湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

波の詩パート6

2018-10-31 00:33:46 | オリジナル
共通テーマ「波」でTが書いた詩を投稿します。

古稀

ひたひたと波立ち
大波が来て砕ける
日ごと夜ごと波間に漂いたい
と欲していた

今 静まりかえって
もう波立つことはない私は
火山活動が終息した山みたいだ
風に木々は揺らぎ
雨が滲み込んで地下水は豊か

体は透明になり
思念波だけが
太陽系の外まで飛んでいく
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熊野神社歌碑&飲の詩パート3

2018-10-30 00:11:29 | オリジナル
昨日はハイキング日和だったので朝夷名(朝比奈)切通に行ってみました。

横浜側の案内板に説明のある熊野神社にも、寄り道ハイキング。山の中なのに石段の上に新しくて立派な拝殿が。

その横には拝殿新築を記念して平成3年に建てられた歌碑がありました。格調高い神社ですね。

朝日さす熊野の杜のみやばしらうじこまもりて鎮座まします
では、共通テーマ「飲む」でIが書いた詩を投稿します。

飲まない

酒は飲まない
飲みたくない
酒はまずいし
酔いたくもない

ビールは飲まない
飲みたくない
ビールはまずいし
酔いたくない

ウィスキーは飲まない
飲みたくない
ウィスキーはまずいし
酔いたくない

飲むのは、水、コーヒー、牛乳、ジュース
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波の詩パート5

2018-10-29 00:04:42 | オリジナル
共通テーマ「波」でCが書いた詩を投稿します。

波+女

身長が縮んだらしい
お米を買おうにも運べない
ビンのふたが開けられない
新聞を読むにも目がダメだ

なんだかいろいろ
面倒になってきた
頃から
潮騒が聞こえる

もう一切合切
波に
投げ出してしまおう

大きな食器棚は解体して
一枚も写真を貼っていない 
アルバムは切り刻んだ
・・・・・
そうやって少しずつ
波に引き取ってもらった

どうやらもうすぐ
大波が来るらしい
走らずにはいられない

潮風に紛れて
誰かの声がする

でも振り向かない
大波に間に合いたいから

少しずつなんて
まどろっこしいことも
面倒になってきたのよ
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直木三十五を慕う墓

2018-10-28 21:54:57 | 文学
今日も文学者掃苔ネタ。横浜市金沢区編。
富岡吟行に行った時、直木三十五宅跡(10月11日の投稿参照)近くの慶珊寺墓地に、逗子ゆかりの直木賞作家佐藤得二の墓を見つけました。

この墓の横の道を上った右側が直木三十五邸のあった場所です。
↓略歴を刻んだ墓誌。

昭和38年「女のいくさ」で直木賞を受けた当時、最高齢受賞者として話題になりました。
直木三十五は最初慶珊寺に葬られました。後に彼の墓は近くの長昌寺に移されました。更に長昌寺の芋観音堂横に改葬されました。
その際、尊敬する直木三十五の横に墓地を確保したのが胡桃沢耕史。その翌年の昭和58年に「黒パン俘虜記」で念願の直木賞を受賞したとは、ドラマチックな展開です。

人気シリーズ「翔んでる警視」から取った翔の字が墓石の斜めにカットした部分にくっきりと彫ってあります。胡桃沢耕史は昭和22年から没年まで鎌倉に住んでいました。
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幸田父子のこと

2018-10-27 16:05:23 | 文学
幸田露伴(1867~1947年)の次女幸田文(1904~1990年)も優れた文章家。
ですが失礼なことに私は長いこと下の名前の読み方が曖昧なまま過ごしてました。
彼女の随筆「みそっかす」に自分の名前のことが書かれています。
父が最も気をつかってくれたのは、離婚して帰って来たその日からの呼びかたであった。もう誰の妻でもなし、またもとの私の娘に還ったのだからと云い、お嬢様と呼ぶように命じたが、長くいついて強気になっていた召使達はあけすけに、「そんなことおかあしくって」と云い放って従わなかった。命令は絶対に遂行させて来た父が、こういう嘲笑にあって黙々としている心中は、私に対するあふれる情が流れていて、親心のもったいなさにしぼむような気がした。斎藤茂吉先生は何事もなげにごく自然に、「大きいお嬢さん」と私を指し、私の連れた小さい娘を「ちいさいお嬢さん」と云われた。父はこれを聞いて、うむと弱く微笑したのを私は忘れられない。晩年臥ついてしまってからは余計耳も悪くなったので、来客との話のとりつぎに私が介在するようになって、皆は文子さんと呼んだので父もまねて、からかう時などには文子さんと呼んだ。たとえば押売りなどとやりあっているのを蔭で聞いていて、「文子さん凄い勢いだな」という具合である。ひとは読みづらがるが私は鍋蓋に猫の髭の文という字も、あやという音のなめらかさも気に入っている。
世間一般の通念に与しない幸田露伴と斎藤茂吉の姿がダンディ。すごく素敵な父子関係!
実家に戻り「こうだあや」に戻った彼女が自分の名前を誇れたのは、この父あってこそですね。

幸田文の墓は、先月訪れた池上本門寺の幸田家墓所内にありました。父の墓と斜めに向き合う場所に、一人の名前ですっくと建っています。

幸田露伴の本名は、幸田成行というんですね。
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波の詩パート4

2018-10-26 10:05:53 | オリジナル
お散歩中の園児たちが大きな砂場で遊んでました@材木座海岸。

では、共通テーマ「波」でAが書いた詩を投稿します。



沖で波立つ水の下には
押されて曲がったような
わたしの長く浅い傷跡のような
大地の隆起がある
飛沫を櫂で顔に浴びせ
その傷が増幅した怒りに向かって行く
引きずった傷が起こす揺れを破り
二十三センチずつの足裏に全体重をかけ
大底を蹴飛ばしたい

波がかさぶたになって
やがて剥がれて空に吸われたら
わたしは凪になれるのに
あの人の予言では
これから雷の中で
更に激しく狂うそうだ
わたしの胸を折り
首をもぐほどに

処方された粒を見つめる
逆巻くだろう荒波は
わたしの血潮なのに
効果がどれくらいか分からないが
これで抑えろと、か

一人の小舟で漕いで行く
水平線が砕けながら
ずるずると逃げていく
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飲の詩パート2

2018-10-25 10:51:56 | オリジナル
共通テーマ「飲」でAが書いた詩を投稿します。

雪催い 

曇天が降りて来て
時場に飲まれ
ひとつの肉塊になった

退屈な速度で追われて
行かなければならない
どうせ失うことを
身につけねばならない
勉強は苦手だ

私を追い越そうとする
曖昧な時場を
欺こうと試す
だるかったけれど躁的に

肌は擦れ違う
視線は交差しない
行為の境界は溶ける
私の時と場所が
疼きながら消えていく

抽斗には集めた物を
冷たい土には骨を残し
再生されたような私の声は
湿潤な空へと昇って行った

わざをかけるのか かけられるのか
ばかにするのか されるのか
心身を詐取し合うことを
ようやく手放す
この時をただ
待っていた


飲の詩、波の詩の提出締切は10月30日(火)です。
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波の詩パート3

2018-10-24 00:02:35 | オリジナル
11月24日の市民交流センターフェア市民活動団体パネル展に参加するため、こんなパネルを提出しました。

前回のフェアで展示してもらったパネルとほとんど変わらないんですけどね
では、共通テーマ「波」でSが書いた詩を投稿します。

波風 三角波 SO WHAT

波風を立てたくなかったんです
追っかけてくる男がゲイであることを
知ってはいましたが
オレにまかせろとほえてくれる
助っ人もいなかったし
三角波の出てきた海面に
ひとりぼっちの小舟でまるで
旅人でした
舞ったり装おったりが
にが手の壁の
花のわたしなど
ヒコーキ乗りか
作家であるべきでした
さようなら
製造番号が天啓としてありましたから
過去だってあったのです
知っている海にいつまでも
浮かんでいる父や夫たちよ
明日はクリスマスでしょうか
雪と時間が
降っています
だから何だ
それがどうした
ヒコーキで
家に帰れるかもしれないのです
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波・呑の詩

2018-10-23 00:00:06 | オリジナル
共通テーマ「波」「飲(呑)」でTが書いた詩を投稿します。

夫婦喧嘩

もの達の影が薄い日は
言いたいことを呑み込んで耐える
なんて できないから
私の中で砕ける波は荒い
しぶきは私の外まで飛び散り
ずぶぬれになったあなたも
水滴をたらしながら
わたしに言いつのる

障子は破れ 
食器は散乱し
ねじまがった時間の中で
赤紫の夕暮れがきた

その夜は新月で大潮になった
激しい波は静まり
私の中の海も引いていく
二人 からっぽになって
いつもと同じ眠りについた
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由比ヶ浜の虚子庵

2018-10-22 08:06:05 | 文学
江ノ電由比ヶ浜駅と和田塚駅の間の踏切脇に、句碑を発見。

波音とレールの音が同時に聞こえてくるような、新年の句が刻まれています。
波音の由比ケ濱より初電車

ここは高浜虚子が住んだ場所なのです。句碑の傍らの説明板にはこう記されています。
高浜虚子の住居は虚子庵とよばれており、ここで句会がしばしば開かれました。
高浜年尾は随筆「虚子と家」のなかで次のように記しています。なお文中「原の台」とはこの場所のことです。
 父は自分の家ということに対して執着の少い人であった。大体借家住いで過ぎて居り、鎌倉へ明治四十三年十二月二日に引越して来た時も、小林米珂(帰化英国人)の借家に入ったのであった。そこから三度住み変ったが、結局はじめて入った家が、現在の原の台のあの場所に小林米珂の手で移されたものを、無理に父が買わされたのが、はじめて自分のものとなった家なのであった。

明治43年に鎌倉に移り住んでから同じ由比ヶ浜3丁目内で2回転居したということは、由比ヶ浜もしくは江ノ電が好きだったのかも。
小林米珂が気になってしまったのでググったらウィキに掲載されていました。日本人の小林えいさんと結婚したベッカーさんなんですね。日本で弁護士登録し、鎌倉海浜院ホテル、日清蓄音器、帝国木製、帝国船舶の取締役のほか、鎌倉で不動産業を営んだとあります。彼から家を貸り後にそれを買うとは、虚子は米珂さんのいいお客さんです。買った時には、江ノ電の線路を隔てた場所に曳家されていたようです。近くで反対側に移った家にまた住むって、不思議な感覚でしょうね。
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