前方に三叉路。
右の細い道が旧道のようです。
「ゑの木處一里塚 南 中原道 北 奥州道」跡。
すぐに国道に合流します。
この先、旧道は不明な点、多し。
実は、平塚市。昭和20年7月16日〜17日の未明にかけ、アメリカ軍B29爆撃機132機による大規模な攻撃を受けます。これが「平塚大空襲」です。この空襲により、平塚市の60%近くが破壊され、362名以上の尊い人命が奪われました。また、空襲による被害は、軍需工場より市街地に多く、罹災戸数7,678戸、罹災者数35,336人を数えました(神奈川県警察調べ)。
平塚市は、軍需工場が多く存在していました。
現在の「藤沢市総合公園」付近。
(現在)上方に「藤沢市総合公園」。
(1970年代)工場が跡地のまま残っている。
国道から右にそれて歩きます。
「四之宮西町」。
しばらく歩くと、民家のところに、「中原街道」碑。さらに、
。
慶安三年(1650)村民の金左衛門が自ら醸造した酢を幕府や親藩に献上した。後に水戸宰相光圀の銘で代官端山源左衛門祐重宛に礼状を頂く旨の碑が真土史跡研究会により令和元年に建てられている。
この付近の街並み。中央の道を進む。
突き当りの角に、「庚申塔」。
この通りを右に進めばよかったのですが、・・・
この先、左に進んでしまい、国道に。1時間ほど、うろうろした挙句、結局、JR平塚駅前に出てしまいしました。
結局、ここまで。再度チャレンジすることにしました。
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