Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

弘願寺(2012年5月26日参拝)

2012-06-26 | 仏閣
吉野の下千本の駐車場に車を停め金峯山寺を目指し歩く。


所在地:奈良県吉野郡吉野町吉野山2591
宗派:真言宗高野山派
御本尊:阿弥陀如来立像
創建:不明
開基:聖徳太子






吉野で一番好きな風景です。

この雄大な景色を見ていたら本当に嫌なことが忘れられ癒されます。


【山門】


金峯山寺へ向かう途中で最初に見るお寺が弘願寺です。

金峯山寺は何度も参拝していますが、
今まで参拝したことが無かったので今回は寄ってみました。

とても小さなお寺です。


【地蔵堂】


関屋地蔵尊が祀られていました。

こちらは御本尊の阿弥陀如来よりも歯の痛みなどにとても霊験のある
関屋地蔵尊の方が人気があるようで参拝者の皆さんは必ずお参りされていました。


歯の痛みや健康に対して御利益を願う参拝客が今もなお絶たない。

現代なら歯医者は腐るほどあります。

ですが江戸時代以前はお抱え医がいた殿様以外の一般民衆は歯科医もいないので、
治療の術がなく虫歯になれば相当の苦痛を強いられ、
その苦痛を少しでも和らげる、或いはその苦痛が起こらないように信仰されたそうだ。

現代人は歯が痛くなったら歯医者に行って治療すれば治るから、
そのような信仰心はあんまり無いけどね。


【観音菩薩像】



【弁財天】



【御朱印】


御朱印は二種類ありましたがこちらをいただきました。


世尊寺・史跡比曽寺跡(2012年5月26日参拝)

2012-06-25 | 聖徳太子御遺跡霊場
本日は金峯山寺参拝と温泉に入りに吉野へ。

吉野へ向けて近畿自動車道を走らせているとデジカメを忘れていることに気付く。

オーマイガー。(号泣)

もう元には戻れない。

今日は携帯で撮影するしかない。



所在地:奈良県吉野郡大淀町比曽762番地
宗派:曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来坐像
創建:31代用明天皇2年(587)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子御遺跡霊場 第7番


【歴史】
古くは吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、
聖徳太子が建立した48か寺の一つと伝えられている。
同寺に残っている瓦や伽藍配置などから少なくとも
飛鳥時代(7世紀後半)には存在していたようである。

奈良時代には、吉野寺比曽山寺と呼ばれ、述する現光寺の由来となった仏像が安置された。
また著名な僧侶神叡が住み20年間三蔵を学んで自然智を得たという。

平安時代には宇多上皇や藤原道長などが吉野への参詣の途中に訪れ、
大いに栄えたがその後は衰退した。
鎌倉時代に入り、1279年(弘安2年)に金峰山から春豪聖人が比蘇寺に移り再興に努めた。

また西大寺を復興した叡尊の留錫により真言律宗となっている。
さらに1337年(南朝:延元2年、北朝:建武4年)には文観が先達となって
後醍醐天皇が行幸し「栗天奉寺」と命名され勅願寺となっている。

その後、再び衰退し荒廃するが江戸時代に入って、
伽藍を整備縮小し禅宗寺院として霊鷲山・世尊寺と改め復興し、現在に至る。



【山門】



【天照大神社】


鎮守社。


【中門】


江戸時代の享保年間に建立されたもの。


【本堂】






御本尊阿弥陀如来坐像や十一面観世音菩薩、文殊菩薩、毘沙門天、
役行者などが祀られていましたが、
中でも御本尊の微笑がたまりませんでした。


【太子堂】


用明天皇2年(587)に聖徳太子が創建されたもの。


【芭蕉句碑】


芭蕉は貞享5年(1688)弟子の杜国を伴って当寺に参詣し、
折しも咲き匂う太子お手植えの壇上桜を眺めて詠んだ句です。

「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」


【聖徳太子御手植壇上桜】



【十三重塔】



【鐘楼堂】



【東塔跡】



【西塔跡】



【御朱印】

唐招提寺(2012年5月19日参拝)

2012-06-24 | 神仏霊場巡拝の道
西大寺参拝した後、メインの参拝となる唐招提寺へ。

本日は唐招提寺で「うちわまき」が行われるのです。
初めて参加するので楽しみ。


【うちわまきとは】
鎌倉時代の唐招提寺中興の祖・大悲菩薩覚盛上人が修行中に蚊にさされているのを見て、
それをたたこうとした弟子に「自分の血を与えるのも菩薩行である」と
おっしゃって戒めたという故事があります。

戒行清廉なるその徳をたたえ「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」と、
上人が亡くなられたときに法華寺の尼僧がハート型うちわを供えたことが始まりです。
上人の命日に執り行われる中興忌梵網会の法要の後、
舎利殿(鼓楼)からうちわがまかれます。

うちわを授かることは病魔退散や魔除けのご利益があるといわれています。



所在地:奈良県奈良市五条町13-46
宗派:律宗
御本尊:廬舎那仏(国宝)
創建:天平宝字3年(759年)
開基:鑑真
中興年:寛元2年(1244年)
中興:覚盛
札所:神仏霊場巡拝の道第24番


【金堂】


国宝。

ここが本当に凄い。

中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像をメインに、
四天王立像、梵天・帝釈天立像の国宝のオンパレードにうっとり。

叶うことなら網越しではなく近くでゆっくり見たい。

見れたら悶絶もんですね。





【鼓楼】




国宝。

名称は「鼓楼」ですが現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、
「舎利殿」とも呼ばれています。

本日はここからうちわをまかれます。

金堂前にてうちわの抽選もしていたので当然ながら申し込み完了済。


【講堂】


国宝。

平城宮の東朝集殿を移築・改造されたもの。

中興忌梵網会が行われていましたので堂内を見ることも出来ませんでした。
テレビ局も来ていましたね。


【宝扇】





大滝修治、内藤武志、さだまさし、谷村新司など錚々たるメンバーの
直筆の絵うちわが飾られていました。


【礼堂】


重要文化財。

今日は縁側に絵うちわ百双屏風が展観されていました。


【奉納舞楽】
























とにかく暑かった。

日焼けしちゃったよ。(^^;

うちわまきまで時間があるので境内を散策。


【経蔵】




国宝。

唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、
唐招提寺で最も古い建造物であり日本最古の校倉です。


【宝蔵】


国宝。

唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれています。


【十三重塔】


経蔵と宝蔵の間にひっそりとありました。
初めて気づいたよ。(^^;


【開山御廟】










鑑真和上の墓所。


【うちわまき】




いよいよ始まりました。

何でも今年は鼓楼西側と南側にて約200本のうちわをまくだけとか。

その参加券は朝9時から先着200名に配布・終了とかで私を含め多くの参拝客は、
うちわまき参加券を持った参加者がうちわを拾う光景を見るだけ。(号泣)

しかも50人ずつに区切ってやっているから迫力も全然なく、
見ている我々はしらけていくばかり。


いつからこんな参加方法になったのよ~?

以前テレビで見た時は大勢の人達が奪いあう光景が映っていたのに。


どうやら奪い合いで怪我をする危険を伴うということで、
予め先着200名のみとなったようです。

怪我をするのは怪我をした人が悪いのであって、
そんなものは自己責任ですよ。

寺が気を使ってそんな規制をすべきではない。

何でも規制規制では息苦しくなるよ。

まったくもって住みにくい世の中になっていきますなぁ。


結局、抽選も外れたので1本1000円で買ってしまったよ。(泣)


【御朱印】


今日は女性に書いていただいたが少しガッカリな墨書き。

以前、男性の方に書いていただいた時は達筆中の達筆で墨書きに惚れたものだが。


【後記】
うちわまきの時にはもう参拝することはないだろう。

この唐招提寺は質実剛健という言葉がぴったりなお寺である。
そんなお寺は参拝客が少ない時にゆっくりと参拝するに限りますね。

西大寺(2012年5月19日参拝)

2012-06-23 | 真言宗十八本山
所在地:奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5
宗派:真言律宗
御本尊:釈迦如来(重要文化財)
創建:天平神護元年(765年)
開基:常騰、孝謙上皇(勅願)
札所:真言宗十八本山15番、大和十三仏霊場2番、南都七大寺5番、
西国愛染十七霊場13番、神仏霊場巡拝の道 第23番


【歴史】
西大寺の創建は奈良時代の天平宝字8年(764)に称徳天皇が、
藤原仲麻呂の反乱の鎮圧を目的に鎮護国家と平和祈願の為に、
7尺の金銅四天王像の造立を発願されたことに始まる。

造営は翌天平神護元年(765)からほぼ宝亀末年(780)頃まで続けられたと考えられるが、
創建当初の境域はぶ広大なものでここに薬師、弥勒の両金堂をはじめ東西両塔、
四王堂院、十一面堂院など、実に百十数宇の堂舎が甍を並べていた。

文字通り東の東大寺に対する西の大寺にふさわしい官大寺であった。
その後平安時代に再三の災害に遭い衰退したが鎌倉時代も半ば頃になって、
稀代の名僧興正菩薩叡尊上人がこの寺に入って復興に当り、
創建当初とは面目を新たにした密・律兼修の根本道場として伽藍を整備された。



【西大寺石落神社】




駐車場に車を停めまずは鎮守社をお参り。


【東門】


東門から境内へ。


【四王堂】


創建期の由緒を伝える唯一の堂。

御本尊は正応2年(1289)亀山上皇の院宣によって京都から移安された、
仏師円信の作になる本格的な藤原彫刻の十一面観音立像。

しかし建物は再三焼失し現在の堂は延宝2年(1674)の再建されたもの。


こちらにおわす十一面観音像(重文)と四天王像(全て重文)が素晴らしい。

20分ぐらいずっと見ていた。

観音様の慈悲に溢れたお顔を見ていると悩みとか心の荒波を静めてくれます。

堂内撮影禁止でした。


【不動堂】


お不動さんは私の守り仏なのでしっかりと拝む。


【衆宝館】




国宝の金銅宝塔や、吉祥天立像、行基菩薩坐像などの重要文化財をはじめ
多くの寺宝を収蔵安置されています。

ここは見ないと損します。


【本堂】




重要文化財。

中世に建てられた光明真言堂の後身で同寺は天平宝宇8年(764)、
称徳天皇が鎮護国家のために四天王像の造立を発願したことに始まり、
翌年に創建されたものだが、その後、度重なる火災や兵火によって建造物のほとんどを焼失。

現在の本堂は文亀2年(1502)の兵火のあと、
宝暦年間(1751~64)に再建されたものといわれていたが、
後の調査によって寛政年間(1789~1802)にそれまでの仮堂を廃して着工、
文化初年に完成したものであることが判明した。


たくさんの灯篭の光による幻想的な雰囲気の堂内には御本尊の釈迦如来立像、
文殊菩薩騎獅像及び四待者像、弥勒菩薩坐像など、
見飽きることのない仏様達がいらっしゃいます。

ここは何度参拝してもいい。



こちらも撮影禁止でしたので動画をアップしておきます。


【御朱印】




本堂でいただいた御朱印です。

四王堂の御朱印もこちらでいただけます。


【塔跡】






奈良時代には東西両塔が建てられ、そのうちの東塔跡。
創建当初のものはともに平安時代に焼失、東塔は藤原後期に再建されたが、
これも室町時代文亀2年(1502)に焼失した。


【愛染堂】




もと京都の近衛政所御殿を宝暦12年(1762)に移建した南北十一間、東西八間の宸殿造りの仏堂。

御本尊の愛染明王坐像(重文)は秘仏として厨子内に安置されるが、
宝治元年(1247)に興正菩薩の念仏仏として仏師善円が造られたもの。


【御朱印】


愛染堂でいただくことが出来ます。

そういや愛染堂の隣にある大黒堂が修理の為に、
本堂に大黒天が祀られていました。


【鐘楼】



【平和観音】



【子育地蔵尊】



【大師堂】



【石仏】


どなたか忘れましたが上人だったと思います。


【弁財天】


清龍池にひっそりと弁財天が祀られていました。


【閼伽井戸】



【南大門】




南大門を出て次の唐招提寺へ。

蓮華王院 三十三間堂(2012年5月12日参拝)

2012-06-22 | 洛陽三十三所観音霊場
所在地:京都府京都市東山区三十三間堂廻町657
宗派:天台宗
御本尊:千手観音
創建:長寛2年(1165年)
開基:後白河上皇
札所:洛陽三十三所観音霊場第17番


【三十三間堂】




約2年振りに訪れた三十三間堂。

圧倒的ですね。

中に入るともっと圧倒されます。

本当に凄過ぎます。


一体一体の表情が全て違う千体千手観音立像。

もしこの一体がどこかの寺に祀られていたなら立派な御本尊として、
地域の人々から篤く信仰されていたであろう。

それが千体も一堂に集まっているのだから圧巻です。





ただ、この時は修学旅行生も多く堂内が少しざわついていた。

その時、係員が「静かに!」とスピーカーで注意していた。
その言い方が偉そうで傲慢な感じがしたのでちょっと嫌な気分でした。

もちろん、大きな声で話していた連中が悪いのですが。


【庭園】



【御朱印】