10月12日「朝日新聞」朝刊の「声」の欄。興味深い投書が掲載されています。少し前の記事「どう見る? 宗教の政治参加」を受けての考え。的確に主張がまとめてありました。私もまったく同感です。
この間の総選挙では幸福の科学が政党をつくり、派手な活動を行いました。出るの出ないのと行きつ戻りつ、主張も果たして現実的なものか、宗教的理念から導き出されたものかどうかもあやふやなまま。
結局、泡沫候補者として多額の没収金で終わり。大川何とかの自己満足に踊らされ、候補者はともかく、信者は、肉声も姿もほとんど見えませんでした。
オーム真理教の場合。トップの号令で右向け右、敵対する者は邪教扱い、徹底的に攻撃する・・・。挙げ句の果てに大量殺人まで平気で犯してしまった!
今も昔も、創価学会と公明党の関係でも、端から見ていて不可解なことが多いようです。公明党の幹部であっても、いったん敵対者(イケダへの反逆?者ということでしょうが)になったら、その執拗な攻撃は機関誌でもすさまじいものがあります。そして、地元の学会員は、上から言われたとおり、選挙活動に一生懸命で頑張っています。今回の選挙の総括では、自己批判の弁がありましたが、「来年の参院選は、負けない!」と、今まで以上に学会員にハッパをかけるでしょう。。
「仮に教義から導き出される政策があるとすれば、その政策は不変であるべきだ。与党か野党かで変わるというのでは信者として困惑しないか」そういう投書者の意見。これにも、まったく聞く耳も持たないでしょう。
創価学会を批判するものに対しては「見ざる・聞かざる」ですが、ひとたび批判すれば、執拗に反論・自己主張を「こぞって」「言」ってきますので。
「要は信奉する宗教団体が支援する政党であれば何でもよい、・・・」こうして、この10年間、学会は自民党を支持・支援しました。この結果、無惨な敗北に終わってしまいました。
この厳しい現実を見つめ直し、創価学会として、この10年間の自公政権として行ってきた政策の誤り、限界など、宗教者としての理念、確信などとの整合性を、真摯に総括して欲しいと思います。さらに、地域で「真面目に」活動する学会員。その声を組織を通してきちんと聞く必要があるのではないか。
学会員も、ただただ上から言われるままにやっている選挙活動・奉仕活動を見直して欲しい。そんな活動には、信仰の喜びも安らぎもないと思いますので。そうしなれば、いつまでも信仰者としての主体性も自己判断もなくなっていきます。
仮に地域の選挙で、公明党が(自民党と共に)ある候補者を支持しても、地域の創価学会としては支持しない(自主投票)というやり方があってもいい。そういうことから、開かれた政党・団体になっていくのではないか。無い物ねだりに終わりそうだが。
この間の総選挙では幸福の科学が政党をつくり、派手な活動を行いました。出るの出ないのと行きつ戻りつ、主張も果たして現実的なものか、宗教的理念から導き出されたものかどうかもあやふやなまま。
結局、泡沫候補者として多額の没収金で終わり。大川何とかの自己満足に踊らされ、候補者はともかく、信者は、肉声も姿もほとんど見えませんでした。
オーム真理教の場合。トップの号令で右向け右、敵対する者は邪教扱い、徹底的に攻撃する・・・。挙げ句の果てに大量殺人まで平気で犯してしまった!
今も昔も、創価学会と公明党の関係でも、端から見ていて不可解なことが多いようです。公明党の幹部であっても、いったん敵対者(イケダへの反逆?者ということでしょうが)になったら、その執拗な攻撃は機関誌でもすさまじいものがあります。そして、地元の学会員は、上から言われたとおり、選挙活動に一生懸命で頑張っています。今回の選挙の総括では、自己批判の弁がありましたが、「来年の参院選は、負けない!」と、今まで以上に学会員にハッパをかけるでしょう。。
「仮に教義から導き出される政策があるとすれば、その政策は不変であるべきだ。与党か野党かで変わるというのでは信者として困惑しないか」そういう投書者の意見。これにも、まったく聞く耳も持たないでしょう。
創価学会を批判するものに対しては「見ざる・聞かざる」ですが、ひとたび批判すれば、執拗に反論・自己主張を「こぞって」「言」ってきますので。
「要は信奉する宗教団体が支援する政党であれば何でもよい、・・・」こうして、この10年間、学会は自民党を支持・支援しました。この結果、無惨な敗北に終わってしまいました。
この厳しい現実を見つめ直し、創価学会として、この10年間の自公政権として行ってきた政策の誤り、限界など、宗教者としての理念、確信などとの整合性を、真摯に総括して欲しいと思います。さらに、地域で「真面目に」活動する学会員。その声を組織を通してきちんと聞く必要があるのではないか。
学会員も、ただただ上から言われるままにやっている選挙活動・奉仕活動を見直して欲しい。そんな活動には、信仰の喜びも安らぎもないと思いますので。そうしなれば、いつまでも信仰者としての主体性も自己判断もなくなっていきます。
仮に地域の選挙で、公明党が(自民党と共に)ある候補者を支持しても、地域の創価学会としては支持しない(自主投票)というやり方があってもいい。そういうことから、開かれた政党・団体になっていくのではないか。無い物ねだりに終わりそうだが。