百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

拝む心

2008年03月08日 | 千伝。
Soul Mateとは、一体誰なのだろう?

日曜日は、太陽を拝みましょう。
月曜日は、月を拝みましょう。
火曜日は、火を拝みましょう。
水曜日は、水を拝みましょう。
木曜日は、木を拝みましょう。
金曜日は、金を拝みましょう。
土曜日は、土を拝みましょう。
意識して生活すれば、一週間が、活きてくると思います。
 
因みに、今日は・・土曜日でした。
畑仕事でもするような意識で、時間を費やすことが充実につながるかも知れません。

泥臭く・・拝む心でいきましょう。

木曜日は、大工さんのように・・
火曜日は、コックさんのように・・
水曜日は、消防士のように・・
そんなために名前があるのかどうか分かりませんが、意識しましょう。

それから、職業を選ぶ場合でもなんでも、レベルの高いほうから無駄でも挑戦していったほうが、良いかと思います。

私も何度か転職しましたが、行き渡りバッタリでは無駄が多いです。
無駄でも、もっと高く自分を売り込みに行けば、扉は開きます。
 
いろんな手を「曜日にあわせて」・・素敵な一週間にしましょう。

楽しい一週間になりますように♪

夕凪の街 桜の国

2008年03月08日 | 百伝。
今日の午後、県立図書館での漢字学習講座(応用編)は、中止。

JR北陸線が不通になっており、講師が京都から来られないとのこと。

福井出身の白川静先生(白川文字学)の世界を体系化した講習会でしたが、何となくほっとしました。

コミック単行本「夕凪の街 桜の国(こうの史代)」を読む。

よくできた構成に感心する。

原爆投下直後のヒロシマは、灼熱にような地獄絵図だったと・・母から何度も聞かされた。

黒い雨が降ったときは、恵みの雨だと思い、当時16歳だった母は、喉を潤したとか・・。

その後、2~3年間病弱で寝たっきりだったらしい。

一方、その頃、父は、マレー半島のジャングルで飢えに苦しんでいたと・・何度も聞かされた。

野草を摘み、魚を採り、でんでん虫やへびまで探して食べていたらしい。

その後、テング熱やらマラリアに罹ったらしい。

朝、隣町に近い郊外の田園地帯まで出かけて、その界隈をちょっとジョギング・・。

走りながら、胸を打つ台詞が心を駆け巡っていました。

「あんた被爆者と結婚する気ね?」
・・
「うちは、この世におってもええんじゃと教えてください」
・・
「ええんじゃ 生きとってくれて ありがとうな」

思秋期

2008年03月08日 | 千伝。
父と母は、来年で結婚60周年を迎えるはずだったが・・残念ながら、今年、父が逝った。

「真面目に生きていると見せるのも、なかなかツライものがあったんだよ」と母が、諭すように、いとこに話かけていた。

父の兄も弟も、離婚している。
母の弟も、離婚している。
それだけではない・・離婚は連鎖するのである。
我が家の親類、身内を見渡すと、異様に離婚が多い親戚一族なのである。

だからこそ、父と母は、何度も離婚の危機があったのにもかかわらず・・最後の砦を守るような決意で無理に別れなかったのかもしれない・・実際、そんなことも言っていた。(笑)

小生、子供の頃からドロドロとした身内の離婚の悲惨さを学ぶ機会を多く得た。
その原因が、不倫でもあり、金銭トラブルでもあり、性格不一致でもあり・・当人とっては、大変な心痛だったろうが、傍から見る立場からでは、至極単純な心痛にも映った。

馬鹿な大人たち・・小生の子供の頃の実感想である。

離婚後・・残された小生のいとこ達は、不憫だった。
それこそ、なるべく真面目に生きている姿勢を無理して自分に課すような生き方もする。
善良な人格である。

時々、大人になると心に巣食う闇や欲が、無性に震えて痛む。

心を壊すな。

まともな生き方って・・情熱だろうか? 自由だろうか?

父は、上手に言っていた。
「自分の人生で一番幸運だったのは、母と結婚したこと」

母は、言う。
「自分の人生で一番辛くて後悔するのは、父という一人の男しか知らなかった」
つまり、恋愛のチャンスもなかった人生と言う事らしい。(笑)

真面目に生きてみせるのもツライものである・・。
母の言葉に実感する今日この頃の思秋期である。

お手本と示すべき、父と母は、人生を明るく燃やしてくれた。

苦しい時こそ、単純至極に考えないと・・。(笑)