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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「地獄の黙示録」(古きよき映画シリーズ13)

2012-12-20 21:45:07 | 素晴らしき映画
 《あらすじ》
 ベトナム戦争中期。陸軍空挺士官のウィラード大尉は、軍上層部に呼び出され、元グリーンベレー隊長で、軍の命令を無視してカンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていたカーツ大佐の暗殺指令を受ける。
 ウィラードは若い乗組員と海軍の河川哨戒艇で大河をさかのぼっていく。その途中、彼は戦争がもたらす(狂気の)実態を目撃する。

 ・一行の中に花形のサーファーがいると知って、サーフィンをするためにベトコンの前線基地を襲撃する陸軍ヘリ部隊の司令官。
 ・ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ。
 ・取り残されても土地と生活に執着するフランス人家族。
 ・指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士。
 ・麻薬によって正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。・・・

 兵士を失いながら何とか王国にたどり着いたウィラード。ついに、彼は王国の支配者カーツと対峙する時が来た。

《スタッフ・キャスト》
(監督)フランシス・フォード・コッポラ 
(製作)F.F.コッポラ、フレッド・ルース 
(脚本)F.F.コッポラ、ジョン・ミリアス 
(撮影)ヴィットリオ・ストラーロ 
(音楽)カーミン・コッポラ、F.F.コッポラ
(出演)マーロン・ブランド
    マーティン・シーン
    デニス・ホッパー 
    ロバート・デュバル
    フレデリック・フォレスト
    ラリー・フィッシュバーン 
    ハリソン・フォード 

 この映画。特にDVD特別完全版は長い、長い。かつて劇場で観たときと比べ、カットされたエピソードも加わっている。次々と壮大なスケールで舞台・場面が転換し、ありえない(ともいえないようなところが恐ろしいほど)戦争の心理、狂気が矢継ぎ早に展開される。
 それでも再び観ていて、キルゴア大佐が率いるヘリコプター部隊の爆撃行のバックに流れる(それを隊長がかけるように命じる)リヒャルト・ワグナーの「ワルキューレの騎行」。勇壮な楽曲の奏でられる中で、逃げ惑うベトナム人を虫けらを踏みつぶすように攻撃するシーンには圧倒される。
 ただ、ヒトラーは、「ワルキューレの騎行」の作曲者・リヒャルト・ワグナーの曲を愛好した。そう考えると、この楽曲が映画で用いられたのは、たんに勇ましくかっこいい曲だからというだけではない、と。ナチスだけなく、その後の戦争では、その現実的で具体的な姿が抽象化され、人間的感性を奪い(そういえばかつて、まったく別の意味で、地上で爆弾が爆発するようすをそれを投下する飛行機上で見ながら「美しい薔薇の花が咲いている」と表現した、とか)、非人間的な所行であることを改めて思う。



 戦場に突然出現する豪華絢爛なステージ。異国の地における領主・フランス人家族。遡行中の戦闘シーン。いろいろなシーンがごった煮状態で登場するので、ついていくのがやっと。飽きないと言えば、その通り。最後にたどり着いた「王国」の原始的な佇まいと住民たちのうつろな姿・・・。そこに行くまでの出来事が多すぎて(長すぎて)、最後は少々息切れ気味。あっけなく首尾を達成する。
 民話の「桃太郎」みたいなもので、「鬼ヶ島」に行くまでの冒険、出会いが中心で、「鬼退治」のシーンは簡潔(そういえば、「剣岳・点の記」もそんな印象だった)。と言っては、「壮大」なアメリカ映画に対して大変失礼か(ゴメン)。
 とはいうものの、戦争映画としてはできばえは最高。批判的で絶望的精神もこめられてあるので。



 しかし、ベトナム戦争以後の戦争において、その映画的(芸術的・思想的)戦争の再現は、敵味方(非戦闘員の民衆を含め)を問わず、当事者同士の生きた眼差しでの「戦争」ではないような気がする。いい意味でも悪い意味でも、人間ドラマとしての戦争物はイラクにしてもアフガンにしても描かれることがなく、目にすることが少なくなっている感じ。そしてその分、ますます戦争への恐怖・忌避・告発・反戦・・・へのアプローチが薄くなっているのではないか。

「黙示録」=新約聖書巻末の一書。小アジアで迫害されているキリスト教徒を慰謝、激励し、キリストの再来、神の国の到来と地上の王国の滅亡とを叙述。ヨハネ黙示録。・・・(「広辞苑」)
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