Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

妙覚寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-22 | 洛中法華21ヶ寺
妙顕寺の近くにあるのが日蓮宗の妙覚寺。

妙覚寺といえば本能寺の変の時、
信長の嫡男信忠が寄宿していたお寺で有名ですよね。




所在地:京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建年:永和4年(1378)
開山:日実
開基:小野妙覚
札所:洛中法華21ヶ寺


【歴史】
日実はもと妙顕寺の僧であったが教義や後継問題をめぐる寺内の意見対立の為、
同寺から離脱し、小野妙覚の外護により四条大宮に妙覚寺を建立。

実質的な創立者は日実であるが妙覚寺では日像を開山、日実を4世としている。

寺は寛正7年(1466)近隣の本覚寺と合併し寺域を広げる。
文明15年(1483)には足利義尚の命により二条衣棚に移転した。

天文5年(1536)の天文法華の乱際に寺は焼失し堺に避難した。
その後、天文11年(1542)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、
妙覚寺は天文17年(1548)、二条衣棚の旧地に再建された。

天正10年(1582)の本能寺の変の際、織田信長の嫡男織田信忠は妙覚寺を宿舎としていた。
明智光秀の謀反を知った信忠は寺を出て明智勢を討つべく二条御所へ向かうが果たせず自害。

寺は天正11年(1583)、豊臣秀吉の命により現在の地に移転している。
文禄4年(1595)妙覚寺21世の日奥は不受不施の立場から、
秀吉が主催した方広寺大仏の千僧供養への出仕を拒み秀吉に「法華宗諌状」を提出した。

寺は天明8年(1788)天明の大火により焼失するが、その後再建されている。

妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺はいずれも山号を具足山と称し、
「龍華の三具足」と呼ばれている。



【山門】



【祖師堂】


絶賛工事中。

参拝した時は本堂かと思ってました。(^^;

境内は見る限り殺風景です。

日蓮宗の本山の多くは残念な境内が多いですね。


【鎮守社】



【庫裏】


こちらで御首題をいただきました。

奥に見えるのが本堂だそうで、
庭園や日蓮聖人が比叡山へ遊学中に法華経を書写して納められたという華芳宝塔等、
予約をすれば拝観出来ます。(拝観料500円)


【御朱印】


御首題ではなく「華芳」と書いていただきました。

華芳って何だろうと思ってました。(^^;