横須賀側のトンネルを抜けた線路跡はどこに行くのか? もちろん駅構内には入れないので、ぐるっと回って「吾妻橋」のところを右に折れて川沿いに進むと、朽ちた鉄橋を発見! 地図上だとそのままカーブして港沿いの倉庫群へ行く線路です。

田浦駅方向。 港方向。
どちらも草ぼうぼうで、当然、立ち入り禁止。架線は残っています。
「吾妻橋」。
この付近は、道路も整備され、橋も新しくなっています。
この橋の港側にかつて川を越えていた鉄橋のコンクリート台が残されています。眼の下の川の水は澄み通っていました。

東側。
西側。
こちら側は不明瞭です。
橋の東側にも西側にも線路が続いています。東に向かって線路跡をたどってみます。
草むらの中に錆びた線路。
これも関連するものか?
線路跡が復活します。
「この地域は港湾作業場所につき関係者以外の車両の通行を禁止します
長浦港湾事務所」
そこから西側(「吾妻橋」側)を振り返る。
立て札を越えた先にも線路は続きます。右奥は「横須賀港湾合同庁舎」。

合同庁舎前にも線路。
ここまでくると意図的に残してあるようです。
左の線路は道路の縁に。枕木も残っています。まさにモニュメント風です。

この先で線路は二手に分かれます。

正面に進む線路は土砂の山でふさがれてしまいます。
その突き当たりの右手に「解説板」のような立て札がありましたが、向きが反対で内容を確認出来ず。
左手にカーブして進む線路跡をたどってみます。砂利で覆われてしまいますが、ところどころに線路が見えます。

しばらく進むと、また二手に分かれるようです。線路が4本になります。

右の線路は、正面奥にある「海上自衛隊艦船補給処」に向かいます。

この施設は「旧海軍軍需部・旧海軍水雷学校」の跡地にある施設のようです。
注:「軍需部」
砲弾、魚雷、機雷などの兵器類から軍艦で使う燃料、食糧、被服までいっさいの軍需物資を工場などから集めて保管し、軍艦や前線に送り出すところである。
「海軍水雷学校(かいぐんすいらいがっこう)」
大日本帝国海軍の水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を養成する教育機関(軍学校)である。初級士官を養成する普通科(少尉対象、海軍砲術学校普通科と合わせて1年間必修)、水雷術専門士官を養成する高等科(大尉・少佐対象、半年-1年程度)、下士官を養成する予科を設置し、海軍将校として必要な雷撃術・水雷艇や駆逐艦の操艦術・機雷敷設および掃海術・対潜哨戒および掃討術の技能習得、魚雷・機雷・爆雷・防潜兵器・索敵兵器の開発研究などを教育する。また、海軍通信学校が開校するまでは、水雷学校で無線電信技術の習得と研究を推進した。(「Wikipedia」参照)
朽ちた転轍機が見えます。
そこから線路は4本になり、まっすぐ「旧海軍軍需部(現海上自衛隊補給処)」に向かっていきます。

草むらの中に鉄路が続きます。その先は「補給処」の門。両側は「相模運輸倉庫」。
振り返って望む。
この先は、構内に入っていく線路跡はなさそう。ジロジロのぞき込むわけもいかないので、引き返します。さて、「自衛隊補給処」へのところで左に分岐した線路は道路沿いに南に向かいますが、こんもり茂った木々と舗装道路によってその痕跡は見当たりません。

その分岐点付近から「横須賀港湾合同庁舎」方向を望む。


田浦駅方向。 港方向。
どちらも草ぼうぼうで、当然、立ち入り禁止。架線は残っています。

この付近は、道路も整備され、橋も新しくなっています。
この橋の港側にかつて川を越えていた鉄橋のコンクリート台が残されています。眼の下の川の水は澄み通っていました。


東側。
西側。

橋の東側にも西側にも線路が続いています。東に向かって線路跡をたどってみます。

これも関連するものか?

線路跡が復活します。


長浦港湾事務所」
そこから西側(「吾妻橋」側)を振り返る。

立て札を越えた先にも線路は続きます。右奥は「横須賀港湾合同庁舎」。

合同庁舎前にも線路。

ここまでくると意図的に残してあるようです。
左の線路は道路の縁に。枕木も残っています。まさにモニュメント風です。


この先で線路は二手に分かれます。



正面に進む線路は土砂の山でふさがれてしまいます。

その突き当たりの右手に「解説板」のような立て札がありましたが、向きが反対で内容を確認出来ず。
左手にカーブして進む線路跡をたどってみます。砂利で覆われてしまいますが、ところどころに線路が見えます。


しばらく進むと、また二手に分かれるようです。線路が4本になります。


右の線路は、正面奥にある「海上自衛隊艦船補給処」に向かいます。


この施設は「旧海軍軍需部・旧海軍水雷学校」の跡地にある施設のようです。
注:「軍需部」
砲弾、魚雷、機雷などの兵器類から軍艦で使う燃料、食糧、被服までいっさいの軍需物資を工場などから集めて保管し、軍艦や前線に送り出すところである。
「海軍水雷学校(かいぐんすいらいがっこう)」
大日本帝国海軍の水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を養成する教育機関(軍学校)である。初級士官を養成する普通科(少尉対象、海軍砲術学校普通科と合わせて1年間必修)、水雷術専門士官を養成する高等科(大尉・少佐対象、半年-1年程度)、下士官を養成する予科を設置し、海軍将校として必要な雷撃術・水雷艇や駆逐艦の操艦術・機雷敷設および掃海術・対潜哨戒および掃討術の技能習得、魚雷・機雷・爆雷・防潜兵器・索敵兵器の開発研究などを教育する。また、海軍通信学校が開校するまでは、水雷学校で無線電信技術の習得と研究を推進した。(「Wikipedia」参照)

そこから線路は4本になり、まっすぐ「旧海軍軍需部(現海上自衛隊補給処)」に向かっていきます。


草むらの中に鉄路が続きます。その先は「補給処」の門。両側は「相模運輸倉庫」。


振り返って望む。

この先は、構内に入っていく線路跡はなさそう。ジロジロのぞき込むわけもいかないので、引き返します。さて、「自衛隊補給処」へのところで左に分岐した線路は道路沿いに南に向かいますが、こんもり茂った木々と舗装道路によってその痕跡は見当たりません。

