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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その5。「道標」飯沼観音江六里。成田線沿い。広がる水田地帯・筑波山。東庄町へ。いちご街道。相撲まつり。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-24 19:39:10 | 銚子往還

左折し、直線道を進みます。この道筋は大きな桝形(曲尺手)?

街道沿いに集落。

この付近の今昔。

(現在)左折した後、成田線沿いに進む。

(1880年代)阿玉川の集落。

         舟運のための水路が見える。

広く大きな屋敷。

「飯沼観音六里」。銚子駅まであと24㎞弱となります。

ということは、あと6時間。軟弱な小生。あと2.5日ペース。

成田線沿いの直線道になります。

左手下には水田が広がる。

眼下は成田線の線路。「黒部川」、その向こうに「利根川」。

          

北西遠くに「筑波山」(↓)。

                利根川歩きのときは、筑波山を眺めながらの歩きでしたが、振り返るときにのみ。

「東庄(とうのしょう)町」に入ります。

成田線。

        

右手は森。

色褪せた看板。「ようこそ東庄へ。これよりいちご街道」。 

成東駅から歩いたときにも「いちご街道」がありましたが、東庄町でもイチゴ栽培が盛んなのですね。

この先、イチゴの販売所やいちご狩りの農園があります。

上り電車(千葉・成田行き)が通過中。

「第二佐原銚子街道踏切」。

                 今回のゴール・「笹川」の町並みに入ります。

踏切の手前に、

              「わが町には相撲がある」という大きな看板。

・奉納相撲(秋季大祭)

・笹川夏合宿(出羽海部屋)

諏訪神社秋季大祭(笹川相撲まつり) 東庄町観光協会

天保水滸伝ゆかりの相撲まつり

笹川の相撲まつりは、浪曲や講談で有名な「天保水滸伝」にも登場する由緒あるおまつり。現在は、7つの地区の廻り番により、毎年7月最終土曜日に開催され、自衛隊力士や町内の子ども会力士による「団体戦」や「勝ち抜き戦」、「三役相撲」など多くの取組が行われる。当日は、山車の引き回しも夜10時まで行われ見どころ満載。

大相撲の巡業なども行われているようです。

※「天保水滸伝」については、この後、次回の街道歩きの冒頭で。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その4。国道356号。ツバメ。「おくまや」・ウナギの白焼き。佐原銚子街道踏切。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-23 18:23:47 | 銚子往還

国道356号に合流します。

                左折し、国道歩き。この通りが「(旧)佐原銚子街道」になっています。

                    

頭上を何羽ものツバメが飛び交っています。

このお店の「デ」の上に巣がありました。(↓)    

近所の工場に毎年、ツバメがやってきましたが、近年はまったく見なくなりました。久々のツバメの姿を見ました。

ツバメ (「Wikipedia」より)

・・・

「燕尾服」の由来となったオスの尾羽は長ければ長いほどモテる?!

全長17cm。オスメス同色ですが、尾は長い方がオスです。空中を飛んでいる虫を餌にしていますので、農薬を使っていなかった昔は稲作の害虫を食べてくれる大切な鳥でした。そのためツバメを大切にするような言いつたえが各地にありました。日本で繁殖をしたツバメは台湾を経由してフィリピン、マレーシアで越冬する事が知られています。ツバメは南の国からやって来る渡り鳥の代表です。一般的には夏鳥ですが、暖かい地方では越冬するものもいます。家の軒下(のきした)に巣をつくったツバメは、雷や火事を防ぐ生きものと信じられ、子どもを生み育てるおめでたいしるしの鳥として人々に愛され、大切にされました。今も町の商店や消防署、警察署、駅のホームなどで、子育てから巣立ちまでを見せてくれる身近な鳥です。

オスカー・ワイルドの有名な童話をご紹介しましょう。 ある町の高い円柱の上に「幸福な王子」と呼ばれる立像がありました。あるときそこへ飛んできたツバメがひと休みしようと降りると、王子の眼から涙がこぼれているのに気づき、そのわけをたずねました。王子は「高いところから町を見ていると、かわいそうなことが起きているのがわかって悲しいから」と答えました。情(なさけ)ぶかい王子に感心したツバメは、王子の目になっている宝石や、からだに張ってある金パクを不幸な人に届ける役をひき受けて働きました。やがて冬が来て、ツバメは凍(こご)え死に、王子の像もボロボロになってこわされましたが、心やさしい王子とツバメは天国に召されていきました。

今来たと 顔を並べる つばめかな 一茶

(この項、「サントリーの愛鳥活動」HPより)

「青面金剛(しょうめんこんごう)」碑。神は庚申とも呼ばれる。

左手にいい匂いと煙が。

若い職人がウナギを素焼きしています。 

オクマヤは明治5年(1872年)の創業よりご愛顧を頂いております。
”肉質の柔らかな良質のうなぎ”を厳選し、一品一品真心を込めて作らせていただいております。
当店自慢の炭火うなぎの白焼き、うなぎ佃煮、川魚佃煮等取り揃えておりますので、ぜひご賞味くださ「い。

(「

」HPより)

大きなウナギの白焼き。

かば焼きとしては販売せず。自宅等でお好みで味付けして食べるのもいいかもしれません。その代わり、

  

けっこう地元では人気のお店のようで、車が出入りしています。「おくま」はこの商いを始めたおばあさんの名だそうです。

ぽつんと一軒家。

                  かつての川魚漁師のつくり?

街道歩きを続けます。右に大きく曲がります。                

この付近の今昔。

(現在)→。踏切を越えた後は、成田園沿いに進む。

(1880年代)北に河岸への道。「小見川」とは別の集落。

告示「阿玉川区総植土を令和6年5月9日(木・大安)とします」。

これはどういう行事なのでしょうか? 

 

「成田線」の踏切を渡ります。

「佐原銚子街道踏切」。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その3。小見川の歴史。大橋・黒部川。谷屋呉服店・夢紫美術館・貝紫。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-22 21:32:40 | 銚子往還

古代、小見川の大部分は海であり、陸地部には縄文人が住み着いていた。そのため現在でもその地域には貝塚が多数存在している(白井、阿玉台、木内、内野、良文等)。

46世紀には、日本の他地区と同様、小見川でも古墳が作られた。100基程見つかっており、代表例として三ノ分目大塚山古墳や、城山古墳群が挙げられる。

鎌倉時代に入ると、千葉氏の勢力が強まり、その一族である粟飯原朝秀が小見川城を築いた。一方で、西地区の一部(織幡など)は香取神宮が領有を主張していた。

粟飯原氏はその後も、源氏足利氏北条氏と密接に関わり地域を支配していた。しかし、やがて千葉氏の勢力が衰え、天文21年(1552年)に正木時茂により小見川城が攻略されると、粟飯原氏一族は離散した。また、香取神宮も天正19年(1591年)の太閤検地によって多くの社領を失い、織幡は普通の村落になった。

文禄3年(1594年)、松平家忠が小見川に封ぜられた。これが小見川藩の始まりである。続いて土井利勝安藤重信が封ぜられ、その後天領などを経て慶安2年(1649年)、内田信濃守正信の領するところとなり、以降幕末まで内田氏による統治が続いた。また、この頃から利根川東遷事業により、東北地方銚子醤油などが利根川を経由して江戸に運ばれるようになった。これにより佐原などはその中継地として栄えたが、小見川もまたその恩恵を受けた。・・・

※残念ながら、小見川の町並みは、明治 13 年(1880)、明治 20 年(1887)、明治 21 年(1888)と立て続けに大火に遭っている。・・・これにより多くの商家も焼失したと言われているが、現在も、新町通りの谷屋呉服店などいくつかの商家などが残っており、江戸時代末期の創業であるが、ちば醤油や飯田本店などの醸造業者が今も営業を続けている。・・・

この付近の今昔。

                        (現在)北方が「利根川」など河川改修されている。

                          (1880年代)湖沼が広がっている。

       中央左寄りの集落が「小見川」。    

「黒部川」沿いの古い建物。

下流方向。「大橋」。

                    「銚子街道」上の橋。

上流方向。農業排水路なのでしょうか、けっこう濁っている。

「振袖専門店 谷屋呉服店」。

               街道沿いのお店。土蔵、古い店構え。

                

解説板。

利根川支流黒部川の舟運で栄えた小見川の代表的な商家である。旧銚子街道沿いに南面して建つ呉服店で、創業は嘉永元年(1848)とされる。蔵は明治初期のもので、土蔵造2階建、南北棟の切妻造り、桟瓦葺き。平入で、店舗側の東面に蔵前を設け、入口には重厚な黒漆喰仕上げの観音開きの扉をしつらえている。西面は下見板張、2階の表通りに面して観音開きの窓を設ける。外壁は白漆喰仕上げ。腰を高く造り、洪水に備えて1階床を高く上げるなどの工夫や、防火構造壁(厚さ60cm)も併せ持っている。

現在、土蔵は、貝紫(アカニシ貝)の染色による「江戸友禅」の着物、帯、染め絵額や正倉院復元織物などを収蔵・展示する夢紫美術館として公開されている。

 

千個の貝からわずか数グラム

貝紫は、膨大な数の巻貝を必要とし、希少かつあまりにも高価なため、帝王や貴族の式服にしか使用を許されず「最も高貴な色」と言われてきました。権威の証でもあったことから「帝王紫」や「クレオパトラの紫」と重宝されていましたが、東ローマ帝国の滅亡とともに途絶え幻の色と なりました。秋山は藍の発酵からヒントを得て独自の手法で日本近海に生息するアカニシ貝の内臓(パープル腺)から紫の色素の抽出と染色に成功し、現代に蘇らせました。

類まれな美しい色と優れた堅牢性において貝紫は、染織職人にとり他の追随を許さない天与の染料です。

"創業177年の谷屋呉服店です。成人式の振袖レンタルと購入、ママ振袖、成人式当日の着付け・ヘアメイクのお支度、前撮り写真撮影のお手伝いをしております。地域の皆様がいつご来店いただいてもお喜びいただけるように、常時1,800枚以上の振袖をご用意しております。振袖は今トレンドのくすみ系やアースカラーなどの流行柄から伝統的な京友禅をはじめ絞り柄などの古典柄、レトロ柄、モダン柄など、色のバリエーションやデザインイメージも豊富。袋帯、帯締め、帯揚げ、半襟、重ね襟、草履、バッグ、髪飾りなども幅広く取り揃え、経験豊富なスタッフが上品でおしゃれな振袖コーディネートをご提案いたします。老舗着物専門店としての伝統と実績でお客様の成人式や前撮り撮影を最高の日にするために、スタッフが一丸となってサポートいたします。ぜひお気軽にご相談ください。"(「谷屋呉服店」HPより)

けっこうお客さんが連れ立って来店しています。

立派なお屋敷。

「佐原銚子街道」(旧道)を振り返る。

桝形を過ぎ、「国道356号(利根水郷ライン)」に向かいます。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その2。御大典記念碑・道標。城山公園。小見川大橋。初代松本幸四郎墓所。鶴嶋製作所。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-19 19:00:23 | 銚子往還

用水路脇を歩きます。

                   

明照保育園。

左手が開けてきます。

と、そちらを眺めながら歩いていたので、「飯沼観音七里道標」を見逃してしまいます。

「COCO'S小見川店」と反対側の国道沿いにあった!

「城山公園」に向かう道の角に、「御大典記念碑」。

                         「北 大倉村 津之宮方面 西 分郷神里村方向」

「東 小見川町 笹川町 銚子町方面」

※1928年(昭和3年)11月10日、京都御所で挙行された昭和天皇の即位式を記念したもので、全国にある。この石碑は道標にもなっている。

※「城山公園」

城山の名前のとおり鎌倉時代から戦国時代末期にかけて、豪族粟飯原氏の城が築かれたところで、今でも城跡の一部が残っているほか、古代の古墳群もあります。

 現在では70種余り、約6,000本のさまざまな樹木が植えられ、四季を通じていろいろな花木が楽しめる公園となっています。中でも春は、1,000本のソメイヨシノと4,000本のつつじが山一帯に咲き乱れ、北総随一の花見の名所として知られています。ほかにも、夏のアジサイやサルスベリ、秋のアベリアやキンモクセイなどが、行楽に訪れる家族連れの目を楽しませています。

 

 公園内には、遊具が整備された「アスレチック広場」や「チビッコ広場」「わんぱく広場」のほか、茶会や華道などの集まりもできる数寄屋造りの「清風荘」があり、子どもから大人まで楽しめます。

(この項、「」HPより)

水田が広がります。                 

         右手奥、「利根川」に架かる橋が、「小見川大橋」。

「小見川大橋入口」交差点。

        

バス停「八日市場」。小見川の町中に入ります。

                  

国道から離れて街中を歩きます。初代松本幸四郎墓所。

歌舞伎役者の初代松本幸四郎の墓は、JR小見川駅から歩いて10分程の善光寺にあります。本堂に通じる参道の入り口には、「初代松本幸四郎の墓所入口」と刻まれた碑が建てられており、参道を100メートル程歩いていくと本堂前に設けられた案内板が墓所まで案内してくれます。

 初代松本幸四郎は、延宝2年(1674年)に小見川の島田家に生まれ、10歳の時に佐原の小間物屋「高麗屋(こうらいや)」に奉公しました。元禄の初め江戸に出て久松多四郎の門に入り、最初は松本小四郎と名乗りました。

 享保元年(1710年)に幸四郎と改名。享保13年(1722年)11月に「弁慶」の当たり役で喝采を浴び、荒事立役を最も得意としました。弁慶の上演回数は実に千数百回に及び、2代目市川団十郎と並び当代の名優と称せられました。享保15年(1730年)3月25日、57歳で、その生涯を閉じています。

(この項、「香取市」HPより)

鶴嶋製作所。

江戸末期からの清酒造りの蔵元だったが、昭和37年に廃業、機械加工工場として再出発した。

旧道。

       枡形のところ。

この付近の今昔。

                     (現在)南にも市街地が広がっています。

赤い線が国道356号。旧道は北にそれた道筋。枡形(曲尺手)が二カ所、残っています。川は「黒部川」。

                     (1880年代)北側には大きな湖(沼地)。

   北にある利根川に通じる水路を活用して発展した町。

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成田線「水郷駅」~「笹川駅」。その1。水郷駅。一の分目(いちのわけめ)・三の分目。前方後円墳・「三ノ分目大塚山古墳」。(「佐原銚子街道」をゆく。第2日目。)

2024-05-18 20:40:08 | 銚子往還

5月10日。快晴。佐原銚子街道歩きの続き。

水郷駅。下車客1名。

「一の分目(いちのわけめ)」

※地名は新田開発に伴う地割に関係するものと思われます。「三の分目(さんのわけめ)」という地名も同様か。

この付近の今昔。

                        (現在)現在も水田が広がる。

「利根川」が上部に。赤い線が「国道356号(利根水郷ライン)」。

                        (1880年代)街道は、集落に沿って続く。

利根川は、周囲の河川、沼地などで流路が狭くなっていた。後、大規模な河川改修がなされ、現在のような流れに。

バス停「水郷駅」。

                

右手に「前方後円墳」。

 ※    「前方後円墳」の基本形。

「三ノ分目大塚山古墳」。

            

解説板。

香取市一ノ分目・三ノ分目・富田地区の利根川に沿った微高地上には10基以上の古墳が確認されており、「豊浦古墳群」と総称されている。中でも最大の本古墳は、墳丘の全長が123mの前方後円墳で、後円部の径68m、高さ9.5m、前方部の幅62m、高さ7.5m。墳丘は三段に築かれ、周囲には盾形に周堀が巡っている。これは、現在のところ、利根川(旧鬼怒川)下流域最大で、千葉県内でも屈指の規模を誇る。また、墳頂と各段の平坦部には円筒埴輪列や朝顔形埴輪が確認されている。後円部墳頂は共同墓地となっているが、その傍らに大きな板石が3枚立っている。これは石棺に使われた石材で、底石には側壁石と小口石を載せるための切り込みがみられる。この石棺は長持形石棺と呼ばれ、畿内では5世紀の大王や大豪族級の大型古墳に採用された形式である。しかし、この石棺がいつ、どのような経緯で掘り出されたのか、副葬品は何があったのかなどは、わかっていない。本古墳は、墳丘の形、埴輪や石棺の特徴などから、古墳時代中期の5世紀ごろに築造されたと考えられる。香取地域においても、強大な勢力をもつ首長がいたことを物語る古墳で、香取市のみならず、関東地方を代表する中期古墳である。

墳丘に上がってみます。

  

                 写真の3つが板石。

よく原形が保たれています。

水田の部分が、かつての堀跡?

来た道に戻ります。

     左が古墳。

下から見上げた全景。

国道に復帰。「三之分目」。

大きな石碑(詳細不明)。

左手奥が利根川。

左右が開けてきます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その6。長屋門。旧大倉小学校。水郷駅・しゃれた駅舎。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-16 20:13:32 | 銚子往還

狭い歩道。家などのところでは下りたり上がったりで、けっこう膝にこたえます。車の行き来も多い。

車道を歩いたり、歩道に上がったり・・・。もうじき「水郷駅」のはずですが。

右手に立派な長屋門。

               

左手には「旧大倉小学校」。

2022年3月末をもって、香取市立大倉小学校(千葉県香取市大倉501)が閉校します。

1879年に千手院を仮校舎として大倉小学校が創設。ここが当校の創立起源となります。水田地帯が広がる自然環境に恵まれた同校は、児童数35名の小規模校。この地域では梨栽培が盛んなため、学校の校庭でも梨が育てられています。自然と触れ合う授業が多いことでふるさとを知る機会となっているそうです。また授業間の時間には縄跳びを行ったり、昼休みに「ロング昼休み」を実施したりと楽しく体力づくりにも励んでいます。

143年間に渡りこの地区を見守り続けてきた同校ですが、残念ながら2022年に閉校。その歴史は新設の統合校の香取市立水の郷小学校に引き継がれ、同校は学び舎としての役目を終えます。ゆかりのある方はこの場所にもう一度足を運んでみてはいかがでしょうか。(2021年8月執筆)

(この項「」HPより)

右へ緩いカーブ。その角に古い石塔が3つ。

                           詳細不明。  

バス停「大倉」。  

やっと右手奥に「水郷駅」が見えてきました。   

街道は先に続きます。   

なかなかおしゃれな駅舎。  

利根川方向を望む。   

何とかたどり着きました。

ところが、ホームには高い跨線橋を上がって下りることに。痛む膝にはこたえます。

眺望は最高。

              待合室が渋い。近づくと、中では若い外国人二人が痴話げんか中。遠慮しました。

住宅の向こうに水田が広がる。 

          住宅地。

「小見川駅」方向。

「香取駅」方向。

次回も国道356号線歩きが続きます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その5。成田線と「利根水郷ライン」。側高神社・髭撫祭(ひげなでまつり)。東関東自動車道。飯沼観世音江八里。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-15 15:37:53 | 銚子往還

右手、線路の向こうは丘陵。

成田線・国道356号は台地の裾を縫うように進む。

バス停「側高(そばたか)青年館」。この先に、「側高神社」の大きな看板。

左手は利根川堤に続く田んぼ。

水準点。これも民家の敷地内にある。「海抜2.0m」。

「側高神社入口」。

奇祭「髭撫祭(ひげなでまつり)」で知られる側高神社は、香取神宮第一の摂社です。香取神宮の祭神である経津主命と縁故の深い神を祀った神社ですが、その主祭神は神秘とされて明らかにされていません。
鳥居をくぐって拝殿へと向かう石段の脇には、「四季の甕」と呼ばれる石段が並んでいます。石段の側から春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕といい、夫々の甕の水量が四季折々の降水量を示すとされています。
この神社は利根川を見下ろす台地に建立されていますが、はるか昔は香取ヶ浦と呼ばれる広大な内海が眼下に広がっていたであろうと想像されます。そして境内には樹齢500年を超えるといわれる夫婦杉があり、さらに太さ7.4mもの杉のご神木も見事に聳え立っています。
本殿は寛文五年(1665)の建立で、独自の構造を持つ本殿は当地域ではほかに例がなく、昭和57年に千葉県の有形文化財に指定されました。

毎年1月第2日曜日に行われる髭撫祭は今から約800年前、鎌倉時代の建保二年(1214年)に始められたと伝えられています。大倉村中の氏子を氏族別に18組に分け、18当番の各組が毎年交互に2組ずつ祭り当番・請当番として奉仕するしきたりで、祭当番引き継ぎの行事として執り行われます。当日、神前に注連縄(しめなわ)を張り、鶴亀遊ぶ蓬莱山(ほうらいさん)を飾り、両当番は西と東に分かれて酒を飲み合います。年番のみが髭をつけています。紋付羽織袴という古式の礼装に威儀を正し、荒筵(あらむしろ)の上に著座し、二人ずつ交互に出て七引き合いの杯事を行い、初献より七献目(満献)まで、一杯・三・五・七・七・五・一杯と定められています。この定められた杯を飲み干したのち、年番は請年番に酒を勧めるため立派なひげを撫でます。これは「もっと飲め」という合図で、請年番は断れないしきたりになっています。これが「ひげなでまつり」といわれる所以です。見事に飲み干す度に勇者を褒めはやす鬨(とき)の声が新年早々の側高山に湧き上がり、今なお昔ながらの手振り床しく、五穀豊穣、子孫繁栄を祈念して引き継がれているのです。貴重な伝統文化であり、昭和52年に市の無形民俗文化財に指定されました。

(この項「」HPより)

「東関東自動車道」の橋梁。

             

利根川河畔を望む。

            田植えを終えたばかりの水田が広がる。

この踏切際に道標「飯沼観世音八里」があるようですが、車の行き来が激しく確認できず。

バス停「丸峰入口」。

成田線上り電車が通過。

         この1本後の電車に乗るつもりです。しかし、膝の痛みがますます激しく、やっと歩いている感じ。

丘陵が迫ってきます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その4。田植えの季節。国道356号「利根水郷ライン」に合流。「津の宮」。バス停「香取駅」。鹿島線。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-14 21:01:24 | 銚子往還

田植えの時期。                  

来た道を振り返る。

バス停「かわじり橋」。「川尻」。

利根川沿いに進んできた国道356号「利根水郷ライン」に合流。

国道に入ってすぐ左手に、「香取神宮一ノ鳥居(津宮鳥居)」。

ここは、利根川歩きのときに立ち寄っています。大鳥居と「与謝野晶子歌碑」があります。

そのときのブログ記事。

・・・

川辺に大きな鳥居。「浜鳥居・常夜灯・与謝野晶子歌碑」。

香取神宮表参道の「一の鳥居」であるこの鳥居は、利根川の津宮河岸に建つ。現在の鳥居は、平成14年(2002)に竣工された。この辺りの利根川は、もともと香取が浦(香取の海)と呼ばれ、鳥居も水中に建ち、浜鳥居と呼ばれた。香取・鹿島・息栖の三社参詣の際は、この鳥居をくぐった。ここに建立されている常夜灯(香取市指定文化財)は、明和6年(1769)に三社参詣の講中の人々が航路の安全を祈願し香取神宮に奉納した。高さは2.8まり、利根川を行き交う船の目印となった。その傍らに、歌人与謝野晶子の歌碑がある。晶子はは、明治34年(1911)に銚子を訪れた際に津宮に立ち寄り、鳥居河岸の宿屋で歌を詠んだ。

かきつばた 香取の神の津の宮の 宿屋に上る 板の仮橋

与謝野晶子歌碑。

          

・・・

バス停「津の宮」。

国道356号線「利根水郷ライン」を進みます。

                  この先からは、利根川河畔と少し離れていきます。

この国道は、銚子・小見川・対岸にある鹿島臨海工業地帯への幹線道路。大型トラックなどがひっきりなしに行き来します。

路肩も狭く、けっこう歩くのに苦労します。信号も少なく、スピードを出して通り過ぎるので、恐い!

バス停「香取駅」。 

駅までは、かなり歩きます。

バス停「堀川」。 

遠くに鹿島線の利根川橋梁。

「鹿島線」の高架をくぐります。

振り返ると、

            右に「鹿島線」、左に「成田線」。

鹿島線

成田線の佐原駅から銚子側の1駅先にある香取駅から分岐し、水郷潮来あやめ園や十二橋めぐりなどの水郷の観光地を持つ潮来駅鹿島神宮鹿島臨海工業地帯のある鹿嶋市の中心である鹿島神宮駅を経由し、鹿島サッカースタジアム駅を終点とする。

※去年の夏、「関東ローカル線の旅」で乗りました。

左手に「鹿島線」。

そして、5月12日は「母の日」でした。子どもたちが思い思いの心を込めて。

        

             

父の日よりも心温まる、やっかみ日でした。もちろん、おこぼれ頂戴! 

飲み干した「久保田純米大吟醸」に一輪のカーネーション。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その3。枡形(曲尺手)。佐原宿から銚子街道へ。仁井宿・鷹の飾り物(山車)。飯沼観世音江九里。銚子街道踏切。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-13 20:53:00 | 銚子往還

「香取神社入口」交差点を左折します。交差点を振り返る。

                         右手が佐原の中心街。

すぐ右折。

枡形(曲尺手)になっていて、「佐原宿」から離れていくことになります。

この道「佐原銚子街道」を香取駅を経由、水郷駅へ。

「御神燈」。「○内安○」。

香取市のマンホール。

                    市の花「アヤメ」の咲く水郷での鮒釣りをデザイン。

※2006年3月27日に佐原市、香取郡栗源町、小見川町、山田町と合併し、香取市となった。

バス停「仁井宿(にいじゅく)」。

仁井宿は佐原で最も古い町内の一つです。
嘉永5年(1852年)に製作された2代目の漆塗りの幣台(やだい)は、完成から既に150年近くが経過しており傷みが激しくなりましたので、平成10年の春に現在の幣台(やだい)が新造されました。
仁井宿では3代目の幣台(やだい)にあたります。

飾り物は「大鷹」です。この巨大な「鷹」は全長7メートル余りで、主な素材に稲藁を500把・荒縄を20巻を使っています。
町内総出で300人の人たちが力を合わせて作り上げました。

この「大鷹」が初めて作られたのは200年前以上の宝歴年間と伝えられています。

(この項、「sawara.com」HPより)

道標「飯沼観世音九里」。※約36㎞。

銚子の飯沼観音まで道標が建っています。 この道標にはすべて「飯沼観世音江何里」と飯沼観音までの里程が示されています。12基(12の里程基)があります。

この街道は、観音巡礼札所の滑川観音(成田市滑河)から飯沼観音にいたる巡礼道でもありました。

          

「水準点」。民家の敷地内にありました。「海抜4.4m」。

バス停「篠原」。

旧家。大きなお屋敷。

右手には房総の山。

バス停「渡船場入口」。

線路を越えた突き当たりは、利根川河畔。船着き場があるようです。

正面に県道のJR成田線「跨線橋」。

       

左手にJR成田線の線路。

「銚子街道踏切」。

銚子駅方向。

利根川河畔から続く国道356号「利根水郷ライン」に向かいます。

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その2。佐原宿・古い町並み。土蔵造り・看板建築。忠敬橋・小野川。鯉の作り物(山車)。(「佐原銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-12 20:15:47 | 銚子往還

看板建築の一つ。木造モルタル造り。

              なかなかおしゃれです。

メインストリートに向かいます。

蔵造りのお店が並んでいます。

この界隈は、以前来たときに歩き回りました。今回は、あっさりと歩きます。

観光客もたくさん。外国人の姿も結構見かけます。

          

(伊能)「忠敬(ただたか)橋」。

「小江戸さわら舟めぐり」で有名な「小野川」。

利根川の支流である小野川は、江戸期より水運の集散地として佐原の町を発展させた。農業用水としても古くから利用され、香取市牧野地先にを造り、樋橋を介して市内関戸方面や本宿耕地方面に水を引いていた。1951年(昭和26年)に国鉄佐原駅北側に小野川から掘り込み式の佐原が完成したが、船の需要がなくなったため1970年(昭和45年)に埋め立てられた。2004年(平成16年)には市街地の洪水を解消するため香取市牧野地先から本宿耕地地先利根川までを流す小野川放水路が完成した。

※「佐原港」の今昔

              

1970年代のようす。駅の北側に堀割の港。       現在のようす。千葉県香取合同庁舎などの敷地に。

※「樋橋(とよはし)」。

 樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。
 もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
 橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれました。
 昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。(「解説板」より)

最近のCMで登場しています。

割烹 宮定」。

これから、佐原は、「あやめ祭り」で賑わいます。

この先は、「佐原銚子街道」を歩くことになります。

「さわら十三里屋」。

         栗(九里)より(四里)うまい芋製品。

※「くりよりうまい」は、埼玉・川越が江戸(中山道・板橋宿)より13里(半)の距離があることになぞらえたうたい文句ですが、このお店の屋号にもなっているわけです。

重厚な土蔵造りの建物が連なります。「癒しの雑貨 らぱん」。

「佐原三菱館」。

レンガを積みあげて建てられた2階建ての洋館で内部は吹き抜けになっており、2階周囲に回廊がある。屋根は木骨スレート葺きで、正面建物隅にドームを設けてある。川崎銀行佐原支店(開業明治13年)として大正3年に建設され、現在は市に寄贈され、千葉県有形文化財に指定されている。

左に「蜷川家具店」。

       左奥が看板建築。意匠がすぐれています。

ここまで来ると人通りも少なくなります。

ここにも見事な看板建築。「サクマ薬局」。

「下仲町」バス停脇の旧家。

         

「香取街道」とあります。

八坂神社・山車(だし)会館のところに大きな鯉が。

八日市場区の麦藁細工でできた鯉の飾り物。

GW中に特別に各区の山車の引き回しがあるそうです。※佐原には5月3日に訪れましたが、このときには遭遇しませんでした。

跳高欄を廻した山車の天上部には、日本神話など様々な説話から取材した歴史上の人物の大人形や作り物が飾り付けられています。

 大人形は、身の丈4~5mにおよび日本最大級の大きさを誇っています。

 この大人形は、江戸時代から明治・大正時代にかけて名人と呼ばれた人形師達によって技術の粋を集め制作されたものです。

 また、作り物には、麦藁細工の鯉や稲藁細工の鷹等、町内に住む人達の手によって制作される昔ながらの飾り物もあります。

(この項、「香取市」HPより)

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JR成田線「佐原駅」~「水郷駅」。その1。「銚子街道」の成り立ち。佐原駅。街道に合流。古い家並み。(「銚子街道」をゆく。第1日目。)

2024-05-11 20:01:39 | 銚子往還

まだまだ「銚子往還」歩きを続けます。「佐原」から「銚子」まで。

「東金線」、「総武本線」を利用しての「銚子往還」から「成田線」を利用しての「佐原銚子街道」歩きとなります。

銚子街道

国道356号が現在踏襲している利根川沿いに整備された街道である。なお、厳密に起点は決定されておらず、木下街道と接続する木下付近を起点とする説や佐原を起点とする説もある。江戸時代には我孫子宿我孫子市寿1丁目16、追分石碑)で旧水戸街道と接続していた成田街道印旛郡栄町安食「安食」交差点までの国道356号の一部、県道18号・松崎街道)と共に印旛への輸送路・開発路として役割も果たした。

また、水運と共に発達し、明治期には水戸街道(現在の国道6号)とともにすでに国道として確立していたが、利根川の治水工事の影響により現在は一般県道市道に格下げされている箇所もある。神崎町区間では成田線と並行しており利根川とは大きく離れているが、香取市の佐原市街地に入ると再び合流し、県道55号が踏襲している。なお、かつてはここに佐原宿佐原の町並み)があり、成田山新勝寺に至る佐原街道香取神宮に至る香取街道多古街道と接続していた。その後は銚子市唐子町の「銚子大橋前」交差点までの多くを成田線と並行して国道356号が踏襲している。西芝町で銚子道(※「銚子往還」として歩いた道筋)と合流し、飯沼町の飯沼観音付近で鹿嶋市水戸市に至る飯沼街道と接続する。なお、水郷の町として栄えた佐原の発展のため、伊能権之丞らが発起した武総鉄道会社は銚子街道に沿う形で建設が計画された

(この項、「Wikipedia」より)

成田線「佐原駅」。

佐原は、成田からの「佐原街道」の終着地として、また、利根川河口から左岸を遡ったときにも立ち寄りました。

5月3日(祝)。快晴。

京成成田駅から、JR「成田」に乗り換え、「佐原駅」に向かいます。

ところがこの日。鹿島スタジアムでサッカーの試合があるようで、満員すし詰め。佐原まで立ちっぱなし。周囲は、サッカーの話で盛り上がっています。

こちらは、膝も腰も痛くなってしまいます。

佐原駅で鹿島線に乗り換えるため、向かいのホームに大移動の皆さん。あっという間に鹿島神宮宇行きが満員。すっかり空いた電車から降ります。

ところが、改札口は、いっぱいの人。佐原巡りもけっこうにぎわっているようです。

さあ、歩こうか、といっても膝の痛みはなかなか消えず。小見川駅まで歩く予定でしたが、その手前の「水郷駅」で挫折。

ということで、水郷駅までの報告。

安孫子からの街道に合流。

古い家並みが残っています。

         

この付近の今昔。

                       (1880年代)↓(桝形)が現在も残っている。

宿場の町並みが東南に広がる。どの宿場と同様、鉄道の駅は中心から離れたところに設置された。

                       (現在)「佐原宿」では、上宿、仲宿と連なる。

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旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その6。イオンモール銚子。春日町バス停。旧道。銚子駅。(「銚子往還」をゆく。第8日目。)

2024-05-09 18:37:57 | 銚子往還

国道沿いにある「イオンモール銚子」。ここまで歩きました。

             

大型店舗で、駐車場もけっこう満車。

ここから銚子駅へのバスに乗り、「春日町」バス停で下車。国道126号から右、直線の旧道を歩きます。

 

街道沿いらしい町並みではありません。

総武本線「清川町踏切」。

銚子駅方向。

この道をまっすぐ進むと、佐原方向からの「銚子街道」と合流します。

              

右に折れて銚子駅前へ。

銚子駅。

「国木田独歩」碑。

夏の波は高く 冬の波は低し 土用七月の波 これを犬吠岬に見る その壮観未だ忘るゝ能はず 病牀録より

「太平洋岸自転車道 起点 銚子駅」。チーバくん。

「油屋金物店」。

角地を生かした看板建築。目立つ。駅寄りには化粧品の「あぶらや」さんがあるようです。そこも看板建築。

右に曲がると、水準点。「海抜5.3m」。この先に「寶満寺」跡。

※戦前は市中央部のこの場所にあったが、昭和20年3月及び7月の大空襲により炎上、移転した。

特に7月19日~20日は、B29が91機。侵入後わずか3分で電話は不通、送電は途絶え、30分後にはほとんど全市が猛火に包まれた。死者278名、焼失家屋3,950戸。

・・・

銚子の街歩きはここまで。

発車時間が近づき、銚子駅に向かいます。(何しろ1時間に1本なので逃すとタイヘン! )

     銚子電鉄へ向かう階段に「犬吠埼温泉郷」。

総武本線で戻ります。

車窓より。

                「飯岡駅」。  

「松尾駅」。

こうして、大網からの銚子往還。2ルートからの銚子歩きも終了。

しかし実は、利根川沿いにも銚子への街道がありました。「飯沼観音」への道です。

そこで、次回から佐原から銚子まで歩くことにします。

※佐原までは葛飾・新宿(にいじゅく)から水戸街道と分かれ、佐倉街道・成田街道・佐原街道と歩きました。

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新緑の向島百花園。年間パスポート更新。カルガモたち。5月5日快晴・昼下がり。

2024-05-08 19:37:37 | 銚子往還

久々の「向島百花園」。年間パスポートを購入(280円)。

緑が濃くなった百花園。

               スカイツリー。

カルガモの姿。

何羽もカルガモがいます。番が何組か。

百花園の池は一組の親子が棲みつくだけ(のはず)。今年は、どういうわけ?

先陣争いなのでしょうか? 去年の雛が成長して戻ってきて・・・

  

  

          

「楽焼体験」。 

              隅田川焼き。かつては、都鳥や秋の七草をモチーフにした作品があったそうです。

  

梅の実。  

         みやこわすれ。

ばしょう。新しい葉っぱが。

次第に夏もようになっている「百花園」です。

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旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その5。畑の中に風力発電所。ソバ畑。住宅地へ。国道126号に合流。しばらく国道歩き。(「銚子往還」をゆく。第8日目。)

2024-05-07 20:41:21 | 銚子往還

風力発電所。畑の向こうに。

        振り返る。

ダイコン畑。

広大な畑地と風力発電所。

収穫時期の異なる畑。

ソバの花。

風車から次第に遠ざかる。

住宅地に入り、正面を左折。

  

国道126号に合流します。

               銚子方向。

旭方向。

「イオンモール銚子」に向けて歩きます。

この付近の今昔。

                      (現在)国道への道が不明になっている。

                       (1880年代)街道沿いに集落はなく、畑の中の一本道。

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旭駅~飯岡刑部灯台~銚子駅。その4。小浜町・「道切り」の風習。小浜風力発電所・屛風ヶ浦風力発電所。台地へ。(「銚子往還」をゆく。第8日目。)

2024-05-06 19:55:40 | 銚子往還

キャベツ畑が広がる。

集落はまだ先まで続きますが、銚子往還は右折します。

ここで右に折れます。

            急坂を下ります。

振り返る。

頭上に、

    道を横切るように、しめ縄、タコ(右)やイカ(左)などの作り物が渡されています。「道切り」。

道切り(みちきり)とは、

地域)の出入り口にあたるで行われる民俗習慣のひとつ。辻切り(つじぎり)とも称される。

日本の村落においては、村と山の境界にあたる野良(ノラ)、あるいは村と村の境(サカイ)には古くから疫病をはやらせるなどが出入りすると考えられていた。出入り口にあたる道には魔を防いだり、追い払うために道祖神が祀られたり、注連縄(またはで作った)を張ったり草履草鞋が供えるなどの道切りが行われていた。

関西地方では近畿地方を中心として、村境や辻、寺社の境内などに注連縄を渡す勧請縄(かんじょうなわ)という行事が多く行われている。また、比較的都市化の進んだ千葉県北西部地域(佐倉市市川市船橋市八千代市)を含む千葉県各地で、名称はさまざまだが、道切りに相当する行事が現在も行われている。形態も、百足や蛇や龍の形をした綱を境界の木に据え付けるもの、同様の綱を道に張り渡すもの、人形や魚介類(蛸や海老)を模したものや草履などを吊り下げるもの、鹿島人形やお札を立てるものなど、多様性に満ちている。(「Wikipedia」より)

※「Wikipedia」では、小浜町の「道切り」の写真が掲載されている。

ここからは、集落を離れて下っていきます。

  藤の花。

振り返ると、「銚子小浜風力発電所」。

坂道を上がると、前方の視界が開けてきます。

             来た道を振り返る。

「銚子屛風ヶ浦風力発電所」。

左手。

              

左右に広がる畑地の中をしばらく進みます。

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