おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「舞浜大橋」~「新左近川親水公園」。(旧江戸川を遡る。その1)

2013-06-02 20:14:45 | 世間世界
 舞浜大橋のたもとから上流に向かってサイクリング・ジョギングコースが整備されています。川の中流には「妙見島」。今回は、江戸川区の富士公園駐車場に車を駐めて、そこから折り畳み自転車で(ほぼ往復する感じ)。
「富士公園」内にある「江戸川富士」。小高い丘になっています。
駐車場付近から見上げたところ。この公園は、アスレティック、バーベキュー、キャンプなどもできる多目的な公園。環七をまたいでさまざまな施設を持つ公園の旧江戸川側(東側)にあります。公園にしたのは、頭上には高圧鉄線があって高い建物が不可能だったせいもあるのでしょう。

(今昔マップ」より。1965年~68年にかけての地図。)昭和40年代前半にはこうして「海岸堤防」が旧江戸川右岸(西側)の奥まで続いていました。赤い線のところ。当時は対岸の千葉県側も干拓が進んではいないので、河口はかなり広がっていました。
 その後、東京側も千葉側も東京湾の干拓事業が進みます。
(同じく1975年~78年にかけての地図)赤い円形のところ。
旧江戸川の土手。かつての海岸堤防は上流に向かって伸びていました。現在は、その面影はなさそうです。
土手下の遊歩道。ほぼかつての堤防の一部にあたる。
ほぼ直角に曲がった道路。海岸堤防もこうなっていました。
の部分。
その曲がり角には土盛りのままの高台が、堤防の西側に幅広く残っています。
こんな感じ。「ゴルフ禁止」の立て札がありました。
上流を望む。風が心地よい。
下流を望む。鉄橋はJR京葉線。
来た道を振り返る。
対岸のようす。浦安市にある「舞浜公園」の北側。正面の川は、旧江戸川から流れる「見明川」。
赤い斜線部分がもともとの陸地。緑色の部分が埋立て地。その間の運河が現在の「見明川」となっています。
ただ明治中期には「歴史的農業環境閲覧システム」によれば、もともとは「江戸川」河口に大きく広がった三角州の中にあった支流のようです。
「左近川」の旧江戸川水門。
「新左近川親水公園」入り口。
川のせせらぎと緑が豊かな親水公園です。
「なぎさ公園」の北側から南西の方角に流れ、「海岸水門」を経てからはさまざまなレクリエーション施設のある大きな水上公園風になります。この地域には自然を生かし、工夫を凝らした大きな公園がたくさんあります。
下流を望む。対岸の遠くには、ディズニーランド。ホテル群。
明治中・後期のようす。赤い線が「左近川」、黄色い線が海岸線。陸地の一面に田んぼが広がっているのが分かります。
 「将監の鼻」碑の「由来」中の一節「一方では先祖伝来の土地を海の中に追いやってしまうというつらい役割も担って来ました」とあるように、陸地(水田等)への海水の流入を防ぐために、海の浅瀬(三角州)を「海岸堤防」で仕切った(物理的に陸と海とを遮断する)という一面もあるようです。
「江戸川」河口に広がる海水と真水の混じった湿地帯。



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