人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

皆さんのメッセージにお礼

2014-05-04 09:52:10 | Weblog
 昨日の5月4日は私の誕生日でした。多くの方々からお祝いのメッセージを頂きました。
心から御礼申し上げます。何歳になったかって聞かないでください。生まれは1944年、
昭和19年です。こう書けば何歳かはばれてしまいますね。若作りにしていますが、そう私は
戦中派なのです。昭和20年の8月が終戦。従って、昭和19年頃は太平洋戦争も一段と
激しさを増し、国内への空襲も日ごとに激しさを増していた頃なのです。

 生まれは京都、四条河原町、八坂神社のすぐ下の町でした。日ごと激しさを増す空襲に
疎開先のある者には疎開勧告が出されていた時期でした。生まれたばかりの私は父の故郷
である広島県神辺町に疎開してきました。この疎開は父や母ばかりでなく私自身の運命を
大きく変える出来事でした。私たちは父の実家でしばらくすごしたのち、神辺町の七日市に
あった五軒長屋に引っ越しました。

 戦時中で仕事のない父は山越えをしなければ行けないようなところまで出向き農作業の
手伝いをして、わずかばかりのサツマイモなど農産物を得ていました。私が満一歳を迎えた
頃の事でした。

 以来、私は高校を卒業するまで神辺で過ごしました。私の一家もそして周辺も貧しさの
どん底にありました。小学校へ入学しても貧しさは変わりませんでした。お弁当を持って
こられない子供もいました。私のお弁当もおかずは卵焼き一個と梅干一個でした。とは
言ってもお弁当を持って来られる子は幸せな方でした。お昼休みになると、そっと教室を
抜け出していく子供もいたのです。

 そんな厳しい生活でしたが、私にとって貧しくはあっても自然豊かな環境にあってとても
幸せでした。幸いにも私には両親がいました。この時代、父親のいない家庭がとても多かった
のです。今、憲法改正を視野に入れた集団的自衛権なるものが様々に取りざたされています。
多くの人は侵略されたらどうするのだという事から憲法九条の改正に傾いていますが、九条の
改正の後には徴兵が制度化されるかも知れません。少子化の中で自分の子供たちを戦地に
行かせるのでしょうか。誰が率先して行くと言うのでしょうか。

 また集団的自衛権の背景にはベトナム戦争時に韓国から軍隊が派遣されたようにアメリカ軍
と行動を共にするようになることなのです。あのベトナム戦争当時、アメリカ軍や韓国軍が
ベトナム人にしてきた非人道的なことを考えると我が同胞にそのようなことをさせるわけには
行きません。

 厳しくとも潔く憲法九条を掲げ世界に冠たる平和主義国家を貫き通すことこそ困難な時代を
生き抜いて来た先輩たちの遺志に沿うことになるのではないでしょうか。

 目先の些細な事ばかりに目を奪われるのではなく身近に迫った様々な問題を如何に解決して
いくかを考えるべきではないでしょうか。厳しい少年時代を生きてきた私だから言えることなの
です。知らない人には理解できないことでしょう。しかし戦争と言うものは、そのような現実を
伴っているのです。

 人口の著しい減少、急速に進む高齢化、エネルギー問題、環境対策、食の問題、地球温暖化
相次ぐ天災、教育現場の現実など数え上げれば切がありません。こうした諸問題を置き去りに
して有事有事と騒ぐ背景に何があるのでしょうか。これが戦中に生まれ戦後の復興期から
高度経済成長期、そしてバブルが崩壊してどん底の経済を体験し、更にはかつて経験したことの
ないような長いデフレ期、山も谷も谷底も全て経験し目の当たりにしてきた私だからこそ言える
ことなのです。
コメント
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