人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

郵政民営化

2010-04-04 05:59:33 | Weblog
 いったい郵政民営化とは何だったのだろう。国民こぞって踊らされてきた
感のある民営化問題ではあるが、その後に見えてきたものを考えてみれば
決して手放しでは喜べない。

 事実、民営化後の国内の様相はどのように変わってきたであろうか。
決して以前の郵便局のあり方が良かったとは言わないが、金融機関らしい
ものが皆無となった地方は困っているのではないだろうか。

 自家用車やバイクと言った自前の交通手段を持たない人にとって、町の
郵便局や金融機関まで出向くには大変な不便さを感じている。また、今後
の高齢化を考えれば、地方に於けるサービスは欠かせない。

 金融機関だけでなく、個人商店が姿を消し、買い物さえ遠くまで足を
運ばなければならなくなった。グローバル化等という一種のまやかしにも
似た経済政策の中で私達は多くのものを失ってきた。その一つが郵政の
民営化だったかも知れない。

 しかし、皮肉にもこの莫大な郵便貯金が財政赤字に苦しむ国家予算を
支えている。このお金が民営化の中で株式会社にでもなれば、他国の
金融機関になりかねない危険性を孕んでいる。

 いわば際どいところで民主党に政権交代し踏みとどまったものだと安堵
の胸をなで下ろしているのは私だけであろうか。民業を圧迫すると言われて
いるが具体的にどのような弊害が出ているのであろうか。

 採算や効率を重んじる民間の金融機関が地域に支店など置くはずがない
のである。地域に住むものは預金はしていても、その預金さえ引き出せない
のが実状ではなかろうか。

 また、地方の活性化に重点を置く政策を実現しようと思えば金融機関は
欠かせない存在である。今後の日本は都会と田舎がバランス良く協調を
取っていけるような社会でなければならない。

 その時に様々なことで不便さを感じるようでは良くない。預金限度額を
上げてでも地方に郵便局を置けるようなシステムが必要なのではなかろうか。

 かつて私達は自分たちの便宜を図るため各種の組織を作ってきた。信用
組合であり、農協であり、労働金庫などであった。一般の市中銀行が手を
付けない分野を狙ってのことであった。

 いわば昔の講のような互助会組織であった。この組織に助けられた人も
少なくないはずである。今でも市中銀行から一般人がお金を借りるのは
難しい。それを助けたのが先のような組織であった。

 郵便局には単なる金融業務だけでなく、町の中にあるべきものとしての
日本らしい精神的な支えでもあった。効率的な運用は必要であろうが、もう
一度、何らかの再建策が必要なのではないだろうか。

 私達はとかくマスコミの宣伝には踊らされやすい。しかし、私達にとって
必要なものは何か、今、私達は何を選択すべきなのか、冷静に考えて行動
する時代である。

 必ずしもマスコミの報道が全てではない。そのことを後になって自覚
させられたのが小泉劇場と揶揄された小泉内閣誕生後の一連の動きで
あった。反省すべきことは多い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ゴミ問題を考える | トップ | 公共の宿 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事