脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

戻らない

2014-01-06 18:46:50 | 私の思い 3
やっと長いお正月休みが終った?
はずなのに、
日常生活に戻れない・・・・・


先月、20日頃から風邪気味だったが
熱が出ないので仕事を休むこともできず、
休みの間には良くなるだろうと思っていたのだが・・・

年末から喉の痛みと咳がひどくなり、
年が明けてからはひどくなるばかり。
それでも、熱が出ないので
ご近所のお付きあいや
親戚へのご挨拶はかろうじてこなした。
娘がいるから
食事の仕度はしなければならず
お風呂にも入れてやらなければいけない。
娘と入浴すると
私は充分暖まれないが仕方ない。
そんなこんなで
すっかりこじらせてしまったようだ。

声が出ないので、
娘の相手もしてやれず
かわいそうだった。
一人でおとなしく
テレビを見ていてくれた。

日曜の夕方、
娘をケアホームに送ったら
急激に疲れがきた。

熱が上がり、
頭痛、悪寒、関節痛。

仕事初めだというのに
年明け初日から休んで病院に。

病院も今日からなので
すごい人。
待ってるだけで
余計に悪くなりそうだった。

とりあえず、
肺炎はおこしていないということで
ほっ。

でも、声はでないまま。

薬を飲んでも
声が良くならなかったら
耳鼻咽喉科にかかるように、と。


声が出なかったら
仕事ができない。


もう、3日間、
まったく声が出ない状態が続いていて
声のだしかたを忘れてしまったのではないかと不安になる。
病院でも
郵便局でも
筆談で用をすませたが・・・


錯語の激しかった頃の
夫の気持ちを思う。
自分が伝えたいことが
伝わらなくて
どんなにつらかっただろうと思う。

最後の日々、
友人や親戚の人たちの来訪に
もう
目を開けることもできなくなっていたのに
涙を流していた。
きっと
伝えたいことがたくさんあったんだよね?

自分は
声が出ないだけでも
こんなに
不安で不自由なのに
夫は
どんなに不安だったことか・・・

昨夜の頭痛の間も
夫が耐えていた痛みのことを思い、
涙が溢れた。

手術後、
頭痛はかなりあったようなのに
看護師さんたちには
「我慢できるよ」と言っていた、と
開示してもらったカルテに書かれていた。

そんな痛みの中でも
娘のことを案じ、
急いで帰って来なくていい、と
言ってくれたのだった。

どんなに苦しくて
不安だったことだろう。

開示してもらったカルテの
看護記録には
ひとりで気丈にふるまっていた
夫の姿がたくさん書かれていた。

こうして
ひとりぼっちで布団にいると
あのころの
夫の気持ちを思い、
涙が止まらない。

夫の願いは
娘が元気になって退院してくることだった。
そのために
ひとりぼっちで
痛みにも
将来への不安にも
耐えていた。
私を心配させないように
私には一度も
痛みのことは言わなかった。

その
夫の優しさに甘えていた私。

悔やんでも
悔やんでも
時間は決して戻らない。