今年の冬は大荒れの冬になりそうだ。その予感は夏ごろからあった。夏も相対的には冷夏に近かった。つまり気候変動、単純に言えば
寒暖の差が大きくなっている。さして水温が下がっていない日本海に寒波が大きく張り出し、そのために風呂から蒸気が立ち上るような
状態が、今回の日本各地の大雪報道となっているのではないだろうか。今回の特徴は、思いがけないところが大雪に見舞われている。
これは太陽活動の低下と何か関係があるのではないかとか、地球温暖化の影響が様々な形で表れているのではないか等と言われているが
定かではない。しかし、いずれもの影響が複雑に表れているような気がしてならない。この影響は日本だけのものではない。世界各地に
於いて形こそ異なるものの様々な形で表れている。しかし、特集などで単発的に報道されるだけでほとんど報道されることはない。
あたら騒ぎ立てる必要はないが、せめて今、地球規模でどのような気候変動が生じているかリアルタイムに報道すべきではないだろうか。
私達視聴者もくだらない番組に気を取られることなく、真剣にこの地球上に発生していることを直視すべきだと思うのだが。
さて本論に入ろう。地図を開いてみて欲しい。南米のパタゴニア地方の地図である。特に太平洋側を見て貰うと大小様々な島が数多く
点在している。そして大陸側も実に複雑な形をしている。これがパタゴニア・フィヨルドだ。この大小様々な島や複雑な入り江は、かつて
この地方を大きく覆っていた氷河によって削り取られたものだ。
実に巨大な氷河であったことが窺える。今もこの海域を航海すると、この当時の名残を見ることが出来る。私達はウシュアイアを出港し
この海域に差し掛かっていた。今回の航海の大きな見所が、このパタゴニア・フィヨルドの航海と氷河の見学であった。
大きな客船が狭い海域を進む。操船にはとても気を遣う海域だ。間近に岩だけの小さな島が見える。時には座礁した船が赤さびた船体を
横たえている。この海域は名だたる船の難所だと言えよう。むろんこうした海域を避け航海する手段はある。しかし、今回は氷河を見る
ことが目的だったので、わざとこの狭い危険な航路に入っていた。
船の右舷からは、遠くに白く万年雪を抱いた尖った山々が見え遠ざかっていく。そうした峰々に降り積もった雪はやがて根雪となり、更には
氷河になっていく。間近に見れば白く見える部分はほとんどが氷河ではなかろうか。しかし、これらの氷河は、ほとんどが山と山に遮られ
見ることが出来ない。しかし、その氷河の先端は必ず一番近い海にまで達している。
そうした氷河に名前が付けられている。今回も有名な氷河を幾つも見た。残念ながら船に危険が及ぶことを考えて間近で見ることは
出来なかったが、双眼鏡で見るとその迫力が伝わってくる。また双眼鏡でなくとも黒く筋を引いた氷河や氷河の先端が海に落ち込んで
いる姿を見ることが出来た。
私にとっては初めて見る生の氷河の姿であった。近年、こうした氷河が小さくなっていると言う噂を聞いている。しかしパタゴニアで
見る限り、小さくなっているのかどうかを判断するのは難しかった。ただ船の進行方向が氷河の先端に近づけば近づくほど海面には大小の
氷のかけらが増えてきた。全ては氷河の先端が崩れ落ち流れてきたものであった。
海水は心なしか白く濁っていた。これら氷河から崩れ落ちた氷から解けだした鉱物が濁りの原因だった。実にミネラル分が豊かな海水だ。
恐らくこの海域には豊かな海洋資源が息づいているに違いなかった。
かつて氷河に削られたと言う痕跡は周辺の崖や小さな島々に歴然として残っていた。岩の塊のように見えるもの全ての表面が磨かれた
ようになっていた。つまり氷河が長い時間をかけて柔らかい部分を削り取っていき、残ったのがこうした岩山や島々であった。
しかし、長い時の流れの中で山裾にはへばりつくように木々が生い茂り緑濃い森を作っていた。
とにかくデッキの上は寒い。そして天気がめまぐるしく変化する。今まで日差しが見えていたかと思うと間もなく雲に覆われ時雨だす。
その繰り返しであった。私達は持ってきた衣類全てを羽織り、デッキで変わりゆく自然の姿を飽きもせずに眺めていた。特に私は氷河を
写したかったので、みんなが去った後も長時間デッキにいた。それが良くなかったのかチリに着いた頃には風邪気味で体調がすぐれなかった。
パタゴニアフィヨルド通過時には船内でも様々なイベントが行われていた。そしてカレンダーは12月16日、既に旅立って一か月以上が
過ぎていた。この頃になって船内には多くの友人や知己が出来ていた。船内生活にも慣れ生活のリズムが出来ていた。家内は家内の活動を
通じて多くの友人が出来ていた。
いつかしら私たち夫婦は船上のお父さんお母さんと慕われるようになり、若い子たちから何かと相談を受けるようになっていた。船には
心に傷を持った子や自分自身に自信が持てなくて旅に出た子も少なくなかったのである。私達は心の支えとまではいかなくとも、悩みの
一部くらいは共用できた。
約三日間をかけてこの海域を通過した。そして太平洋へ出た。どんよりとした天気から一気に解放された。実に明るく開放的な気分に
なった。やがて数日後にはチリのバルパライソと言うところまで来ていた。バルパライソは世界遺産になっている港町であった。
なおこの船旅の詳細は旅の途中で記録した「地球一周旅日記」として私のホームページへ掲載しています。URLを下に張り付けておきます。
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/yabuki2/pi-subo-to/e1tikyuuissyuufunenotabi.html
寒暖の差が大きくなっている。さして水温が下がっていない日本海に寒波が大きく張り出し、そのために風呂から蒸気が立ち上るような
状態が、今回の日本各地の大雪報道となっているのではないだろうか。今回の特徴は、思いがけないところが大雪に見舞われている。
これは太陽活動の低下と何か関係があるのではないかとか、地球温暖化の影響が様々な形で表れているのではないか等と言われているが
定かではない。しかし、いずれもの影響が複雑に表れているような気がしてならない。この影響は日本だけのものではない。世界各地に
於いて形こそ異なるものの様々な形で表れている。しかし、特集などで単発的に報道されるだけでほとんど報道されることはない。
あたら騒ぎ立てる必要はないが、せめて今、地球規模でどのような気候変動が生じているかリアルタイムに報道すべきではないだろうか。
私達視聴者もくだらない番組に気を取られることなく、真剣にこの地球上に発生していることを直視すべきだと思うのだが。
さて本論に入ろう。地図を開いてみて欲しい。南米のパタゴニア地方の地図である。特に太平洋側を見て貰うと大小様々な島が数多く
点在している。そして大陸側も実に複雑な形をしている。これがパタゴニア・フィヨルドだ。この大小様々な島や複雑な入り江は、かつて
この地方を大きく覆っていた氷河によって削り取られたものだ。
実に巨大な氷河であったことが窺える。今もこの海域を航海すると、この当時の名残を見ることが出来る。私達はウシュアイアを出港し
この海域に差し掛かっていた。今回の航海の大きな見所が、このパタゴニア・フィヨルドの航海と氷河の見学であった。
大きな客船が狭い海域を進む。操船にはとても気を遣う海域だ。間近に岩だけの小さな島が見える。時には座礁した船が赤さびた船体を
横たえている。この海域は名だたる船の難所だと言えよう。むろんこうした海域を避け航海する手段はある。しかし、今回は氷河を見る
ことが目的だったので、わざとこの狭い危険な航路に入っていた。
船の右舷からは、遠くに白く万年雪を抱いた尖った山々が見え遠ざかっていく。そうした峰々に降り積もった雪はやがて根雪となり、更には
氷河になっていく。間近に見れば白く見える部分はほとんどが氷河ではなかろうか。しかし、これらの氷河は、ほとんどが山と山に遮られ
見ることが出来ない。しかし、その氷河の先端は必ず一番近い海にまで達している。
そうした氷河に名前が付けられている。今回も有名な氷河を幾つも見た。残念ながら船に危険が及ぶことを考えて間近で見ることは
出来なかったが、双眼鏡で見るとその迫力が伝わってくる。また双眼鏡でなくとも黒く筋を引いた氷河や氷河の先端が海に落ち込んで
いる姿を見ることが出来た。
私にとっては初めて見る生の氷河の姿であった。近年、こうした氷河が小さくなっていると言う噂を聞いている。しかしパタゴニアで
見る限り、小さくなっているのかどうかを判断するのは難しかった。ただ船の進行方向が氷河の先端に近づけば近づくほど海面には大小の
氷のかけらが増えてきた。全ては氷河の先端が崩れ落ち流れてきたものであった。
海水は心なしか白く濁っていた。これら氷河から崩れ落ちた氷から解けだした鉱物が濁りの原因だった。実にミネラル分が豊かな海水だ。
恐らくこの海域には豊かな海洋資源が息づいているに違いなかった。
かつて氷河に削られたと言う痕跡は周辺の崖や小さな島々に歴然として残っていた。岩の塊のように見えるもの全ての表面が磨かれた
ようになっていた。つまり氷河が長い時間をかけて柔らかい部分を削り取っていき、残ったのがこうした岩山や島々であった。
しかし、長い時の流れの中で山裾にはへばりつくように木々が生い茂り緑濃い森を作っていた。
とにかくデッキの上は寒い。そして天気がめまぐるしく変化する。今まで日差しが見えていたかと思うと間もなく雲に覆われ時雨だす。
その繰り返しであった。私達は持ってきた衣類全てを羽織り、デッキで変わりゆく自然の姿を飽きもせずに眺めていた。特に私は氷河を
写したかったので、みんなが去った後も長時間デッキにいた。それが良くなかったのかチリに着いた頃には風邪気味で体調がすぐれなかった。
パタゴニアフィヨルド通過時には船内でも様々なイベントが行われていた。そしてカレンダーは12月16日、既に旅立って一か月以上が
過ぎていた。この頃になって船内には多くの友人や知己が出来ていた。船内生活にも慣れ生活のリズムが出来ていた。家内は家内の活動を
通じて多くの友人が出来ていた。
いつかしら私たち夫婦は船上のお父さんお母さんと慕われるようになり、若い子たちから何かと相談を受けるようになっていた。船には
心に傷を持った子や自分自身に自信が持てなくて旅に出た子も少なくなかったのである。私達は心の支えとまではいかなくとも、悩みの
一部くらいは共用できた。
約三日間をかけてこの海域を通過した。そして太平洋へ出た。どんよりとした天気から一気に解放された。実に明るく開放的な気分に
なった。やがて数日後にはチリのバルパライソと言うところまで来ていた。バルパライソは世界遺産になっている港町であった。
なおこの船旅の詳細は旅の途中で記録した「地球一周旅日記」として私のホームページへ掲載しています。URLを下に張り付けておきます。
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/yabuki2/pi-subo-to/e1tikyuuissyuufunenotabi.html
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