これまでの読書傾向とはちょっと趣を異にする内容。発表された雑誌は、俗にいう保守系の立場が多い。まず手にとって読んだことがない。したがって、違和感があった。物言わぬ「世間」という、常識的立場に依拠しながら(ふりをして)、子供や教育を巡る言説を批判、自説を展開するスタイルに徹底している、というと言い過ぎか。
筆者の根底にあるのは、懐疑主義(というべきものか)。まずマスメディアなどで常識とされつつある言論を疑ってかかる。むしろ、固定化することを徹底して嫌う、という基本のスタンスは、どの話題についても堅持されている。そこが、興味深いと同時に危うい。
中学の公民の教科書批判などは、それがはっきり出ている。ジェンダー、人権、平和問題など、日頃、教科書などに接したことがない(自分の子供の使っている教科書などでも)人々にはその批判への賛同、ひいてはそうした教科書採択反対への働きかけの一定の効果はあるだろう。まさに保守系評論家らしい話題の展開の仕方か。 ゆとり教育批判もその例。
恐いのは、何となく漠然としている今の教育への不満、批判が「やはりそうだよね」言説によって「そうだそうだ」とそれすらも固定化されてしまうことではないか。それは、かえって、最後に取り上げた宮代真司氏の言説への批判的と矛盾するのではないか。
そういえば、副題に「学校、家族、メディアに見る子供をめぐる矛盾」とある。自己矛盾に陥らなければいいが。
筆者の根底にあるのは、懐疑主義(というべきものか)。まずマスメディアなどで常識とされつつある言論を疑ってかかる。むしろ、固定化することを徹底して嫌う、という基本のスタンスは、どの話題についても堅持されている。そこが、興味深いと同時に危うい。
中学の公民の教科書批判などは、それがはっきり出ている。ジェンダー、人権、平和問題など、日頃、教科書などに接したことがない(自分の子供の使っている教科書などでも)人々にはその批判への賛同、ひいてはそうした教科書採択反対への働きかけの一定の効果はあるだろう。まさに保守系評論家らしい話題の展開の仕方か。 ゆとり教育批判もその例。
恐いのは、何となく漠然としている今の教育への不満、批判が「やはりそうだよね」言説によって「そうだそうだ」とそれすらも固定化されてしまうことではないか。それは、かえって、最後に取り上げた宮代真司氏の言説への批判的と矛盾するのではないか。
そういえば、副題に「学校、家族、メディアに見る子供をめぐる矛盾」とある。自己矛盾に陥らなければいいが。
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