HARD HEAD

旅行 社寺

寸又峡温泉 早朝散策

2013-11-15 16:57:10 | 旅行
 2013.11.12 昨晩は深夜まで歓談し床に入ったのは12時を過ぎていましたが早朝散歩を

       約束していた4名で外森山ハイキングに出かけました。



  案内図





  外森神社参道から登り始めます。出発が5:40分頃でまだ暗く、

                     ここまでの写真は後で撮ったものです。



  落ちない大石 伝説で天狗が登ったとされる巨大な石は断崖に何百年も留まり続けることから

     「落ちない石」と呼ばれ、村人たちは、この石を霊験あらたかな御神体として

     崇め奉るようになった。現在では受験生、高所で作業する方等の

     「落ちてはならない人々」の守り神として祀られている。



  外森神社 祭神は大歳の神 創建の年代は明らかでないが古くから大間(寸又峡温泉)の

     地に鎮座していた。社前に1672年奉納の金鼓があり340有余年前の創始であることは

     明らかである。社殿は1935年再建。



  展望台 頂上標高約600m 6時過ぎているがまだ薄暗い。



  峠にある地蔵さん(6:12分やっと明るくなる)



  みかえりの坂まで来ると眼下に寸又峡温泉が見える。



  木の根元に座る素朴な木彫地蔵さん。



  村の入口に立つ庚申塔 文政7年(1824)と書かれている、古くからずっと村を守っている。



  紅葉 丁度60分で戻り、温泉で汗を流した後の朝食にも満足し、8:15発の路線バスに乗る。

 

寸又峡散策

2013-11-14 15:55:28 | 旅行
 2013.11.11 宿にチェックインしハイキング(寸又峡ポロムナードコース)一周90分との事。

          18:00の夕食前に温泉にも入れるし丁度良いと出発する。





  ここから先は一般車両通行禁止。



  草履石公園の紅葉







  寸又川と吊り橋(猿並橋)



  天子トンネルを抜けると大間ダムと夢の吊橋が見えて来る。急坂を湖畔まで下りる。





  夢の吊橋 (長さ90m、高さ8m)一度に渡る人数は10人まで。本来は美しいエメラルド色

        の湖面ですが、今日は昨日の雨で濁り残念でした。



  夢の吊橋からの大間ダム。



  吊り橋を渡る時は、10m前方に視線をおき、吊橋のゆれが上がった時に足をおろすと

           タイミング良く渡れますと書いてあるが難しい、スリル満点です。



  渡り終えると展望台まで三百数段の急階段がある。素朴な木彫りの地蔵が見守ってくれる。



  尾崎坂展望台(海抜560m)奥大井の自然は南アルプス国立公園。 寸又渓谷は

    「大井川源流部原生自然環境保全地域」と人々がまったく手を付けることができない

    「南アルプス南部光岳森林生態系保護地域」に指定され保護されている。 





  少し歩くと飛龍橋が見えて来た。





  飛龍橋(長さ72m、高さ70m)より渓谷を真下に眺める。





  渓谷美



  先ほど渡った夢の吊橋を眺め、宿に戻り温泉で汗を流す。硫化水素系.単純硫黄泉

      (PH9.1)でつるつるすべすべ感が良く「美女づくりの湯」と呼ばれている。



         


寸又峡温泉

2013-11-13 21:21:42 | 旅行
 2013.11.11~12 秘境奥大井の寸又峡温泉(静岡県川根本町)に高校の同級会で行って来ました

         友と会える喜びに、紅葉と温泉、SLの楽しみもあります。



  東海道本線金谷駅集合 私は新幹線で静岡まで行き東海道線下り電車で金谷駅へ。





  15人全員集合後幹事さんからキップとワンカップ貰い大井川鉄道でまず一駅先の

     新金谷へ新金谷からはSL急行列車かわね路1号(11:45発)に乗換千頭に向かいます。







  蒸気機関車SL C10型8号機 昭和5年川崎車両で製造。旧国鉄で昭和36年廃車。

        昭和62年宮古市で「SLリアス線」として復活。平成6年大井川鉄道に入線。

        その他、C56型44号機、C11型190号機、C11型227号機と動く鉄道博物館の様です。



  新金谷駅転車台(ターンテーブル)。千頭駅構内にも転車台がある。





  客車 旧国鉄の東海道本線に昭和20年代まで走っていた。私も乗ったことがある

     懐かしい車両で窓は上下に開閉、日除けは木のルーバーこれも上下に開閉する。



  車掌(女性)さんのハーモニカの演奏サービス、お客さんとの合唱と童心に帰る。







  大井川に沿って走る、緑とお茶、のどかな田園風景、山間に響き渡る汽笛

            千頭まで約40kmの昔懐かしい旅です。



  この写真は12日帰りの電車で神尾駅ですれちがうSLを写す。





  千頭駅に到着(13:06)ここからは大井川鉄道の路線バスで約40分寸又峡に向かいます。









  バス車窓より 窓は開けられない、山峡のすれちがいの為の信号機があるような狭い山道を

         上る。バス運転手の操縦は巧みだ。無事、奥大井秘境寸又峡温泉に到着する。


  

散歩 多摩川を挟んで二つの小野神社

2013-11-06 15:20:23 | 寺院
 2013.11.5 多摩川を渡り府中方面に散歩に出掛けました。寺院や鎮守の森を巡り住吉町3丁目に

       来ましたら小野神社がありました。多摩市にもあり、あれっと思いながら散歩を続け

       帰宅後調べると???。



  府中四谷橋から浅川(左)、多摩川(右)合流地点を見る。



  府中の小野神社 鳥居前の石柱に延喜式内 郷社小野神社 (多摩郡八座内)と彫られている。



  同上 参道



  同上拝殿と本殿 主祭神は天下春命、瀬織津比賣命 創祀年代は不詳、式内社.小野神社の

     論社の一つ。はけ下にある事から多摩川の氾濫に伴う水害によって遷座が行われた

     結果二社になったとされるが、どちらかが本社でもう一方は分祠であるとも言われる。

     多摩市の小野神社が武蔵国一宮として江戸幕府の保護を受けたのに対し、当社は近くの

     武蔵国総社六社宮(大國魂神社)への崇敬が高まるにつれて衰微した。

     明治六年(1873)郷社に列格したが、大正15年火災で炎上し、

     現在の社殿はその後再建されたものである。



  同上 御輿庫にあった大太鼓。



  一之宮道(すぐ近くの道路にあった道標) の名はこの道が多摩川の対岸、一之宮へ通じる道

      だったことに由来します。あるいは大國魂神社例大祭に一の宮の御輿が渡御する

      道だったことによるのかもしれません。と記されています。

      くらやみ祭りにおいて比定されているのは多摩市に鎮座の小野神社である。

      昭和34年(1959)頃まで、多摩市の小野神社の神輿が多摩川を渡り、小野宮を経由

      して府中本町まで渡御していた。



  分倍河原古戦場等を散策し関戸橋を渡り多摩市に入る。



  一ノ宮渡し 鳥居戸 二本の大きなケヤキは小野神社の御神木で昔この辺りに一の鳥居があった









  神奈川県水量標 明治25年(1892)に神奈川県が設置。三多摩の各市は百年前は神奈川県に

      属していた資料として貴重なもの。



  多摩市の小野神社 





  随身門



  延喜式内 武蔵国一之宮 小野神社 御祭神 天下春命.瀬織津比賣命他六神で

              主神は府中小野神社と同じ祭神。



  境内



  南門



  拝殿



  扁額 武蔵国一之宮 小野神社



  拝殿と本殿



  本殿



  小野神社の起こりは古く八世紀中頃とも言われ、中世には武蔵国衙に近在する筆頭の神社、

      武蔵一宮であった。武蔵一宮小野神社については現存する史料が極めて乏しい。

      随身倚像 1319年に奉納された歴史を伝える数少ない資料がある。

*延喜式とは平安時代(927年完成、967年施行)に制定された律令の施行細目に神社の

      一覧がある。記録されている神社を「式内社」と呼び全国2681社(3182座)が

      記載されている、古くから存在し、且つ朝廷からも認められた由緒正しい神社。

      現在の多摩地区には「式内社」が8か所あって「多摩八社」あるいは「多摩八座」と
      
      呼ばれる。社とは神社の数、座とは鎮座する神の数のことを指す。

    どちらが始まりか分からないが歴史は面白いです。








箕輪城 2 (本丸)

2013-11-04 11:18:00 | 
 2013.10.28 二の丸駐車場から本丸を目指します。



  二ノ丸駐車場は搦手口から上ります。



  二の丸にある標識



  本丸門馬出 東から南に鍵形の土居のあった馬出しで、土居の北側から搦手へ南側からは

        二ノ丸へ出撃する。本丸の南側の突き出ている部分は、この馬出しの内外を

        側面から守るようにできている。



  本丸 南虎口 本丸には3か所の虎口(北、南、西)が確認された。南虎口の門は2.6m、

         奥行き2.7m以下と推定されている。また、門に続く石畳が確認された。





  本丸





  本丸 冠木門と東側の土塁 土塁の外は深い空堀。



  箕輪城まつり 昨日(27日)行われた祭り













  本丸での祭りの跡



  御前曲輪より見る(北から)本丸、手前に空堀がある。



  本丸北側の空堀 右側御前曲輪



  本丸 北虎口 北虎口の門は間口5.4m奥行き3.3mで、本丸の3か所の門の中で最大の規模        







  御前曲輪



  御前曲輪井戸 1927年8月、豪雨の為一部地盤が沈下したのがきっかけで古井戸が確認

         された。深さは20mで、底から長野氏累代の墓石が多数掘り出された。



  御前曲輪西側空堀 堀の向側は蔵屋敷。



  本丸西側堀 蔵屋敷への橋台跡





  本丸南側空堀 二の丸(左)、本丸(右)、三の丸(奥)。



  本丸東側空堀 本丸(左)、空堀、帯曲輪(右)



  二の丸より赤城山を望む。 二の丸を後にして大手口に回る。





  大手虎韜門(ことうもん)



  城を南北に二分する大堀切(幅30m、深さ20m)が大手口まで伸びていた。



  鍛治曲輪の石垣



  鍛治曲輪  16:50分暗くなってきたのでもう少し見学したい所があったが帰ることにする。