まるで宝石のルビーを思わせるような輝きを見せているのが我が家のサクランボ。このサクランボは暖地サクランボで
山形県などで栽培されている品種とは異なりさほど大きな実ではない。我が家では一本目が枯れてしまい二本目である。
実の大きさはユスラウメを一回り大きくしたくらい。しかし、とても甘い。本格的なサクランボを岡山県の南部地方で
作るのは難しい。まずは害虫(カメムシ)の被害に遭いやすいこと、そして、実が熟すころになると梅雨時期になり
実が割れて腐りやすいことだ。従って、熟期の早い暖地サクランボの方は栽培しやすい。
味はとても上品で山形地方のものに勝るとも劣らない。このサクランボは熟期に入ると一気に一回りほど大きくなり
赤く色付き、まるで少女から大人の女性に変身するようである。生物界では人間だけでなく、このサクランボのように
ある日突然のように大きく姿かたちを変えるものが少なくない。
一番劇的に変身するのは昆虫たちであろう。芋虫から蛹へ、そして蛹から蝶へと変身する様は自然の驚異さえ感じる
瞬間である。サクランボも良く似ている。昨日の姿と今日の姿は劇的に変化するのである。自然の持つ不思議な力と
言う他はない。この変化や美しさは人工のものも遠く及ばない。
さて、我が家の山の畑も様相が変化しつつある。花の季節は柑橘類に移り、一足早く花を咲かせた梅などは日々実が
大きくなっている。この調子でいけば昨年の不作分を埋めて余りあるくらいの収穫量になりそうだ。このままいけばと
書いたのにはわけがある。実は作物の収穫量だけは収穫するまで分からない。空梅雨に近い時にはスモモは腐ることなく
収穫できるが、しとしとと雨が降り続く続く季節には実が割れてしまいことごとく腐ってしまうことも少なくないからだ。
薬は使わないと決めて以来、全ては成すがままである。今も使い続けているのはEMだけである。このEMもいつまで
続けるべきか迷っている。既に自然栽培に近い状態まで地力が回復しているようなのでいつ止めても良い。
今春の雑草と言う名の植物たちの茂り様は尋常ではなかった。まるでジャングルであった。今はやっと大半を抜き
終わった。これからは笹が茂り始める。こうして下草類との追っかけっこが冬まで続くことになる。
アフリカの草原は広い。限りなく広い。そして動物たちの数も多い。草食動物はこうした草が餌である。その餌が
なければ、このような数にはならない。大地が全てを支えているのである。大地が大量の動物たちを支え得るだけの
地力を有している。
つまり自然は自然のままであれば何をしなくても大量の恵みを与えてくれるもののようだ。その地力を奪い大量の
化学肥料と大量の農薬と、更には大量の除草剤を使って、大地の力を奪ってしまったのは他ならぬ欲深い人間どもで
あった。農作物が出来ないようにしておいて更に化学肥料と大量の農薬を使う。除草剤を使う。出来なくなるのは
当たり前である。
この図式は昨今の医療のあり様にも通じるものがあるのではないだろうか。人間が持つ免疫力を度外視するように
大量の抗生物質を使い、抗生物質はすぐに効力を失ってしまう。更に新しい抗生物質を開発せざるを得なくなる。
イタチごっこなのだ。その背景には現代医療と製薬業界の在り様が暗い影を落としている。 儲けるためには手段を
選ばないと言う現代の病的な医療構造がある。私たちの側も気付いていながらどうしようもない現実がある。
自然、農業、畜産、医療、これだけではない。全てが共通に病んでいると言わざるを得ない。現代人は便利で一見豊
かに見える生活を手に入れたように見えるが、これが本当の豊かさと言えるのであろうか。
さて、これからはEMを作るには最適の季節だ。発酵に必要な環境が整ってきたからだ。EMを作るのはとても簡単。
使用する材料の分量は参考にするものに書いてある分量近くで良い。それを混ぜ合わせて日中太陽の当たるところに
置いておく。それだけで良い。
守らなければならないのはペットボトルのような密閉できる容器を使うこと。発酵が始まると猛烈に炭酸ガスが出て
くるので一日に一回は栓をそっと緩めてガス抜きをする。栓を一気に開けると中の液体がガスと一緒に噴き出すから
要注意だ。夏場なら五日間から一週間くらいしてガスの出てくる量が少なくなったら完成である。発酵後の甘酸っぱい
匂いがしていたら成功だ。
感だけでは頼りない人はPH試験紙で3.5位だったら完成である。これを何倍でもいいから薄めて畑や植え付け前の
プランターなどに撒いておくと良い。何倍でもと言ったのは撒き過ぎが心配な人のために言ったのであって濃くても
まず障害になることはない。薄ければ何度にも分けて撒けばいい。私は植えた状態のままの植木鉢にも撒いている。