前回紹介した以外にも、公園内には鉄道第一連隊関連の戦争遺構がいくつか残っています。起伏に富んだ地形を生かしての演習所だったようです。
鉄道連隊
戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。
日本陸軍鉄道連隊の前身、鉄道大隊(2個中隊・電信1中隊・材料廠)は日清戦争後に初めて編成された。以来、日露戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)まで活躍した。支那事変以前は近衛師団隷下の交通兵旅団に属していた。
1940年7月の平時編成表によると、鉄道連隊の編制は連隊長(大佐)の下に連隊本部(57人)、3個大隊(大隊本部5人、3個中隊=1個中隊107人)、材料廠(23人)の合わせて1091人。ただし、鉄道第二連隊には、このほかに練習部、幹部候補生隊、下士官候補生隊が付設されていた。
鉄道第一連隊
鉄道第1連隊の鉄道敷設作業の様子
創設 1896年(明治29年)
廃止 1945年(昭和20年)9月
主な戦歴
日露戦争-満洲事変-支那事変-第二次世界大戦
1930年頃(昭和初頭)の千葉市周辺の地図。鐵道第一聯隊は地図中央やや上の、軍用鐵道の分岐近くにあった。
鉄道連隊が敷設した路線
鉄道連隊は戦地のみならず国内各地でも鉄道建設を請け負い、訓練をかねていたので、建設費は材料費を負担するだけでよかった。そのため、鉄道事業者からは重宝された。
内地
千葉県営鉄道野田線(現在の東武野田線)
千葉県営鉄道多古線(後の成田鉄道多古線)
千葉県営鉄道八街線(後の成田鉄道八街線)
千葉県営鉄道久留里線(現在の久留里線)
千葉県営大原大多喜人車軌道(後の夷隅軌道)
北総鉄道野田線(現在の東武野田線)
川越電気鉄道(後の西武大宮線)
西武鉄道(初代)村山線(現在の西武新宿線 高田馬場~東村山)
中島飛行機専用線 西東京市
富士身延鉄道(現在の身延線)
東京急行電鉄代田連絡線
小湊鉄道線
福島電気鉄道(のちの福島交通飯坂東線 在来路線の改軌・電化)・・・
また、千葉県内には鉄道連隊の演習用の路線があった。戦後一部は新京成線に転用された。
(以上、「Wikipedia」参照)
①架橋演習用に使用したコンクリート製の橋脚。高さ4㍍、幅5㍍、奥行き2㍍。上部の丘の上に一部が残っている。
見上げるほど、かなり大きな遺構。
説明板。
当時の演習のようす。
西側の高台に残る橋脚。
そこから下方の橋脚を望む。
②トンネル工事演習で使用したコンクリート製のドーム(外枠)。高さ6㍍、幅6㍍、奥行き5.5㍍。
これもかなり大きな遺構。
上部には「鉄道連隊」のマーク。
側面。 内壁。
「元鉄道隊が演習時構築せる隧道 全国鉄道連隊連合会」。「鉄道連隊」は、第一連隊(千葉)、第二連隊(習志野)をもとにして、20の連隊が存在した。
③ウィンチ台といわれるコンクリート塊。
橋脚と「綿打池」のほぼ対岸にある。
「ウインチ」は、動力で歯車を回しながらワイヤロープ等で大きな物を上げ・おろし、運搬、引張り作業などに使用する「巻き揚げ機」のこと。池をはさんで重量物を運搬する演習にでも用いたのか。
平らで四角い塊も。
ボルト痕。
「千葉公園」を後にして、次に向かいます。
鉄道連隊
戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。
日本陸軍鉄道連隊の前身、鉄道大隊(2個中隊・電信1中隊・材料廠)は日清戦争後に初めて編成された。以来、日露戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)まで活躍した。支那事変以前は近衛師団隷下の交通兵旅団に属していた。
1940年7月の平時編成表によると、鉄道連隊の編制は連隊長(大佐)の下に連隊本部(57人)、3個大隊(大隊本部5人、3個中隊=1個中隊107人)、材料廠(23人)の合わせて1091人。ただし、鉄道第二連隊には、このほかに練習部、幹部候補生隊、下士官候補生隊が付設されていた。
鉄道第一連隊
鉄道第1連隊の鉄道敷設作業の様子
創設 1896年(明治29年)
廃止 1945年(昭和20年)9月
主な戦歴
日露戦争-満洲事変-支那事変-第二次世界大戦
1930年頃(昭和初頭)の千葉市周辺の地図。鐵道第一聯隊は地図中央やや上の、軍用鐵道の分岐近くにあった。
鉄道連隊が敷設した路線
鉄道連隊は戦地のみならず国内各地でも鉄道建設を請け負い、訓練をかねていたので、建設費は材料費を負担するだけでよかった。そのため、鉄道事業者からは重宝された。
内地
千葉県営鉄道野田線(現在の東武野田線)
千葉県営鉄道多古線(後の成田鉄道多古線)
千葉県営鉄道八街線(後の成田鉄道八街線)
千葉県営鉄道久留里線(現在の久留里線)
千葉県営大原大多喜人車軌道(後の夷隅軌道)
北総鉄道野田線(現在の東武野田線)
川越電気鉄道(後の西武大宮線)
西武鉄道(初代)村山線(現在の西武新宿線 高田馬場~東村山)
中島飛行機専用線 西東京市
富士身延鉄道(現在の身延線)
東京急行電鉄代田連絡線
小湊鉄道線
福島電気鉄道(のちの福島交通飯坂東線 在来路線の改軌・電化)・・・
また、千葉県内には鉄道連隊の演習用の路線があった。戦後一部は新京成線に転用された。
(以上、「Wikipedia」参照)
①架橋演習用に使用したコンクリート製の橋脚。高さ4㍍、幅5㍍、奥行き2㍍。上部の丘の上に一部が残っている。
見上げるほど、かなり大きな遺構。
説明板。
当時の演習のようす。
西側の高台に残る橋脚。
そこから下方の橋脚を望む。
②トンネル工事演習で使用したコンクリート製のドーム(外枠)。高さ6㍍、幅6㍍、奥行き5.5㍍。
これもかなり大きな遺構。
上部には「鉄道連隊」のマーク。
側面。 内壁。
「元鉄道隊が演習時構築せる隧道 全国鉄道連隊連合会」。「鉄道連隊」は、第一連隊(千葉)、第二連隊(習志野)をもとにして、20の連隊が存在した。
③ウィンチ台といわれるコンクリート塊。
橋脚と「綿打池」のほぼ対岸にある。
「ウインチ」は、動力で歯車を回しながらワイヤロープ等で大きな物を上げ・おろし、運搬、引張り作業などに使用する「巻き揚げ機」のこと。池をはさんで重量物を運搬する演習にでも用いたのか。
平らで四角い塊も。
ボルト痕。
「千葉公園」を後にして、次に向かいます。
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