2014.10.29 倉敷駅からはJRで約18分で岡山駅に着きます。路面電車で約5分「城下」
下車、徒歩約10分で岡山城に着きます。
天守閣
月見櫓
岡山城 国指定史跡 国指定名勝 日本百名城 1597年豊臣五大老の一人、宇喜多秀家が
築城。黒い下見板張りの外観から別名 烏城(うじょう)と呼ばれます。
案内図
岡山城 城郭配置図
路面電車を城下で降り川の方向に歩いて行くと旭川に架かる月見橋と天守閣が見え始めます。
廊下門 外と城内から写す。
不明(あかずの)門 1966年復元の櫓門。
鉄(くろがね)門跡 上記門脇では石垣の復元工事中でした。
本段に上る 天守閣礎石 再建する際に移された。不明門を通り抜け、石段を上り
きった天守閣のある上段は「本段」と呼ばれ、城主自身の生活に
必要な建物が建ち並んでいた所で、築山や池のある庭園も作られていた。
同上 六十一雁木下門跡 城内より見る。
天守閣 空襲で焼失した天守は1966年再建。望楼型の天守に塩蔵と呼ばれる櫓が
付属している(複合式天守)。秀家が建てた天守は石垣からの高さが20.45m、
二階建の建物を大中小の三つに重ねた三層六階の構造です。
外壁の下見板が漆塗りだったことから烏城と称され、
また金箔瓦を用いていたので金烏城とも呼ばれた。
6階望楼からの展望。
月見櫓
銃眼石 月見櫓の付近にある塀の土台石には、全国的にも珍しい、当時の最新式装置の
銃眼石(石狭間、狭間石ともいう)を並べている。
月見櫓 国指定重要文化財 この本丸内で戦火を免がれた唯一の建物で中段(表書院跡)の
北西隅に建つ元和.寛永年間(1615~1632)に建てられたもの。
本来の目的は、この中段(表書院)の北西を防衛するためのもので、
櫓自体も武器の貯蔵庫になっており、隠し銃眼(鉄砲狭間)や中世的な
石落としの装置などが設けられている。
月見櫓 外部を下段から眺める。
上段の石垣(野面積)と土塀を中段から見る。
中段にある穴蔵式の火薬貯蔵庫。
中段広場の表書院跡 備前(岡山)藩の政治を行う為の建物が建ち並んでいた所で
65室の部屋と庭園があった。
大納戸櫓跡 中段南東角にあった櫓跡。
中段にある 宇喜多時代の石垣跡。
岡山城の歴史と城縄張図
中段の高石垣 打ち込みハギ工法。
下段の堀(南面)と内下馬門土橋
下段の堀(西側)と石垣
下段 内下馬門跡
月見橋から眺めた天守閣。 橋を渡り後楽園に向かう。
下車、徒歩約10分で岡山城に着きます。
天守閣
月見櫓
岡山城 国指定史跡 国指定名勝 日本百名城 1597年豊臣五大老の一人、宇喜多秀家が
築城。黒い下見板張りの外観から別名 烏城(うじょう)と呼ばれます。
案内図
岡山城 城郭配置図
路面電車を城下で降り川の方向に歩いて行くと旭川に架かる月見橋と天守閣が見え始めます。
廊下門 外と城内から写す。
不明(あかずの)門 1966年復元の櫓門。
鉄(くろがね)門跡 上記門脇では石垣の復元工事中でした。
本段に上る 天守閣礎石 再建する際に移された。不明門を通り抜け、石段を上り
きった天守閣のある上段は「本段」と呼ばれ、城主自身の生活に
必要な建物が建ち並んでいた所で、築山や池のある庭園も作られていた。
同上 六十一雁木下門跡 城内より見る。
天守閣 空襲で焼失した天守は1966年再建。望楼型の天守に塩蔵と呼ばれる櫓が
付属している(複合式天守)。秀家が建てた天守は石垣からの高さが20.45m、
二階建の建物を大中小の三つに重ねた三層六階の構造です。
外壁の下見板が漆塗りだったことから烏城と称され、
また金箔瓦を用いていたので金烏城とも呼ばれた。
6階望楼からの展望。
月見櫓
銃眼石 月見櫓の付近にある塀の土台石には、全国的にも珍しい、当時の最新式装置の
銃眼石(石狭間、狭間石ともいう)を並べている。
月見櫓 国指定重要文化財 この本丸内で戦火を免がれた唯一の建物で中段(表書院跡)の
北西隅に建つ元和.寛永年間(1615~1632)に建てられたもの。
本来の目的は、この中段(表書院)の北西を防衛するためのもので、
櫓自体も武器の貯蔵庫になっており、隠し銃眼(鉄砲狭間)や中世的な
石落としの装置などが設けられている。
月見櫓 外部を下段から眺める。
上段の石垣(野面積)と土塀を中段から見る。
中段にある穴蔵式の火薬貯蔵庫。
中段広場の表書院跡 備前(岡山)藩の政治を行う為の建物が建ち並んでいた所で
65室の部屋と庭園があった。
大納戸櫓跡 中段南東角にあった櫓跡。
中段にある 宇喜多時代の石垣跡。
岡山城の歴史と城縄張図
中段の高石垣 打ち込みハギ工法。
下段の堀(南面)と内下馬門土橋
下段の堀(西側)と石垣
下段 内下馬門跡
月見橋から眺めた天守閣。 橋を渡り後楽園に向かう。