人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

風の島、霧の島

2009-07-02 04:50:00 | Weblog
 先日の朝日新聞によると読者が決める日本一の夏山に何と礼文島の
礼文岳が選ばれていた。ちなみに第二位は立山・雄山、第三位は乗鞍岳
だ。こうした超有名な山をもしのぐほどの山が北海道の最果てにある。

 私達夫婦は五年越しの夢を実現するために北海道旅行へ旅立った。
そして、6月24日の午後に利尻島へ着いた。岡山空港から羽田へ
羽田から千歳へ、千歳から利尻島へと航空機三機を乗り継いでの旅で
あった。

 この日は非常に風が強く利尻空港へは着陸が出来ないかも知れない
との機内放送があった。吹き飛ばされそうなくらいの強風下、何とか
着陸出来て胸をなで下ろした。

 この島の人に言わせれば、この日くらいの風だったら稚内空港へ
着陸できなくても利尻には着陸出来るとのこと。島の人が言うくらい
だから間違いはないのであろう。台風でもないのに風が強い島である。

 空港へ降り立つと島の中央に聳え立つ利尻富士には不思議な形をした
雲が懸かっていた。そして風下に当たる空にもまるでUFOのような
形の雲が浮かんでいた。この雲は、この日の夕方まで様々に姿を変え
ながらも消えることはなかった。高い山と強風とが作り出す天然の妙だ。
実に珍しいものを見た。

 この島へは花の季節を選んでやって来た。翌日は前もって頼んで
おいた島のガイドが迎えに来てくれた。若い男性だ。聞けば島の出身者
で札幌からのUターン組だとの事。ガイド歴二年目だと言っていたが
島の若者らしい素朴で親切な若者であった。

 午前中、私達は彼のガイドでポン山と言う小高い山に登った。この日
も前の日に負けないくらいの強風だった。数多くの山野草や高山植物
を見ながらの登山であった。さして標高は高くない山だが、北の島なので
高山植物が多い。

 ポン山の山頂は非常に見晴らしが良く、利尻富士が目の前に聳えて
いた。利尻富士は火山であり急峻な山である。そして形の整った山で
ある。ちなみにあの有名な「白い恋人」というお菓子の包装に使われ
ている図柄は利尻富士なのだそうである。

 さすがにポン山の山頂は風が強く長くはとどまれなかった。じっと
立っておくことさえ難しかった。この山を下りた頃、昼近くになって
いた。

 ガイドのYさんが早朝より探してくれたという風のない場所に案内
してくれた。折り畳み式のテーブルと椅子を出し、ビールやお湯を
沸かして昼食の準備をしてくれた。思いがけないサービスであった。
私達はウッシュアイアのトレッキングでの昼食を思い出していた。

 彼の勤め先がトレッキングガイドなどの他に食堂や民宿を経営して
いるとのことで、今売り出し中だというウニの炊き込み弁当を準備
してくれた。けっこう人気があるとのことで本当に美味しかった。
シーズンオフには全国に出向きデパートなどでキャンペーンを行って
いると話していた。

 昼食を済ませ次に案内をしてくれたのは急峻な谷であった。ここ
には砂防ダムが作られているため工事用の砂利道が山中深くまで
あった。かなりな急坂であった。

 この谷を登り切ったところに根雪があった。強風下にも関わらず
盛んに濃い霧が沸き立っていた。湿気を含んだ空気が根雪に冷やされ
霧になったものであった。もう少し登れば見晴らしが良いところへ
行けるようであったが、何しろ数日前まで豪雨だったというこの谷は
増水をしていて川を渡ることが出来なかった。

 それでもここからは十分すぎるほど間近に利尻富士の山頂を見る
ことが出来た。始終、雲に包まれた山頂ではあったが、ほんのわずかな
瞬間だけ切り立った山頂を見せてくれた。 

 次に、この谷を下り車で少し走って湿原に案内してくれた。南浜湿原
である。この頃になると利尻富士山頂の雲は切れ、湿原の入り口にある
大きな池の彼方に形の良い姿を見せていた。

 この池の周辺にはアヤメが群咲き池にその美しい姿を映していた。
この湿原にも数多くの山野草が花開いていた。私は鑑賞もそこそこに
旅の目的の一つであった写真を写すのに忙しかった。

 こうして半日と少し、利尻の短い夏を咲き競う山野草を十分すぎる
ほど楽しんで午後三時半頃に島を後にした。

 その日の夕方早く礼文島に着いた。礼文島は海の彼方に島影が見える
くらい近かった。遠ざかる利尻島には象徴的な利尻富士という高い山が
あるが、礼文島にはさして高い山はない。島の成り立ちが異なるとの
事であった。

 また、この島には利尻島のように島全体を覆うほどの森林がない。
連なるなだらかのな丘(山)は、大半をチシマザサが覆っている。
かつてこの島も北の島特有の針葉樹に覆われていたとの事であるが、
大規模な山林火災で皆無に近い状態となったらしい。

 今は土砂崩れを防ぐためと、昆布などの海洋資源保護のため植林が
進んでいる。やはり森林は海にとっても欠かせないものらしい。

 利尻もそうであったが礼文も花の季節である。特に港から宿泊地の
船泊に行くまでの間、山の斜面はエゾカンゾウという黄色の花が咲き
乱れていた。昨年より花数が圧倒的に多いとの事であった。

 船泊というところに「プチホテル・コリンシア」はあった。コリント
様式の建築を模したという本館の白い柱が特徴あるホテルである。別館
に通されて驚いた。その部屋の豪華さである。まるで王侯か貴族が寝起き
するような装飾のばかでかいベッドが広い部屋にドンと二つ据えられて
いた。

 家具調度品も同じように豪華な作りであった。その上、部屋に備え
付けられた風呂も豪華でテレビまで設置されていた。何となく趣味の
悪さを一瞬感じたのではあるが、その誤解は追々解けていくことに
なった。

 最近、掘り当てたという島で唯一の温泉を利用しての浴場が設置
されていた。わざわざ泉源から運んできた湯であった。摂氏52度と
言うから立派な天然温泉である。

 この島は大陸から切り離された陸地の一部だとの事であるが、島の
地質から推測すると元は火山帯のようであった。この島の彼方には
ロシアに占領されたままの北方領土がある。

 そして本土では時々話題になっている「ゴマフアザラシ」が島の
周辺にたくさん生息している。まさしく日本列島最北端の島であった。

 話をホテルに戻そう。私達はこのホテルに二泊した。その二泊ともに
夕食、朝食が超豪華であった。数多くの旅行をしてきたが後にも先にも、
これほど新鮮な海の幸を口にしたことがない。

 そして何よりもホテルの女将さんの持てなし方が良い。押しつけ
がましくもなく、さりげない心配りと、お客さん一人一人に話しかけて
くれる優しい心遣いが旅の疲れを癒してくれる。

 連泊をする人も多いらしいし、何度も訪れるカップルも多いと聞けば、
それもそうだろうと頷けるのである。一泊目の夕方、夕日の鑑賞タイム
があった。食事中のお客さんに夕日が綺麗だとの誘いがあったのである。

 みんな取るものもとりあえずホテルの裏の丘に登ってみた。今まさに
西の海の彼方に沈もうとしている夕日であった。澄んだ空気の中で見る
夕日はただただ美しい。その夕空をウミネコたちが悠然と舞っていた。
最果ての地の夕焼けであった。女将さんがみんなのカメラで、それぞれ
の写真を写してくれた。これも小さな心配りであった。

 再びテーブルに戻ると次に現れたのは若い女性であった。何となく
隣の部屋から歌声が聞こえてきたのは、彼女が歌っていたようだ。
その彼女が明日の花ガイドをしてくれるとの事であった。天候と言い
ガイドと言い、私達は非常に恵まれていた。

 数日違いの事で私達は大雨に遭っていたかも知れないし、むろん
彼女との巡り会いもなかったかも知れない。彼女は札幌育ちだとの
事であったが、ツアーの添乗員としてこの島に来ていて、バス会社
からバスガイドとして引き抜かれた。そして今はシーズン中のホテル
でコンシェルジュとして働きつつ、頼まれれば花ガイドもしている
との事であった。

 ゆくゆくは島の男性と結婚するのだと話していた。このホテルには
シーズン中のアルバイトだという若い女性達が何名か働いていた。
京都から来たという女性は10月頃まで働いて、その後は北海道の
観光をして帰るのだとの事であった。そんな人を受け入れてくれるのも
この島の魅力ではないだろうか。

 レブンアツモリソウの開花時期は終わっていた。レブンアツモリソウ
の多くは白い花である。この花の開花時期は五月下旬から六月中旬で
ある。

 そして多くは心ない人々によって持ち去られ壊滅的な被害を受けて
いた。今は絶滅危惧種として厳重な管理下に置かれている。わずかに
一カ所だけだという紫色の花株が咲き残っていた。

 私達の花巡りは小高い丘の麓から始まった。チシマザサが生い茂る
坂道を歩いていくと道の辺には山野草が咲き乱れていた。礼文島では
実に地味な花が多かったが、ここの花は色とりどりで華やかである。
多くは礼文島の固有種である。

 私は何度も家内に先を急を急ぐように促されつつ写真を撮り続けて
いた。いくら良い写真を写そうと思っても目に入ってくる花の美しさ
にはかなわない。この美しさは自然のみが作り出すことの出来る美しさ
であり、目に焼き付けておく以外に方法はない。そんな美しさである。

 このコースを帰る途中にとんでもないアクシデントに出くわして
しまった。一人の男性が血を流しながらふらふらになって山を下って
いたのである。こちらへ向かってくる人は気になりつつも先を急ぐ
人ばかりであった。下山者と言えば私達三人だけであり知らぬ振りを
するわけにもいかなかった。限られた日程の中での貴重な時間では
あったが、彼の後を追うことにした。

 こうして何度も転びつつ下山しようとする男性に麓まで付き添い
救急車に引き渡した。ホテルの女将さんも消防隊の人達と一緒に
駆けつけてくれた。島の人はみんな親切だ。聞けばシーズン中に
一、二件はこのような事があるのだという。私達旅行者は親切に
甘えることなく注意しなくてはいけない。

 私達は彼女の知り合いだという売店で昼食にした。花ガイドの
彼女は何年もこの島でバスガイドをしていたと言うだけあって、
顔なじみの人も多く、こんな緊急時にも頼もしい限りであった。
彼女が居なかったらどうしようもなかったろう。

 花巡りは午後の部となった。このコースは連絡船の港に近く、
最も観光客の多いコースであった。桃岩展望台コースである。
ここへ着いた頃から急に霧が濃くなってきた。すごい霧で、ほんの
十数メートル先も見えないくらいだった。その霧の中に色鮮やかな
花が咲いていた。

 晴天の元での花も良いが、負け惜しみではなくこうした霧の中の
花も幻想的でよい。霧が切れるとコースの脇は切り立った崖であった。
その遙か下には海が見えた。きっと素晴らしい展望なのだろうが
遠景は想像するしかない。

 私達は尾根筋を歩き続けた。そして、ガイドのHさんと途中で別れ、
このコースの終点である知床まで歩いた。彼女は桃岩展望台の駐車場
まで引き返し自動車をここまで回送してくれたのだ。

 こうして一日の花巡りは終了した。心地よい疲労であった。ホテル
に帰り早速、温泉で疲れをほぐした。この日の夕焼けも素晴らしかった。
せっかくこの島へ来ても雨に降られ花を見ることが出来なかったという
人も少なくないらしい。それくらい天候には左右されやすい。

 その点、半日は霧の中であったとは言え、雨に遭うこともなく十分
すぎるほどの花の美しさを味わうことが出来た。私達は幸せであった。
地球一周の旅の幸運は5年を経た今も続いているらしい。

 女将さんの心温まる計らいで、翌朝は少し早めにホテルを出て
最北端の岬であるスコトン岬へ案内して貰った。案内してくれたのは
土木関係の公共事業に携わっていたという男性であった。私と同年輩
の人であった。

 岬に向かう途中、ゴマフアザラシを見るために海岸へ立ち寄った。
昨日よりは頭数が増えていた。年々増えているとの事であった。
すごい頭数であった。島の周辺は豊かな海なのである。

 昆布漁はこれから始まる。今は養殖昆布だというものが干されていた。
利尻、礼文と言えば高級な昆布で知られている。そして利尻や礼文の
ホテルでたくさん食べさせて貰ったウニもこの地の特産品である。

 これでも昔の何分の一かになってしまったというウニが作業小屋の
中に山ほど積まれていた。食べてみろと言う漁師さんの勧めで二個
ほど食べさせて貰った。ウニは殻を割られてもまだ生きていた。少し
塩味が効いた新鮮な味であった。

 スコトン岬には早朝だと言うのに多くの観光客が来ていた。この地
の果てに北方領土があり、ロシアとの国境線が引かれている。

 今も利尻、礼文ともに人口は減少し続けている。島の産業は昆布や
ウニ、ニシンやホッケ、ボタンエビと言った漁業である。農業と言える
ほどのものはない。多くのものは北海道本島からの移入品である。

 観光には良いが住むには向かない土地となりつつある。それもこれも
時代というものであろうか。

 この日の午前、私達は連絡船に乗って稚内に向かった。途中、再び
利尻島に立ち寄った。沖からの利尻富士は雲一つなく、海面近くには
靄が立ちこめ、おとぎの島のようであった。

 一転して雄大な美瑛と富良野の旅は次回のブログへ続く。
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