おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

台ケ原宿~教来石宿~蔦木宿~とちの木。その2。(「甲州街道」をゆく。第12日目)

2017-11-16 20:35:21 | 甲州街道
                            白須の集落には立派な蔵のあるおうちが目につきます。

軒先には干し柿が。

 (10:20)しばらく進むと、台ヶ原の台地を抜け、前沢の集落へと下って行きます。正面には、「七里岩」。
            

 晩秋の田園風景。刈入れの済んだ田畑、周囲の山々はちょうど紅葉の真っ盛り。


                       

ゆるやかな上り坂。

(10:35)中ほどにある「林屋商店」の古い方の建物

その先、左手にある句碑。
                    玉斎吾七「槍もちの おくれて通る 日長かな」。

見事な紅葉。

集落をふりかえって望む。

「前沢上」の交差点で「国道20号線」に合流します。

 国道に出てすぐ、「神宮川」に架かる「濁川橋」を渡ります。
 神宮川の旧名は濁川。大雨が降ると流れが白く濁ったことが由来のようです。神宮川に沿って広大な敷地を保有するサントリーのウィスキー工場が出来た時、濁川から神宮川へ改名したそうです。明治神宮参道の玉砂利を献納していることから、住民の改名要望に企業イメージアップを図るため、サントリーが後押しし実現したと言われます。

国道から右手の道に入ります。

(10:51)街道沿いの左手にアカマツ。

 その先、右側には白州町の広大な総合グラウンド。


                 遠くに八ヶ岳。

この辺りの地名は「松原」。先ほどのような松並木があったのでしょうか? 

「荒田」の集落に入ります。

足下のマンホールは「甲斐駒ヶ岳」のデザイン。

手入れの行き届いたお庭。

常夜燈。この地区には常夜燈が目につきます。

(11:06)「荒田」地区。

 広々とした田園風景の中を進みます。


                          「南アルプス」。

 旧道は、「教来石」に入ります。「教来石」という地名の起こりは2世紀、日本武尊の時代にまでさかのぼるようです。

教来石宿(きょうらいし)
 本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠7軒であった。教来石宿は、下教来石が本宿で上教来石は加宿であった。
 村の西に教来石があり、高さ七尺(約2.1m)、竪三間(約5.4m)、横二間(約3.6m)の巨石である。昔は石の上に小祠があり日本武尊を祀ってあった。現在は近くの諏訪神社へ移設されている。日本武尊がこの石の上で休息したといわれ、村人が経(へ)て来石(こいし)と呼び、経を教と誤記したものと伝えられている。(この項、「人力(じんりき) - 旧街道ウォーキング」HPより)
 ただし、上記の石かどうかは、定かではなさそう、何しろ2000年ほど昔のお話ですので。「酒折」宮などヤマトタケルノミコト(「古事記」では「倭建命」という表記)の東征説話にちなんで、甲州街道もまたご縁がありそうです。

(11:12)宿の入口にはリサイクルショップ。

「流川橋」。ここから「下教来石」。

              

(11:18)まもなく国道に合流します。

 国道の左の高台に「明治天皇小休所址」碑。ここが宿の本陣だったのでしょう。
         

 左手に駐在所、右手に郵便局。そこを右に入るのが旧道。(11:21)


                        
コメント
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