脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

闘病

2013-12-21 23:23:27 | 私の思い 3
夫が脳腫瘍と診断された当初、
私は娘の手術の付き添い
遠い東京にいて
外出もままならず、
情報は携帯のネットで得られるだけだった。

毎晩、娘を寝かせつけてから
暗闇の中で
携帯を見つめていた。

当時は
なんでもいいから、情報がほしかった。
けれど、
得られる情報は
夫の腫瘍が悪性であることを示すものばかりだった。

夫が自宅療養するようになってからは
ネットを見る時間もなくなった。
私は
夫が自分でネットで調べるのではないかと
恐れていたが
文字を読むことが難しくなっていた夫は
一度もパソコンに触れようとはしなかった。


私は
もっと
末期の闘病について学んでおくべきだった。

誤臙性肺炎の恐ろしさ、
口腔内清拭の大切さ、等々
知識として知っていたことを
もっとしっかり自覚すべきだったのだ。


いろいろなことを思うと
悔しくて
切なくて
どうしようもなく・・

いろいろなことが
今、
現在進行形で
溢れてくる


わたしが生きる意味

2013-12-15 21:10:26 | 私の思い 3
どんなにがんばっても
私にできることなど
たかがしれている


市井の片隅で
ひっそりと

たいしたことが
できるわけもない

それでも
一生懸命
生きてきた



自分が癌を病んだときから
いのちの終わりは
意識してきた

まさか
夫が先になるなど
想像もできなかった

それでも
障がいをもつ娘が困らないようにと
生活の場を作ることに奔走した

生きにくい障がいをもつ息子に
理解者がひとりでもふえるようにと
必死で動いてきた

自分が生きることなど
望んだことはない

すべては
自分の死後のための活動だった

だから
夫がいなくなって
自分の生き方を考えろと言われても
無理なことだったのだ


私は
自分が死んだあとのためにだけ生きてきたのだから・・・



自分が
「まだ死ねない」と感じているのも
娘のことも
息子たちのことも
まだまだ心配なことがたくさんあるからにすぎない


自分のために
時間を使うとか
自分が何かを楽しいと感じることは
何もない


狭心症の発作をおこして
ふたたびはっきりと
自分の命の終わりを意識して
そのことに気づくことができた


人はみな
いのちの終わりに向かって歩いているのだ


私は
自分が生み出した
子どもたちのいのちに責任を果たさねばならない


彼らが
すこしでも
生きやすいように
なすべきことが
まだ
たくさんあるのだ

わからない

2013-12-13 23:40:24 | 私の思い 3
なにもかも、
わからなくなった

死にたいと望んでいるわけではない。

でも
生きたいと願っているわけでもない。


あんなに生きたいと願った夫の気持ちを思えば
みずからいのちを絶つことはできない。


でも、
では
何を目標に生きることができるのか?


私には信仰がないけれど、
もし
私が死んで
夫にもう一度会えるなら
その
微かな希望を胸に
今すぐにでも
夫のもとに行きたいと
願ったことだろう。

ただ、ただ
こどもたちのことが
心配なだけで、、、、




いのちにかかわる発作をおこし
薬が変更になった。


自分の死に恐怖はないが
遺してゆかねばならないこどもたちのことが
心配だ



夫も
あのころ
こんな気持ちだったのかと思う。