チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 <大衆人の見本は、専門人>:チャンネル桜・瓦版、朝日糾弾集団訴訟に参加ください

2015-01-21 12:51:32 | 知的エリート

  <大衆人の見本は、専門人>

  「物を知っている者はだれか?」、それを大衆は、スペシャリスト(専門人)のことだと思っております。

  そこで、ふたたび、オルテガの「大衆人の見本は、専門人である。」という見方が大いに参考になります。

  専門人は、実は、特定の物事にかんする特定のワン・アスペクト(一つの側面)のみをスぺク(見る)者のことにすぎません。

  物事の『総体』について理解していない専門人が、いかなる資格で、その特定側面の分析に意味を与えることが出来るのか?

  その特定側面が物事の総体の中で占める位置、そして「全体的。」な意味づけとの関連で与えられるその「部分的。」な意味、それらが分からなければ、専門人は、おのれの分析について解釈を与えることができません。

  いわんや、物事にかかわること、必定の実践への処方箋を欠くことなどできはしないのです。

 それも当然であって、専門人の弄るのは、物事にかかわるヴィッセンシャフト(知識)ではなく、与えられたパラダイム(範型)に「収まる。」ようなインフォメーション(情報)にとどまるのです。

  専門人は、物事の全体にかかわる意味・解釈・判断においては、大衆の『世論』(俗説)と結託します。

  たとえば、世論の人気(民意)が、「政治の規制は嫌いだ。」という方向に傾けば、市場分析のことしかしらなぬエコノミストが罷り出てきて「規制撤廃論。」を開陳するわけです。

  事実マスメディアの場は、大衆の世論にあれこれの専門人の分析が正当性を与え、それに元気づけられて、世論がさらに盛り上がる、という言葉の祭り場なのです。

  だからマスクラシ―は、メディオクラシ―(メディアの支配・プロパガンダ)の別名がある、ということになるのです。

 

 


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