10月も残すところわずかとなった。まさに光陰矢のごとし。月日の過ぎ去るのは早い。さて、満を持して11月9日(日)に
「こじまマルシェ」が児島市民交流センターで開催される。
児島市民交流センター、元は瀬戸大橋架橋記念館だったドーム型の大きな建物。この建物の天井には巨大な天井画が描かれている。
描いた人の名は不明だが、描かれた時代は中世だろうか。鎌倉時代か室町時代か。時代はともかく解説によると橋の下に集う人たちの
姿だとのことである。このドーム型の建物は古の太鼓橋を模している。
そのむかし、橋は交通上の重要な施設であった。橋がなければ川を泳いで渡らなければならなかった。ここ地元にも橋を寄付した
人のエピソードが残っているが、それほど橋を架けることは技術を要することであり、お金のかかることであった。
京都には鴨川に架かる有名な橋が幾つかある。こうした橋の下には大勢の人が集まった。どの道をたどってきたとしても、その橋の
たもとまで行かなければ川を越すことは出来なかったからである。こうして人が集まる場所には自然に市が出来、ますます人は
たくさん集まってきた。多くの人の中には物乞いをするものも集まってくる。大道芸人もやって来る。僧侶も大工も石工もと様々な
職人も集まってくる。こうした人達の姿が天井一面に生き生きと描かれている。
この絵を見ていると人々が発する熱いエネルギーのようなものを感じる。市井に住まうごく普通の人々の営みの原点がここにある。
ここにはグローバル化した経済もインフレもデフレも何もない。物は元々交換するものであり、お金は必要なかった。銀行もなく
貯蓄と言う思想もなかった。日々の生活に追われていた民衆は宵越しの金を持つほどの余裕もなかった。
こうした人々の営みが、ごく普通に終戦直後まであった。お金は地域で循環するものであった。それだけで日々生きていくには
何の不自由もなかった。盗まれるようなものもなかったから家の戸に鍵なども必要なかった。夏の事なら窓を開け放ち蚊帳をつって
寝れば涼しく快適に寝ることが出来た。蛍の季節には捕まえてきた蛍などを蚊帳の中に放って風流を楽しんだ。
さて、マルシェ(市場)は人々の生活の原点である。私は旅先で朝市などを散策するのを最高の楽しみとしている。そこでは
巨大なショッピングセンターでは感じられない人々の温かさと息吹が感じられるからである。私たちにショッピングセンターは
必要ない。酒は酒屋で醤油は醤油屋で油は油屋で野菜は八百屋で魚は魚屋で肉は肉屋で買えばいい。
こうしてお金は人と人の間を巡ることになる。お金のことを昔の人は「お足」と言ったつまりお金は足が付いているように
人と人の間、店と店の間を駆け巡る、そのようなことから「お足」とあだ名されるようになった。
今回、私が勤務した三年間の集大成として児島市民交流センターでは「こじまマルシェ」と称して様々な人々の集まりを開催する。
稼ぎを目的とするのではなく、人と人の交流を目的としたものである。誰でもがチャンスがあれば、こんな企画もこんなイベントも
立ち上げることが出来るのだと言うきっかけ作りにしたいと思っている。そんな目的や希望を持っている人を応援したいと言うのが
勤務当初からの私の考えであった。そして過去二年間の試行錯誤、紆余曲折の中から今回の「こじまマルシェ」にたどり着いた。
これもある若い主婦の取り組みにヒントを得たものであった。人の繋がりは不思議なものである。そして際限がない。人は人を呼び
更に人は人を呼ぶ。そして人は更なる繋がりを求めている。殺伐とした世の中なればこそ人は人の温もりを求めている。そうした
人の集まりが「こじまマルシェ」だと思っている。
どうか11月9日(日)には児島市民交流センターに来てみて欲しい。この日が晴天であることを望んでいます。しかし雨天決行です。
ホットな人の温もりを感じに来てください。そしてその温もりを感じたら次はあなた自身で人の集まりを企画してみてください。
児島市民交流センターは、あなたの夢を応援します。そしてお手伝いをします。
「こじまマルシェ」が児島市民交流センターで開催される。
児島市民交流センター、元は瀬戸大橋架橋記念館だったドーム型の大きな建物。この建物の天井には巨大な天井画が描かれている。
描いた人の名は不明だが、描かれた時代は中世だろうか。鎌倉時代か室町時代か。時代はともかく解説によると橋の下に集う人たちの
姿だとのことである。このドーム型の建物は古の太鼓橋を模している。
そのむかし、橋は交通上の重要な施設であった。橋がなければ川を泳いで渡らなければならなかった。ここ地元にも橋を寄付した
人のエピソードが残っているが、それほど橋を架けることは技術を要することであり、お金のかかることであった。
京都には鴨川に架かる有名な橋が幾つかある。こうした橋の下には大勢の人が集まった。どの道をたどってきたとしても、その橋の
たもとまで行かなければ川を越すことは出来なかったからである。こうして人が集まる場所には自然に市が出来、ますます人は
たくさん集まってきた。多くの人の中には物乞いをするものも集まってくる。大道芸人もやって来る。僧侶も大工も石工もと様々な
職人も集まってくる。こうした人達の姿が天井一面に生き生きと描かれている。
この絵を見ていると人々が発する熱いエネルギーのようなものを感じる。市井に住まうごく普通の人々の営みの原点がここにある。
ここにはグローバル化した経済もインフレもデフレも何もない。物は元々交換するものであり、お金は必要なかった。銀行もなく
貯蓄と言う思想もなかった。日々の生活に追われていた民衆は宵越しの金を持つほどの余裕もなかった。
こうした人々の営みが、ごく普通に終戦直後まであった。お金は地域で循環するものであった。それだけで日々生きていくには
何の不自由もなかった。盗まれるようなものもなかったから家の戸に鍵なども必要なかった。夏の事なら窓を開け放ち蚊帳をつって
寝れば涼しく快適に寝ることが出来た。蛍の季節には捕まえてきた蛍などを蚊帳の中に放って風流を楽しんだ。
さて、マルシェ(市場)は人々の生活の原点である。私は旅先で朝市などを散策するのを最高の楽しみとしている。そこでは
巨大なショッピングセンターでは感じられない人々の温かさと息吹が感じられるからである。私たちにショッピングセンターは
必要ない。酒は酒屋で醤油は醤油屋で油は油屋で野菜は八百屋で魚は魚屋で肉は肉屋で買えばいい。
こうしてお金は人と人の間を巡ることになる。お金のことを昔の人は「お足」と言ったつまりお金は足が付いているように
人と人の間、店と店の間を駆け巡る、そのようなことから「お足」とあだ名されるようになった。
今回、私が勤務した三年間の集大成として児島市民交流センターでは「こじまマルシェ」と称して様々な人々の集まりを開催する。
稼ぎを目的とするのではなく、人と人の交流を目的としたものである。誰でもがチャンスがあれば、こんな企画もこんなイベントも
立ち上げることが出来るのだと言うきっかけ作りにしたいと思っている。そんな目的や希望を持っている人を応援したいと言うのが
勤務当初からの私の考えであった。そして過去二年間の試行錯誤、紆余曲折の中から今回の「こじまマルシェ」にたどり着いた。
これもある若い主婦の取り組みにヒントを得たものであった。人の繋がりは不思議なものである。そして際限がない。人は人を呼び
更に人は人を呼ぶ。そして人は更なる繋がりを求めている。殺伐とした世の中なればこそ人は人の温もりを求めている。そうした
人の集まりが「こじまマルシェ」だと思っている。
どうか11月9日(日)には児島市民交流センターに来てみて欲しい。この日が晴天であることを望んでいます。しかし雨天決行です。
ホットな人の温もりを感じに来てください。そしてその温もりを感じたら次はあなた自身で人の集まりを企画してみてください。
児島市民交流センターは、あなたの夢を応援します。そしてお手伝いをします。
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