脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

わたしが生きる意味

2013-12-15 21:10:26 | 私の思い 3
どんなにがんばっても
私にできることなど
たかがしれている


市井の片隅で
ひっそりと

たいしたことが
できるわけもない

それでも
一生懸命
生きてきた



自分が癌を病んだときから
いのちの終わりは
意識してきた

まさか
夫が先になるなど
想像もできなかった

それでも
障がいをもつ娘が困らないようにと
生活の場を作ることに奔走した

生きにくい障がいをもつ息子に
理解者がひとりでもふえるようにと
必死で動いてきた

自分が生きることなど
望んだことはない

すべては
自分の死後のための活動だった

だから
夫がいなくなって
自分の生き方を考えろと言われても
無理なことだったのだ


私は
自分が死んだあとのためにだけ生きてきたのだから・・・



自分が
「まだ死ねない」と感じているのも
娘のことも
息子たちのことも
まだまだ心配なことがたくさんあるからにすぎない


自分のために
時間を使うとか
自分が何かを楽しいと感じることは
何もない


狭心症の発作をおこして
ふたたびはっきりと
自分の命の終わりを意識して
そのことに気づくことができた


人はみな
いのちの終わりに向かって歩いているのだ


私は
自分が生み出した
子どもたちのいのちに責任を果たさねばならない


彼らが
すこしでも
生きやすいように
なすべきことが
まだ
たくさんあるのだ

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