HARD HEAD

旅行 社寺

基肄城跡

2018-12-04 16:38:11 | 
 2018.11.20 百名城では太宰府の北東を守る大野城跡を見学し今回南西を守る基肄城は是非

         登城したかったですが西日本豪雨のため危険に付き立ち入り禁止になっており、

         残念ながら、町民会館にてスタンプ押印、資料見学、ガイドの説明でした。



  基肄城跡から博多湾方面を望む(基山町パンフレットより)以下も同じ。





  基肄城跡 案内



  基肄城跡 国特別史跡 続日本100名城。

       太宰府防衛を担った日本最古の朝鮮式山城。大宰府の南方約8kmに位置する

       標高約404mの基山から東にある東峰にかけて大小の谷を囲みながら、

       約3.9kmの城壁を巡らせていた。



  町民会館から眺めた基肄城跡。



  同上 ジオラマ。



  土塁線と北帝門跡。



  東北門跡。



  石塁(水門跡、南門跡)

    水城を挟んで、この基肄城と大野城を結ぶラインが古代の政庁である太宰府の外郭を

    形成していたと考えられている。築城を指揮したのは、百済からの亡命貴族である

    億礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しびふくぶ)。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。