お濠側から見た「天主台跡」。
「やっさだるマン」からのおねがい、と。
やっさだるマン(Yassadaruman)
広島県三原市の公式マスコットキャラクターである。
2014年11月17日から12月25日に応募された1017点の応募作から優秀作8点を選び、その中から市民投票などで採用された三原市の公式マスコット。
2015年4月29日、三原市芸術文化センター(ポポロ)で開かれた「三原市合併10周年記念式典」で初披露された。 三原といえばやっさ祭りと三原神明市(ダルマ市)ということから、やっさ踊りを踊る日本一の大だるまをイメージして生まれた。
2018年4月21日、やっさだるマンがタイトルの三原市のご当地映画『やっさだるマン』が公開された。
名前:やっさだるマン
年齢:推定450歳
住まい:東町のとある倉庫
好きな食べ物:三原のスイーツ
好きな飲み物:三原のお酒。大吟醸が大好き
性格:とても優しい。特に、子どもと年配の人に
チャームポイント:ワイルドな眉毛とつぶらな瞳
好きなタイプ:三原なまりの女性
趣味:人前に現れ、ハッピーをもたらすこと。やっさ踊りを踊ること
座右の銘:七転び八起き
(以上、「Wikipedia」より)
三原市のご当地映画『やっさだるマン』
広島県三原市を舞台に、人気のない市の公式キャラクターを人気者にすべく奮闘する市役所の若者たちを描いた青春映画。如月肇と赤畑里美は広島県三原市役所やっさだるマン課で市の公式キャラクター「やっさだるマン」の管理運営を担当している。
しかし、やっさだるマンの人気は低く、全国からご当地キャラなどが集まる「ゆるキャラグランプリ」でも全国236位という順位に甘んじているが、肇はさして気にもとめずに昼は淡々と業務をこなし、夜は行けつけのバーで飲んだくれる日々を送っていた。
ある日、やっさだるマンの大ファンである礒谷優那が課に配属されてきた。彼女に一目ぼれした肇は、これまでにないやる気を見せ、やっさだるマンの一大プロジェクトを立ちあげることとなるのだが……。
人気声優の竹達彩奈らが出演し、同じく竹達が実写映画初出演した「ライトノベルの楽しい書き方」の大森研一監督とメインキャストの佐藤永典、須藤茉麻、竹達が再結集した。
(この項、「」HPより)
お濠の周囲を回ってみます。
明治時代の天主台跡周辺古写真
左の古写真では、すでに三原城の天主台の櫓は壊されており、石垣のみとなっています。西国街道があった天主台跡濠の北側には、家が立ち並んでいる様子が見えます。右の古写真では、橋が架かっていますが、その後埋め立てられて現在のような道になりました。
「史跡 三原城址」。東・西・北のお濠周辺は、公園として整備されています。
「史跡 小早川氏城跡(三原城跡)」
『小早川家文書』によると、三原城は、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が、永禄10(1567)年沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで築かれたと伝えられています。城は、海に向って船入りを開き、満潮時には海に浮んだように見えることから「浮城」とも呼ばれました。
小早川氏の後は福島氏・浅野氏の支城となり、明治維新後には建物・樹木などが競売に付されました。
その後、鉄道が本丸を貫き、明治27年(1894)には三原駅が開業しました。
今では、市街地化がすすみ、天主台跡とその濠、船入櫓跡、船入跡、中門跡などが残るのみです。
「天主台」跡。石垣が見事です。
「後藤門の石垣」(推定復元)。天主台濠の北側に設けられていた城門。
『備後国三原城絵図』(慶応年間三原城絵図)に描かれた後藤門(絵図では後東門と表記)の石垣をもとに復元しています。実際の石垣は高さがもう少し高く、北側の石垣も現在の市道の歩道部分あたりまで延びていました。門自体は、現在の市道直下にあたります。石垣の東側は階段状の雁木となっています。・・・
「三原城下町」。
三原城の東西に形成された町は、小早川隆景の時代(戦国時代の終わり頃)にまず東側(東町)から整備がすすめられました。その後、福島氏の時代(江戸時代のはじめ)に西側の町割りを行い、西町の整備がすすめられました。江戸時代後期の絵図では、西国街道に沿って両側に町屋が並び、活気ある様子がうかがえます。
解説板。
西側のお濠。右上に見えるのが新幹線のホーム。
「三原城跡歴史公園」。
・・・この公園は、平成23(2011)年から3年をかけて発掘調査を行い、歴史公園として整備しました。『備後国三原城絵図』が描かれた江戸時代末期の様子をイメージしています。
「西国街道の石列」
天主台濠端の周囲から(濠から1.4mの場所)で石列がみつかりました。この石列の上部がすでに壊されていたため正確な構造ははっきりしませんが、柵などの跡もみつかっておらず、西国街道の土砂が濠に落ちるのを防ぐ土止め役割と、歩く人の転落防止の機能を持たせたものであったと考えられます。
「桜山」。
さて、そろそろ「新幹線」に乗る時間。お濠巡りはここまで。
「公衆電話ボックス」の上もお城。
石垣が新幹線高架下に。
「天主台石垣」。
日本一の規模を持つこの天主台は広島城の天守閣なら6つも入るという広さを持つ。三原城が作られた1567年より約10年後に信長によって安土城が造られ、初めて天主台に天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行しました。しかしこの三原城築城時はまだ天守閣を造る思想のない時代だったと考えられます。山城から平城に移行する時代のごく初期の城築です。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群をぬきます。しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、古式の石積み形式を400年経た今日まで立派に伝えております。
1707年の大地震では、城内を役夫2万5千人を動員して修理した。しかし破損箇所は、・・・「元のごとく成りがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、遂に築きおさめければ・・・」とあるが、これは東北陵圓のことと推測します。
駅南側にも石垣などの史跡が残っているようです。時間があれば行って見たい、と。残念ですが、ここまで。
新幹線ホームから見た「天主台」。
しばらく待っていると、下り線ホームにピンク色の新幹線が到着。
「HelloKitty Shinkansen 」。
「ハローキティ新幹線」って?
新大阪~博多間を結ぶ山陽新幹線に登場する、ハローキティ仕様の新幹線。鋭いロングノーズの500系が、おしゃれ可愛く“変身”します。
西日本の地域活性化をめざし、ハローキティが案内人となり期間ごとに西日本の沿線地域を取り上げ、地域といっしょに魅力を発信します。
「ハローキティ新幹線」はココがすごい!
特に可愛い注目ポイントを3点ほどピックアップします。
①500系が可愛いピンク色に!
地域を「つなぐ」「結ぶ」という思いが詰まったリボンをモチーフにデザイン。先頭車両では制服を着たハローキティのイラストがお出迎え。また各号車には地域限定デザインのハローキティが描かれています。
②内装もハローキティ!
8両編成のうち、1・2号車の車内はハローキティの世界観が楽しめる遊び心もたっぷりの特別デザイン(3~8号車はほぼ通常内装)です。
1号車は展示スペース。可愛い車内で西日本の各地域を展示や映像で発信、お買い物や休憩もできます。2号車はハローキティ仕様の自由席で、どこかに隠れハローキティも!?フォトスポットも設置されます。
ハローキティ新幹線は2018年6月30日から「こだま730号」(博多6:40→新大阪11:13)・「こだま741号」(新大阪11:29→博多15:38)として運行されます。
(この項、写真含め、「」HPより)
孫に見せたら、あまり反応せず。彼の関心は、キティーちゃんではないんですね、残念! 今度乗せて、と言われなかっただけでも幸いですか。
「やっさだるマン」からのおねがい、と。
やっさだるマン(Yassadaruman)
広島県三原市の公式マスコットキャラクターである。
2014年11月17日から12月25日に応募された1017点の応募作から優秀作8点を選び、その中から市民投票などで採用された三原市の公式マスコット。
2015年4月29日、三原市芸術文化センター(ポポロ)で開かれた「三原市合併10周年記念式典」で初披露された。 三原といえばやっさ祭りと三原神明市(ダルマ市)ということから、やっさ踊りを踊る日本一の大だるまをイメージして生まれた。
2018年4月21日、やっさだるマンがタイトルの三原市のご当地映画『やっさだるマン』が公開された。
名前:やっさだるマン
年齢:推定450歳
住まい:東町のとある倉庫
好きな食べ物:三原のスイーツ
好きな飲み物:三原のお酒。大吟醸が大好き
性格:とても優しい。特に、子どもと年配の人に
チャームポイント:ワイルドな眉毛とつぶらな瞳
好きなタイプ:三原なまりの女性
趣味:人前に現れ、ハッピーをもたらすこと。やっさ踊りを踊ること
座右の銘:七転び八起き
(以上、「Wikipedia」より)
三原市のご当地映画『やっさだるマン』
広島県三原市を舞台に、人気のない市の公式キャラクターを人気者にすべく奮闘する市役所の若者たちを描いた青春映画。如月肇と赤畑里美は広島県三原市役所やっさだるマン課で市の公式キャラクター「やっさだるマン」の管理運営を担当している。
しかし、やっさだるマンの人気は低く、全国からご当地キャラなどが集まる「ゆるキャラグランプリ」でも全国236位という順位に甘んじているが、肇はさして気にもとめずに昼は淡々と業務をこなし、夜は行けつけのバーで飲んだくれる日々を送っていた。
ある日、やっさだるマンの大ファンである礒谷優那が課に配属されてきた。彼女に一目ぼれした肇は、これまでにないやる気を見せ、やっさだるマンの一大プロジェクトを立ちあげることとなるのだが……。
人気声優の竹達彩奈らが出演し、同じく竹達が実写映画初出演した「ライトノベルの楽しい書き方」の大森研一監督とメインキャストの佐藤永典、須藤茉麻、竹達が再結集した。
(この項、「」HPより)
お濠の周囲を回ってみます。
明治時代の天主台跡周辺古写真
左の古写真では、すでに三原城の天主台の櫓は壊されており、石垣のみとなっています。西国街道があった天主台跡濠の北側には、家が立ち並んでいる様子が見えます。右の古写真では、橋が架かっていますが、その後埋め立てられて現在のような道になりました。
「史跡 三原城址」。東・西・北のお濠周辺は、公園として整備されています。
「史跡 小早川氏城跡(三原城跡)」
『小早川家文書』によると、三原城は、瀬戸内海の水軍を掌握していた小早川隆景が、永禄10(1567)年沼田川河口の三原湾に浮かぶ大島・小島をつないで築かれたと伝えられています。城は、海に向って船入りを開き、満潮時には海に浮んだように見えることから「浮城」とも呼ばれました。
小早川氏の後は福島氏・浅野氏の支城となり、明治維新後には建物・樹木などが競売に付されました。
その後、鉄道が本丸を貫き、明治27年(1894)には三原駅が開業しました。
今では、市街地化がすすみ、天主台跡とその濠、船入櫓跡、船入跡、中門跡などが残るのみです。
「天主台」跡。石垣が見事です。
「後藤門の石垣」(推定復元)。天主台濠の北側に設けられていた城門。
『備後国三原城絵図』(慶応年間三原城絵図)に描かれた後藤門(絵図では後東門と表記)の石垣をもとに復元しています。実際の石垣は高さがもう少し高く、北側の石垣も現在の市道の歩道部分あたりまで延びていました。門自体は、現在の市道直下にあたります。石垣の東側は階段状の雁木となっています。・・・
「三原城下町」。
三原城の東西に形成された町は、小早川隆景の時代(戦国時代の終わり頃)にまず東側(東町)から整備がすすめられました。その後、福島氏の時代(江戸時代のはじめ)に西側の町割りを行い、西町の整備がすすめられました。江戸時代後期の絵図では、西国街道に沿って両側に町屋が並び、活気ある様子がうかがえます。
解説板。
西側のお濠。右上に見えるのが新幹線のホーム。
「三原城跡歴史公園」。
・・・この公園は、平成23(2011)年から3年をかけて発掘調査を行い、歴史公園として整備しました。『備後国三原城絵図』が描かれた江戸時代末期の様子をイメージしています。
「西国街道の石列」
天主台濠端の周囲から(濠から1.4mの場所)で石列がみつかりました。この石列の上部がすでに壊されていたため正確な構造ははっきりしませんが、柵などの跡もみつかっておらず、西国街道の土砂が濠に落ちるのを防ぐ土止め役割と、歩く人の転落防止の機能を持たせたものであったと考えられます。
「桜山」。
さて、そろそろ「新幹線」に乗る時間。お濠巡りはここまで。
「公衆電話ボックス」の上もお城。
石垣が新幹線高架下に。
「天主台石垣」。
日本一の規模を持つこの天主台は広島城の天守閣なら6つも入るという広さを持つ。三原城が作られた1567年より約10年後に信長によって安土城が造られ、初めて天主台に天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行しました。しかしこの三原城築城時はまだ天守閣を造る思想のない時代だったと考えられます。山城から平城に移行する時代のごく初期の城築です。
この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群をぬきます。しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、古式の石積み形式を400年経た今日まで立派に伝えております。
1707年の大地震では、城内を役夫2万5千人を動員して修理した。しかし破損箇所は、・・・「元のごとく成りがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、遂に築きおさめければ・・・」とあるが、これは東北陵圓のことと推測します。
駅南側にも石垣などの史跡が残っているようです。時間があれば行って見たい、と。残念ですが、ここまで。
新幹線ホームから見た「天主台」。
しばらく待っていると、下り線ホームにピンク色の新幹線が到着。
「HelloKitty Shinkansen 」。
「ハローキティ新幹線」って?
新大阪~博多間を結ぶ山陽新幹線に登場する、ハローキティ仕様の新幹線。鋭いロングノーズの500系が、おしゃれ可愛く“変身”します。
西日本の地域活性化をめざし、ハローキティが案内人となり期間ごとに西日本の沿線地域を取り上げ、地域といっしょに魅力を発信します。
「ハローキティ新幹線」はココがすごい!
特に可愛い注目ポイントを3点ほどピックアップします。
①500系が可愛いピンク色に!
地域を「つなぐ」「結ぶ」という思いが詰まったリボンをモチーフにデザイン。先頭車両では制服を着たハローキティのイラストがお出迎え。また各号車には地域限定デザインのハローキティが描かれています。
②内装もハローキティ!
8両編成のうち、1・2号車の車内はハローキティの世界観が楽しめる遊び心もたっぷりの特別デザイン(3~8号車はほぼ通常内装)です。
1号車は展示スペース。可愛い車内で西日本の各地域を展示や映像で発信、お買い物や休憩もできます。2号車はハローキティ仕様の自由席で、どこかに隠れハローキティも!?フォトスポットも設置されます。
ハローキティ新幹線は2018年6月30日から「こだま730号」(博多6:40→新大阪11:13)・「こだま741号」(新大阪11:29→博多15:38)として運行されます。
(この項、写真含め、「」HPより)
孫に見せたら、あまり反応せず。彼の関心は、キティーちゃんではないんですね、残念! 今度乗せて、と言われなかっただけでも幸いですか。
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