おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武線栗橋駅~羽生駅。その3。カスリーン公園。利根川堤防決壊碑。(「利根川を歩く」1回目。)

2021-10-12 19:44:29 | 利根川を歩く

                 「決潰口跡」碑。利根川堤防の決壊碑。

左手にあるのは、「カスリーン公園」です。1947(昭和22)年に発生したカスリーン台風によって起きた大災害を忘れないために、旧大利根町の利根川の堤防上に1997(平成9)にモニュメントなどが設置された公園。

米軍による空撮。×が決壊箇所。

1947年9月16日午前零時20分、北埼玉郡東村(現加須市)新川通地先で、濁流に洗われていた利根川右岸堤防(写真中央上)が幅約350mにわたり大決壊。東村での利根川決壊とほぼ同時刻の同日午前零時15分、渡良瀬川堤防が川辺村(現加須市)三国橋付近(写真右上)で延長約380mにわたり決壊。堤防を崩した濁流は、埼玉県東部低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、東京東部低地(葛飾区、足立区、江戸川各区)までも水没させました。

(この項、「」HPより)

「カスリーン台風」はここ「利根川」のみではなく、「荒川」などでも堤防が決壊しました。

「荒川を遡る」歩きでは、熊谷手前、久下地区のところで紹介。

「決壊の跡」碑。              

昭和22年(1947)9月のカスリーン台風による洪水のため、河口から71km付近久下地先のこの碑がある場所で濁流が堤防を越え決壊しました。
流れ出た洪水は埼玉県北部の村を次々と襲い、おりしも利根川の決壊による濁流と合流してはるか東京まで達し、付近一帯に甚大な被害を与えました。
下の画像は洪水から約一ヶ月後の昭和22年10月に米軍が空撮したものですが、破堤している様子がわかります。

(この項、「」HPより)

1947(昭和22)年9月、カスリーン(キャサリン)台風による大洪水の発端となったのは、埼玉県東村(現在の埼玉県大利根町付近)での利根川堤防の破堤。この地点は、利根川の水は全て集中する上、下流の栗橋付近には鉄橋があり、そこに漂流物が引っかかって流れを悪くしていたほか、渡良瀬川との合流点もあるため、増水時には水の流れが悪くなるという構造的な問題を抱えていた。
 こうした要因によって、9月15日午後9時ごろには堤防の上から水が溢れはじめ、16日午前0時過ぎに大音響とともに、東村の利根川右岸提が340㍍にわたって決壊。濁流は南に向かい、午前3時には栗橋町、午前8時には鷲宮町、午前10時には幸手町(現在の幸手市)、午後1時には久喜町(現在の久喜市)に到達する。
 一方、荒川では15日夜に熊谷市付近で堤防が決壊しており、洪水は16日の午前中には、笠原村(現在の鴻巣市)に到達し、元荒川沿いに流下していく。
 利根川の濁流は庄内古川、古利根川周辺を中心にいくつも決壊を引き起こしながら、17日未明には春日部町(現在の春日部市)、同日夜には元荒川からの水をあわせて吉川町(現在の吉川市)に達し、現在の中川付近と江戸川に挟まれた地域を流下しながら、18日の夕方には埼玉県と東京都の境界付近である大場川の「櫻堤」(現在の水元公園付近)まで達した。19日未明ついに「櫻堤」が崩壊。その日のうちに金町、柴又、小岩付近は水没した。・・・
 同じころ、八条村(現在の八潮市)で中川の右岸が決壊、綾瀬川の東側も水没する。そして20日午前3時に亀有付近でも堤防が決壊し、夕方には四ツ木付近まで浸水する。金町方面に流れた水は、20日夕方には船堀付近に到達し、そこから荒川や旧江戸川を経て東京湾へと注ぎはじめた。
 なお、この2年後に大型で強い台風、キティ台風が上陸。高潮のために、今度は下町の江東区や墨田区などを襲って、浸水などの大きな被害を受けた。わずか2年足らずの大型台風の被害だったので、この台風と混同している人もいる。
 最近の研究では、超大型の台風(大きな集中豪雨)が襲った場合には、この時とほぼ同じように利根川の堤防が決壊する可能性が指摘され、その場合の想像以上の大きな被害予測が報告されている。

(この項、「Wikipedia」参照)

 ちなみに我が家付近では、濁流は、3㍍の高さに達すると予測されています。

2019年(令和元年)10月の台風19号によって、荒川流域は録的な大雨となり、甚大な被害をもたらしました。治水との戦いはまだまだ続きます。

・・・

左の図で「利根川」上流の×が今回の公園付近。グレーの部分が浸水地域。

上の記事でもあるように(赤字部分)、利根川の決壊は下流地域に大きな被害を与えました。

モニュメント。

その周囲には当時の被害を伝える写真等が掲示されています。

 カスリーン台風の概要。

葛飾区亀有付近のようす。

                     2010年代のようす。中央に「カスリーン公園」。

この部分は、利根川が直線に流れるよう人工的に開削したところ(「新川通」)で、上流からの流れが一気に集中する上、右から「渡良瀬川」が合流するので水量は多くなってしまう、さらに下流には東武線の鉄橋があり、漂流物がたまりやすい、という構造的な問題があった。

現在、この付近では「スーパー堤防」が完成していますが、将来の大洪水に備えて利根川護岸・治水工事が大がかりに進められているわけです。

    

付属の施設は閉館中。芝生では親子連れが遊び戯れ、ツーリングの人たちが休憩中。のどかな昼下がりです。

      

 


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