだねえ。これは買わずばなるまい。「またや」

しかし、おかしいんだよ。オレが、此処でP900を書いてから価格コムでの値段が上がる一方なんだよ。なんでかねえ? 「知るか」

たしかマクロも撮れるはずだよ。1cm迄接近して虫どもを撮って気持ち悪うう~って写るはずだよ。買わずばなるまいねえ。「云ってろ」





気温も少し落ちたかね? 今日(11日)も、ちょっと散歩がてらカメラ持って出ようか。これからの日々の過ごし方に慣らしておこ。

「最近、よくウロウロ出るね」 変化に重点を置いておるんだよ。 「大層なおっさんやで」

COOLPIX P600を我が目のように使いこなす。 「云うことだけ聞いてたら一人前やね」 云ってろ。





きゃつが出そうな処で時間を潰す、直射日光の下でじっとしてるとこんがり焼けそう。15分、30分、45分、姿を見せんなあ。

大きなレンズを嵌めた一眼レフを三脚に構えて、おじさんが二人立ち話。確かに鮮明度は違うけど、こうして見ると移動が難点だね。

一眼レフと比べたらオモチャのようなP600だけど移動となれば遥かに勝ってる。望遠もせいぜい400mmってとこかな?





カメラは35mmかな? APS-Cサイズの撮像素子のデジタル一眼レフなら35mm判換算で約1.6倍の640mmになるね。

キャノンの単焦点400mmレンズを過去に使いまくったけど被写体まで10mは活きるけど、其れ以上となると望遠効果に不満が出る。

鮮明度の不満を抑え込むなら1.440mmのP600のほうが望遠の価値に酔えるよ。













『NIKON COOLPIX P600』








何処に位置するか解らん被写体を追うのも身一つの移動で速い。実に行動的だよ。今日は、其れをまさしく体現できた。

カワセミの現れるのを待っているおじさんらが、何やら狙ってるのか、望遠利用して探しているのか、川の右手に気を取られてる。

太陽に焼かれて1時間ほどして、何処から飛来したのか、突然、向かい側の左手の河原の土手にカワセミが現れた。





サッと小走りで駆け寄りシャッターを押す、押す、押す。なんか今日は切り変わりが速いね? 暗転してからスタンバイが早い。

僅かな時間で飛び去った。液晶モニターで確かめる、おおっ、今までで最高に大きく写っておるではないかいなっ。素晴らしいっ。

劇的な瞬間を捉えておるよ。「オーバーなんだよ」 やかましいっ。急かれる思いで帰ってきてパソコンに取り込む。





おおっ、写ってるっ。今までみたいに惨(むご)くないっ。皆さんが価格コムに貼り出してる写真に限りなく近いっ。「どんなんやねん?」














カワセミ 被写体までの距離は、約10m、トリミングなし  『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 1000』 












カワセミ 被写体までの距離は、約10m、トリミングなし  『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/1250 iso 1000』









「ほおう、たしかに今までのからしたら最高の写りだね」 だろ? 4608×3456の画角一杯で此の大きさだよ。

どうだ? この写りでP900の2000mmを想像してみ給え、はみ出るぞ。「かなり大きく写るだろうねえ」 ぐっふふふふ。

どうだ、買わずばなるまいねえ~。「しかし、これで充分だろ?」 妥協は駄目だよ、何事も頂点を目指さねばならない。














アオサギが身体振るった後だよ、羽毛が舞ってるよ トリミングなし 『Coolpix P600  1440mm f6.5  1/400 iso280』









今日のカワセミは影側に止まったから目ん玉に光が入らない。今度は日向に止まった時だね。今日の呼吸を忘れない。

できれば、もう一回深呼吸で平常心だよ。それから今度は、汚れてもいいTシャツ着用して錆びた柵を支えに撮ってみよう。

フランス製(今はイタリア・マンフロット)ジッツオーの1号三脚を持って行くべきかも知らん。「あるなら使えよ」 





もしくは、ジッツオーの一脚がいいかなあ? 「ほうばらしてんか?」 オレの所有する数少ない一流品よ。ちなみに雲台もジッツオーだよ。

仕事から解放されて自由になったら、同じカワセミでも背景のいい処に生息する奴を撮りたいんだよ。

価格コムなんかで貼られてる写真は、大方、綺麗な処で撮った写真が多いからね、目を見張るのは、バックのおかげでもあるよ。





此の年末辺りに照準合わせてP900を狙おうかなあ。それまでにP600で撮影の技量をアップしておこう。












『巨大UFO現る』  此れこそホンマもんの激写だよ。「なんや急に?」 おまけだよ。









Extraordinary UFO footage from Malaysia









最近、宇宙のタコが大胆になって来たね。マレーシア北東部のアクランタン州クアラ・クライで、先頃、撮影されたUFOが凄いね。

まさに激写だよ。この動画が本当か嘘かは知らんけど、UFOは、この目で見て追いかけたから存在を疑わない。

多くの人たちが目撃したと騒いでも信じないって面白い現象だね。此れほどの一大事を信じたくないのはなんでかねえ? 





今年6月にケニア・ミュランガ某所でも走行中の車の中から撮影された動画がネットを騒がしてるよ。

嵐に近い荒れた天候の中、車の進行方向の曇り空を右から左へと、まさに目を疑うような巨大なUFOが横切る姿が捉えられてる。

下の写真は動画の一部。鳥ではないね、飛行機でもヘリでもジェット機でもない。鍋の蓋を飛ばして其れらしく見せてるようでもないね。









































未知との遭遇は、もう、第一ラウンドは終わって第二ラウンドに突入してるんじゃないの?

信じない人たちは、世の中の常識を根こそぎ引っ繰り返されるのがコワイのかねえ? 襲い来る巨大なハリケーンを喜ぶ奴は居ないからね。 

此れからの100年前後には、人類が「アッと驚く為五郎お~」を体験するやも知れないね。彼の世から見てるよ。「ズルいぞ」





仕方がないよ、なんなら長生きさせてくれるなら、みんなと一緒に驚いてもいいよ。悪いこととは限らない、パラダイスが待ってるかも知れないよ。
































カメレオンの独り言-1688 『人生の白いキャンバスに恥から何から塗りたくって、映画 運命を分けたザイル』

2016年09月12日 | 日記






 『運命を分けたザイル』 2016年9月12日






ダラダラと延びている退職と引っ越しなんだけど、なんか動き出したような気配だね。引っ越し先を探す姿勢も本気モードだよ。

オレは、一時、気が逸って一人であちこち探して動いたけど機運が上がらずじゃ進まない。

本社も先延ばしばかりで足止めしよるし時が来るまで黙って待っていた。事は動くときには動き出すもんだからね。





「〇〇〇〇さん、辞めたらどないすんのん?」 同僚の人が聞いてる。そうだね、半年か1年は、なんにも考えずにのんびりするよ。

アンラッキーな人生を生き抜いて来て、1年其処らをのんびりしたからって罰(バチ)は当たらんだろう?

自分の遣りたいことだけに専念するんだよ。「〇〇〇〇さんは夢があるからええなあ」って云ってくれてるけどね、 





夢ってね、オレの夢は、寝て見る夢と、然程、変わらんよ。もうね、成るならぬなんかどうでもいいの。遣り続けるのみだね。

時間が出来るからね、ちょっと、何かを足してだね、発展の可能性を持たせてみようか? 「なにすんねん?」 

ふっふふふふ、しゃかりきよ。「おまえ、また、籠(こも)ったままになる気か?」 時間割通りの生活パターンで管理するよ。





まず、外に出る。いよいよ、男前登場だよ。「何処がやねん」 あちこち行くよ。其処から始める。「ホンマやな?」 武士に二言はない。






















オレが事務所の廊下に貼ってる注意書を読んで大学に通ってる男子が云うんだよ。「★★ちゃんの文は絶対に面白いと思う」ってね。

半年間程、外国に留学するらしく「僕が帰って来るまで居ってください」 う~ん、ヤバいんではないか? 

「ほなら、今、★★ちゃんのブログ教えてください」 う~ん、それもヤバいんだね、前にも云ったろ、大馬鹿そのまま書いてるからね。





べつに構わねえって思わなくもないけどね、此の歳で若い娘に恋心って気持ち悪いからね。「自覚あんのか?」 字画31画だよ。

ウソは書かないって決めたから書いたけど、書く必要もなかったかなあって思ったときには書いた後だった。「あとの祭りやね」 そう。

世間の批判を諸受けして強くなるか。 「そんな必要があるかあ?」 おまえもそう思うかあ~? 「今更、強くなってどうする?」





まあね、事実は事実であって自分にとっては疚(やま)しくなければ、別段、恥じ入ることもない。 「奥さんは?」 ああ~居たねえ。

キジも鳴かずば撃たれもすまい、山に入らずばクマに罪を負わすこともない。双方に、其の因があればこそ起こることであるからね。

「なんか、尤もらしい言い訳やね」 文句があるなら、おまえも恋をしろと、わたしは云いたい。 「開き直りではないか」





















人は正直に自分を語ればいい。白いキャンバスに絵具を塗りたくるようなものさ、恥を重ね塗りして本当の自分が顔を出す。

下地の色は、思わぬ個性の色合いを引き出す。下地が活きているんだよ。個性の色が顔を出すんだよ。

塗りたくり塗りたくりして自分が求めていたものに行き着くこともあるわいな。書きだしたら、そいつと対面するまで書き続けることだよ。





まあ、そういう思いで支えてる。 「なんやねん、支えてんかよ?」 答えを焦るな、いつか、必ず、悟(し)る時がくる。

人生は、本来、鈍行なものだよ。早く着き過ぎたら寿命を疑え。もう、此の世に用はないんだよ。「ホンマかよ?」 知らん。

しかし、名もなき男の身なればこそだからね、謂わば透明人間だから云えてる台詞だよ。「名を出して、よう云わんのか?」





捨てる覚悟かね? 「なにを捨てる?」 べつに何も無いけどね。 何も無いのに人はしがみつくもんなんだね。

オレはね、テレビの馬鹿タレントが騒いでるとね、

すぐにチャンネル変えちゃうんだけど、捨てることの出来た人たちだなって、人間的に一目おいてるんだね。大したもんだよ。





恥を知るものが自分を曝け出すってことは勇気のいることだね。恥知らずが自分を曝け出すのと訳が違う。恥を知らぬ者は恥をかかんからね。

「僕が帰るまでに★★ちゃんが先に居なくなったら?」 う~ん、メモにして残しておこうか? しまった、云っちゃった。

「はいっ、僕んちの郵便受けに入れて置いてください」 う~ん、「必ずですよ」 う~ん、ウンコ出そうで出ないのと一緒だね。 












『運命を分けたザイル』 2005年公開のイギリス実話映画







アマゾンのプライム会員特典の無料映画の作品を繰ってたら、『運命を分けたザイル』って登山の映画が出てきた。

この前書いた 『エベレスト』と似たようなもんだろうね。

これも時間が遅いので途中から観たんだけど、この手の映画は、オレが高所恐怖症だからか知らんけど引き込まれる要素が詰まってるね。





此の人たちは、子供の頃のお山の大将から抜け切らんのかね? 山の天辺に行って何が在るのかね? 雲の上の山だね、下界が見えない。

「自分との闘いだろうが、闘いきって頂上に立つ、そして、ゴマ粒の如き自分を知る、これだよ」 

そんなの布団の中でも悟れるぞ。「だから、おまえは口先男なんだよ、実際に過酷な世界に身を置かねば知り得ない境地だよ」





で、崖から落ちて砕けて死ぬのかよ? 「究極の悟りってのかねえ? 生死を跨いでこそ見えぬものが見えるんだろうね」

温(あった)かい布団の中だったら脚色し易いね。 「だろうが、絶壁に貼り付いて脚色なんかできないぞ、誤魔化しが利かんだろ」

「冷気や強風が身体の熱を奪いよる、指先なんか感覚がない、足の爪先だって同じだよ、それでも登り続けねばならない」










Touching The Void Trailer



『運命を分けたザイル』







スポーツが人気を失わないのは嘘が存在しないからだろうね? 嘘を通せば淘汰されて消えていく。小細工なんかは通用しない。

不屈の精神と頑強な肉体、常識を超える技術、全てを出し切らねば上へは登れない。これに人は魅了されるんだろうね。

立ちはだかる逃避の誘惑、己れに克たねば前は開かない。抵抗を粉砕して突き進む。人間の成長の基本が其処にあるんだね。






目標を掲げねば進めないのが人間だから上を見る。山は、其れを教えているんだろうかねえ?

断崖絶壁、氷が貼り付いて岩肌が見えない。未知、不明への挑戦だね。

鼻から 「もうええわ」と泣きたくなるよな荷物を大きなリュック一杯に詰めて背負う。





登山靴に鋭い鉄の爪を持つアイゼン取り付けて、二重の手袋嵌めた両手にピッケル持って、超肥満型の登山防寒スーツに身を固め、

其の体中に登山用具の小物をぶら下げて、何十mもの長さのザイルを輪にして肩にかける。

オレだったら、もう、此れだけで山の裾野辺りで疲れてしまって動けんわ。のびて倒れたオレを見て草食(は)むヤギが笑ってるよ。





のどかなシーンだろうね。 「なっさけない奴やで」 あれやこれやと登山道具を買うのは愉しくてウキウキだけどね。

買い物で疲れたら山小屋風の洒落た喫茶店でコーヒーを飲みながら、買ったニット帽子を袋から取り出し被ってみる。

そして、遠いところを見るような目になって、一端(いっぱし)の登山家になったような雰囲気に酔うんだね。「夢想家やね」





オレが、起こり得ることを想定して道具を揃えたら大型リュック二つは要るだろうね。「一つで裾野で倒れる奴が云える台詞か」













『運命を分けたザイル』







そんな装備のなりして断崖絶壁よじ登るなんて、こいつらは前世はサルだったのか? 無謀としか云いようがないね。

「なんでもええけど運命を分けたザイルって映画の話だろ? ストーリーを書けよ」 

アンデス山脈の雪山で遭難し生還を果たしたエピソードを、本人へのインタビューと俳優による再現映像により描き出してるとあるね。





2005年公開のイギリス映画で実話だね。「とあるねって、それしきも他所からパクったのか?」 粗筋アレルギーなんだよ。

「じゃあ、映画を語るなっ」 放っとけ、形を成したものを説明して何がおもろいねん? 感じたことを語っておるんだよ。

映画なんてのは観れば解るんだよ。どんな解説より自分の目で観て感じたことが最優先だよ。





此の映画でも、決して諦めるなってのが主題だね。下山の途中で滑落して岩に激突、右脚を折って骨が身の中で交差してしまう。

突き抜ける激痛だろうね。相棒は上から、その様子を見て「もう駄目だ、彼は死ぬな」って思ったと云う。

屹立した岩肌は凍り、其れを覆うように粉雪が厚く貼り付いてアイゼンやピッケルの打ち込みの確かさを迷わすんだね。





庇(かば)えない状況で庇えば自分も死ぬ。「落ちて死んでくれ」とも思ったと云う。人間の本根だろうね。

しかし、相棒は、彼の身体をザイルで縛り不安定な斜面にわが身を支えて彼を滑らせ下山に挑戦する。折しも山は吹雪いて視界を閉ざす。

ザイルに伝わる感触のみが彼の滑り降りるさまを唯一伝えるんだね。怒鳴っても叫んでも双方に声は届かない。無情の吹雪が吠え狂う。












『運命を分けたザイル』







滑る斜面が途絶える、「止めろっ」恐怖の声が喉から突き上げる、身体がずり落ちる、手のひらに重みが乗る。彼は宙に逆さに浮いて絶対絶命。

カラビナを利用しているから直接の重みではないけれど次の動作に移るには合図を待たねばならない。一向に合図は返ってこない。

宙に浮く彼は、手袋を噛んで脱がし凍った素手でザイルに細いロープを縛り付ける、ロッククライミングと同じだね。





引き延ばせばザイルを移動し引けばその位置で締め上がって固定する。当然結び方があるから難しい。手が思うように動かない。

必死で結んで、其れを支点に我が身を引き上げて逆さから頭が上になる態勢の維持はかなった。

もう限界が来てる、なんの反応も返って来ない、重みは変わらず手のひらを圧迫してる。支える足場が崩れだして長くは持たない。





相棒は、彼が斜面の途切れから落ちてぶら下がっていると感じ取っていた。長い時間、身体を動かさないから全身が凍ってきてる。

動かねば熱は発しない。ズルズルと足場の氷が崩れる。支えが利かなくなれば引きずられて二人とも転落する。

相棒は、ナイフを取り出しザイルを切った。そうするしか、もう、手立てがないんだね。切れたザイルが闇の中へ跳ね飛んで消えた。





切り詰めた状態に、一瞬、フワッと緩和を感じた彼は闇に吸い込まれるようにして落ちていく。どんなだろうね?

途中、落下するわが身が氷を粉砕したかと感じたまま巨大なクレバス(岩と岩との割れ目)の中へ落ちていくんだね。

クレバスの開口部に張った氷を突き破ったんだけど、落ちる彼にすれば身が砕け散るまでが命、そんなのは、もう、どうでもいい感触だろうね。













『運命を分けたザイル』







映画は、ザイルを切った相棒サイモン・イェーツ(ニコラス・アーロン)が、放心したような面持ちで、無事、中腹のテントに帰って来る。

転落した彼ジョー・シンプソン(ブレンダン・マッキー)の消息は不明、絶望的だね。相反して山の頂も眺望できるほど空は晴れ渡ってる。

クレバスの中は闇に閉ざされて別世界。クレバスの中間辺りの棚の雪の中に落下、雪がクッションになってジョーは生きていたんだね。





これからが根性の見せ場だね。激痛やまぬ骨折した右脚を引きずり、乾き切った喉を引きつらせて、クレバスからの脱出、

此れもクレバスの大小連なる氷河を這い進んで下山するジョーの孤独で過酷な戦いが続く。

登山映画は、不屈の精神、根性もんだね。実話だから重みがあるよ。













『運命を分けたザイル』 ジョー・シンプソン(ブレンダン・マッキー)







昔、まだ、子供の頃、スペンサー・トレイーシーの 『山』って映画を観た。パッパラ変わる字幕におちょくられて読み切れない頃だね。

物語は忘れてしまったけどクレバスに架かる氷の橋を渡らねば下山できない、雪山で墜落した飛行機から奇跡的に助かった女性を

機体の一部を担架替わりにして寝かせ滑らせて連れ帰るんだね。クライマーのスペンサー・トレイーシーが、選んだ橋を渡る。





女性が乗る後続の担架が渡り切った時、其の氷の橋はクレバスに落ちる。トレイーシーの後を追って、息子だったか弟だったかなあ? 

ロバート・ワグナーがクレバスを前にして 「どの橋が安全だ?」って必死に聞いてる。

墜落機が積んでいた金に目が眩んで、唯一の目撃者の女性を殺そうとした馬鹿な奴なんだね。もう、安全な氷の橋はないらしい。





ロバート・ワグナーは、トレイーシーの制止を聞かず渡り出すんだね。此の映画を観てから冬山のクレバスってのが怖いって印象深いんだね。

登山ってのは性に合わない、興味も無い。でも、椅子に腰掛けラクして観るだけなら面白い。

映画で潜水艦ものと同じく外れがないんじゃないの? 高所恐怖症に閉所恐怖症、オレの苦手な処で平気で頑張る奴等が頼もしい。












『山』 1955年アメリカ映画  スペンサー・トレイーシー  ロバート・ワグナー

































カメレオンの独り言