おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

薬で幸福は得られるか

2005-05-14 17:26:22 | つぶやき
 今日の話しはかなり深刻です。自分でも迷いながら書くつもりです。
 どういう話しかというと、「薬で心は癒されるか」ということです。薬で精神的な病いは直るのかということです。さらに、「直る(直った)」ということは、どういうことかということです。
 頭が痛いときには、頭痛薬を飲んで頭の痛さがなくなるようにします。市販薬を何度か試してもなかなか直らないと、お医者さんに行きます。そこで時には慎重な検査が行われ、専門医を紹介されたり、大きな病院で検査を勧められます。直りにくい頭痛の原因が、例えば脳腫瘍であったり、先天的な疾患が見つかれば、それなりの大変な治療が施されます。大なり小なり、腹痛の場合もそうでしょう。
 痛みの程度にもよりますが、一般的に内臓をはじめ、筋肉・皮膚その他の病気は、薬などを用いずに治す場合もありますが、痛みや苦痛・不快感から早く逃れるため、薬を飲んだり、貼ったり、あるいは手術したりして病気の原因を取り除き、直すという医学的方法をとることになります。本人だけでなく、それは家族などの関係者も望むことにもなります。
 そして、その病が癒える(病気の進行が止まる・・・なども含め)ことになれば、それまでの苦痛や痛みから解放され、病気であったときにしえなかったことや、思っていたことをやり直すことにもつながっていきます。本人もうれしいし、家族たちもほっとします。万が一、余命幾ばくもないと宣告されても、治療を続けるかどうかの深刻な判断も含めて、医者のインフォームドコンセントに基づいて、選択がなされる場合もあるでしょう。
 実は、小生の知人がだんだんやる気がなくなり、朝もなかなか起きられなくなり、そのうち職場に出かけるのがおっくうになり、仕事も手につかなくなり、という状態になりました。そういう状態が一ヶ月近くなったので、自分から近所の心療内科の門をくぐりました。そこで、鬱病と診断され、3ヶ月の休職という診断書が出ました。
 さっそく職場の管理職にその旨を報告し、休職となりました。薬は4種類、朝昼夕それに寝る前と大量の薬をもらってきました。しかし、2週間たっても3週間たっても、特には病状に変化はなく、それどころか、ますます事態は深刻になりました。医者に行くと、それでは別の薬にしましょうと、漢方薬やら何やら薬を変えました。それ以降、つごう4・5回、薬の種類を変えました。
 しかし、やはり大きな変化はなく、3ヶ月が経ちました。休職期間が切れることになったので、再び職場に復帰しました。けれどもそういう状態でしたから、仕事場に行っても仕事は進まず、むしろ行き帰りに電車に飛び込んでしまおうか、というような気持ちにもたびたび襲われました。やむなく、今度は9ヶ月(これで休職期間は合計1年になるわけです。)の休職に入りました。
 ところが、2度目の休職期間に入った頃から、徐々に状態がよくなってきました。快方に向かったのです。医者は薬の効果が出てきましたね、と診断しました。本人は、職場に行かなくてもいいということが一番気持ち的にはほっとした、と話しています。
 薬はそのまま続けて飲みました。次第に明るさとやる気を取り戻していきました。そのうち、かなり活発な活動状態になっていきました。今までしてこなかったスポーツをやるようになり、積極的に電話をかけ始め、毎日のように出かける約束をとりつけ、夜中と言わず昼といわずのべつまくなしに人に会おうとするようになりました。お金の使い方もだんだん派手になりました。気前よく人にごちそうするようにもなったり、さしあたり必要のないものをカードで購入したり、派手な柄の服を即決で買うようになったのです。
 名刺を印刷し、誰彼となく出会った人に配るようになり、電車の中でも見知らぬ人に声をかけ、映画を見ても、特にそういう場面ではないのに、人目をはばからず泣くようになりました。夜遅くまで出歩くようになりました。薬も飲んだり飲まなかったりになりました。本人はそうした自分に気になることがあったのでしょう、医者に行きました。
 本人からそうした現状を話したようです。医者の話しは完治しましたねということで、薬はもういいでしょうということでした。結局、本人は、鬱病から解放されたということで、ますます飛び回るようになりました。心配した身内の者が、そのお医者さんに連絡しました。大丈夫ですよ、だいたい「躁病」の人は医者に来ませんから、という返事でした。それで話しはオシマイになりました。
 その後は、いっそう深刻な状況に陥りました。およそ3ヶ月、いわば「躁」状態が続き、まるで病気の前の人格とも病気中の人格とも違う、第3の人格という感じになりました。何を言っても聞き入れません。周りははらはら見守っているだけです。そのうち、花火がいつかは消えてしまうように、また静かな落ち着いた状態に戻りました。残ったのは、莫大な借金と人間関係でした。仕事は1年の休職の後、退職になりました。
 それから数ヶ月後、またまた何もしたくない、朝起きられない、という気分が出てきました。そうして、再び前のお医者さんに行ったのです。あなたは感情の起伏が激しいということを自覚して生活した方がいいですね、という話しとなり、(弱い)薬を寝る前に飲んでくださいと、薬を4種類飲むことになりました。1ヶ月以上も飲むうちに、状態が回復してきました。前回よりは随分と鬱の状態は軽い感じでした。
 鬱病は薬で治るということがよく言われます。たしかに脳の中の何とかという物質が影響しているらしく、その物質に対しては、薬学的アプローチがきわめて有効だそうです。
 巷でも、鬱病に関する書物がたくさん出版されています。「鬱になる前に」あるいは「鬱病になったら」という本はたしかに多くあります。けれども、鬱病が治るとはどういうことか、その後どうなるのかという話しは、どこにも掲載されていません。カウンセラーという仕事も大事なしごとです。むしろ、そういうほうが精神的な病気にはいいのではないかとも思います。
 薬漬けで人間性が保たれるのか? 薬は万能ではないのでは? こうした素人考えは間違っているでしょうか?
 今、日本人の自殺者は交通事故で死ぬ人の3倍以上だそうです。そして、その多くは鬱病(本人が自覚するしないに関わらず)からではないかと言われています。薬で治療しているので、この程度の自殺者数で済んでいるのかも知れません。たしかに鬱病は(突発的な)自殺をするケースが多いようですから。
 しかし、自殺を防ぐためには投薬も大事でしょうが、それだけではなく、その人を取り巻く環境やら、その人への人間の関わりも大事なのではないかと思うのです。勿論、それは、専門家の関わりはどうでもいいということではありませんが、小生としては、薬だけで精神的病いは直らないのではないかと思います。
 今、脳そのものに対する物理的・医学的解明は急速に進んでいます。いつか鬱的な気分だけでなく、悩みや苦しさの原因が物質的に明らかになり、それらを解消できるような特効薬が開発されるかもしれません。また、脳の細胞自身を遺伝子操作などによって変えてしまうような、心の病い治療の新技術が生み出されるかもしれません。
 けれども、人間が心の病から解放され、憂鬱や嘆きから解放され、では幸福になるかということはどうでしょうか。薬や何かによって物理的に解放された心。それでも人間らしい心を持った人間といえるかどうか。
 やはり、幸福というもの、心の平安というもの、また意欲・努力・積極的な人生などは、薬では手に入れられないものではないでしょうか。こういうふうに書けるのは心の重い病気にかかったことがないからだ、というおしかりは甘んじて受ける覚悟ですが。
 酒やタバコ、趣味なども憂鬱な気分を解消したり、ストレスをいっときは(少しは)解消するものなのでしょう。それらと心の治療に用いられる薬とはどう違うのか、考え込んでしまいます。もし、本人があのとき進んで医者にも行かず、薬も飲まなかったら、大切な生命を失っていたかも知れないと思うと・・・。
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シンポジウムのお誘い

2005-05-13 21:54:19 | 平和
以下のような催しがあります。少しばかり勝手に関わったことのある方々の主催の集会です。在京の方で興味があったら参加してみませんか。以下、その集会の趣旨等を転送します。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◇  『地球平和公共ネットワーク』シンポジウム開催
◆◇
◇◆◇     ~今こそピース・マニフェストを!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

★ゲスト講演:辻元 清美

★日 時:5月22日(日)13:00開場/13:30~18:30

★会 場:文京シビックホール 小ホール(定員371名)
<アクセス> http://www.b-civichall.com/
・東京メトロ丸ノ内線・後楽園駅4bまたは5番出口【徒歩3分】
・東京メトロ南北線・後楽園駅5番出口【徒歩3分】
・都営地下鉄三田線/都営地下鉄大江戸線・春日駅
    文京シビックセンター連絡通路【徒歩3分】
・JR中央・総武線水道橋駅東口【徒歩8分】

★参加費:前売券¥1,000(当日券¥1,500)
 ◎前売券の購入は、郵便振替口座へご入金下さい。その[払込票]
  が前売券となりますので必ずご持参下さいますようお願いいた
  します。
<郵便振替口座>
【記号番号】00110-8-334246
【加入者名】地球平和公共ネットワーク
【通信欄】に「5/22前売券× 枚代として」と必ず明記下さい。
【ご依頼人】欄に郵便番号・ご住所・お名前・電話番号をはっきり
      とご記入願います。

★プログラム
(時間は当日変更の可能性有り・各部会毎に休憩が入ります)

●第1部(13:30~14:30)
    ゲスト講演~「平和をめぐる日本・世界の動き」
               辻元 清美(元衆議院議員)

●第2部 パネルディスカッション(14:40~16:30)
     「ピース・マニフェストを徹底的に議論する」
◇天木 直人(元レバノン特命大使)
◇きくち ゆみ (グローバルピースキャンペーン)
◇千葉 眞 (国際基督教大学)
◇小林 正弥(千葉大学、地球平和公共ネットワーク代表)
◆コーディネーター:上村 雄彦 (千葉大学、日本自立プロジェクト)
尚、コーディネーターは、小林から上村に変更しました。

●第3部 ピース・マニフェスト対話集会(16:40~17:40)
(来場者との対話)「ピース・マニフェストを形にしよう!」

●第4部 ピース・コンサート(17:50~18:20)
     ♪Katsura Live♪

●まとめと閉会の挨拶

★終了後、きくちゆみさんなど出演者を囲んでの懇親会を行いますので、
ご希望の方は、下記連絡先までお申し込み下さい。懇親会会費は3,000
です。(なお、当日申し込みの場合は、3,500となります。)先着申し
込み30名様限定。

★主 催: 地球平和公共ネットワーク

★協 力: 千葉大学21世紀COEプログラム
「持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点」

●趣旨:
 9.11同時多発テロ以来、世界情勢は一変しました。「反テロ世界戦争」
の名の下に、アメリカの単独行動が際立ち始め、これまで曲りなりも保た
れてきた法による秩序や国際規範がことごとく打ち破られています。アフ
ガニスタン空爆、国連決議なしのイラク侵攻など、まさに「力こそ正義」の
パワーポリティックスが現在の国際政治を支配しています。これと歩調を
合わせるかのように、日本でもついに有事立法が制定され、自衛隊が海
外に派遣され、対米追随外交が推進される一方、平和憲法の根幹をなす
第9条を変えるための改憲論議が進められています。この状況が続けば、
世界の宝である第9条は変えられ、日本は軍隊を持つ「普通の国」になり、
アジアとの関係が悪化するばかりか、徐々にアメリカの「反テロ世界戦争」
に巻き込まれ、多大な犠牲を出すことになるでしょう。
 このような「力による平和」の流れを変え、別の方法で平和を実現する
方法、すなわち「もうひとつの平和」を考えることは時代の要請だと思いま
す。地球平和公共ネットワークでは、平和運動を再生させて潮流を逆転さ
せるためには、反対運動を行うだけではなく、積極的に新しい平和のビジ
ョンと政策を提案する必要があると考えています。
具体的には、今こそ「もうひとつの平和」を創造するための具体的・建設
的政策を「ピース・マニフェスト」(大綱)として広く提案したいと思っていま
す。政党が「マニフェスト」を選挙で提示するのを待つばかりではなく、公
共的市民の側から、市民の手で、平和を実現するために「マニフェスト」
を提案すべきではないでしょうか。今回のシンポジウムでは、社会的に
活躍されている多彩なゲストを招き、多様な観点から「ピース・マニフェ
スト」を議論し、参加者とともに素案を練り、「もうひとつの平和」の実現
へと働きかけたいと思います。

●連絡先:『地球平和公共ネットワーク』 
  http://global-peace-public-network.infoseek.ne.jp/
    (千葉大学公共哲学センター内)
   TEL/FAX:043-290-3028/担当:浅野(火・水・金曜日)

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たしかにおかしかった10チャンネル

2005-05-12 23:56:23 | 世間世界
 帰宅してちょっとビールを飲みながら、あるニュース番組を見ていた。液晶薄型画面の話題だった。その中で、なんとその画面には麻原が映っていた!
 一緒に見ていた連れ合いに、「オイオイ何で麻原なの?」
連れ合い曰わく、「その時代を象徴する映像なんじゃない」 
「それにしてもオームだぜ、死刑判決も出そうな麻原を出すことはないじゃいか、リモコン装置が取り出せるとか、TV画面がますます進化してるということにしてもだよ」
 「そういえば、隣の画面は皇太子の結婚かなんかの画面だったわね」
「阪神淡路大震災の映像だっていいじゃないか」
「それも茶化しているみたいでだめなんじゃない」
「・・・、だいたい、今日の特集って言って放送しているんだから
もっと前から準備しているはずじゃないか」
 などと会話しているうちにその特集も終わり、天気予報も終わり、放送の最後の最後になってから、視聴者の抗議の電話があったということで、女性司会者がわびていた。
 何だか実に軽いノリで、番組を作っているような印象を視聴者に与えたかも知れない。その前のニュースが、JR西日本の大惨事関連の内容で、いかに運転手の神経をすり減らしていたか、現役の運転手をインタビューした内容で、それなりにシビアな内容だった。
 そのせいか、場面が変わってあの麻原ではやはりタイミングが悪かろうと思った。それにしても、抗議の電話が殺到したというコメントを聞くと、電話をかける熱心な視聴者もたくさんいるのだなと思ったのだ。 

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騙されないように

2005-05-11 22:54:07 | つぶやき
 教育基本法の「改正」案がまとまりつつある。しかし、「愛国心」という表現をめぐり、自民党と公明党が一致できず、「国を愛する心」(自民党案)と「国を大切にする心」(公明党案)の両論併記のまま。法案として国会への提出はまだだという。
 憲法にせよ教育基本法問題にせよ、自公連立政権が数の上で国会を牛耳っていることで、法案が国会に提出されれば、多くの場合、即、可決(かたちの上では審議をするが、最終的には数の力で通すやり方)。こういう国会運営が今や常套化している。
 特に、公明党が自民党と連立を組むようになってから、ますますこの傾向が強くなっている。法案づくりの時点で、両者の妥協が成り立つように仕組まれているのだ。いわば、自公談合路線。コイズミさんもこれに見事に組み込まれている。
 しかし、公明党はいつまでも自己主張していくだろうか。公明党は、今後も絶対に自民党との組んでの政権与党の立場を離れることはない!。今は自民党には、選挙の票という恩を売っている。これから先、民主党が多数になるような状況になりそうだと、今度は民主党に媚びを売るはず。
 しかし、今は、何だかかんだ文句を言っても、最後は自民党の言いなりになるだろう。選挙協力ということで、学会員の一票ほしさにすり寄る自民党だが、いざとなれば公明党は自分たちから離れないのは百も承知だから、選挙は有難う!でもこれはやるよ!
 公明党の支持者である学会員は、宗教活動即選挙活動だから、選挙がないと元気も組織も持たない。彼らの日常活動は、都議選一本!都議選の不利になるようなことは絶対にしない。学会員の中の不満をそのままにしておけない、また票集めにも不利になる。だから今は「国を愛する心」では困るというだけなのだ、と思う。今は、「国を大切にする心」でなければならないのだ。
 都議選(投票率が低いという予想が既にあり、公明党の候補者はよほどの取りこぼしがないかぎり、全員当選間違いなしだろう)が終われば、その勝利の「歓喜」の中で、結局はいつものように自民党にすり寄って、「国を愛する心」で落ち着くはずだ。
 なんということはない、国の政治の根幹をなす重要施策は、学会員の選挙活動の有無で決まってしまうのだ。何と嘆かわしい事態か!また、公明党のえげつない戦法よ!
 次の課題は、靖国神社!これに公明党議員が参拝することになったら、創価学会の宗教的信念・歴史もかなぐり捨てて、政治信念もないままの巨大政治団体でしかないことに。さすがの学会員も「靖国参拝」には黙っていないだろうと思いたい。
 しかし、現実には、御輿も担ぐし、神社の祭りにも地域友好活動の一環として参加している。彼らの今のターゲットは「同窓会」、積極的に出ているくらいだから、靖国神社の参拝なんか何とも思わなくなってはいないか。宗教的な感性を麻痺させられているようにしか思えない昨今の状況なのだ。
 かくして、憲法も教育基本法も「改正」され、右翼も真っ青になるほどの、全体主義集団によって日本は滅亡の道を歩む。
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平常心の難しさ

2005-05-10 23:28:07 | つぶやき
世相が騒がしくなると
何だかそわそわしてしまう
世間のニュースに惑わされ
戸惑いながら
つい付和雷同になってしまう

ちょっと図に乗って
はしゃいでしまう
そのあと自己嫌悪に苛まされる

多数ではない不特定な相手に
顔も声も出さずに
ついつい書いてしまう
マスコミ批判が一番の受け狙い
面白おかしく茶化してみせる

高みの見物、さもなければ卑下したふり
ふと我が身を振り返る暇もない

ただただ流され流れて
いつしか話題に遅れをとり
それがイヤさにまたまた迎合
自らのつたなさも
愚かさもかえりみず

気がつけば
平常心を失わず
冷静さを持ち続けることの難しさを知った
あまりにも騒然とした世界の中で
その空しさと愚かしさを
見極めていきたい
新たな気持ちになった
今夜でした
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天長節(テンチヤウセツ)

2005-05-09 21:16:46 | 平和
「天皇陛下はわが大日本帝国をお治めになる大君であらせられて、最も尊い御方である。私たちはみなこの天皇陛下の臣民である。私たちの祖先はおぢいさんもひいおぢいさんも、みなそれぞれその時の天皇様の臣民であった。さうして時の天皇様から限りない御恵みを受けて来た。私たちも、いま天皇陛下の御恵みを受けてしあはせな日を送ってゐる。私たちが、父母きやうだいと共に一家の内で楽しく暮すことのできるのも、また学校に来て先生の教を受け、友だちと面白く遊ぶことのできるのも、みな天皇陛下の御恵みによらないものはない。天皇陛下は私たち臣民をおいつくしみになつて、常に私たち臣民のしあはせをお図りなつていらせられるのである。(中略)
 私たちは朝早く起きて、にいさんやねえさんといつしょに門に日の丸の旗を掲げ、さうして天皇陛下のお陰で大きくなつて行くしあはせを感謝して、御恵みの深いことをいつまでも忘れないやうに心掛け、天皇陛下の御代万歳をお祈りしなければならない。」
 これは戦前、小学校(国民学校)一年生の教材「ヨイコドモ」上(モンブシャウ)にある4月29日「テンチヤウセツ」に関する教師用の指導内容の一部である。4月29日が天皇の誕生日であることを徹底させ、天皇陛下が我が国をお治めになる最も尊い御方であることを指導の重点にしている。また他の箇所には、国旗掲揚や「君が代」斉唱(当時でも「国歌」になってないことに注目!)の時の注意事項が載せられている。特に、最敬礼の礼法が教師の心得として「先ず姿勢を正し正面に注目し、上体をおもむろに前に傾けると共に手は自然に垂れ、指尖は膝頭の辺に達するを度(約45度)とし、およそ一息の後おもむろに元の姿勢に復する」と細かな指示を行っている。 また、「バンザイ」という教材では、「天皇陛下の御心のままに働く日本の軍隊は強い。正しいことを守り、よくないものをこらしめる精神に充ち満ちてゐるので戦へば必ず勝つ。どんどん敵を攻め立てて、どこどこまでも追ひかけ、敵の大事な陣地を占領する。天地にとどろくやうな声で『テンノウヘイカバンザイ』を唱へる。」と、この内容を児童に教えるように指示している。
 4月29日が、戦前はまさに特別な日であったことが分かるであろう。この内容はちょっと文字を変えれば、どこかの国あるいは宗教団体と同じようだ。今さらのことではあるが、4月29日が「昭和の日」に変更になることが国会で通ったという。はたして戦前に特別な日として位置づけられたように、国民が国体護持の為に総動員される日にならないと言い切れるであろうか。
 なお、上記の教師用指導内容は、最近、目にした書から引用した。
コメント (29)
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おかしいぞマスコミは「木を見て森を見ず」

2005-05-08 10:16:05 | 世間世界
 JR西日本の大惨事。事故原因の追及・追求は、調査委員会や警察任せになりつつある。新聞などの報道もそうした機関からの発表を記事にしている。その一方で、事故当日の西日本社員の言動とりわけ親睦会(飲み会)に何人参加したか、どういう会合であったか、何次会までやったかなどが争うように報道される。
 あれほどの大事故に対して被害者の気持ちを踏みにじり、事故対応もろくに出来ずに、飲み食いするとは何事かという非難記事一色。そして、突然の悲劇に嘆き悲しむ遺族・友人たちへの取材記事・・・。
 義憤にかられてのJR西日本会社社員の危機管理能力の欠如を責める記事、さらにはお涙頂戴記事がいけないとは言わない。しかし、今回の大惨事の原因は何であったか、システムからの追求面(スピード、レール、車体構造、運行計画、等)また会社の経営姿勢・管理体制などもっと目を向けなければならない深い視点があるはずだ。それなのに表面的な感情にまかせて「木」をひたすら追い求めるようにしか見えない。
 会社幹部の記者会見では、若い記者がまさに正義の味方のような言動で、年上の人間を厳しく追及している。いったいどういう言質を会社側からとりたいのか。ただひたすら頭を下げお詫びする映像が欲しいのか。会社側は当事者を厳しく処分すると明言した。それで、被害者の気持ちを代弁した積もりになっているのか。
 あれだけたくさんの人が亡くなった大事故なのにその当日、それを知っていながら歌舞音曲・飲酒の会を持つとは何事だ。ハイハイ!記者の皆さん、立派でございます、と皮肉の一つでも言いたくなる。これはまるで「木を見て森を見ず」ではないか。
 小生、数年前、大新聞社の記者から取材されたことがある。そのエリート記者の言動やその後の掲載記事の内容はともかく、取材後、カメラマンはタクシー、記者はハイヤーという感じで、外には高級な黒塗りの緑ナンバーの車が待っていた。いつもこうなのですか? はい! まだ30代そこそこの記者は平然と乗り込んだ。小生、長い人生、「無料」タクシーなどにはとんと縁がなかったので、さすが大新聞の社員だなと感心?した。以上は、まさに「私」憤にすぎないが。今はどうなっているか知らない。
 いずれにしても、最近のマスコミの報道内容は、深みのない、その場の感情・義憤に任せた内容が多すぎやしないか。今朝の「朝日」は、JR西日本の社員を中心にした、私的な親睦会を大々的に取り上げ、民主党議員が「こともあろうに」そういう会合に参加していたことを一面で報じている。いよいよ始まったなと思った。
 政治家の言動を取り上げ、批判していく。多くは野党議員がそのターゲットとなる。そのニュースソースは内部の通報者。事の本質が次第にずれていく気配が濃厚になってきたと思ったのだ。
 これでいいのか、マスコミ!「木を見て森をも見る」姿勢が最も重要なのではないか。
  
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朝霧高原再訪

2005-05-07 13:54:51 | つぶやき
お久ぶりですね、お元気でしたか
覚えてますよ、覚えてますよ
まだお勤めですか、もうそうですか

あそこですか、もう閉鎖しました、立入禁止にしました
いずれ壊さないとならないんですが
費用もかかりますしね
室内プールは維持費がけっこう大変でしたから

他の施設ももう使用していません
前のところ、ボーリング場とか室内球技場があったところ
あれは雨漏りがひどくて取り壊しました、一昨年だったか
しばらくはあのまま更地にしておくしかないかって

こっちも東京生活の足洗ってこっちに来ました
ずっとこっちにいようかと思ってます
いい空気のところで体にはいいと思うんですが
かえってストレスがたっまってくるようで

標高800メーターくらいですか、ここは

「ワイキキ・ビーチ」
1時間に1回大波が来る
波乗りプールって
冷やかさないで下さいよ

今はソフトボールが人気ですかね
富士宮で世界選手権やって以来、大会も盛んにあって
この間も選手団が泊まってくれました

あとは、テニスですかね
大学のサークルがよく来ますよ

温泉のほうはけっこうはやっています
お客さんもそこそこ見えてくれます
富士山登山のツアーもありますし
富士を見ながらの露天風呂って売りで

外からは丸見えだって、言わないで下さいよ
相変わらずはっきり物をおっしゃる方だ

やってます、やってます、食べ放題のやつ
人気メニューですから

毎日、富士山を見ている生活です
みんな元気、元気ですよ
これからどうなるんですかね
あのまま朽ちるにしてもあと何十年、いやそんなもんじゃ

しばらく東京にも行ってないんです
たまには出かけていこうかとも思うんですがね
何だかおっくうになってしまって

ちょっとコーヒーでもいかがですか
えっ、もうお帰りですか
お連れの方もいらっしゃるんでは
これから帰る? 
もう大渋滞なんじゃないですか

気を付けてお帰り下さい
じゃあ、お元気で、たまにはお越し下さい

かつて、毎年のように泊まりで利用した朝霧高原の宿舎。
利用客も激減し、室内50mプールなどの施設は閉鎖。

広大な敷地の一角に唯一、天然温泉だけが残った。
それでもまだましな方ではないだろうか。

日本中、こうしたレジャー施設の撤退・荒廃が目立つ。
開発した自然が、そのままの元の自然に帰るのあと何十年、いや・・・。
公共の施設も民間の施設も苦戦を強いられている。
次々と争うようにレジャー施設をつくっていた時代は既に終わったようだ。

予想通り大渋滞の東名を通り、戻ってきたのは、
午後8時をゆうに回っていた。
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遠くの山々にはまだ雪が

2005-05-06 10:49:57 | つかのまの旅人
 5月3日、江別市に行って来ました。ちょっとした会合があって、話しをしてくれということで出かけたのです。何回か北海道には出かけていますが、今回の北海道は、去年の8月、旭川と帯広に出かけて以来でした。
 去年、北海道は大変暑い夏で、クーラーの設備もなくて暑さには負けました、との話しを聞きました。今年は、寒い日が多かったらしく、2、3日前までは天気もぐずつき、みぞれも舞ったということでした。そのころは、東京をはじめ関東地方はよく晴れ、初夏という気候だったので、その差に今さらながら気づかされました。
 しかし、5月3日は快晴で、心地よい春風。穏やかでとてもすがすがしい一日でした。遠くに霞む山々はまだ雪がたくさん残っていましたが、かえってそれが、むさ苦しい都会の町中に比べると爽やかな感じがしました。空港からの高速道路の道ばたにも、一般道の道ばたにも、ふきのとうがもうちょっと伸びきった様子でしたが、薄緑の茎をそこここに出していました。
 ところで、高速道路から脇を見ると、かなり薄汚く黒ずんで、所々白い小高い山が目に付きました。何ですか? 市内各所から運んだ雪の山ですね。これで3分の1くらいの量に減りましたか。注意していると何カ所かそういう「山」がありました。
 考えてみると、かなり以前に、それも「雪祭り」の日に札幌に行ったことがあって、あとは夏時分しか出かけたことがなかったのです。冬から春、そして夏と、どんどんと季節が移り変わり、景観も大きく変わっていく。こうした風景を驚きとともに、はじめて目にしました。
 道はもうまるで一直線、どこまでも続きます。その広い道を軽快に車を走らせてくれました。スピードの出しすぎ、出会い頭の事故なども多い、と聞きました。かつては、スパイクタイヤのために春先は街全体が舞い上がる塵埃でひどい状況だった。今はスタッドレスなので全く違います。
 江別は今、札幌のベッドタウンになっていて、しゃれた住宅が建ち並んでいました。屋根はフラットなものが多く、雪の重さで屋根がつぶれるのでは、と余計な心配をしました。かなり鋭角に切った屋根が多いのかと思ったので、意外だったのです。このことは、前に来たときにも感じていたことでした。この方が風で雪が飛ぶからいいのですよ。それから家と家との間にブロック塀などはありませんよ、積もった雪を出すのに困りますから。
 どこまでもまっすぐな道を走らせながら、話しをしてくれました。わずかな時間の中での、北海道の自然と生活・・・。同乗してくれた方は、愛知からの開拓者の末裔でした。今は札幌に居を構えていますが、実家は愛別です。
 ほんのちょっと、それも空港から会場、そして束の間の歓談、また会場から空港ということでは知ることの出来ない、その地での「自然と生活」の深さを思います。
 新千歳空港は、お客さんで一杯でした。往きも帰りも飛行機は満員で、家族連れのにぎやかな姿も多く見かけました。
コメント (2)
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こうなったら乗車NOの運動を

2005-05-05 23:26:16 | 世間世界
 次々と暴露されるJR西日本の不祥事。大惨事に居合わせた二人の乗務員。「気が動転して」と言ったとかで、マスコミからその無責任さを徹底してたたかれた。しかし、その実は、事故直後に上司に連絡をしたところ、「定刻に出勤するように」と指示されたので、現場から出勤場所にやっとのことで移動したという。
 ボーリング大会とその後の飲み会も、社員はすでに大事故を知っていたのにやっていたということをやはりマスコミから厳しくたたかれた。しかし、実際は、上司の「事故があったことはわかっていたが、昼過ぎには回復する」という判断で、予定通り開催したらしい。だいたい、事故から何時間経っていたのか。上司の事実認識の誤りといいかげんぶり。
 社員の中にもTV情報や同僚からの連絡で、大きな事故だということは分かっていたが、「上司に中止した方がいいのでは」と言えるような雰囲気ではなかったという。また、明らかに飲み会なのに、「懇親会」と特には酒の席ではないかのように言い変え、その会も二次会・三次会とあったらしい。マスコミも会社ぐるみの危機管理のずさんさ・対応に対して厳しく批判している。
 けれども、それに対して、会社の上層幹部はこうした事態(次々と暴露される失態)について、直属上司の言動をよく調査し、厳正に処分したいということを明らかにしている。自分たち幹部の責任については、いい加減な言い回しに終始している。かつての国鉄時代の特権幹部の悪弊が、JRになってもそのまま引き継がれた感じだ。
 こうした幹部の発言を聞く限り、JR西日本は、あの倒産した「雪印〇〇」と同じく会社倒産ものだ。公共事業という名の下で、幹部があぐらをかいている状況は全く変わっていない。
 「置き石」事件の多発も当初、置き石が原因であるかのような発表が引き金になってはいないだろうか。勿論、模倣犯・愉快犯は、もってのほかの卑劣な犯罪である。しかし、小生は最初、自分たちの置き石原因説を裏付けるための「自作自演」ではないかと邪推したほどだ。
 こうしてみると、JR西日本が営業収入の減や莫大な補償金の支払いのために、倒産してもしかたがないのでは、とも思うようになってしまっている。全く利用することもない、門外漢の無責任な発想だが、こうなったらJR西日本を利用しないことで、会社の改革を迫るしかないのではないか。
 かのNHKの不祥事への怒りが、不払いとなって大きな減収となり、少しばかりのNHK改革につながっていくように、消費者はもう黙っていることはないのだ。被害者の悲しみ・憤りを共有できないだろうか。
 関西地域の皆さんへ。

 通勤経路をJRから私鉄路線に変更しましょう!
 これからはJRには乗らないようにしましょう! 
 JRに乗るくらいなら健康のために自転車や徒歩で出かけましょう!

 ちょっと無責任な憤りでしたか。
コメント (2)
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還暦を迎えた戦後日本

2005-05-04 10:21:08 | 平和
 60歳。還暦を迎えると赤いちゃんちゃんこを着てお祝いを受けます。長嶋さんが「はじめての還暦で・・」と緊張気味で話しをして大受けしたのは何年前でしたか。
 還暦、ご承知の如く、生まれた年の干支に返る。一説によると「60歳・一因果」、つまり60年で自分が歩んできた一生の振る舞いの結果が出るとも言われています。原因と結果ですから、善因善果というふうにいけばいいですが、なかなかそうはいきません。積もり積もった自らの所行が報いとして現れてくる、となると今となってああしまった!と思っても後の祭りとなってしまうのが、悲しいかな人間の有様です。
 国家もそうかもしれません。戦後60年を一因果ととらえると、戦後の出発から今日までいったい何をしてきたか、その原点は何であったかを思い返すのも大事でしょう。
 1945(昭和20)年8月15日、敗戦。
 歴史にif(もしも)はありえませんが、もしまだこの日に敗戦を迎えなかったら、日本はどうなっていたでしょうか。広島長崎の他にも小倉や新潟に原爆が投下されていた、沖縄に引き続き日本本土(九州地方)は米軍(連合軍)により地上戦が行われた、北海道はソ連軍の侵攻があった、こうしてずたずたになった日本を想像してみましょう。
 その際に重要なのは戦場は日本だけではなかったということです。中国でも、朝鮮でも、東南アジアでも、太平洋の南の島々でも、悲惨な戦闘が続くという発想が、我々になければならないと思います。
 一方、8月1日にポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしていたならばどうだったでしょう? 広島も長崎もソ連の満州侵攻もなかった、などを想像してみましょう。またアジア地域は?
 しかし、もしも反対に日本が勝ち戦さで、あと5年も戦争を続けていたらどうだったでしょうか。何をいまさらと思いますが、実は後者のような発想をすることで、1945年8月までの日本の戦争政策、またその間の朝鮮や満州(中国)への統治政策はどういう真意と意図を持っていたのかを考えるきっかけになるのではないでしょうか。もし後何年も日本が戦争を遂行していたらと想像してみることで、あの当時、どうして(why)日本はあのような異民族統治を行っていたのかを考えていくことになるのだということです。
 現在に至るまで、中国や南北朝鮮との間の歴史認識の違いは、中国や朝鮮では、当時の日本政府や軍隊のやったこと、やろうとしていた事の意図・狙いに対する批判・抵抗が今もなお骨身に染みて存在しているのではないかと思うのです。
 今になって「未来志向でいこう」とこちらが言っても、早々簡単に許されるものではないと考えている人々が多いのではないでしょうか。
 戦前の日本が「なぜ」ああいうような政策を遂行したのか、その点をもっと省みなければ、彼らの反発の真意は分からないような気がします。
 こうして、戦後60年。曲がりなりにも平和を維持(60年間、正規軍同士の戦闘行為によっての死亡者0は世界でもまれな国です。)してきた背景に厳然としてある、「日本国憲法」。戦後の経済復興。政治的・思想的自由・・・。
 今、その憲法を「改正」しようとの動きが国民の間に強まっています。喉元過ぎれば・・ではありませんが、憲法記念日を過ぎれば、またもとのもくあみというふうにはなりそうもありません。 還暦を迎えた戦後日本。これから新たな60年をどう築いていくか。1945年から60年前は、1885年。明治維新から18年。いよいよ日本が世界にうってでる時代を迎えていました。そして9年後、「神の国」日本は、日清戦争を皮切りに戦争国家として歩み始めたのです。
 憲法記念日に想ったことでした。
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個人の資質に帰することのまやかしについて

2005-05-03 23:23:05 | つぶやき
イシハラさんが
今回のJR西日本の大惨事に対して
運転手の資質に問題があったのではないか
というコメントを述べましたね

たしかに、マスコミからも
死んだ運転手が何回か処分をされていたとか
そして事故直前に遅れを過小に報告しようとしたとか
若い運転手に対する資質を疑うような報道がなされていますが
でもそれでJR西日本の会社としての責任は
回避されるわけではないですよね

それはそうでしょう
どういう社員教育をしてたのか
運転技術・・・
どう教えていたかは当然問われるでしょう

これまでの公的機関の大事故の原因追及は
会社ぐるみの犯罪・欠陥というようにはならなかったのではないですか
もんじゅにしても原発にしても適当なところで終了!
今回も莫大な補償問題など
会社の存続にもかかわるような大事故ですがね

でも会社はすぐにでも復旧させて
運転再開を目論んでいたようですね
危機意識がなさすぎますね、利用者の見る目の厳しさに
国土交通省からの指導であわてて撤回したとか
安全性を真剣に考えていないような
利益優先ですか、相変わらず

北側っていいましたか、あの大臣
あの方もいろいろ注文はするけど
どこまで本気ですかね
公明党からの大臣ですよね
大阪はもうそれこそ最強の地盤ですから
やはり世間体をそうとう気にしているのでしょうね
いったいどこ向いてるんだか、ホント

いい意味で指導性を発揮して
会社ぐるみの改善策をはっきりさせるまでは
運転再開はノー
くらい言ってもらいたいものですがね

そういやあ、あの方も大臣になってから
地震や災害など多いようで
気の毒ですね
よほど疫病神にでもとりつかれているんじゃないですかね

そうそう、でも、結局は適当なところで手を打って
最後は運転手個人の過失責任ということに落ち着いたら
被害者はたまったものじゃありませんね

本当に最後の最後まで補償問題を含め
会社の経営方針の見直し
安全管理の徹底など抜本的な方針変更がないかぎり
運転再開はしない、させないというくらいじゃないとね

イシハラさんもいちおうは
会社側の責任にもふれていますが
イシハラ的ですね、あの人のスタンスは常に全体か個かの二者択一ですから
こういう場合の責任は個という事にしたいのでしょうね
体制にまで責任が及ぶのは
避けたいんでしょうかね

でもそれによって全体の責任が曖昧にされることは
おかしなことですね
今回の事故調査委員会の報告も
何ヶ月もかかっていいですから
会社のこれまでのやり方の過ちを
徹底的に解明して欲しいですよ

勿論、事故調査という限界はありますから
それこそ国会で証人喚問ですか
組合も出てもらって
徹底的にやって貰いたいですよ
そのための国会なのではないですか

それもせずに郵政・郵政だけじゃ
あまりにもお粗末ですよ、コイズミさんも
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今や弛緩しきっている日本の社会

2005-05-02 09:10:40 | 世間世界
 羽田空港の滑走路着陸事件。一歩間違えれば大惨事になりかねなかったミス。勤務していた管制官全員が「工事のため閉鎖した滑走路には着陸禁止」と言うことを失念していた! 機長のほうが知っていて確認を求めたのに対して、着陸指示を繰り返して着陸させたという。あとの飛行機は機長の判断で別の滑走路に降りた。
 18人の管制官全員が忘れていたというのだから開いた口がふさがらないとはこのこと。飛行機では離陸と着陸が魔の時間とか言われて最も緊張する。操縦士の緊張はもとより乗客も何だか心落ち着かない。小生、飛行機に何回乗ってもこの緊張はけっして心地よいとはいえない。 
 最近のある飛行場での経験。着陸態勢に入り地面が接近し、車輪が地面に着いたかと思ったとたん、急上昇して滑走路から離れたことがあった。もう一度旋回して無事着陸したが、一瞬名古屋空港の惨事が思い浮かんだほどだった。その時着陸したら事故につながるという機長の判断と管制官の指示によったのだろう(後に、急な横風のためだったという機内アナウンスがあった)。それほどまで、管制官にも我々乗客の生命を預けているのである。
 だから、今回の事態は、注意力散漫・伝達不充分などといったことで片づけられない。事故にならなかったから助かったという問題ではないのだ。人間のやること、必ずミスはつきものである。その時のフォローを誰がやるのか、コンピュータに任せるのか。しかし、こうした技術優先の背景には、ニンゲンフシンが根底にあるような気がしてならない。
 危険防止のための制御システムを導入するのは当然としても、それ以上に、やはりそうした生命を預かる、人間の道義心といったメンタルな部分の意識改革が必要なのではないか。「技術」第一義主義の中で、人の心・精神的な作用を軽く見ている落とし穴があるように思う。JR西日本の大惨事。これも日ごろの社員教育のゆがみが生んだように感じる。
 技術の開発・導入で事故が回避される側面があることは事実だろう。しかし、人間そのものの教育・学習が正しくなされなければ、かえって、ニンゲンフシンの上に立ったシステムは、正常には機能しない。ニンゲンフシンのシステムは、即、人間軽視につながっていく。
 日本の企業教育のあり方が技術偏重になっていった結果が、JR西日本や今回の事態につながっているのではないか。だとすれば、一つ二つの企業の問題ではない。上は政治家から官僚、社長から社員に至るまで、基本的な「人間生命尊重」教育・学習の欠如が問題だと思う。
 利益優先・効率優先・成績重視など、すべて技術革新に結びつけていってしまうことの弊害を指摘したい。コンピュータなどの科学技術システムに頼り切って、ますます弛緩した人間の精神が、あちらこちらで多くの弊害を生み、ひいては、人の生命までも軽んじる結果となっているのではないだろうか。
 人間だけでなくさまざまな自然の生命を大事にする「心の教育」が必要なのだと思う。
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昔の光今いずこ

2005-05-01 12:11:28 | 平和
 今日は、メーデー。かつては代々木公園で大集会を開き、いろいろなコースに分かれてデモ行進をした。一番長いのは土橋コース。延々と青山通りを行進した。朝から夕方まで行進が続いた。
 平日であっても、職場でやりくりしては参加した。時々シュプレヒコールをやりながら、道行く人の視線を感じ、職場の人と話しながら歩いた。途中参加する人も多かった。小生も、それなりに参加した方だった。
いつしか、そうした代々木公園での大規模な集会がなくなった。総評が連合になり、共産党系が全労連を結成し、それらに入らない都庁の職員たちなどが別々の集会を行うようになった。代々木公園の会場取りを巡って争いがあったのも遠い昔の話し。まだまだそれぞれ元気があった。
 その会場も、代々木公園、日比谷公園、亀戸中央公園(たしか)などとそれぞれ別になった。そのうち、連合は、休みの日にやってみたり、余興というかアトラクション中心にしてみたりで、何だか尻つぼみのような集会と化してしまったようだ。今年はそれぞれどこでやるのか。聞くところでは、全労連が代々木、全労協が日比谷。連合はメーデー当日はもう何もやらないらしい。
 かつて、5月1日は労働者の祭典とか言われて、華やいだ中にも、時にさまざまな政治問題・経済問題などに、一定の異議申し立てをするような雰囲気もあって、道行く人にも組合の存在感をアピールしていたような気がする。
 それから連合路線になって、首相があいさつするは、自民党もあいさつするはで、何だかだらしない雰囲気となり、若い人も年寄りもほとんど見向きもしなくなった。と同時に、それまである程度は認めていた、職場から集会のためにでかけることが制限されるようになり、いよいよ形骸化してしまった。今は、ごく一部の労組でかろうじて運営されている、と言ったら語弊があるだろうか。共産党系の集会は、日本共産党支持一色だし、・・・。
 今、労組の組織率も毎年最低を更新しているようだ。日教組も共産党系が離れて以来、毎年組織率を低下させている。共産党系の「全教」も職場の支持はごく一部。かつての官公労は、姿かたちもない。また、民間労組は、徹底した企業内組合として、会社の利益向上のためには首切り合理化から賃下げまで、積極的に協力している・・・。
 戦後、新しい平和憲法のもと、さまざまな民主化(今は批判の対象としてことさらあげつらう輩もいるが)を推進した一翼を担ったのは、労働組合である。しかし、あまりにも党派性が露骨に出て反発されたり、権力の介入を許したりで、組合員の意識の変化も加わって、しだいに先細ってしまった感がある。
 強弁するわけではないが、こうした組合の存在が希薄になったと共に、政治への不信、経済への不安、平和への危機、改憲策動・・、日本の進路をめぐるさまざまな問題から、また、日本企業の病巣が見え始め、今やどうにもならなくなったといえるのではないだろうか。
 ダサイ組織の代表と揶揄されるようになってしまった「組合」の存在感を今こそ見せなければならないのではないかと思う。
 しかし、こうした危機感や切迫感が、組合幹部や組合員にあるだろうか。日本社会の転換期だからこそ、「組合」の意義も組織もあるはずなのに、まるで発揮する機会なし。
 市民と共に考え、行動できるような組織、既存の組合「サヨク」運動の限界を超えていけるような、新たな組合運動が築けないものだろうか。
 今日は、資料整理に追われる一日になりそうだ。 しかし気分は、・・・。
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