Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

本隆寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-25 | 洛中法華21ヶ寺
続きましては洛中の真ん中にある法華宗真門流総本山本隆寺へ。



所在地:京都府京都市上京区智恵光院五辻上ル紋屋町330
宗派:法華宗真門流
御本尊:三宝尊
創建:長享2年(1488)
開山:日真上人
札所:洛中法華21ヶ寺


【歴史】
慧光無量山本妙興隆寺(略して本隆寺)と称し、
日蓮門下京都十六本山の一つで法華宗真門流の総本山である。

開山は中山大納言親通卿の子、日真で後柏原帝より大和尚の称号を下賜された。
長享2年(1488)堂宇を四条大宮に創立したが四代日映の時、天文法乱のため諸堂焼失、
泉州堺に避難することとなります。
1542年、杉若若狭守旧地の現在地に建立した。

十代日遵の時、京都御所の炎上により類焼、明暦3年(1657)名匠坂上作左衛門が再建、
以来享保15年(1730)、天明8年(1788)の二度に京都大火は西陣一帯を焼野原となり、
寺も再び山門・鐘楼・方丈・塔頭と悉く焼失しますが本堂・祖師堂・宝庫は消失を免れます。
それより「焼けずの寺」の異名がつくようになりました。


【日真上人】
室町時代の法華宗の僧で日真門流、本隆寺派(現在の法華宗真門流)の祖。

中山親通の子で1449年(宝徳1年)妙境寺の日全を師として出家。
1456年(康正2年)園城寺に修学、1461年(寛正2年)延暦寺に修学する。
1467年(文正2年)妙本寺の日具に師事するが法華経について論争があり、
妙本寺を出て1488年(長享2年)日真は本隆寺を建立し、
日真門流という一派を興す。
その後、本境寺・本興寺を創建した。


【山門】


駐車場は山門をくぐり右手の本堂横にありました。

しかし、境内の至る所が駐車場になってしまって残念な風景になっている、
他の本山と違いここはそんなことにはなっておりませんでした。


【鐘楼堂】



【本堂】


さすが本山と言うべき立派な本堂です。


【祖師堂】



【経堂】





【番神堂】



【夜泣止松】





【山門】


裏側にも少し小さい山門がありました。
通用門みたいなものでしょうか。


【勅使門】


雪がチラついてきた。

寒い。


【庭】



【御首題】


この髭文字がいいですね~。

功徳をいただけるようでありがたやありがたや。

清和院(2013年3月2日参拝)

2013-04-24 | 洛陽三十三所観音霊場
立本寺に行く途中に洛陽三十三観音霊場の石柱が見えた。

こんな所に洛陽の札所があるとは知らなかった。
寺の名前を見るとラストの結願所である清和院ではないか。

うーむ、
洛陽はまだ初めてばかりだし、どうしようかと悩んだが、
西国ほどラストに拘る気持ちが無いので参拝することにした。


ちなみに駐車場はありませんので、
近くの立本寺の駐車場に車を停めて徒歩で行くか、
目の前にコーナンがあるのでそこの駐車場に停めるかになります。

交通量が結構あるので路上駐車は無理です。

私はコーナンの駐車場に停めさせていただき参拝しました。
その代わりコーナンで缶コーヒーを5本買いましたけどね。(^^


所在地:京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1
宗派:真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
創建:不明
開基:文徳天皇
札所:洛陽三十三観音霊場三十三番


【歴史】


第56代清和天皇(在位858~876)所縁の寺で真言宗智山派に属する。

平安初期にその後の摂関政治の礎を築いた藤原良房の邸宅「染殿第」の南に
仁寿年間既に創建されていた仏心院を基に、
清和天皇譲位後の後院として清和院が設けられたのが始まりである。

清和院は代々皇子や親王が住し、また在原業平らの歌会の場ともなったが、
徳治3年(1308)に再建、仏寺化された。

今も京都御所の東北に「染殿第跡」や清和院御門が現存しその名残をとどめている。

御本尊は木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代・重文)で等身大・玉眼入り、
極彩色の精緻を極めた見事な尊像である。

清和天皇が清和源氏の祖であったことから、
室町将軍足利氏も深く帰依し、その保護を受けて栄えたが、
寛文元年(一六六一)の御所炎上の際に清和院も類焼し、
後水尾院と東副門院によって現在地に移転再興された。

また一条鴨川西岸にあった河崎観音堂が消失後合併された為、
洛陽観音霊場の結願所でもある。


【山門】



【本堂】



【諸仏】




正面の大きな厨子に御本尊がいらっしゃって、
厨子の前の仏様は御前立なのかな。
(御本尊を見るのに500円別途必要らしい。)

久しぶりに御本尊が地蔵菩薩のお寺に来た。
地蔵菩薩が御本尊のお寺ってあんまり無い気がする。

そういや、
観音さんの札所なのに観音さんがいらっしゃらないなぁと思っていたら、
向かって左側の小さな厨子に写真が飾られていた。

きっとこれだなとビビっときた。

後で調べてみると聖観音菩薩は九州国立博物館に所蔵されているとか。


【ゼログラビティ】


こちらの阿弥陀三尊像をよく見ると前のめりになってる。

こんな仏像は初めて見ましたよ。




まるでマイケルジャクソンのゼログラビティの軽いバージョンのようだ。(^^;


【爪形天満宮】



【地蔵尊】



【御朱印】

立本寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-23 | 洛中法華21ヶ寺
京都にはまだまだ日蓮宗の本山がある。

今日は日蓮宗のお寺をメインにしているので、
少し離れた場所にある立本寺へ。

このお寺には雪舟の寒山拾徳図、島左近の墓があるそうな。


所在地:京都府京都市上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町107
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:元亨元年(1321)
開山:日像聖人
札所:洛中法華21ヶ寺


【縁起】
具足山立本寺は日蓮宗八本山の一つで京都の法華系本山十六ヶ寺の内、
大本山妙顯寺・本山妙覚寺・本山立本寺を三具足山といい、
いずれも日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人(龍華樹院)により開山される。
 
日蓮聖人ご入滅にさいし京都布教の命を受けた日像上人は、
いく度も都を追放されながらも民衆救済の使命に燃え、暦応4年(1341)、
四条の櫛笥に妙顯寺を建立するが叡山僧兵によって破却され、明徳4年(1393)、
日実上人がその地に再建、「本寺を立てる」という意味を込め「立本寺」と改名した。
 
しかし天文5年(1536)、再び僧兵によって破却され、いち早く再興されたものの、
文禄3年(1594)、秀吉の命で京極今出川(寺町今出川)に移転。
広大な寺域を得たが宝永5年(1708)の大火で焼失し現在地に移転、今に至る。


【山門】


安永7年(1771)に建立された立派な高麗門。
さすが本山だけあります。

駐車場は山門横の短い参道の近くにありました。


【本堂】




堂内須弥壇には「冑の御影」と呼ばれる祖師像(日蓮聖人座像)が祀られているそうです。


【刹堂】


鬼子母神、十羅刹女、大黒尊天や安産守護・霊鷲院日審上人が祀られている。


【祖師堂】


晴れているにも限らず陰な雰囲気を感じます。


【妙見堂】



【鐘楼堂】


なんと、よく見ると鐘がない。(^^;

しかも本山でですよ。
こんな鐘楼堂は初めて見た。


お寺によりますと、
江戸中期に建立された大鐘楼堂は第二次世界大戦中に鐘楼を接収された為、
鐘楼堂だけの状態となっておりますが、
平成25年に迎える大覚大僧正650 遠忌にむけて、この鐘楼を復元すべく、
「平成の大鐘楼」として発願中とのこと。

10万円以上のご志納をされた方には、
復元される鐘楼にお名前を刻字し永く顕彰されるそうだ。

私がこの寺の檀家なら10万円出していただろうね。
だって自分の名前が刻まれた鐘楼が数百年以上の長きあいだ残るんだから。


【宝蔵】


境内に隣接した児童公園にありました。


【大玄関】


宮さまのご来山、ご本山の貫首猊下のご来山、大行事や特別行事の時にのみ開かれる玄関。


【方丈】


御首題はこちらでいただきました。


【御首題】


見事としか言いようがない。


尚、塔頭の教法院と大輪院でも御首題をいただけますが、
私は特にいただきたいとは思いませんでした。

妙覚寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-22 | 洛中法華21ヶ寺
妙顕寺の近くにあるのが日蓮宗の妙覚寺。

妙覚寺といえば本能寺の変の時、
信長の嫡男信忠が寄宿していたお寺で有名ですよね。




所在地:京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建年:永和4年(1378)
開山:日実
開基:小野妙覚
札所:洛中法華21ヶ寺


【歴史】
日実はもと妙顕寺の僧であったが教義や後継問題をめぐる寺内の意見対立の為、
同寺から離脱し、小野妙覚の外護により四条大宮に妙覚寺を建立。

実質的な創立者は日実であるが妙覚寺では日像を開山、日実を4世としている。

寺は寛正7年(1466)近隣の本覚寺と合併し寺域を広げる。
文明15年(1483)には足利義尚の命により二条衣棚に移転した。

天文5年(1536)の天文法華の乱際に寺は焼失し堺に避難した。
その後、天文11年(1542)、後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、
妙覚寺は天文17年(1548)、二条衣棚の旧地に再建された。

天正10年(1582)の本能寺の変の際、織田信長の嫡男織田信忠は妙覚寺を宿舎としていた。
明智光秀の謀反を知った信忠は寺を出て明智勢を討つべく二条御所へ向かうが果たせず自害。

寺は天正11年(1583)、豊臣秀吉の命により現在の地に移転している。
文禄4年(1595)妙覚寺21世の日奥は不受不施の立場から、
秀吉が主催した方広寺大仏の千僧供養への出仕を拒み秀吉に「法華宗諌状」を提出した。

寺は天明8年(1788)天明の大火により焼失するが、その後再建されている。

妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺はいずれも山号を具足山と称し、
「龍華の三具足」と呼ばれている。



【山門】



【祖師堂】


絶賛工事中。

参拝した時は本堂かと思ってました。(^^;

境内は見る限り殺風景です。

日蓮宗の本山の多くは残念な境内が多いですね。


【鎮守社】



【庫裏】


こちらで御首題をいただきました。

奥に見えるのが本堂だそうで、
庭園や日蓮聖人が比叡山へ遊学中に法華経を書写して納められたという華芳宝塔等、
予約をすれば拝観出来ます。(拝観料500円)


【御朱印】


御首題ではなく「華芳」と書いていただきました。

華芳って何だろうと思ってました。(^^;

妙顕寺(2013年3月21日参拝)

2013-04-21 | 洛中法華21ヶ寺
裏千家の近くにあるのが日蓮宗京都十六本山のひとつである妙顕寺。

日蓮宗のお寺である。

去年までは日蓮宗のお寺は何となく行きづらいものを感じて、
余り行かなかったのですが今年は積極的に行こうと思っている。

日蓮宗本山クラスの本堂の堂内は凄いんですよね。

入れない場合も多いけど。



所在地:京都府京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514
宗派:日蓮宗
御本尊:三宝尊
創建:元亨3年(1321)
開山:日像
開基:後醍醐天皇
札所:洛中法華21ヶ寺



【歴史】
龍華院ともいう日蓮宗の大本山の一つである。  
日像上人が日蓮聖人の遺命を受け、永仁2年春より長年の忍難弘通の末、
元享元年京都における日蓮宗最初の道場として御溝傍今小路に創建したのが当寺のおこりである。

建武元年(1334)には法華宗号と勅願寺の綸旨を受け、
法華宗最初の勅願寺として洛中洛外の宗門の第一位を認められ四海唱導妙顕寺といわれた。

しかし度々の法難と災禍により寺地も転々とし、
秀吉の都市計画で五条大宮の旧地より現寺地に移された。

天明8年(1788)焼失したが、天保5年(1834)再建され今日に至っている。


【山門】



【本堂】




残念ながら堂内に入ることは出来ませんでした。


【三菩薩堂】


祖師堂に当るが日蓮、日朗、日像の三祖を合祀しているので三菩薩堂という。


【尊神堂】


鬼子母神が祀られており天拝鬼子母神堂とも言われているそうです。


【鐘楼堂】



【妙見大菩薩】



【慶中大菩薩】





【御真骨堂】


元々鐘眞窟と言い日蓮大聖人、日朗聖人、日像聖人の御眞舎利を奉安するお堂。


【壽福院塔】


この塔は加賀の藩主前田利家の室で徳川家康側室のお万方と並び称せられる
法華外護の大信者の壽福院日栄の壽塔。


【勅使門】



【梅】



【庫裏】


春秋に期間限定で二大庭園及び諸堂特別拝観があるそうだ。

それ以外の時期は希望すれば客殿前庭等が拝観可能。


【御首題】



【寶成院】




9寺ある塔頭のひとつ。


【御首題】


あと5つの塔頭で御首題をいただけるようですが、
小さくて入り難い塔頭でしたのでいただきませんでした。

どのみち仏様を拝ませてくれなくて玄関か外で待たされるだけだし。(^^;



あと、寶成院の横に大き目の墓地があり、
真ん中に小さなお堂がある。

お堂は明けられており数十メートル先から見ても見える
大きな仏像が祀られていた。

調べてみると丈六の阿弥陀如来坐像だという。

しかし、さすがに一般の墓地に入る気にもならず写真撮影もしませんでした。