「天平の風薫る 下野国分寺周辺散策イラストマップ」(下野市観光協会)
「修学の門」。「万葉植物園」の標識。
落ち葉が敷き詰められた道を進む。あまり訪れる人もいないのか、ちょっと手入れが行き届かぬようすですが。
しかし、万葉集中の歌が関連のある草花や樹木に添えられていて、飽きません。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る 額田王
「あおぎり(梧桐)」。
梧桐(ごとう)の日本琴(やまとこと)一面 対馬(つしま)の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ)なり 此の琴夢に娘子に化りて曰く・・・ 大伴旅人
729年のことです。
大宰府長官大伴旅人は朝廷の要職にあった藤原房前(ふささき:不比等の第二子 参議)に梧桐(ごどう)で作られた琴を贈るにあたり歌二首を添えた書状をしたためました。
梧桐とは一般的には青桐(アオギリ科)とされていますが、文学作品では普通の桐(ゴマノハグサ科)をいうことが多いようです。
書状は旅人が夢に見た琴の精である乙女との会話から始まります。
『この悟桐製の日本琴(やまとこと)は対馬の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ:根もとの脇から生えた枝) から作られたものです。
この琴が夢で乙女になって現れ、こう言いました。
「私は遥か遠い対島の高い峰に生え、大空の美しい光に幹をさらして育ちました。
いつもまわりを雲や霞に取り囲まれ、山や川のもとで遊び暮らし、遠く海の風波を眺めながら、伐られるか伐られないか分からないまま立っていました。
ただ一つ心配なことは、このまま長い歳月を経たのち寿命を終え、空しく谷底に朽ち果てることでございました。
ところが幸いにも立派な工匠(たくみ)にめぐり合い、伐られて小さな琴になることができたのです。
音は粗末で響きも悪うございますが、いつまでも徳の高いお方のお側に置いて戴けることを願っております。 」
このように語った乙女は次のように詠いかけました。
「 いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ
人の膝の上(へ) 我が枕かも 」 巻5-810 大伴旅人
そこで私も歌で答えました。
「言問わぬ 木にはありとも うるはしき
君が手(た)馴れの 琴にしあるべし 」 巻5-811 同上
すると乙女は「つつしんでご親切なお言葉をうけたまわりました。ありがたいきわみでございます。」と答えたのです。
私はふと目が覚めて、しみじみと夢を思い、乙女の言葉に感じ入ってじっとしていることができません。
そこで公用の使いにことづけて、その琴を御進呈申し上げる次第です。 』
(以上、「万葉集遊楽manyuraku.exblog.jp」HPより)
「あせび(馬酔木)」。
わが背子に わが恋ふらくは 奥山に 馬酔木の花の 今盛りなり
「あおつづらふじ」。
上毛野(かみつけの) 安蘇山葛(つづら) 野を広み 延ひにしものを 何か絶えせむ
どれなのか分からなかったので、「Wikipedia」から。
「えのき」。
わが門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ
けっこうたくさんの草木と関連する歌が添えられています。「かつら」。
黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色づく見れば
この歌にもあるように、中国の伝説では、「桂」は「月の中にある理想の木」ですが、中国で言う「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、日本と韓国では古くからカツラと混同されているようです。
万葉集にはこんな歌も。
目には見て 手には取らえぬ 月の内の 楓(かつら)のごとき妹を いかにせむ 湯原王
「おきなぐさ(ねっこ草)」。
芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ草 相見ずあれば 我れ恋ひめやも
注:「芝付の御宇良崎」=神奈川県の三浦半島とされている。
オキナグサ
白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。 ネコ(ネッコ)グサという異称もある。
日本では、本州、四国、九州に分布し、山地の日当たりのよい草原や河川の堤防などに生育する。アジアでは、朝鮮、中国の暖帯から温帯に分布する。
かつて多く自生していた草地は、農業に関わる手入れにより維持されていた面があり、草刈などの維持管理がなされくなり荒廃したこと、開発が進んだこと、それに山野草としての栽培を目的とした採取により、各地で激減している。
全草にプロトアネモニン・ラナンクリンなどを含む有毒植物。植物体から分泌される汁液に触れれば皮膚炎を引き起こすこともあり、誤食して中毒すれば腹痛・嘔吐・血便のほか痙攣・心停止(プロトアネモニンは心臓毒)に至る可能性もある。
(以上、「Wikipedia」参照)
気のせいか、紹介されている歌は、どうも恋の歌(相聞歌)が多いようです。
「うづき(うのはな)」。
鶯の 通ふ垣根の 卯の花の 憂きことあれや 君が来まさぬ
ウツギの名は「空木」の意味で、茎が中空であることからの命名。花は「うつぎ」の頭文字をとって「卯(う)の花」とも呼ばれ、童謡『夏は来ぬ』で歌われるように初夏の風物詩とされてきました。また、旧暦4月を卯月と呼ぶのは「卯の花の咲く季節」の意であるとされています。
「夏は来ぬ」(作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助)
1卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
2さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ
3橘の 薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ
4楝(おうち)ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
5五月やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
「修学の門」。「万葉植物園」の標識。
落ち葉が敷き詰められた道を進む。あまり訪れる人もいないのか、ちょっと手入れが行き届かぬようすですが。
しかし、万葉集中の歌が関連のある草花や樹木に添えられていて、飽きません。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る 額田王
「あおぎり(梧桐)」。
梧桐(ごとう)の日本琴(やまとこと)一面 対馬(つしま)の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ)なり 此の琴夢に娘子に化りて曰く・・・ 大伴旅人
729年のことです。
大宰府長官大伴旅人は朝廷の要職にあった藤原房前(ふささき:不比等の第二子 参議)に梧桐(ごどう)で作られた琴を贈るにあたり歌二首を添えた書状をしたためました。
梧桐とは一般的には青桐(アオギリ科)とされていますが、文学作品では普通の桐(ゴマノハグサ科)をいうことが多いようです。
書状は旅人が夢に見た琴の精である乙女との会話から始まります。
『この悟桐製の日本琴(やまとこと)は対馬の結石山(ゆひしやま)の孫枝(ひこえ:根もとの脇から生えた枝) から作られたものです。
この琴が夢で乙女になって現れ、こう言いました。
「私は遥か遠い対島の高い峰に生え、大空の美しい光に幹をさらして育ちました。
いつもまわりを雲や霞に取り囲まれ、山や川のもとで遊び暮らし、遠く海の風波を眺めながら、伐られるか伐られないか分からないまま立っていました。
ただ一つ心配なことは、このまま長い歳月を経たのち寿命を終え、空しく谷底に朽ち果てることでございました。
ところが幸いにも立派な工匠(たくみ)にめぐり合い、伐られて小さな琴になることができたのです。
音は粗末で響きも悪うございますが、いつまでも徳の高いお方のお側に置いて戴けることを願っております。 」
このように語った乙女は次のように詠いかけました。
「 いかにあらむ 日の時にかも 声知らむ
人の膝の上(へ) 我が枕かも 」 巻5-810 大伴旅人
そこで私も歌で答えました。
「言問わぬ 木にはありとも うるはしき
君が手(た)馴れの 琴にしあるべし 」 巻5-811 同上
すると乙女は「つつしんでご親切なお言葉をうけたまわりました。ありがたいきわみでございます。」と答えたのです。
私はふと目が覚めて、しみじみと夢を思い、乙女の言葉に感じ入ってじっとしていることができません。
そこで公用の使いにことづけて、その琴を御進呈申し上げる次第です。 』
(以上、「万葉集遊楽manyuraku.exblog.jp」HPより)
「あせび(馬酔木)」。
わが背子に わが恋ふらくは 奥山に 馬酔木の花の 今盛りなり
「あおつづらふじ」。
上毛野(かみつけの) 安蘇山葛(つづら) 野を広み 延ひにしものを 何か絶えせむ
どれなのか分からなかったので、「Wikipedia」から。
「えのき」。
わが門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ
けっこうたくさんの草木と関連する歌が添えられています。「かつら」。
黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色づく見れば
この歌にもあるように、中国の伝説では、「桂」は「月の中にある理想の木」ですが、中国で言う「桂」はモクセイ(木犀)のことであって、日本と韓国では古くからカツラと混同されているようです。
万葉集にはこんな歌も。
目には見て 手には取らえぬ 月の内の 楓(かつら)のごとき妹を いかにせむ 湯原王
「おきなぐさ(ねっこ草)」。
芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ草 相見ずあれば 我れ恋ひめやも
注:「芝付の御宇良崎」=神奈川県の三浦半島とされている。
オキナグサ
白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。 ネコ(ネッコ)グサという異称もある。
日本では、本州、四国、九州に分布し、山地の日当たりのよい草原や河川の堤防などに生育する。アジアでは、朝鮮、中国の暖帯から温帯に分布する。
かつて多く自生していた草地は、農業に関わる手入れにより維持されていた面があり、草刈などの維持管理がなされくなり荒廃したこと、開発が進んだこと、それに山野草としての栽培を目的とした採取により、各地で激減している。
全草にプロトアネモニン・ラナンクリンなどを含む有毒植物。植物体から分泌される汁液に触れれば皮膚炎を引き起こすこともあり、誤食して中毒すれば腹痛・嘔吐・血便のほか痙攣・心停止(プロトアネモニンは心臓毒)に至る可能性もある。
(以上、「Wikipedia」参照)
気のせいか、紹介されている歌は、どうも恋の歌(相聞歌)が多いようです。
「うづき(うのはな)」。
鶯の 通ふ垣根の 卯の花の 憂きことあれや 君が来まさぬ
ウツギの名は「空木」の意味で、茎が中空であることからの命名。花は「うつぎ」の頭文字をとって「卯(う)の花」とも呼ばれ、童謡『夏は来ぬ』で歌われるように初夏の風物詩とされてきました。また、旧暦4月を卯月と呼ぶのは「卯の花の咲く季節」の意であるとされています。
「夏は来ぬ」(作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助)
1卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
2さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ
3橘の 薫るのきばの
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌むる 夏は来ぬ
4楝(おうち)ちる 川べの宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
5五月やみ 蛍飛びかい
水鶏鳴き 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ
オオツヅラフジ 十数メートル
安蘇山つづら/つづら野
安蘇山の細長い裾野は 2km
群馬との県境の河原までは5百メートルの所まで伸びている。