テレビで、日野原名誉院長が
取り上げられていた。
思うに、彼は、臨死体験というもの
をしたようだ。
よく臨死体験について、書かれること
がある。私は、うさん臭いものを感じ
ていたが、日野原名誉院長の経験とあ
っては、臨死した時に経験したことは、
どうも本当のことかもしれない。と、
思うことにした。
結局、彼は、臨死体験後、死について
の恐怖は払拭されたようだ。
彼の書斎には、
「ありがとうという言葉で人生をしめ
くくりたいものです。」
と書かれた色紙があったのが印象に残っ
た。
前に、「どういう生き方をしても、悔い
は残る」なんて、ブログで書いて、結
局、悔いの残らない人なんていないの
ではないかと、書き終えたような気が
するが、日野原名誉院長の人生を総括
すると、どうもそうとだけはいえない
ようだ。
ただ、通常の人間と多いに違う考え
方があったような気がする。
死んだあとに残るものは、集めたもの
ではなく、与えたものである。
という諺があって、何度か取り上げた
のだが、まさに、日野原名誉院長の人
生は、そのような人生であったようだ。
このようなことを、あれこれと考える
と、「どのような生き方をしても悔いは
残る」というが、日野原名誉院長の
生き方と対極的な生き方をした人間には
「死は優しく微笑まないかもしれない」
という結論に至った。
下衆な話題になるが、
離婚勝利宣言をした某女性、
「私の目標は100歳まで元気に生きるこ
と。つまり、成人式があと2回もあるん
ですよ。今から“素敵な40年”を切り
開いていきたいと思っています」と、の
たまった。
某女史、現在60歳、まだ、老いを知ら
ない。大丈夫かい、はしゃいでいるけど。
テレビで、日野原名誉院長は、
「家族とは何か」と問われたら、僕は「一
緒に食卓を囲む存在」だと答えます。そこ
に血のつながりは関係ありません。
という言葉が、印象深かったが、きっと
私たちは大事なことを、忘れているの
かもしれない。
ともあれ、かのエキセトリックな某女性
毎日、寝たきり病院に通っている私には、
某女性の100歳の日々が、彼女の幸せ
な日々となるかは、多いに疑問だ。
集めるばかりの人生の果てに、彼女の
思うような老後が待っているだろうか。
寝たきり病院のベッドの上で、自分の
ハンドバック・サイフを握りしめて離さ
ない老女がいるのだが。
日野原名誉院長は、こう言ったようだ。
「最後に誰が迎えに来てくれて一緒に天
国へ行ってくれるのか楽しみでしょうが
ない。」
このような、人生の終末を迎えるに何が
必要なのだろうか。
大きな問いである。