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富山城

2020-10-11 09:04:28 | 
2020.10.03 続日本百名城北陸の旅は富山城を最初に登城します。













  富山城  続日本百名城 

   天文12年(1543)、神保長職(ながもと)によって築かれた富山城。そして、富山城を巡り

   繰り広げられる一向一揆勢や、上杉謙信、武田信玄ら戦国武将たちの攻防。織田信長の家臣と

   して入城した佐々成正。天正13年(1585)豊臣秀吉の征討をうけ、破却された富山城。

   近世の富山城を整備した前田利長。大火で焼失した後、元和元年(1615)の一国一城令に

   より一旦廃城。寛永16年(1639)の富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城。

   その後、明治時代に至るまで、富山前田家13代の居城となった。



  城址公園  明治6年(1873)廃城となり解体され、変遷を遂げて現在は城址公園。



  昔と今と比べると  富山城現況比較図。



  江戸時代の富山城  縄張図。







  千歳御門  東出丸に営まれた千歳御殿の門であった。明治維新後に払い下げられたが、

        寄付により平成20年(2008)に修復移築された。





  鉄(くろがね)御門枡形。





  同上  鏡石。 鏡石は見映えなどの為に置かれた巨石。

          西面に一つ、東面と北面に各二つの計五つがある。



  富山城の石垣について。





  本丸南面の堀。 本丸への土橋。







  模擬天守  昭和29年(1954)に建造された。







  天守屋上よりの眺望。



  本能寺の変と富山。 (企画展より)



  富山城を中心とした越中の中世勢力図(1572年頃)。



  富山城を中心とした勢力図(1582年頃)。



  佐々成正と富山城。



  謙信.信玄の争いと一向一揆。



  前田利次の入城。



  前田利長公が使用したと言われるたかさ140cmの兜。





  前田正甫の銅像。



  搦手門石垣。



  土塁。



  公園内にある佐藤記念美術館。  次は増山城に向かいます。