事前に場所を調べて行ってみるといつも行っている酒屋の近くにあったとか。
こんな所にお寺があったとは知りませんでしたわ。(^^;
馴染みの酒屋で兼八の小瓶を買ってから参拝。
所在地:京都市左京区川端通三条上る法林寺門前町36
宗旨:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長16年(1611年)
開山:袋中良定
開基:袋中良定
中興年:元文3年(1738年)
中興:貞雅良妙
正式名:栴檀王院 無上法林寺
【歴史】
檀王法林寺の前身は望西楼了恵上人(1243-1322)の悟真寺創建にはじまります。
了恵上人は浄土宗三条派の派祖となり亀山天皇の帰依を受けて「朝陽山」の山号を賜り、
文永9年(1272)に悟真寺を三条の地に建立しました。
この地で宗祖法然上人の浄土の真義を伝えるなど、専修念仏の布教につとめられ、
法然上人の教義をまとめた「黒谷上人語灯録」を著しました。
その後、悟真寺は応仁の乱をはじめ、度重なる天災人災の被害を受け、
永禄年間(1558‐69)に焼失したと伝えられています。
この悟真寺の縁地に新しく檀王法林寺を築いたのが袋中上人です。
慶長7年(1602)、51歳の時に明(当時の中国)へ渡ろうと決意しましたがかなわず、
翌8年から3年間琉球国に留まることになりました。
帰国後、慶長16年(1611)京都に入り、
了恵上人が開いた念仏道場の縁地(悟真寺)に草庵を建立し、
「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」と名づけました。
【三条門】
明治21年(1888)二十二世譲誉玄亮上人によって建立されたもの。
【楼門】
三条門と同じく明治21年(1888)二十二世譲誉玄亮上人によって建立されたもの。
楼内に縮冊一切経、十六羅漢像、大日如来像を安置されているそうです。
【四天王像】
楼門新築に伴い購入したもので大阪和泉の興善寺旧蔵ものと伝えられている。
最も古式である広目天像は興善寺が所有する保安元年(1120)銘の大日如来像のものと
共通することから平安時代後期の作で、その他の像は鎌倉後期から南北朝と考えられている。
【本堂】
拝観料800円支払い参拝。
正直、800円は高いなと思った。
後で調べたら毎月1日は無料で参拝出来るし。
【地蔵菩薩】
江戸時代作のもので台座を含めて高さ3メートルのお地蔵さんです。
【宝塔】
【御朱印】
こんな所にお寺があったとは知りませんでしたわ。(^^;
馴染みの酒屋で兼八の小瓶を買ってから参拝。
所在地:京都市左京区川端通三条上る法林寺門前町36
宗旨:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長16年(1611年)
開山:袋中良定
開基:袋中良定
中興年:元文3年(1738年)
中興:貞雅良妙
正式名:栴檀王院 無上法林寺
【歴史】
檀王法林寺の前身は望西楼了恵上人(1243-1322)の悟真寺創建にはじまります。
了恵上人は浄土宗三条派の派祖となり亀山天皇の帰依を受けて「朝陽山」の山号を賜り、
文永9年(1272)に悟真寺を三条の地に建立しました。
この地で宗祖法然上人の浄土の真義を伝えるなど、専修念仏の布教につとめられ、
法然上人の教義をまとめた「黒谷上人語灯録」を著しました。
その後、悟真寺は応仁の乱をはじめ、度重なる天災人災の被害を受け、
永禄年間(1558‐69)に焼失したと伝えられています。
この悟真寺の縁地に新しく檀王法林寺を築いたのが袋中上人です。
慶長7年(1602)、51歳の時に明(当時の中国)へ渡ろうと決意しましたがかなわず、
翌8年から3年間琉球国に留まることになりました。
帰国後、慶長16年(1611)京都に入り、
了恵上人が開いた念仏道場の縁地(悟真寺)に草庵を建立し、
「朝陽山 栴檀王院 無上法林寺」と名づけました。
【三条門】
明治21年(1888)二十二世譲誉玄亮上人によって建立されたもの。
【楼門】
三条門と同じく明治21年(1888)二十二世譲誉玄亮上人によって建立されたもの。
楼内に縮冊一切経、十六羅漢像、大日如来像を安置されているそうです。
【四天王像】
楼門新築に伴い購入したもので大阪和泉の興善寺旧蔵ものと伝えられている。
最も古式である広目天像は興善寺が所有する保安元年(1120)銘の大日如来像のものと
共通することから平安時代後期の作で、その他の像は鎌倉後期から南北朝と考えられている。
【本堂】
拝観料800円支払い参拝。
正直、800円は高いなと思った。
後で調べたら毎月1日は無料で参拝出来るし。
【地蔵菩薩】
江戸時代作のもので台座を含めて高さ3メートルのお地蔵さんです。
【宝塔】
【御朱印】