湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

来月の湘南句会

2023-07-31 18:46:19 | 文学

今日の例会で、来月の湘南句会は次のように決まりました。

日時場所 8月25日(金)15:00~@逗子市民交流センター1階

兼題   平(春夏秋冬どの季節の季語でもOK)

     踊(盆踊りだけでなく何のダンスでもOK)

5~10句ほど投句してください。飛び入り・見学歓迎します。

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2軒の逗子永井家別荘

2023-07-30 17:58:30 | 文学

荷風全集第2巻(岩波書店)に、逗子で書かれた文章が何編か載っています。はっきり「逗子」と書いてあるのは次の2編。

逗子は御存知の如く気候暖く候故、屋後の梅花已に綻び、門前の柳枝も青き眉を作らんと致し居り候、小生は相変らず超世間的の無意義なる生涯を此の静けき田圃の中に送り居り候、どんぐりの背丈くらべする様な文壇に乗出して名を買はうと云ふ野心も今は全くなくなり、心静に読書致す事を得候ふは何よりも嬉しき事と存じ候。(明治35年2月5日「饒舌」第1号「逗子より」より)

三十五年六月 逗子海辺豆園にて(初版「地獄の花」跋)

荷風は十代の頃から避暑や病気静養のため、逗子海岸に近い父の別荘で過ごすことがありました。明治35年は荷風が22歳の年にあたります。

豆園とは永井荷風の父久一郎が逗子に構えた別荘「十七松荘」のこと。17本の老松があったのが名前の由来。今の住所でいうと新宿1丁目です。

久一郎は明治35年「対君山楼」を新築。徳富蘇峰が明治29年に建てた「老龍庵」の後ろ隣で、現在の住所では桜山8丁目です。登録有形文化財・旧脇村家住宅のすぐ前くらいの位置ですね。

2017年6月15日の当ブログに、逗子駅から対君山楼への道順を「冷笑」より引用してあります。

写真の富士見橋に向かって左側が十七松荘、右側が対君山楼のあった場所です。

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西脇順三郎文学碑

2023-07-29 09:14:47 | 文学

Zが観音崎公園で見つけた西脇順三郎文学碑。

まだ夏が終らない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのって
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいったことを
考えながら歩いた

西脇順三郎は、昭和24(1949)年に息子の遠足に同行して以来何度も観音崎を訪ね、観音崎をモチーフにしたこの詩を書きました。

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来月の湘南文芸

2023-07-28 18:56:33 | 文学

今日の例会で、8月は次のように決まりました。

日時場所 8月31日(木)15:00~@逗子市民交流センター1階

テーマ  氷 澄 ガラス

締切   8月28日(月)

あまりに暑いので、涼し気なテーマを設定してみました。

 T所蔵の植物ランプ(金井一郎作)

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玉の詩パート4

2023-07-28 06:53:42 | オリジナル

共通テーマ「玉」でMが書いた詩を投稿します。

お手玉

 
なぜだろうか
20年は同居していたはずの
おばあちゃんとの記憶が薄い
 
同じ部屋に一緒に居るのは 
夕食の1時間くらいだけで
おばあちゃんはすぐに自室に戻っていく
この1時間に 会話も笑顔もない
 
おばあちゃんには私を含め
孫が9人いる
 
年に何回かは 孫達が親に連れられやってくる
 
そんな時のおばあちゃんは
楽しそうに世話を焼く
 
お手玉を3個、4個上手に操って見せてくれた
こともあった
 
今ではその思い出だけが
おばあちゃんと私を繋ぎ止めている
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玉の詩パート3

2023-07-27 06:33:50 | オリジナル
共通テーマ「玉」でZが書いた詩を投稿します。
玉や
 
肌寒い風が吹いている 高台で
折りたたみ椅子を 持ち出して 
子連れも 年寄りも 湧いてきて世間話を始める
「まだ 始まらないの」
暫くぶりの花火大会
みんな 黄昏すぎの薄暗い彼方を見つめる
 
「まだ」「まだ」にせかされて 
「ドン」「ドン」とスマイルやハートマークの打ち上げ花火
「見て見て スマイルやハートマークだよ」
暫くすると大人たちは 他の花火大会と比べ始める
子供等は 「みんな同じでつまらないな」とぐずる
ついには 「もういいよ 帰りたい」で終わる。
 
寂しさで包まれた帰り道で 僕は思った
花火大会は 僕の人生に似ていると
「まだ」で始まり「もういいよ」で終わる。
どっこい僕は 「もういいよ」と言われても
必死で このくだらない世の中にしがみついている。
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坂の詩パート4

2023-07-26 06:39:52 | オリジナル

共通テーマ「坂」でMが書いた詩を投稿します。

振りほどいた先

 
2歳の息子が ゆるい下り坂を急に走り出す
どんどん加速していく息子を
必死に追いかけようにも 自分が転んでしまいそうで追いつけない
 
「危ないから止まりなさい」と 大声を出すのが
精一杯
息子は満足気に 坂の下で私を待つ
 
ギュッと握っていたこの手を振りほどけば
自由になれると知ってしまったようだ
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坂の詩パート3

2023-07-25 07:14:29 | オリジナル

共通テーマ「坂」でTが書いた詩を投稿します。

晩夏


片方だけのゴムぞうりが川を流れていく
昼下がりの坂は静止画のようだ
その中を私だけが歩いている
うしろをふり返ると
はにわがポコポコとついてくる
がらんどうな目の中で咲き残ったさるすべりの花が揺れている
遅れて出て来たせみが鳴いている

にぎわいがなくなった浜辺に
今年初めて下りていく
私は年をとってしまった

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河童忌俳句

2023-07-24 06:36:21 | 文学

今日は芥川龍之介の忌日。漱石門で俳句もよくし「餓鬼」という俳号を名乗っていました。享年36歳でした。

季語「河童忌」で4句。

河童忌や小口の金のくすみけり

 小口とは本を開いた時外側にくる部分。芥川龍之介全集の外側に施された金の塗料が褪せている様子を詠みました。

河童忌の川に果実の数多浮き

 龍之介が横須賀線で通勤していた時の体験を基に書いた「蜜柑」。その蜜柑が供物のように川に流れています。

河童忌の死体役Quaxと鳴き

 龍之介晩年の代表作「河童」を戯曲にして上演したら、死んだ河童役が小説「河童」に出てくる鳴き声をうっかり発してしまいました。

唯ぼんやりと餓鬼忌の暮れて総毛立つ

 遺書に書かれた「唯ぼんやりした不安」が自死を企たせたのだとしたらと、日暮に戦慄を覚える心持ち。

↑横須賀の吉倉公園に建つ芥川龍之介文学碑

以下、横須賀市ホームページより

『蜜柑(みかん)』は、芥川龍之介が横須賀の海軍機関学校教官時代、鎌倉の下宿への帰路、横須賀線内でたまたま出会った出来事を題材としています。横須賀駅を出た汽車の中で、二・三等車の区別もわからぬ少女が、自分を見送るため待ちかまえていた弟たちに、窓から蜜柑を投げ与えその労に報いた姿を見て、最初にいだいた不快感から一転明るい感動を覚えたことを作品化したものです。彼は一時期、市内汐入580・尾鷲梅吉方(現・汐入町3丁目1番地)に下宿しましたが、塚本文との結婚で再び鎌倉に移りました。

海軍機関学校での生活は、時間的拘束や生徒の気風になじめず、芥川龍之介のいわゆる「不愉快な二重生活」であったようですが、そのためか週末はほとんど田端の自宅で過ごしていた時期もありました。だがそうした感情とは別に、彼は授業に対してはたいへん熱意があり、内容もおもしろく有益なものであったと当時の教え子が述懐しています。また、この学校勤務の期間(大正5年(1916)12月~同8年(1919)3月)にも文筆を続けており、「偸盗(ちゅうとう)」「或日の大石内蔵助」「蜘蛛の糸」「奉教人の死」などの名作が発表されました。

吉倉公園には蜜柑を持つ少女の像もあります。

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坂の詩パート2

2023-07-23 09:28:10 | オリジナル

共通テーマ「坂」でZが書いた詩を投稿します。アサザの写真もZの撮影です。

丹沢バカ尾根(大倉尾根)を登る

8月の炎天下 バカ尾根を登った
陽射しを遮る木蔭もないバカ尾根を
汗だくでボンヤリした頭で 自分に言い聞かせた
この苦しみを通り過ぎなければ あの快楽に行きつけないのだと
 
炎天下のバカ尾根
人を抜こうが 抜かれようが
自分の歩幅で バカ尾根を登った。
 
その内 炎天下バカ尾根を登ることは
自分の生き方そのものなんだと
熱中症の脳髄の中で反芻しながら 
もう一歩 足を進めた
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