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自由権と社会権

2012年06月03日 | 資本と社会の問題
今夜のNHKスペシャル「日本新生・・激論!雇用劣化を食い止めろ」を観ていました。

「まず働く」という自由観点から討論していましたが、「働きたくない、働けないという自由観点」が抜けているのでは?

雇用という面を考えてみると、資本家(経営)側と労働者(従業員)側は、対等な自由な契約であるはずなのですが、労働者側からの賃金、労働時間などの要望を満たす雇用契約などありえません。

現在の不安定な経済状況では、就職活動の求職者の要望よりも経営側が出す要望条件の方が、強いのです。

資本家と労働者という立場は、市民法上では、対等な関係になります。

しかし、契約の自由は、労働者側にとっては、形式的な自由であり、実際は、隷属的な関係です。

失業、低賃金、長時間労働、過労、貧困、生活困難・・これらを背景に、教育を受けられない、医療が受けられない、居住が確保できない、生活保護などの社会保障が必要となります。

歴史的にふりかえっても、自由を侵害して、抑圧してきたのは、支配層である国家権力でした。

自由を主張することが、犯罪とされて、弾圧、抑圧、隷属、強制、偏見、差別を受けたのが、人間の歴史です。

それゆえ、自由権の保障は、国家からの自由とも言われるのです。

自由権は、天から授かったものではありません。

支配層やその権力層との闘いの中で、自由を獲得する運動により、勝ち取ってきたのが、人間の歴史なのです。

現代においても、同じことが言えます。

自由権を発展させる社会を築くには、主体的な努力が、今尚、必要であるという歴史事実です。

日本国憲法第25条には、「すべての国民は、健康で文化的なを最低限度の生活を営む権利を有する・・」とあります。

幸福の追求権というものがあれば、それは、社会権だと考えます。

生存権、教育権、労働権、団結権・・社会的に弱い立場におかれる人間集団の権利を守るという観点からの社会権です。

病人、障害者、子供、高齢者・・全ての国民に保障しうる生存権、教育権、労働権、団結権・・つまり、社会権という社会福祉保障制度を整えるのが、日本新生の国作りなのでは?

幸福を実現する自由な生き方、自由な人生を望むならば、日本人固有の譲り合い、互いを尊敬しあう精神を掲げた社会権の理念を発展させる必要があります。

そんな社会権を備えた日本社会にならないと、いつまでたっても堂々巡りで、自由権に関する議論は、終わりません。