脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

すべてが・・・

2014-01-14 22:01:00 | 私の思い 3
もう
なにも
夫のために
できることはない。

その
冷徹な事実を
私は
認めなくてはならない。

どんなに悔やんでも
どんなに懺悔しても
どんなに切なくても
どんなに恋しくても

それらは
すべて
私の「思い」であって
夫には届かない。

夫の「思い」は
過去形で
私の「思い」は
現在進行形なのだ。

すべては
それを
認めるところからしか
出発できないのだろう。

私は
過去形の夫と共に
現在進行形で生きていくのだ。




夫が
いま
どこで
どうしているのか
知りたいと願った時期があった。

遥かな高みにいるのか

千の風となって
私のまわりにいるのか

はたまた
目にみえぬひかりとなって
私を導いているのか



いずれにしても
あの
闘病の苦しみや
混乱からは
開放されているのだろう


であるならば
私が
あのころの
夫の苦しみや
不安を
いま
わがことのように
苦しんでも
なんの意味もないのかもしれない。


もしも
もういちど
夫に
まみえることができたら
そのとき
夫は
夫の人格をもっているのだろうか?
たぶん
答えは否。

どんなに悔やんでも
どんなに恋しくても


もう二度と
夫には会えない。