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湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

トンボロ

2025-06-27 23:55:32 | 湘南

江の島のトンボロを歩きました。

吾妻鏡にも書かれているんですね。

昔の江の島トンボロは、今架かっている弁天橋の東側ではなく西側に現れたようです。

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逗子かるた発売!

2025-02-10 16:05:26 | 湘南

作成委員会が1年以上かけて作ってきた逗子かるた(¥1,800)が、逗子市内で買えるようになりました。

逗子市観光協会、小笠原学園などに置いてもらってます。

↑逗子ゆかりの文学者の絵札。

 海に立つ不如帰の碑(徳冨蘆花)

 海岸の焚火の情景文章に(国木田独歩)

 鏡花の向かい干支ウサギの碑(泉鏡花)

 女性初の芥川賞中里恒子

 太陽の季節書いた兄演じた弟(石原慎太郎)

 蘆花散歩自然と人生読みながら

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藤村終焉の地

2024-05-08 17:04:32 | 湘南

5月5日の国府祭(こうのまち)に誘われ大磯へ。

祭見物の後、旧島崎藤村邸に案内してもらいました。

ここから歩いて行ける距離の地福寺に、藤村の墓もあります。

梅の枯木に守られるようにスッと建っているのが印象的。墓碑は建築家谷口吉郎によるもので、神道の思想に基づいた設計だそうです。

大磯での質素で静かな生活を思わせる家と墓でした。

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浄見寺の句碑と歌碑

2024-03-10 17:37:51 | 湘南

6日に訪れた茅ヶ崎の浄見寺には、実が珍しいなり方をするお葉付イチョウの木があります。その横にずらりと4基の碑が。

向かって左から

 越前守大岡公乃紋ところ銀杏の実こそ踏むに惜しけり 川田順

 花守とならばや月も夜頃とて 鈴木芳如

 物がたりかくて幾世の公孫樹の芽 飯田九一

 浄見寺春めぐり来て蘇へる史跡の墓に大き公孫樹に あしかび

ここを出たあとPlenty’s Milk&Cheese Factoryでアイス休憩してから下寺尾遺跡群を見学しました。

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田村隆一と萬屋酒店

2023-01-25 12:10:08 | 湘南
社名を北村太郎の詩集からとった出版社が鎌倉にあります。
その港の人が発行した、田村隆一「ぼくの鎌倉散歩」を読んでいたら、材木座についてのこんな記述が。
材木座は古い町で、まだ町内が生きている。灯ともしごろになると、「ヨロズ屋」という酒屋さんに、仕事をおえた植木屋さん、大工さん、鳶職、漁師といった人たちが集まって、一杯やる。ヨロズ屋の大奥さんも、若夫婦も、そして店の常連もみんな鎌倉第一小学校の出身で、なんのことはない、毎晩同窓会をやっているようなものだ。(「わが町」日旅1982年10月号より)
若夫婦が受け継ぎ今も続く角打酒屋、萬屋酒店。

田村隆一は稲村ヶ崎に転居する前、昭和45~46年材木座に暮らしました。その頃のことを「ぼくの草競馬」にも書いています。
明治中期創業の酒屋さんも、朝七時から店をあける。おかげでぼくは、酒屋さんの朝の常連となった。
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平塚らいてうin茅ヶ崎

2022-11-30 23:19:45 | 湘南
13日に開高健記念館に行った際、隣の茅ヶ崎ゆかりの人物館にも行きました。

企画展は、東洋一と謳われた茅ヶ崎のサナトリウム南湖院(1899~1945年)での、主に青鞜の関係者と国木田独歩を扱ったもの。
来年3月26日までの金・土・日・祝にやっています。

平塚らいてうの碑は本人の希望で茅ヶ崎に建立されたこと、それが全国で唯一のらいてうの碑であることを、学芸員さんから伺いました。
その石碑を高砂緑地に見に行きました。

「青鞜」創刊号の巻頭言冒頭の、らいてうの最も有名なフレーズですね。
フェミすぎる感があるけど、少女時代に初めて読んだ時は「おお~!」と思いました。
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姥島探検記

2021-11-20 19:33:58 | 湘南
今日のブログのタイトルは、烏帽子岩を舞台にした江見水蔭(1869~1934年)の少年小説のタイトルでもあります。
茅ケ崎独歩会に同行して茅ヶ崎漁港から船に乗り、その烏帽子岩(正式名称:姥島)に、上陸しちゃいました。

江見水蔭作「姥島探検記」第1回には、こう書かれています。
相模灘の海上、馬入川の沖合、其処に数個の岩礁から成り立つて居る一小島がある。姥島とも謂ひ、尉ケ島とも謂ひ、それから『鬼』とも呼ぶ。
在日米軍の射撃演習で1952年に頂上が崩れる前は、もっと尖って鬼の角を思わせる形だったので、鬼ヶ島的なイメージで見られていたのかもね。
間近に見ると、地質や生物の面でもいろいろ興味深いものがありました。
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逗子で海ぶどう!

2021-10-26 23:33:00 | 湘南
昨日テレビ東京で放送された「昼めし旅」に、逗子のトラットリア ラ ヴェルデのオーナーシェフ座間さんが出てました。
漁師でもある彼は、小坪で海ぶどうの養殖を始めたんだとか。小坪産海ぶどう、食べてみたい

↓海ぶどうサラダ、アカモク入りタコ飯、伊勢海老の味噌汁と、逗子の海の恵みたっぷりのまかない飯。

秋だからよけいに食欲が刺激されちゃいました。
先日のカナブン入選句から一句。
十月の厨に握り飯の山
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小津の常宿@茅ヶ崎

2021-07-01 23:00:40 | 湘南
6月19日独歩献花式の後に寄らせてもらった茅ヶ崎館の、現在カフェになっているスペースにはこんなパネルが。

小津安二郎が滞在していた二番の部屋は、高床式の中二階棟にある8畳間です。

その奥の三番の部屋は10畳と6畳の二間続きで、助監督だった新藤兼人らが複数で使っていました。
そうか~、撮影所があった大船から東海道線に乗れば茅ヶ崎まで一本、横須賀線に乗れば逗子まで一本。
新藤兼人が後に逗子に居を構えたのは、そういう地理的条件があったのね。
茅ヶ崎館は、明治20年から営業していた海水浴旅館を初代が居抜きで購入して明治32年から経営。
小津安二郎は昭和12~30年に、何度も滞在していたそうです。
気の合う脚本家と長い時には半年も寝起きを共にされていました。秋から春にかけて、茅ヶ崎館の庭に金雀枝が咲き、やがて種の出来る頃まで。(茅ヶ崎館パンフレットより)

二番の窓から見える金雀枝には、実がなっていました。
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南湖院第三病舎

2021-06-22 18:26:15 | 湘南
独歩が永眠した南湖院第三病舎が建っていた場所は現在、茅ヶ崎西浜高校になっています。
南湖院を訪れた翌日、タイミングよくBS朝日で放送された「百年名家」に在りし日の姿が。

現存する第一病舎と同じく、白く塗られた下見板張ですね。
番組によると、最盛期の昭和10年頃には5万坪の敷地に60棟の建物があったそうです。さすが、東洋一のサナトリウム。
サナトリウムだった時の門柱と石垣、藤棚と丸池などを「南湖院記念 太陽の郷庭園」で、今も見ることができます。


南湖院には独歩を見舞って田山花袋など多くの作家が訪れ、近くの茅ヶ崎館に滞在。
独歩が亡くなった時は、酔った作家たちの喧嘩沙汰が茅ヶ崎館で繰り広げられたとか、られなかったとか。

茅ヶ崎館についてはまた後日。
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