湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

動くの詩パート7

2017-01-31 00:00:16 | オリジナル
共通テーマ「動く」でSが書いた詩を投稿します。



さびしく動く
自由になるために動く
小さく動く
ふびんがられる
暖めると冷える手のように
なにかを落っことす 割れる
血しぶきをあびたシャツも洗ってしまう
ノックの音
またほんとうのことをいってしまう
ウソがつけない
堂々としているつもり
いつものようにできるはずだった
死んだ兎を生き返らすなんて
できる かんたんなことと考えていた
たまに詩人であるなんて あれなんて
貧しき町の上だけ通れるなんて
コソコソしたくない
なにかが こわれる
また ノックの音


「動く」「新」の詩の提出締切は2月3日です。未提出のメンバーさんはこの日までに1編以上をよろしくお願いします。
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新の詩パート4

2017-01-30 00:00:03 | オリジナル
共通テーマ「新」でSが書いた詩を投稿します。

空き箱が

言い出しかねて
その気になれない
すみれ一本花屋で買えない

言い出しかねて
犬一匹撫でていない

空き箱が
ともだちが
てがみが
つみかさねられたまま あるのに
「だって」も「だから」も 言えないおまえ

今日会った
あたらしい青い眼にも
別れをつげている

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動くの詩パート6

2017-01-29 00:00:01 | オリジナル
共通テーマ「動く」でSが書いた詩を投稿します。

水の中の魚

水の中の カーテンを閉じよ
動くな
いつまでも 雑魚にくわしくなれない
未亡人たちよ
笑うな ただ
ほほえめ

そこは 神が 家主の部屋だ
おまえたちは 魚だ
ザーメンみたいなものも
落下してくるかもしれない

何が落ちてきても
魚に
おだやかに 化けていろ 動くな
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長詩が生まれた明治時代

2017-01-28 17:48:16 | 
今日の逗子湾上空は飛行機雲ラッシュで前衛的でした。

さて、明治時代に詩歌から詩が発生した件を日本文学史などの文献で調べてみました。

想念も詠うようになり自由な長さになり連ができた

日本の詩歌は長い間七五調の文語調でした。つまりそれは漢詩・和歌・俳句といった五音七音のリズムからなる一定の調子で花鳥風月や叙情を詠う定型詩です。
明治2年の開国以降、日本が積極的に取り入れた外国文化の中に西洋詩がありました。それらを外山正一らが訳した翻訳詩集「新体詩抄」が明治15年に、次いで森鴎外らの訳による「於母影」が明治22年に発行されました。
翻訳では西洋詩にある韻律つまりリズムを日本古来の七五調の形で踏襲しました。
内容的には従来の日本の詩歌の花鳥風月や叙情の枠を離れ、思想的・抽象的なことも表現されていました。内容的・精神的にこの影響を受けた詩作が国内でも行われるようになります。
北村透谷は自由律の長詩を書きました。彼の「楚囚之詩」は初めて近代の思想や感情を盛り込んだ創作詩といわれています。
こうした新体詩は「短歌」に対して「長詩」といわれるようになり、その後ただ単に「詩」と呼ばれることになります。
ほとんどが文語定型詩ではありましたが、こうして明治時代に連(スタンザ)のある自由な長さ・自由な内容の詩の形ができあがりました。
次に浪漫派が誕生します。
青春と自我の目覚めを詠って近代叙情詩を完成させたのが、明治30年の島崎藤村「若菜集」です。土井晩翠は「天地有情」で藤村と並び称されました。河井酔茗は文庫派と呼ばれる一派を形成しました。素直で清純な浪漫主義がこの派の特色で、代表詩人には伊良子清白・横瀬夜雨がいます。
言文一致運動の流れの中で、明治32年に与謝野鉄幹が新詩社を興します。翌年「明星」を発刊し、日本浪漫主義運動の中心となりつつ象徴詩運動も推進しました。蒲原有明が象徴詩の創始者といわれています。


こうして誕生した日本の詩がどうなっていくか、続きもまた投稿します。
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プレバト&NHK俳句

2017-01-27 16:30:37 | 文学
昨夜もテレビにかじりついてプレバト俳句の才能査定ランキングを視聴。お題はスケートリンクだったのですが、氷上を詠むと凡人はすぐ「映る」としたがるという夏井先生の言葉通りに、顔が映ってる句を詠んだ人が2人も。
しかし本来氷に映らないものを映ると表現すれば詩にできるのだというアドバイスには深く納得しました。で、添削句はこちら。
初めてのリンク氷に映る恋  氷面鏡(ひもかがみ)に映る真顔の孤独かな
夏井先生、他の番組ではどんな指導をしているのかな?と気になり、日曜日に録画しておいたNHK俳句をチェック。

お~、やはり愛の赤ペンを振るってらっしゃる。

でも上の写真の後ろに映っている夢枕獏さんの俳句には赤入れしませんでした。ゲスト作品添削なしは番組初だそうです。
ちなみに兼題「節分」で詠んだ夢枕作品は次の通り。
節分の朝ほどのよき空の青
節分は時候の季語、今回のもうひとつの兼題「追儺(ついな)」は行事を意味する人事の季語だそうです。

季語の知識+感性がないと、いい俳句は作れないね
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ゼームス坂レモン哀歌碑

2017-01-26 12:08:25 | 旅行
品川に用事があって、昔住んでいたゼームス坂へ。

ゼームス坂は、大正末期に建てられた銅板葺きのファサードをもつ、いわゆる看板建築が空襲の被害をまぬがれ残っているエリアです。緑青の色がいい感じ~。
この坂道をちょっと入った所にレモンの木が植えられた高村智恵子終焉の地ゼームス坂病院跡があったはずだと思い行ってみました。するとレモンの木はなくて、モノリスみたいな石碑の前にレモンのお供えがしてありました。
 高村智恵子記念詩碑
下に埋め込まれた銘板によると、智恵子の身長と同じ高さの石碑を平成7年に建てたってことなのね。

昭和七年以来の彼女の経過追憶を細かに書くことはまだ私には痛々しすぎる。ただ此の病院生活の後半期は病状が割に平静を保持し、精神は分裂しながらも手は曾かつて油絵具で成し遂げ得なかったものを切紙によって楽しく成就したかの観がある。百を以て数える枚数の彼女の作った切紙絵は、まったく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐の情の訴でもある。彼女は此所に実に健康に生きている。彼女はそれを訪問した私に見せるのが何よりもうれしそうであった。私がそれを見ている間、彼女は如何にも幸福そうに微笑したり、お辞儀したりしていた。最後の日其を一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、荒い呼吸の中でかすかに笑う表情をした。すっかり安心した顔であった。私の持参したレモンの香りで洗われた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去った。昭和十三年十月五日の夜であった。 (高村光太郎「智恵子の半生」より)
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メニューの表紙が!

2017-01-25 20:06:36 | グルメ
この間逗子銀座通りの居酒屋風ら坊に行ったら、メニューの表紙が「ちいさいおうち」でした。絵本リサイクル?

〆の土鍋炊き込みご飯おいしかった~。
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中也の詩論

2017-01-24 19:05:51 | 
昨日放送された100分de名著「中原中也詩集」第3回「悲しみ」と「さみしさ」をつむぐでは、中也の詩論が紹介されました。

「芸術論覚え書」は生前未発表です。

ゲストコメンテーターは穂村弘さん。さすがネオ短歌の名手「ツール」などといった今の言葉で解説してました。
第3回の再放送はEテレで1月25日5:30~・12:00~です。
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新と動の詩

2017-01-23 11:42:07 | オリジナル
たまった絵葉書の整理をしていたら、昨日アップしたドームの他にもアールヌーヴォーガラスのものがたくさん出てきました。
これはガレの蜉蝣に蝉文花瓶です。

では、共通テーマ「新」「動く」でTが書いた詩を投稿します。

羽化

朝陽が
やわらかい若葉を通り抜けて
白樺の林をうす緑に染めていた

背中がむずむずし始め
その時が近づいていることを自覚した
さらに奥へ進むと
急に痛みがきて
幹にしがみついた
じっと耐えていると
背中がじょじょに割れて
私の羽化が始まった
頭が出て 目も脱皮した
手が出 背中も出て
動きが止まった
はじめて大きく息を吸ってみた
木々の香りがすみずみまでいきわたると
いっきに腰から下も抜けた
私の背中に折りたためられていた小さな羽が
ぐんぐんと伸びていった
下に 閉じ込められていた殻が転がっていた

軽く自由になった私はひと飛びすると
林の上に出た
新しい私は
世界を見渡すことができた
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動くの詩パート5

2017-01-22 00:17:10 | オリジナル
ドーム蜘蛛に刺草文花瓶(1910年作)。ヴィクトル・ユゴーの詩が刻まれています。

では、共通テーマ「動く」でSが書いた詩を投稿します。

跳び蜘蛛

鯉みたいに跳ねるのではなく
とびクモが一匹
私のそばに寄ってきた
小さい部屋の小さい虫を食べてくれる
私はその姿を見られないが
小さくない虫もきっと食べてくれている
指を出すと
かわいらしく跳んでみせる
クモは独り居を楽しんでいるのか
ともだちなどいるのかいないのか
くだらないテレビを消せだと?
同感 同感消しましょう
生のままおまえがむさぼり食った
ムカデの赤児の話はききたくないが
私だっておまえのように動きまわれば
とびクモになれるかもしれない
いや このとびクモは私かもしれない
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