続きましては同じく冬の旅で特別公開されている尼門跡寺院の宝鏡寺へ。
数台は停めれる駐車場に車を停めていざ参る。
所在地:京都府京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
宗派:臨済宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:応安年間(1368年~1375年頃)
開基:華林宮惠厳
札所:神仏霊場巡拝の道 第97番
【歴史】
開山は景愛寺第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳禅尼であり、
応安年間(1368~1375)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像を
景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置して名前を改め開山したのが始まりです。
景愛寺は弘安年間(1278~1287)に無外如大禅尼が開山した寺院で、
足利氏の庇護により南北朝時代以降は禅宗尼寺五山の第一位におかれ寺門は大いに栄えました。
しかし応仁の乱の兵火や足利氏の衰退により消失してしまいましたが、
華林惠厳禅尼の入寺以後は宝鏡寺の住持が景愛寺を兼摂することとなり、
現在まで景愛寺の法灯は宝鏡寺が受け継いでいます。
また寛永21(1644)年、後水尾天皇々女久厳理昌禅尼が入寺されてより、
紫衣を勅許され皇室とのゆかりが再び強まり以後歴代皇女が住持を勤める慣わしとなりました。
天明8(1788)年の大火では類焼しましたが寛政10(1798)年竣工の書院をはじめ、
本堂・大門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の六棟が復興。
阿弥陀堂は勅作堂ともいい光格天皇勅作阿弥陀如来立像が御所より移される折りに移築された建物です。
明治の廃仏毀釈以後は宝鏡寺住職が代々兼務していた大慈院を合併し、
本尊の阿弥陀如来立像、開基である崇賢門院御木像、
尼僧姿の日野富子御木像も阿弥陀堂に安置されています。
大聖寺をはじめ京都や奈良にございます尼門跡寺院にはたくさんの人形が保存されています。
これは代々内親王が入寺され父君である天皇から季節やことあるごとに
人形が贈られてきたことに由来します。
宝鏡寺も例外ではなく多くの人形が所蔵されています。
【大門】
【大玄関】
【人形塚】
こちらでは古から受け継がれてきた人形を大切に守ると同時に、
全国各地から要らなくなった人形を受付けて供養するみたいですね。
【堂内】
撮影禁止でしたので拾ってきた画像です。
右上の人形が孝明天皇遺愛の御所人形「孝明さん」。
左上の襖絵は河股幸和筆「葡萄と鹿」。
真ん中の右のお庭が徳川14代将軍家茂に降嫁した皇女和宮が、
幼い頃宝鏡寺に住まわれた折に遊んだという「鶴亀の庭」。
真ん中の左の書院は今年の4月以降無期限非公開になるそうです。
左下の子犬は円山応挙筆小犬の杉戸絵だそうですが、
円山応挙だからって全てがイイというものではない。
右下は本堂の狩野探幽作「秋草図」。
御本尊もこんな距離だったので殆ど見えず全く印象に残っていません。
印象に残っているのは沢山の古い人形ばかり。
このお寺は完全に女性向きですね。
男が人形見てもちっとも面白くないもん。(^^;
という訳で個人的には一度参拝すれば充分ですね。
【御朱印】
書置きでした。
数台は停めれる駐車場に車を停めていざ参る。
所在地:京都府京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
宗派:臨済宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:応安年間(1368年~1375年頃)
開基:華林宮惠厳
札所:神仏霊場巡拝の道 第97番
【歴史】
開山は景愛寺第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳禅尼であり、
応安年間(1368~1375)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像を
景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置して名前を改め開山したのが始まりです。
景愛寺は弘安年間(1278~1287)に無外如大禅尼が開山した寺院で、
足利氏の庇護により南北朝時代以降は禅宗尼寺五山の第一位におかれ寺門は大いに栄えました。
しかし応仁の乱の兵火や足利氏の衰退により消失してしまいましたが、
華林惠厳禅尼の入寺以後は宝鏡寺の住持が景愛寺を兼摂することとなり、
現在まで景愛寺の法灯は宝鏡寺が受け継いでいます。
また寛永21(1644)年、後水尾天皇々女久厳理昌禅尼が入寺されてより、
紫衣を勅許され皇室とのゆかりが再び強まり以後歴代皇女が住持を勤める慣わしとなりました。
天明8(1788)年の大火では類焼しましたが寛政10(1798)年竣工の書院をはじめ、
本堂・大門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の六棟が復興。
阿弥陀堂は勅作堂ともいい光格天皇勅作阿弥陀如来立像が御所より移される折りに移築された建物です。
明治の廃仏毀釈以後は宝鏡寺住職が代々兼務していた大慈院を合併し、
本尊の阿弥陀如来立像、開基である崇賢門院御木像、
尼僧姿の日野富子御木像も阿弥陀堂に安置されています。
大聖寺をはじめ京都や奈良にございます尼門跡寺院にはたくさんの人形が保存されています。
これは代々内親王が入寺され父君である天皇から季節やことあるごとに
人形が贈られてきたことに由来します。
宝鏡寺も例外ではなく多くの人形が所蔵されています。
【大門】
【大玄関】
【人形塚】
こちらでは古から受け継がれてきた人形を大切に守ると同時に、
全国各地から要らなくなった人形を受付けて供養するみたいですね。
【堂内】
撮影禁止でしたので拾ってきた画像です。
右上の人形が孝明天皇遺愛の御所人形「孝明さん」。
左上の襖絵は河股幸和筆「葡萄と鹿」。
真ん中の右のお庭が徳川14代将軍家茂に降嫁した皇女和宮が、
幼い頃宝鏡寺に住まわれた折に遊んだという「鶴亀の庭」。
真ん中の左の書院は今年の4月以降無期限非公開になるそうです。
左下の子犬は円山応挙筆小犬の杉戸絵だそうですが、
円山応挙だからって全てがイイというものではない。
右下は本堂の狩野探幽作「秋草図」。
御本尊もこんな距離だったので殆ど見えず全く印象に残っていません。
印象に残っているのは沢山の古い人形ばかり。
このお寺は完全に女性向きですね。
男が人形見てもちっとも面白くないもん。(^^;
という訳で個人的には一度参拝すれば充分ですね。
【御朱印】
書置きでした。