湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

松嶺院

2020-06-30 09:15:21 | 文学
円覚寺の塔頭、松嶺院。大正8年(1919年)に有島武郎が泊まり、「或る女のグリンプス」の後編を執筆しました。

のちに「或る女」と改題された小説の冒頭部分から引用します。
葉子は木部が魂を打ちこんだ初恋の的だった。それはちょうど日清戦争が終局を告げて、国民一般はだれかれの差別なく、この戦争に関係のあった事柄や人物やに事実以上の好奇心をそそられていたころであったが、木部は二十五という若い齢で、ある大新聞社の従軍記者になってシナに渡り、月並みな通信文の多い中に、きわだって観察の飛び離れた心力のゆらいだ文章を発表して、天才記者という名を博してめでたく凱旋したのであった。そのころ女流キリスト教徒の先覚者として、キリスト教婦人同盟の副会長をしていた葉子の母は、木部の属していた新聞社の社長と親しい交際のあった関係から、ある日その社の従軍記者を自宅に招いて慰労の会食を催した。その席で、小柄で白皙で、詩吟の声の悲壮な、感情の熱烈なこの少壮従軍記者は始めて葉子を見たのだった。
木部は国木田独歩、ヒロイン葉子は独歩と結婚した佐々城信子、新聞社の社長は徳富蘇峰がモデル。
親の反対を押し切って結婚した二人については、こんなふうに記述されています。
木部はすぐ葉山に小さな隠れ家のような家を見つけ出して、二人はむつまじくそこに移り住む事になった。葉子の恋はしかしながらそろそろと冷え始めるのに二週間以上を要しなかった。
二人が実際に新婚生活を送ったのは、逗子の柳屋です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の湘文・湘句

2020-06-29 22:08:35 | 文学
以前へそ曲がり気分で、海側から海沿い絶景バス停を撮った写真
 鐙摺
 真名瀬
来月の予定は下記の通りです。メンバーさんよろしくお願いします。
湘南文芸 テーマ:「青」「減る」
     締切:7月24日
     合評会:7月27日(月)14:00~@逗子市民交流センター1階

湘南句会 兼題:「今生」「夏の海」
     句会:7月30日(木)15:00~@逗子市民交流センター1階

どちらも見学歓迎です。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰源院

2020-06-28 18:53:23 | 文学
先日吟行で訪れた円覚寺には、数多くの塔頭があります。その中でどうしても外せなかったのが帰源院。
夏目漱石が明治27年の冬に2週間滞在し、15年後に小説「門」の中で「一窓庵」として登場させた庵です。
庭師さんに教えてもらい、山門に向かって右側の坂を上がっていくと帰源院の門が見えてきましたが、非公開なので閉じられています。
ちなみに漱石が題名にした「門」とは、この帰源院の門ではなく、円覚寺の山門のようです。
 円覚寺山門
帰源院の門の脇の道を上がっていくと、庭の漱石句碑を見ることができました。「仏性は白き桔梗にこそあらめ」と刻まれています。
 帰源院
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んで来るよ」と云った。御米はこの頃の夫の様子のどこかに異状があるらしく思われるので、内心では始終心配していた矢先だから、平生煮え切らない宗助の果断を喜んだ。けれどもその突然なのにも全く驚ろいた。
「遊びに行くって、どこへいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。
「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉とはほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結びつけるのは滑稽であった。御米も微笑を禁じ得なかった。
「まあ御金持ね。私もいっしょに連れてってちょうだい」と云った。宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わう余裕を有たなかった。真面目な顔をして、
「そんな贅沢な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留めて貰らって、一週間か十日、ただ静かに頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分らないが、空気のいい所へ行くと、頭には大変違うと皆云うから」と弁解した。
 (夏目漱石「門」より)

漱石に逢ひたし汗し帰源院
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫陽花吟行

2020-06-27 18:45:39 | 文学
湘南句会で吟行に行きました。この時期の代表的な句材といえば紫陽花。紫陽花といえば北鎌倉。ってことで、円覚寺へ。

こんな紫陽花句が生れました。
円覚寺四葩の青に風溢れ
山頂の伽藍に着きて七変化
円覚寺きざはしの脇七変化
四葩には五葩もありて女旅
仏牙堂を埋めし紫陽花雨の闇
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封の詩パート6

2020-06-26 11:20:48 | オリジナル
共通テーマ「封」でSが書いた詩を投稿します。

然あれかし 
    詩書のアーメン

話せばながい話だが・・・
わたしは風景を閉じこめた
小さな紙切れに
封じこめれば
人間みたいだった
わたしという詩人の獲物で
それは赤かったのだが
青いろに変身したのだ
それが詩というものだ!
そして断じて感傷ではなかった
二百年以上生きられる北極の
鯨よりも長く生きる
乱れ咲く
咲き乱れ続ける詩よ
詩よ封じ込められよ
風景よ机よ椅子よ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曲がるの詩パート5

2020-06-25 10:05:00 | オリジナル
共通テーマ「曲がる」でSが書いた詩を投稿します。

わかれ道

「左へ曲がる喜び」という
題名で書こうとしていた
そして
もっと正しく考えようとした
耳をすます入口
もう 帰ってこなくてよい
わたしのへやを
壁のトケイのように見上げた
死にかかっているわたしだから
左へ曲がるくせを直す時間は
ない
外は休日ということで
無人の長い道ばかりだ
夜がない 朝の
消えた夜を
大家さんの声がしている
(わたしの大家さんは神さまです)
「長いあいだ 住んでくれありがとう」
大家さんがおっしゃいました
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松落葉俳句

2020-06-24 18:57:15 | 文学
今日は兼題「生徒」と「松落葉」で句会。
季語ではない「生徒」という題に音数をとられるとイメージをふくらませるのが難しかったようで「松落葉」句に点が集中しました。
その中から複数の点を集めたものをご紹介します。

駅に待つレースの襟に松落葉
聖書読む会の帰りや松落葉
松落葉ショール取り出す別荘地
散松葉下山口の侍医屋敷

季語の本意に導かれたのか、いつになく静かで渋くて品のいい句ばっかり
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨俳句

2020-06-22 21:10:38 | 文学
梅雨らしい一日。雨のやみ間に、コロナ前とだいぶ様子の変わった市立図書館へ。
滞在時間は1時間までに制限されています。その代わり、貸出冊数と貸出期間は増加。12冊まで3週間借りられます。

梅雨の名句を集めてみました。
見送るや君たちまちに梅雨の景 大住日呂姿
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
青梅雨や噛み損ねたる薄荷飴 川村智香子
梅雨の窓狂女飛び下りたるままに 西東三鬼
梅雨の蝶シニア見合に紛れたる 柴田千晶
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封の詩パート5

2020-06-21 20:37:45 | オリジナル
共通テーマ「封」でZが書いた詩を投稿します。鷹取のヒメヤブランの写真もZの撮影です。

封印した思い出 

甘いものが欲しい時
思い出袋から 時折取り出し
味わう 飴玉
取り出した飴玉ひとつ
疲れて歩いた 大倉尾根 
こんにちはと 息も絶え絶えやっと言う
こんにちはと 幼い児の挨拶 
すかさず 聞こえてきたのは
お母さんこんにちはと言えたとの
弾んだ 科白
またひとつ 袋から出てきた
思い出 ひとつ
所在のなさに 散歩した
近くの 沢道
遠くから こんにちはと聞こえた挨拶
こんにちは と挨拶するやいなや
お父さんは 日本語が話せないから
私が言うねと 肩車された幼子の科白
味わうごとに 拡がる清涼感
また 飴玉が欲しくなる時のため
思い出袋に 戻して
袋の口を しっかり結ぶ
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇妙な俳句

2020-06-20 19:24:13 | 文学

E氏に教えてもらった前衛俳人、赤尾兜子の句集を鑑賞。毒性に惹かれました。
昏さの中に浮かび上がる独特のイメージにやられた俳句を抜き書きしてみました。
すこしずつ死ぬそらまめ色の埃吸い
冷凍魚鞄に革命と踏絵憶う夏
散髪後霧ごしに立つ不意の墓
墓掘れば荒宅まぼろしの中にあり
氷る滝を流る血つづき天の紐
北窓開く箪笥の隅の毒草たち
大蝌蚪は泳ぎまわりて異人の葬
空鬱々さくらは白く走るかな
返り花鶴折るうちに折り殺す
大雷雨鬱王と会うあさの夢

クラスメートだった司馬遼太郎は、兜子の句についてこのように書いています。
文芸としての俳句の伝統からいえば、およそ異なった化学成分のものを兜子は、押しこんで破裂したり感電したりするのもかまわずに、それを押しこんだ。
やがて兜子は、俳句という形式に押しこむことによっておこる化学反応や物理変化を美として見つめなおす精神を、伝統の俳句とはべつの場所で確立した。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする