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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

愉しみの時

2007年05月26日 | 千伝。
とある新聞記事のコラムに橘曙覧の「独楽吟」の一首が紹介されていました。

たのしみは まれに魚にて 児等皆が うましうましと いひて食ふ時

かつて、天皇陛下ご夫妻が、ご訪米の際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチで締め括った言葉は、橘曙覧の「独楽吟」の次の一首が引用されていました。

たのしみは 朝起きいでて 昨日まで なかりし花の 咲ける見る時

「橘曙覧」という人物に興味を持ち始めています。

江戸時代幕末期、福井に生まれ育ち、京都、大坂、江戸の中央の歌壇と交わることもなく、ひっそりと郷里福井で半農民の生活をしながら一生涯を終えた清貧の歌人「橘曙覧」の人物像を思い描いています。

ふと読んだ明治期に書かれた「橘曙覧」評が甚く気に入りました。

下記抜粋:

辺陬の地に空しく跼蹐して不遇の一生を畢つた彼が、折にふれ事に感じてその真情を吐露したもので彼の生命は何と言ってもこの一巻に残っている。

彼自身に尋ねたら、もっと大きな使命を感じていたかも知れないが、その時代と彼の天性とから考へれば学者としてよりも、むしろ歌人として栄誉を担うものと言わなければならぬ。
彼の生涯は隠遁的であり回避的であつたが、彼の歌は西行や芭蕉のようにその閑寂な生活から生れた芸術ではない。

その特色は、あくまでも人間的であつた。

取材用語の縦横、気魄の高邁、寸毫も世俗に媚びないで、しかも人情に背馳するところなく、無技巧に歌ひ捨てた感興の中に無限の詩味と実感を含む─―この点にかけては実に独自な境地を拓いたものと言ってよい。

彼は決して世を捨てたのではない。繁瑣な衣食住の約束を無視することによつて、真に自由な生活を獲得し自我を樹立し得たのである。

そこに解放された一つの人格が生れたのである。

 たのしみは 物をかゝせて 善き値 惜しみげもなく 人のくれし時

 たのしみは 門うりありく 魚買て 烹る鐺の香を 鼻に嗅ぐ時

「銭ほし、魚ほし」の生活欲を何の躊躇もなしに歌いあげ得るだけの広い心境にまで達していたのである。
それも景樹輩のやうに奇矯を衒ったところなく、極めて真摯な心持ちから自然に流れて出たのである。

その随筆「ゐろり譚」の中にこんな意味のことを述べている。
 
「世に天狗というものがある。自在を得て雲を踏み、空を翔り、海を渉り、人家に出没し、世の中のあらゆることを知っているが、日に数度魔界の苛責を免れることが出来ない。自分も五尺の身、人に扶持せられず、寝たければ寝、食ひたければ食ふ。千里を行かうと思へばいつでも行ける。誰一人妨げる者はない。読書を欲すれば終日窓を閉じ、山水に語らい、花鳥に交り、一切の自由を得ている。ただ、一ヶ月に一二度、米櫃の底が鳴るのが苛責のせめだ。さすればおのれも人界の天狗の類か」

以上

ノミ・シラミがたかり、床から生えた竹・・貧しく平凡な日常生活を恨む事もなく愚痴る事もなく、すべてを「たのしみ」に変化させる人生の達人「橘曙覧」が、しっかりと生きていた証「独楽吟」を誇らしく思います。

人生半ばを過ぎて、本当は、下りのほうが楽です。
登りのときは、頂上を、ただひたすらにめざした頑張りにたいして、
下りは、人生の景色を眺めながら歩くことができます。

そんな、逆説的なモノを書けたら面白いと思うこの頃です。