宮崎空港から飛行機が飛び立つと、窓から月が見えた。その日は朝から快晴。夜空も雲がない。
浮かんでいたのは、三日月よりも細い、1~2日目の上弦の月。
利鎌のよう……そんなフレーズが浮かんだ。それで思い出した。
鳩啼時計今啼きぬ
冬の夜更けの11時
木枯らし寒き外面には
利鎌のごとき月冴えて
西条八十である。「鳩啼時計」という詩だ。ある小説に登場して、その語感が気に入って、いつしか暗記していた時期がある。その断片が甦った。
とくに「利鎌のごとき月」という形容が好きだった。ちょっぴり文語調で、鳩時計を鳩啼時計と表現するような時代がかった言葉を使うところも、不思議に心地よかった。
そこで、ちゃんと調べてみると、その後は
過ぎし日君と一つずつ
銀座の街に求めたる
鳩啼時計今啼けば
憂いは深し我が心
と、続く。そうそう、「憂いは深し我が心」というフレーズも脳裏にリフレインしていたな。口ずさみたくなるようなリズムになっている。さすが数々の歌詞を作った八十だ。
ようするに恋人同士が同じ鳩時計を二つ購入して、離れて住んでいても同じ時刻に鳩が啼き、お互いを思い合う……といった情景か。なかなか甘ったるい詩である。
ところが、その後は
運命は恋を裂きたれど
心は常に君と棲む
鳩啼時計かうかうと
冬の夜空を啼き渡る
う~ん、ようするに遠距離恋愛?に破れた歌であった。
私はかつて遠距離恋愛ばかりしていて、ことごとく破れた経験があるのだが(;_;)、この詩のようにきれいに思い出せないなあ。すっかり臆病になっちまったよ。
運命(さだめ)と言うより、ふがいなさか。今頃になって置き去りにしていた思い出が、チクチクとささる。
とはいえ、まだ枯れていません(笑)。ボルネオのジャングルだ、未知の洞窟に巨大生物だ、と追いかけていた頃も一緒に思い出して、また無鉄砲な夢を見たいと思うのであります。