今日は四国霊場八十八ヵ所参拝の最初の1番から6番までの
お寺を参拝する為に阪急交通社のバスツアーに参加。
2980円とは安いですね。
【八十八ヵ所お遍路とは】
今から約1,200年前、
弘法大師が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場です。
後に高弟が遍歴したのが霊場巡りの始まりと伝えられています。
人間には煩悩が88あり、霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、
願いがかなうと言われてます。阿波で脚を固め(発心の道場 1~23番)、
土佐で心落ち着け(修行の道場 24~39番)、伊予で信に入って(菩提の道場 40~65番)、
讃岐で諸願成就する(涅槃の道場 66~88番)、
そして最後に、高野山奥の院参拝で大願成就すると言われてます。
【白い太陽】
黄砂のせいで太陽が白いですね。
【明石大橋】
朝8:10奈良の大和西大寺からバス出発。
1時間半ぐらいで明石大橋通過。
鳴門の渦潮が有名な場所で渦潮を見る為にフェリーも出てました。
本来なら第1番から第6番まで順番にお寺を参拝するようですが、
大変人気なツアーらしく他の旅行会社のバスも沢山出ているようなんで、
第1番、2番、6番、5番、4番、3番と参拝することに。
昼に第1番の「竺和山 霊山寺」に到着。
所在地:徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:伝・天平年間(729年 - 749年)
開基:伝・行基、聖武天皇(勅願)
中興:正保年間(1644年 - 1648年)
札所:四国八十八箇所1番
【歴史】
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。
弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、
この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、
心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。
その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み熱心に耳を傾けている霊感を得た。
大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、
インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。
このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、
本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、
霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。
往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。
しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。
その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、
明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。
【仁王門】
立派な山門ですね。
それにしても参拝者が非常に多い。
こちらは儲かっているだろうなぁ、と不埒なことを考えたり。(^^;
【多宝塔】
中には五知如来が祀られているそうです。
【御朱印】
お寺を参拝する為に阪急交通社のバスツアーに参加。
2980円とは安いですね。
【八十八ヵ所お遍路とは】
今から約1,200年前、
弘法大師が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場です。
後に高弟が遍歴したのが霊場巡りの始まりと伝えられています。
人間には煩悩が88あり、霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、
願いがかなうと言われてます。阿波で脚を固め(発心の道場 1~23番)、
土佐で心落ち着け(修行の道場 24~39番)、伊予で信に入って(菩提の道場 40~65番)、
讃岐で諸願成就する(涅槃の道場 66~88番)、
そして最後に、高野山奥の院参拝で大願成就すると言われてます。
【白い太陽】
黄砂のせいで太陽が白いですね。
【明石大橋】
朝8:10奈良の大和西大寺からバス出発。
1時間半ぐらいで明石大橋通過。
鳴門の渦潮が有名な場所で渦潮を見る為にフェリーも出てました。
本来なら第1番から第6番まで順番にお寺を参拝するようですが、
大変人気なツアーらしく他の旅行会社のバスも沢山出ているようなんで、
第1番、2番、6番、5番、4番、3番と参拝することに。
昼に第1番の「竺和山 霊山寺」に到着。
所在地:徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126番地
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:伝・天平年間(729年 - 749年)
開基:伝・行基、聖武天皇(勅願)
中興:正保年間(1644年 - 1648年)
札所:四国八十八箇所1番
【歴史】
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。
弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、
この地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難を攘はらって、
心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。
その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み熱心に耳を傾けている霊感を得た。
大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、
インドの霊山を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。
このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、
本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、
霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。
往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。
しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。
その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、
明治24年(1891)には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。
【仁王門】
立派な山門ですね。
それにしても参拝者が非常に多い。
こちらは儲かっているだろうなぁ、と不埒なことを考えたり。(^^;
【多宝塔】
中には五知如来が祀られているそうです。
【御朱印】
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