湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

作詩にあたっての十個条第十条

2016-03-13 17:38:13 | 
昨日のフェスティバルパークキャンドルナイトで。キャンドルで描いた3.11ずしの「.(点)」の部分です。

では、金子光晴「作詞にあたっての十個条」からの引用最終回。第十条です。
スランプのとき、自棄的になることなく、じょうずにそれを手なずけて、つぎのジャンプに備えて、足場とすること。
 筆がとまって、まるで書けない時期というものがあります。それは、だれでも経験することですが、それといっしょに、気もめいり、救いようのない虚無感におそわれ、なにをするのもいやになり、酒をのむ人なら、暴飲でじぶんを忘れていたい気持ちになります。それをスランプといいます。詩人の友人のそういう姿は、私も、なれっこになっていますから、そんなにおどろきはしませんが、いったん、スランプにおちいると、虚無的になり、立ちなおるには、よほどの時間のかかるものです。半年、一年、ときには、二年、三年、さあ、そんなにスランプがつづくと、性格までへんなふうにひずみ、詩の書けないくらいはまだしものことで、生涯を棒にふるようなこともないことではないのです。
 書くことのスランプにもいろいろありますが、じぶんの心境なり、作品の傾向なりがゆきづまって、そのまま書きつづけてもなんとなく無意味におぼえ、変化しようにも、手がつけられないで、まえへも、うしろへも動けなくなるといった状態が、まずふつうです。明らかにそれは、ひとつの転期にさしかかったもので、それを突きぬければ新しい境地がひらけるのですから、進歩の一段階とみることが妥当です。悲観する理由は、元来ひとつもないはずですが、実際には、つぎの段階のめどがつかないで、ゆきづまりになっている状態は、本人にとっては、なによりもつらいものです。
 こういうときは、心の余裕をもつようにこころがけて、むりなあがきをひかえ、しずかに対策を考えるべきです。ゆったりとした気持ちで見まもっていれば、かならず、緒(いとぐち)がみつかるものです。熱くなっては、それが、目にはいらなくなります。スランプをじょうずにやりすごせば、そこを足場にして、つぎの大飛躍が可能となります。

一旦しゃがみこむのは、大きく跳躍するためなのさ

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