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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その5。「安中藩太田陣屋跡」。旭市のマンホール。趣のある商家がいくつか。「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。「旭駅」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-14 19:13:19 | 銚子往還

「安中藩太田陣屋跡」。

解説版。

明和4年(1767)、上野安中藩の下総領二三ヵ村、およそ1万石の土地を支配する拠点として設けられた陣屋の跡。

・・・安中藩はここ太田村に陣屋を置き、代官2名、与力数人を常駐させて、支配地の年貢の収納、治安などを行わせた。周囲に堀をめぐらし、南に長屋門をおき、奥に間口八間・奥行四間の役所があった。堀は排水溝程度のもので粗末なものだった。

明治初年、廃藩になるまでのおよそ100年間を支配したが、江戸時代末期にアメリカのペリーが江戸湾に来航し、海防の必要から藩より30数人の武士が派遣増員された。

廃藩後、陣屋の施設は撤去されたが、部下たちのなかには安中に帰らずにこの土地に残った者もあり、現在もその子孫が市内で生活している。

          

県道に戻ります。旭市のマンホール。

太平洋から昇る朝日と市の木クロマツ、市の花アジサイのデザイン。 海には漁船が浮かび、遠くに灯台も描かれている。

※2005年(平成17年)7月1日 、(旧)旭市と香取郡干潟町(ひかたまち)、海上郡海上町(うなかみまち)・飯岡町が対等合併し、新しい「旭市」となった。

「郷金旅館」。

街中に入ります。

通りの向こうに「真福寺」。

「カワカ金物店」。

趣のある店構え。

交差点の奥にある商家。

この施設は?

             「CHIBASHOYU ARTSQUARE」。

アーティストらによるワークショップ、作品の展示・販売、ライブペイント。見て、聴いて、作って、アートを肌で感じる体験。

            

昔ながらの商店の趣。

            

今回はここまで。      

               左折して旭駅に向かいます。

総武本線「旭駅」。

観光案内図。

次回は、北総台地・丘陵を越えて、銚子へ。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その4。耕し始めた田んぼ。旭駅へ。旧道・旧家。宿天神青年館・エンヤーホー。RINTARO 凛太郎。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-13 18:25:10 | 銚子往還

カフェ&レストラン「グレコ」。

開けたところに出ます。

角に「セブンイレブン」。

                 旭の市街地に向かいます。

すでに水が張られた田んぼ。                 

       「沖縄を楽しみましょう 三線ライブもやっています」。

昼間、お店は閉まっていますが。

        

しばらく進んで旧道へ。

旧家の趣。

すぐ県道に復帰。

来た道を振り返る。

路地の奥に趣のあるおうち。

「宿天神青年館」との看板が。

7月27日、旭市太田の宿(しゅく)天神(てんじん)地区にある八坂神社祇園祭、通称「太田(おおた)祇園(ぎおん)」の夜に演じられるつく舞を、地元では「太田のエンヤーホー」と呼んでいる。

                

 つく舞は、長さ9間の柱と、その前に組まれた2間四方、2段の舞台で演じられ、動物の面を付けて舞台上段で無言劇を演じる「地(じ)舞(まい)」部分と、登り獅子がつく柱に登っての曲芸部分から成ります。地舞では赤獅子、青獅子、かまきり、みみずく、鹿、鶴が、順に舞台の上段に登り1人あるいは2人で簡単な所作を繰り返す。赤獅子と青獅子は腰を折り3、4歩ずつ足を交差させながら前後する所作、続く4役は両手に細棒を持ち床や相手を叩きながら舞台を回る。ついでひょっとこ、おかめ、旦那の3人による寸劇仕立のからみがあるが、かなり露骨な性交所作の繰り返しである。続いて舞台上で登り獅子を中心に盃事(さかずきごと)が行われ、その後登り獅子(赤獅子)がつく柱に登り、途中逆さにぶら下がるなど曲芸を披露し、最後に頂から五色の紙吹雪を撒き散らす。紙吹雪は安産のお守りになるという。「エンヤーホー」とは、つく舞を演じている間中、舞台下段に陣取った大勢の子供達によって繰り返される掛け声である。

 太田のエンヤーホーは、多古町多古のしいかご舞ときわめてよく似た芸態である。多古と旭のつく柱の高さは野田に比べて低いですが、野田にはない動物面の「地舞」がついているのが注目される。この動物面の地舞は静岡県森町から関東南部、福島県いわき市まで散見され、中世後期京都祇園祭の動物風流(ふりゅう)につながる可能性を秘めた貴重な芸能である。(「千葉県」HPより)

「↑銚子 飯岡駅 ←香取 →足川浜」。

「凜太郎ジェラテリア」。

       

千葉県旭市から!砂糖不使用のジェラート専門店 RINTARO 凛太郎 at プラカノン

凜太郎さんは元々「千葉県旭市」からやってきたジェラート屋さん。※千葉愛のあるサーヤとしては対応が遅くて申し訳ない気分。
日本では、神楽坂(東京)、銚子Tsubaki(千葉)にもお店があり、4号店目がバンコクになっております。

☆砂糖不使用
★こだわり抜かれた素材 季節の旬な食材のみを使用
☆ご注文後に焼き上げるワッフル 発酵バターを使用。
★本物よりも美味しい

凄くないか?
しかも、お値段2種類で120バーツ

※1バーツは日本円で4.2円。

コーンが手作り焼き立てだよ?…ありがたいお値段設定。
なので、サイアムパラゴンのイベント時は大行列。プラカノン店はー、イートイン席は常に満席って感じです。

季節の素材って言うのが本当に凄い「日本」の旬の素材なわけよ。しかも今はサーヤの大好きな「秋」の食材がたくさん!
食べたいジェラートがたくさんあります。・・・

(この項、livedoor[公式ブロガー]「サーヤのバンコクだらだら日記」より。写真も。)

この先、左手の路地を入ったところに、「安中藩太田陣屋跡」があります。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その3。よく整備された県道。槙の生垣。旭市入り。「一針入魂」。内裏神社。新川。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-12 21:28:49 | 銚子往還

園芸店「川嘉園」。

                      整備された県道。

      

                 カーブごとに注意喚起の道路面。

用水路と古仏。道路整備に伴って移転?

槙の生垣が続く。

         槙の生垣が連なる様子は、房総半島によく見られる風景。

趣ある門のおうち。

匝瑳市から旭市に入ります。

左の旧道に入ります。

県道に、「小久保畳店」。

                  「一針入魂」。                       

国道に合流します。

沿道沿いのおうち、鉢植えのチューリップが満開。

趣のある門構え。

内裏神社。

社伝によれば、祭神耳面刀自媛(弘文天皇の妃)は関白太政大臣の藤原鎌足の娘で、白鳳元年に壬申乱が起り、妃は悲運にも弘文天皇と共に近江の露と消えゆる所を、逃れて東国に下りました。途中海難に遭い現在の匝瑳市野手の内裏塚浜に漂流し、不幸にもそこで病歿し、従者などが媛を葬り墳土を築きました。妃の従者の子孫の美敷が天慶3年(940年)に野手の墳土の一部を移して、引き続き祀ったのが現在の内裏神社といわれています。

左側。房総台地に連なる。

     右側。

                 九十九里浜に続く平地。

バス停「ゆたか保育所」。「学童多し」の幟。

宅地開発中。

右手に田畑が広がります。

バス停「井戸野北」。

「延寿寺」。

バス停「延寿寺」。

素敵な屋根のおうち。

          雀がたくさん飛び回っています。

           

「新川」を渡ります。               

旭市桜井の飛び地に位置する兼田貯水池を水源とし南流する。この貯水池大利根用水幹線水路を通じて黒部川貯水池より取水したものであり、本河川もまた利根川の水を流しているに等しい。東庄町を流れた後再び旭市との行政境となり、旭市萬歳付近より南西へカーブする。周囲は「干潟八万石」とも呼ばれる、江戸時代初期の椿海干拓によって生まれた水田地帯の中心部であり、灌漑のために掘られた複数の水路が並流している。旭市北東部からこれらの水路を集めた七間川が新町付近にて合流する。続けて鏑木川を合わせると南へ進み、鎌数付近の工業団地及び旭市街地を抜ける。(「Wikipedia」より)

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その2。新宿。県道104号線。籾内。少し残る旧道。 (「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-11 20:37:41 | 銚子往還

銚子方向。 

車の通りも少ない旧道を進む。

古い石塔。判読不能。

バス停「新宿」。

1880年代の古地図では民家がなく、「新宿」(しんじゅく・にいじゅく)という地名はありません。八日市場町が発展するにしたがって、「新宿」と名付けたものと思われます。

※かつて、この地域には沼地・湿地帯が広がっていました。

ここにも同じような古い石塔。

                 「四国八八ヵ所巡礼・・・記念碑」?

用水路と田畑が広がる。

                          

廃業となったビジネスホテル。

ソテツがたくさん。                 

    一風変わった風景。   

通りの向こうに「水準点」。7.0m。

田植えの準備中。

この付近の今昔。  

       (現在)               (1880年代)↓の部分が直線化されている。  

左側の歩道が旧道? かなり幅広い。

バス停「東谷入口」。 

                  

家並みが続く地区へ。

「匝瑳市立平和小学校」。

「庚申塔」「西国参拝記念碑」など、まとまって古仏が置かれています。

両側に家並み。県道104号線。

バス停「籾内」。

房総台地の東端を進む旧道。東側は、九十九里平野。

※標高:7.0 m~6.0m

少し残る旧道へ。

                  

県道に合流。

バス停「西平木」。

水準点。6.5m。

この先も、両側に住宅が建ち並ぶ街並みになります。

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JR総武本線「八日市場駅」~「旭駅」。その1。篭部田(かごべた)。マンホール化の水準点。「八日市場ドーム」。大利根用水。「上谷中踏切」。(「銚子往還」をゆく。第5日目。)

2024-04-10 18:24:17 | 銚子往還

「銚子往還」歩きも5日目になりました。

3月30日(土)。晴れ。

今回は、総武本線から離れて歩きます。「旭駅」が街道近くにあるので、そこまで歩くことに。駅でいうと、2駅になります。

「八日市場駅」。

銚子往還(旧道)に「復帰します。

看板建築。モルタル仕立て。

           

バス停「法務局前」。

「越川肥料店」。

「←八日市場青果地方卸売市場」。

バス停「篭部田(かごべた)」。

水準点。地中に埋めてあるケースもあるようです。

          9.0m        

国道126号に合流します。                                                           (「篭部田」三差路)

               

左手奥に「市役所」、右に「八日市場ドーム」。

              

この先、斜め右に入っていきます。

 

                「大利根用水 西幹線用水路」。

大利根用水(おおとねようすい)

千葉県北東部の利根川沿岸地域の排水と、九十九里平野北部の地域への農業用水の供給を目的とした用水路疏水百選に選定されている。

千葉県香取郡東庄町で利根川の水を取水し、九十九里平野の北部一帯を灌漑する農業用水である。具体的には、東庄町笹川の笹川揚水機場で黒部川に導き入れた利根川の水を取水し、地下水路を通して東庄町の下総台地を越え、旧椿海沿岸の同町窪野谷にある旭市飛地内の分水工で、東幹線・新川水系・西幹線に分岐し、旭市匝瑳市横芝光町栗山川東岸まで)の農地灌漑用水を供給している

昔九十九里平野の北東端には遊水池としての役割を果たし下流の村々の農地の灌漑に用いられていた椿海というがあったが江戸時代干拓され、元禄2年(1689年)には「干潟8万石」18ヶ村が成立した。元々湖であったこの干拓地は水害の被害を受けやすく、干拓地の排水を優先した幕府は下流にを設けることを禁じ、下流では渇水による被害を受けやすい状況となり、ため池を作るなど干拓地の排水と下流の利水を両立させる為のさまざまな対策が取られたが、動力による揚水が不可能だった当時でもあり、いずれも抜本的な対策とはなり得ず、水害と旱魃に苦しめられることが少なくなかった。

一方、黒部川合流地点などの利根川沿いでも、その後の利根川東遷事業の影響や、増水時の遊水地の役割を果たしていた船着場が明治以降その役割を終えたこと、また明治43年(1910年)の大水害の後中条堤を要とする治水システムが崩壊したことや霞ヶ浦水系の分離もあり、増水が直接水位の上昇に結び付き水害に悩まされるようになっていた。さらに1924年-1925年(大正13年-大正14年)、1933年(昭和8年)の大干魃や洪水により、用排水の必要性が認識された。1935年(昭和10年)野口初太郎が利根川を水源とする利根川引水計画構想を発案し、排水と利水を両立させるこの大利根用水が計画され、第1次県営大利根用水改良事業として着工する。猛烈な反対運動や戦中戦後の資材不足を経て、終戦後の昭和25年(1950年)に完成、ようやく安定した農業用水が供給されるようになった。

だが、大利根用水完成の5年後の1955年(昭和30年)には塩害が発生し被害面積は約3,200町歩に及び、翌年以降塩害の被害が拡大、1958年(昭和33年)には被害面積は約30,000町歩に及んだ。このため、関係市町や土地改良区から「潮止め堰建設」の要望が出され、建設省関東地方建設局の調査を経て、1962年(昭和37年)5月に設立された水資源開発公団の事業として利根川河口堰の計画が1964年(昭和39年)10月に決定され、1965年(昭和40年)に着工し、1971年(昭和46年)に竣工した。また、大利根用水の施設は、戦中戦後の資材難の時代に施工されたものであるためこの間の老朽化が著しく、更新事業として国営大利根用水土地改良事業が行われた1970年(昭和45年)から1992年(平成4年)までの23年間をかけて全面的な改修が行われ、九十九里平野北部の地域の農業用水の安定した供給に役立っている。

バス停「上谷中橋」。

「上谷中踏切」を渡る。

この付近の今昔。

(現在)〇の地点で旧道へ。

(1880年代)千葉から銚子港を結ぶ街道。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その5。八日市場町・匝瑳(そうさ)市。「灰吹屋薬局」。「坂本総本店」。「鶴泉堂」。「匝(めぐり)の里」。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-08 20:54:33 | 銚子往還

街道沿いに家並みが続くようになります。

バス停「砂原」(八日市場イ)。

バス停「仲町」。

「裁判所→」。

              「千葉地方裁判所八日市場支部」。

「塚本弓具店」。

             なかなか素敵な店構え。

           

八日市場の中心街に入ってきます。

ところで、「八日市場町」とは?

かつて毎月八日に市が開かれ、市場町として発展した。「八日市場」の名はこれにちなむ。似た市名としては、滋賀県八日市市(ようかいちし、現東近江市)があった。また、匝瑳(そうさ)市に改称後もかつてのイ〜ホの前に「八日市場」の名が付いている。(「Wikipedia」より)

匝瑳市は、平成18年1月23日、八日市場市と匝瑳郡野栄町が合併して誕生した市です。

市の名称については、八日市場市・野栄町合併協議会において、15歳以上の住民を対象に両市町の名称を除いて行ったアンケート調査で1位であったこと、また、両市町の(旧)郡名でもあり住民が共有して一体感の持てる名称であったことから決定しました。

匝瑳という地名は、現存のものでは、奈良東大寺正倉院に伝わる庸調ようちょう(朝廷に納めた特産物)に見られる天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。

匝瑳という地名の由来は、平安時代前期の歴史書「続日本後紀しょくにほんこうき」によれば、5世紀の終わり頃から6世紀のはじめにかけ

て、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった物部小事もののべのおごとという人物が、坂東ばんどう(現在の関東地方)を征した勲功によって、

朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳郡さふさごおりとし、小事の子孫が物部匝瑳もののべのそうさ氏を名乗ったと伝えられています。

匝瑳の語源については、諸説あって定まっていませんが、発音での「さふさ」という地名があり、「さ」は「狭」で美しい、「ふさ」は「布佐」で麻の意で、“美しい麻のとれる土地”であったとする説や、「さ」は接頭語で、「ふさ」は下総国11郡中で最大の郡であったことに由来するという説があります。

(この項、「匝瑳市」HPより)

この付近の今昔。

                     (1880年代)

                     現在)「八日市場駅」は、右上。

観光案内版。

看板建築。

           「灰吹屋薬局」。東金以来、久々に見ました。

重厚な建物が左手に。

「坂本総本店」。

金と銚子を結ぶ旧道沿いに建つ商家。この一帯には、昭和中期頃まで土蔵造の建物が多く並んでいたが、現在ではほとんど残っていない。往時の街道に沿った八日市場の集落景観を偲ばせる。

棟下端にある墨書に、明治38年(1905)に建てられたことや、棟梁名(大木勘□)が記されている。平入の切妻造瓦葺、黒漆喰塗の土蔵造2階建。正面には庇が付くが、庇には鉄棒が掛け渡してあり、かつては地面に置いた重しとの間に暖簾をかけていた。正面庇の屋根には「坂本総本店」の大きな看板がのせられ、軒樋の呼び樋(鮟鱇)にも「坂本」の名がみられる。

国登録有形文化財(建造物)。

(この項、「千葉県教育委員会」HPより)

                

『坂本総本店』は、創業、文化2年(1805年)。

千葉県北東部にある『八日市場』という土地に、店をかまえています。 『八日市場』は、昔、江戸と銚子を結ぶ浜街道の宿場町でした。地名の由来は、元亀・天正(1570~1592)年頃、毎月八日、十二日に住民のために、市場が定期的に開いていたとされています。
現在の店舗は、黒漆喰塗の土蔵造りで明治三十八年に創建されました。 平成九年に国の『有形文化財』に指定されました。

坂本総本店は、文化2年(1805年)の江戸後期に創業しました。 その当時の八日市場には、茄子畑があり、「茄子」を砂糖漬けにした銘菓『初夢』を創りあげました。 そして、明治四十四年に大正天皇が皇太子のとき八日市場を行啓された際に献上した銘菓『落花煎餅』がございます。 千葉県特産の「落花生」をつかったお煎餅、『落花煎餅』を創りあげました。 お菓子に使われている素材は、ほとんどが、農畜産物です。 卵、砂糖、小麦粉、乳製品、そして、茄子、落花生など、大地から生み出された「恵み」であり、「贈り物」と考えています。 坂本総本店がつくる『初夢』、『落花煎餅』で扱う「茄子」「落花生」は、千葉県から贈られた大切な「素材」と思っています。 私たちは、その「素材」に感謝し、それを活かした美味しさを生み出すこと。 そして、その美味しさをお客様にお伝えし、お届けすることが坂本総本店の仕事と思っております。(「」HPより)

「鶴泉堂」。

                  「創業天明元年霜月」。

天明元年(1781年)創業より千葉県匝瑳市に店を構える長き歴史をもつ老舗和菓子屋「 鶴泉堂 」

安政の時代には、朝廷に献上され「鶴屋和泉掾」つるやいずみのじょう
の称号を賜った

店舗は昭和初期に建てられ平成24年に国の登録有形文化財に登録

   

                                         (「鶴泉堂」HPより)

この建物も、商家。

今回は、ここまで。右折して八日市場駅に向かいます。

「市内循環バス・東本町」、「桜まつり」の幟。

駅前の観光案内所。

              「匝(めぐり)の里」。

※「匝」ぐるりとまわる。 また、周囲をぐるりと取り巻く。

「イヌマキ」の大木。

総武本線「八日市場駅」。

この先、「銚子往還」道は、総武本線から離れて進むことに。

次回は、八日市場駅から旭駅まで歩きます。バス路線もなさそうです。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その4。国道126号に合流。「飯倉(いいぐら)」。米倉三叉路。匝瑳(そうさ)市。米倉分校跡。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-07 19:52:57 | 銚子往還

この先、旧道は、いったん消滅します。

国道126号に合流します。

バス停「飯倉台」。

「飯倉」=「いいぐら」と読む。(→)

※国道の東奥に総武本線「飯倉駅」があります。

「↑銚子 旭 ←芝山 堀川浜→」。

「飯倉」。来た道を振り返る。

左手。

                   右手には「九十九里ホーム病院」。

残り少なくなったキンカンの実。

国道から左手の旧道へ。

バス停「米倉三叉路」。

すでに匝瑳市内に入っていました。(←)

          房総でよく見かける屋根の建物。

「高橋本店」。

                商家らしい建物。

バス停「米倉分校跡」。

来た道を振り返る。

用水路と古石仏。

「御菓子司処 鶴屋」。

水準点。9.9m。

八日市場の町場に入っていきます。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その3。山沿いの集落へ。水準点(7.1)。常夜燈。「お菓子のたいよう本店」。長屋門。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-05 18:34:23 | 銚子往還

集落に入っていきます。

左角に記念碑? が。

田畑が広がります。

山裾沿いに家並みがあり、東側には田んぼが続く。

立派な門構え

水準点。かつては重要な道筋だったことが分かります。

           標高7.1m。

山裾では畑作業。

直進。

      

けっこう新しいのおうちが目立ちます。

農道の向こうに「総武本線」。

長い路地の先のおうちの佇まい。

旧家らしい雰囲気。

左手の奥にも。

満開の真っ白な花。

            梅ではなさそう、いったい何という木でしょうか?

隣では宅地? の造成中。

「子安神社」の常夜燈。

田植えに備えて、 

「お菓子のたいよう本店」。

昭和26年創業 、千葉県匝瑳市 ( そうさし ) を拠点に近隣市町村に5店舗の直営店を運営 している、地元の小さい お菓子屋 です。落花生せんべいをはじめ、どら焼き、苺大福、慶弔まんじゅう・赤飯などの和菓子から、バウムクーヘン 、マドレーヌ、クッキー 、手書きバースデーケーキ、日本全国の酒蔵さんのお酒を使った酒ケーキ ( OEM ・受託製造 )といった洋菓子まで、全て「自社企画・開発商品」の和・洋菓子を、全て自社工場で製造 、販売しております。皆様のお越しを心よりお待ちしています! ※様々な贈り物に対応いたします。・・・(同社HPより)

九十九里エリアで愛される千産千消のオリジナルスイーツ

九十九里エリアに5店舗展開する、昭和23年創業の老舗。商品の企画・製造から販売まで一貫して行っており、千産千消をテーマにしたオリジナル和洋菓子が人気!

麦こがしの皮で栗をまるごと包んだ、期間限定の「麦ぼっ栗」(1個280円)。※これはおいしそうです。

(この項、「」HPより)

車がひっきりなしにやってきます。とても、はやっているお店なのを感じます。

そして、通りを挟んで建っている長屋門も魅力的です。駐車場で車を避けながら撮った写真。

しばらく眺め、

先に向かいます。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その2。第二千葉銚子街道踏切。国道126号から旧道へ。「銚子連絡道路」一部完成。田んぼが広がる。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-03 21:09:57 | 銚子往還

旧道らしいカーブが続く。

踏切を越えます。

                     「第二千葉銚子街道踏切」。

総武本線・銚子方向。

西方には田園風景が広がる。

国道126号に合流します。

           この付近、旧道が失われています。

「横芝光IC入口」。

国道からすぐ旧道に入ります。

左に「銚子連絡道路」造成中。

歩いた後、「横芝光町芝崎(横芝光IC) ~ 匝瑳市(県道八日市場野栄線)」が3月31日に開通しました。

この向こうに進みます。

「銚子連絡道路」。

                「国道126号」のバイパス的役割。

                 

この付近の今昔。

                           

(1880年代)大きな沼を巻いて北へ進む旧道。

                           

(現在)沼地を埋めて鉄道や国道が建設されている。旧道が残されています。

田んぼが広がります。

「成田国際空港」を離陸した飛行機の姿が(↓)。

               田植えの準備が進む。

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JR総武本線「横芝駅」~「八日市場駅」。その1。「横芝駅」・横芝光町。栗山川。橋場十字路。(「銚子往還」をゆく。第4日目。)

2024-04-02 20:39:09 | 銚子往還

「横芝駅」。

銚子往還4日目。あと何回で銚子まで歩けるか?

※橫芝駅舎は房総本線の駅舎の中では一番古い木造駅舎のようです。入母屋造の屋根が特徴。

3月24日(日)晴れ。

ところで、

横芝光町(よこしばひかりまち)

千葉県の北東部に位置し、山武郡(さんぶぐん)に属する

成田空港の南側、九十九里浜に面する自然豊かな町で、千葉県内の町村では人口規模が最大。

現・九十九里町にて生誕した伊能忠敬が、現・香取市佐原に婿養子にいくまでの少年・青年期を過ごした町としても知られている

千葉県北東部に位置し、千葉市から約35キロメートルの距離、東京都都心から60 - 70キロメートル圏内である。

太平洋に面し、九十九里浜および九十九里平野のほぼ中央に位置する。町の北部は標高が高い場所もあるが起伏は大きくなく、中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れている。

2006年平成18年)3月27日匝瑳郡光町山武郡横芝町が合併し、新たに発足した。合併前の光町と横芝町は別の郡(歴史的にはそもそも上総国下総国という別の令制国)に所属していたが、現在の横芝光町は山武郡に属する。

観光案内版。

八日市場駅に向けてスタート。

                 

「栗山川」。上流。

千葉県北東部を流れる河川。千葉県内のみを流れる川としては第2位の流域面積を持ち、九十九里平野の中では最大の二級水系である。流域は成田市香取市匝瑳市旭市香取郡多古町山武郡芝山町山武市、山武郡横芝光町の5市3町にまたがる。

言い伝えによると、その昔(7世紀頃)、旧栗源町(現・香取市高萩)に朝鮮半島から渡来した人達が多く住んでいたことがあり、一帯が「(高)句麗山」と呼ばれ、そこを流れる川であることから「句麗山川(栗山川)」と呼ばれるようになったとのことである。渡来した人達は霊亀2年(716年)に武蔵国高麗郡に移住したという

古くから太平洋側のサケの回帰の南限の川として知られており、上流の旧山田町(現・香取市山倉)には、弘仁2年(811年)の創建と伝えられるサケの神社、山倉大神がある。また、サケの稚魚の放流も実施されている

多くの縄文時代の丸木舟の出土例があることでも知られた水系である。

下流。

商家。

        どんな商いをしていたのでしょうか?

バス停「橋場十字路」。

その先を道なりに左折。

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JR総武本線「成東駅」~「横芝駅」。その6。上町三叉路。横芝上町。国道126号。第一千葉銚子街道踏切。「横芝駅」。(「銚子往還」をゆく。第3日目。)

2024-03-31 19:27:10 | 銚子往還

商家。

来た道(旧道)を振り返る。

                   左から来ました。街道筋らしい家並み。

横芝駅に向かいます。 

横芝上町郵便局。

              右奥に大きなおうち。

右手に国道126号。

                 「←銚子 匝瑳 東金 千葉→」。

                      ※匝瑳=そうさ。難解地名の一つ。

商家。

            商売はしていないようです。

国道126号を渡ります。

              

「国道126号」:千葉県銚子市から東金市を経由して、千葉市稲毛区に至る一般国道。

              

総武本線の踏切を越えます。

                        「第一千葉銚子街道踏切」。

※「総武本線」は、佐倉から単線になります。

    

横芝駅前。

                  今回はここまで。駅に向かいます。

総武本線「横芝駅」。

西方向。

帰途の車窓より。

               山裾をたどるように旧道は進んでいます。

           

次回は、「八日市場駅」まで。だんだん自宅から遠くなって、2時間以上かかるようになりました。

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JR総武本線「成東駅」~「横芝駅」。その5。出桁造りの商家。八田本村。琴平神社。かつて周囲は沼地。上町三叉路。(「銚子往還」をゆく。第3日目。)

2024-03-29 18:34:34 | 銚子往還

出桁造りの商家。

                現役の酒屋さん? 昔、よくあった「よろず屋」さん的存在。

隣には土蔵。 

左手に槇の生垣が続きます。大きなおうちが多い。奥には田んぼが広がる。

国道126号に合流します。

                       

「八田本村入口」の看板。

田んぼの向こう、西方の山すそに集落があります。「八田砦」跡などがあるようです。

                     (「歴史的農業環境閲覧システム」より)

       

国道から左の道に入ります。

                        途中、「多古」への道と分かれる。

※「多古町」

北総大地の東側に位置し、東西約13.6km南北約12.9kmで面積は県内町村の中で2番目の広さです。
町中央部を南北に流れる栗山川の流域は、低地で水田地帯が広がり多古米の産地となっています。
北部及び東部は台地が広がり畑地帯を囲むように山林が緩傾斜面となっています。

                   

右手に大きな木造の建物。

                    「こさく呉服店」。「こ」は、変体仮名の

その隣に「金刀比羅神社」。

上町三叉路。

明治時代、この付近には、沼地が広がっていました。

                     (1880年代)「琴平神社」があります。

沼地に挟まれた微高地に街道が通じ,集落が形成されていきます。

※当時の表記では、「従銚子港 至千葉町道」とあります。

                     (現在)

坂田池がかつての沼地。南部は、鉄道、住宅地や田畑となっています。

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JR総武本線「成東駅」~「横芝駅」。その4。東京の開花宣言はまだです。山武望洋中学校。古谷糀店。長屋門。生子宿(はだかじゅく)。(「銚子往還」をゆく。第3日目。)

2024-03-28 18:46:39 | 銚子往還

「国道126号」に出ます。

国道の向こう側に旧道から続くような道があります。旧道かと思いましたが、そうではないようです。

                

※これまでの歩きでは、国道・県道とは左折していく道が銚子往還(旧道)となる場合が多いようです。

国道から遠く東を望むと、踏切を電車が通過中。

※九十九里海岸まで、平らな田園地帯が広がっています。

国道126号線。交通量は激しい。

丘の上には、山武望洋中学校。

「県道62号」と交差。

「←成田・(銚子連絡道路)松尾横芝IC」。

            

この先で左に分かれる旧道に入ります。

        

右手に「天然醸造 古谷糀店」。

             「生みそ 特製こうじ味噌 甘酒 漬物糀」などを製造販売しています。

       

道を挟んで、長屋門の旧家。

      

ゴミ収集箱に生子宿区」と。

この付近の集落は「生子宿」。

「生子宿」は何と読むか? 「はだかじゅく」と読みます。

※他の地域では「おぶす」(奈良県)とか「おいご」(茨城県)とも読むようです。

またしても難解な地名に出会いました。

※言い伝えによると、時代は定かではありませんが、銚子街道を旅していた女性が産気づき、この付近で子どもを産み、宿に着いたときはまだ裸だったことから「はだか」という名前がつけられた、といいます。

(「山武市・市民編集準備委員会」HPより)

この他にも「木刀」(きがたな)、「借毛本郷」(かしけほんごう)、「新泉」(にいのみ)、金尾(かんのお)、弓手(ゆんで)などが紹介されています。

「生子宿不動尊堂」。

       

             国道126号の喧噪とは違い、旧道らしい落ち着いた街並み。

水準点。9.4m。

  この道が、主要な交通路であったことが分かります。      

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JR総武本線「成東駅」~「横芝駅」。その3。「木戸川」。浅間神社庚申塔(山武市有形文化財)。※東京の開花宣言はいつ?(「銚子往還」をゆく。第3日目。)

2024-03-27 19:57:15 | 銚子往還

車も少なく、ほとんど人とも出会わない旧道。

「木戸川」を渡ります。  

田園地帯が広がります。

「木戸川」下流・小松交差点付近は、河津桜が咲きそろう花見の名所になっています。

(2024/3/1 「山武市観光協会」HPより)

下流方向。

陽光の下、のんびりと。

住宅が続きます。

浅間神社庚申塔(山武市有形文化財)。

解説版。

この庚申塔は、今から260年以上前のもので18世紀はじめ、享保元年(1716)9月に建てられました。全体の高さは246㎝で、二段の基礎の上に立つ塔の正面には、悪い鬼どもを足下にふまえた6本の臂を持つ青面混合というご本尊が浮き彫りにされています。塔の上部の唐破風式の笠石の間口や、塔身の幅、基礎の石の幅とこの塔の規模の大きさのバランスのよさが見るものに力強い安定感を感じさせます。・・・庚申塔は、村の安全・豊作を祈る庚申講の人たちが記念として建てられたものです。

旧道はまだ先に続きますが、

右手の国道126号にコンビニや食堂があるので、ここから右折していったん国道に。

バス停「田越(たごえ)」。

山武(さんむ)市に人が住み始めたのは今から3万年ほど前のことです。
 旧石器(きゅうせっき)・縄文(じょうもん)・弥生(やよい)・古墳(こふん)時代の遺跡(いせき)は、成東川・境川(さかいがわ)・木戸川(きどがわ)によって樹枝状に開析(かいせき)された台地上に分布が認められます。川崎(かわさき)・湯坂(ゆさか)は縄文時代中・後期、板附(いたつき)・早船(はやふね)・田越(たこえ)は弥生時代後期の遺跡が確認され、板附から完形の壺形土器が農作業中に発見され、弥生時代後期の集落の存在がうかがえます。
 また、麻生新田(あそうしんでん)・諸木内(もろきうち)・板附(いたつき)・和田(わだ)・富田(とみだ・)真行寺(しんぎょうじ)・大堤(おおつつみ)などの古墳(こふん)は合わせて500基以上を数え、いくつもの古墳群を形成しています。特に3重周溝を有する大堤権現塚古墳(おおつつみごんげんつかこふん、6世紀末~7世紀前半)・板附古墳群(いたつきこふんぐん)には西の台・不動塚(6世紀後半)の前方後円墳、県下最大級の円墳(えんふん)山室姫塚(やまむろひめつか、7世紀前半~中頃)、郡下最大の方墳(ほうふん)駄ノ塚(だのつか)(7世紀前半)があります。
 低地にも同様に縄文時代から古墳時代に至る遺跡が数多く確認されています。
 奈良時代には、武射郡寺(むさぐんでら)である真行寺(しんぎょうじ)が建立(こんりゅう)されました。近接地の嶋戸東遺跡では武射郡衙跡(むさぐんがあと)が確認され、武射(むさ)11郷(ごう・さと)の中心であったことがうかがえます。(「山武市」HPより)

※武社国造や武射郡の読み方「むさ」を受け継いだ「さんむ」の方が古い歴史的な読み方であり、1975年あたりからいつの間にか「さんぶ」に変わってしまったので、重い歴史を持った「さんむ」の方が新しい市に相応しいためであるという。 なお、「山武郡」は現在も「さんぶぐん」が正式な読みである。

「仲よしドライブイン」。

看板が剥げかかり、古びた建物ですが、けっこうお客さんの車が入ってきます。

旧道に戻ります。

上空に航空機の音が頻繁に。

                   ↓。成田空港を出発する航空機が多い。九十九里浜に抜けていくルート。

旧松尾城御殿表門。

                    立派な長屋門。民家の表門になっています。

藩主の居館として建築された御殿の表門。立派な二階建ての「長屋門」形式。1階部分は板張り、2階部分は白漆喰。両脇には潜り戸を設けている。

              

すぐその先に、「宝積寺」。

                     この先で、国道126号に合流します。

・・・

ところで、東京の開花宣言は今日もなし。近所の公団のソメイヨシノも全く咲いていません。

明日の夕方から明後日にかけて雨模様。いったい春は、いつ来るのでしょうか。

以下の写真は、2年前の3月25日のようす。満開の桜でした。

ソメイヨシノ。高速道路下にて。

エドヒガン。

              ヨウコウ。

土手の桜並木を望む。

芝生の上で人々がくつろぐ。

ユリカモメ。テラスにて。           

※今年、向島側の隅田公園は大改修中。一昨年のような桜見物は出来そうにもありません。ユリカモメの姿もあまり見かけません。

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JR総武本線「成東駅」~「横芝駅」。その2。「らぁ麺 富士虎屋」。善兵衛公園。椎の木。いちご街道、ところが、・・・。(「銚子往還」をゆく。第3日目。)

2024-03-25 19:43:42 | 銚子往還

左手に「光明寺」。  

                     

「銚子往還」道。

裏手の小山。

右手に「らぁ麺 富士虎屋」。

らぁ麺 富士虎屋

富士虎(黒)。

2022年12月15日にオープンした大髙醤油直営の醤油ラーメン屋です。お子様からお年寄りまで幅広い年齢層に気軽に醤油を味わってもらうというコンセプトの元、 毎週木曜日 金曜日のランチタイム11:00〜15:00(L.O.14:00)の営業となります。また、ラーメン屋「富士虎屋」は大髙醬油の味を楽しんで実感していただくためのラーメン屋だけではなく、地元山武市の魅力を充分に実感してもらえるよう併設の直売店では大髙醬油の商品はもちろんのこと近隣地域の商品も取り扱っています。(「大髙醤油」HPより)

                   「大髙醤油」のトラックが停車中。

醤油工場の一角という雰囲気ですが。

左手のおうち。

槙の生垣が連なっています。

                      「上総の聖人 善兵衛公園入口」。

※富田みどり里山公園(善兵衛公園)は、地元のボランティアの方々が整備した公園で、公園の一角には郷土の福祉活動に貢献した「大高善兵衛」のお墓があります。
富田地区の自然豊かな景観を楽しめ、園内には河津桜からソメイヨシノまで数種類の桜が約100本ほど植えられており、春にはお花見も楽しめます。

バス停「富田東」。

駒形神社の椎の木。

  

成東町指定文化財 名称 駒形神社の椎の木

この巨樹の樹齢は推定500年以上経過しているものと思われ、太さは目通り周囲5.4㍍あり、町内に点在する椎の木では最大級のもので、本町の自然を記念するものである。・・・

国道126号線に近づきます。

「ぼけない神社 早尾神社入口」。

              こういう効能をうたい文句にする神社は多いようですが。

国道126号線に合流します。

バス停」早船南」。

左手は森が連なり、

右手はイチゴハウスが広がります。

沿道にはいちご園が連なっています。

しかし、この日(3月15日)はどこも休業中。予定が狂ってしまいます。

いい爺さんが一人でいちご狩り、というのも・・・。せめてお土産に、と。

どこか開いているお店は? と探しながら歩いているうちに、

国道から左に入る旧道(往還道)になってしまいました。

車がたくさん行き来する国道から静かな通りへ。

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